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映画音楽

2013-02-19 16:21:29 | 映画音楽
映画がトーキーになると、新しい作曲家の仕事の領域として映画音楽家が誕生しました。
ビクター・ヤング、ヘンリー・マンシーニ、ジョセフ・コズマ、ニーノ・ロータ、カルロ・ルスティケッリ、ジョバンニ・フスコなどが代表的な存在です。
映画音楽がラジオなどで先行ヒットするとその結果として映画も興行的にも成功し、映画がヒットするとその主題歌も売れるということで、映画と音楽は切ってもきれない重要な関係です。
ポピュラーファンで洋画ファンの私にとっても、映画音楽は重要な位置づけでもありました。
主題歌が流れてくると映画のワンシーンが瞼の裏をスクリーンにして鮮やかに蘇ってきます。
たとえ映画は見ていなくても音楽として充分楽しめるのですから。
このブログでも、映画音楽について取り上げてゆこうと思います。

そんな映画音楽には二つの流れが存在します。
まず、トーキーの誕生により、映画の中に歌曲が取り入れられます。
アル・ジョルスンの『ジャズ・シンガー』(1927年)がアメリカで公開されると、アメリカではブロードウェイの映画化が主流になっていき、唄物映画が一気に溢れ出しました。
映画で曲が流れさえすればレコードや楽譜が売れるというので、作曲家や演奏家・歌手がニューヨークからハリウッドに押し寄せた時代です。
これが音楽映画の源流となっています。
『音楽のための映画』で、典型的な例として、ミュージカル映画やプレスリー映画がこの部類になります。
その特徴として、映画の進行上、何の脈絡もなく突如として歌が始まります。
まさに『音楽のための映画』そのものでもあります。
一方で、ヨーロッパでもトーキーの時代に入り、当然のことながら音楽も取り入れられるようになりました。
しかし、ヨーロッパでは『音楽のための映画』ではなく、映画に音楽を融和させる手法が主流となりました。
『嘆きの天使』『会議は踊る』『巴里祭』『巴里の屋根の下』など、秀逸な作品にその主題歌が一体となりました。
挿入歌でありながらも、映画の構成上なくてはならない映画の一部となっています。
もちろん歌曲に限定したものではなく、映像のバックに流れる演奏も同様です。
『太陽がいっぱい』『第三の男』『鉄道員』『ブーベの恋人』などがこの部類になります。

『音楽のための映画』なのか『映画に融和した音楽』なのか…
どちらにせよ、これらに使用された音楽は、双方とも映画音楽として扱われています。

YOUTUBEで『国境は燃えている』(1965年)がアップされているのを見つけました。
マリオ・ナシンペーネの作曲でモーリス・ルクレール楽団の演奏したものですね。
反ナチのレジスタンス映画でしたが哀愁のこもったメロディーを聴くと、マリー・ラフォレのものうい表情が浮かんで心に沁みます。