【誕生日】
☆ホセ・バッソ José Basso (1919.1.30~1993.8.14)
幼少期にピアノを習い九歳の時には素人の四重奏団を率いていたというアルゼンチン・タンゴのマエストロです。
1934年で主に編曲などを担当していましたが、1937年にホセ・ティネリのオルケスタに迎えられたのが実質的なデビューで
1944年にアニバル・トロイロ楽団で頭角を現わしました。やがて1947年に念願の独立を果たし、1950年代にはオデオンの
人気No.1楽団へと昇り詰めていきました。
演奏スタイルはデ・カロを受け継ぐトロイロ風ともいわれているようですが、どちらかといえば、枯れた演奏というよりも
華麗さを意識した表現でいわゆる大衆的な演奏家でもありました。
彼を代表する演奏は数多いのですがとりあえずは有名どころをピックアップしておきます。
↓はホセ・バッソ楽団の『ラ・クンパルシータ』【YOUTUBEより】
↓はホセ・バッソ楽団の『ジーラ・ジーラ』【YOUTUBEより】
↓はホセ・バッソ楽団の『アディオス・ムチャーチョス』【YOUTUBEより】
↓はホセ・バッソ楽団の『ガウチョの嘆き』【YOUTUBEより】
☆マイケル・アンダーソン Michael Anderson (1920.1.30~2018.4.25)
1950年代から英国の伝統的な冒険劇やミステリーなど娯楽映画で手腕を発揮したイギリスの映画監督です。
俳優ローレンス・アンダーソンの子息として生まれたため俳優を目指していましたが、やがて制作側に興味を持ち始め
デヴィッド・リーンやキャロル・リードなどの作品の編集に従事し、1953年に『暁の出撃』で念願の監督デビューを
果たしました。この映画は英国空軍のPRとなりイギリスで大ヒットとなり、これによってアメリカのマイケル・トッドの
目にとまり1956年には『八十日間世界一周』を任されて大型娯楽映画の監督として大いなる評価を得ました。
その後も活劇やミステリーを撮り続けましたが残念ながら娯楽映画の域を出ることはありませんでした。
【主要監督作品】
1953年『暁の出撃』 The Dam Busters
1956年『八十日間世界一周』 Around the World in 80 Days
1960年『夜が泣いている』 All the Fine Young Carnibals
1961年『六年目の疑惑』 The Naked Edge
1964年『あしやからの飛行』 Flight from Ashiya
"1964年『ムッシュ・コニャック』 Wild and Wonderful"
1966年『さらばベルリンの灯』 The Quiller Memorandum
☆エルザ・マルティネリ Elsa Martinelli (1935.1.30~2017.7.08)
ファッション・モデルから映画界入り、イタリアをはじめ欧米で活躍したイタリア人女優です。
苦学生だった16歳のときにファッション・デザイナーに見出されてモデルになり『ヴォーグ』『ライフ』などの表紙を
飾るようになりました。1953年にアメリカでファッション・ショーに出演しているときにカーク・ダグラスに推薦されて
『赤い砦』で映画デビュー、その後もイタリアだけでなく仏・英・独・米などの映画に出演して国際スターになりました。
【主要出演作品】
1956年『水田地帯』 La Risaia
1959年『狂った夜』 La Notte Brava
1960年『危険なデイト』 I Piaceri Del Sabato Notte
1960年『血とバラ』Et Mourir De Plaisir
1960年『ローマの恋』Un Amore A Roma
1962年『ハタリ!』 Hatari!
1962年『審判』 Le Procès
1962年『ローマを占領した鳩』The Pigeon That Took Rome
1963年『予期せぬ出来事』The V.I.P.s
1963年『ランページ』 Rampage
1966年『イタリア式愛のテクニック』 Come Imparai Ad Amare Le Donne
1967年『愛すべき女・女たち』 Lu Plus Vieux Metier du Monde
1967年『女と女と女たち』 Woman Times Seven
1967年『恋のマノン』 Manon 70
1969年『火曜日ならベルギーよ』 If It's Tuesday, This Must Be Belgium
1969年『カトマンズの恋人』 Les Chemins De Katmandou
☆ジャクリーヌ・フランソワ Jacqueline Francois (1922.1.30~2009.3.07)
第二次世界大戦後に花開いたフランスを代表する偉大なシャンソン歌手です。
1945年に歌手デビューし、1947年の『春の如く』(C'est Le Printemps)でフランス・ディスク大賞を獲得、翌年の映画
『巴里の醜聞』では主題歌で彼女の代名詞となった『パリのお嬢さん』(Mademoiselle De Paris)が世界的にも大ヒット、
二度目のフランス・ディスク大賞に輝きました。この曲は後年の1955年制作の映画『水色の夜会服』でも主題歌として
取り上げられてリヴァイヴァル・ヒットしています。また『水色の夜会服』では、シャンソンというよりもバイヨンのような
リズムのフランス産のラテン・ナンバー『ポルトガルの洗濯女』が唄われ、この曲も世界的に大ヒットし同年のフランス・
ディスク大賞を獲得しています。
ジャクリーヌはヒット曲と共に『ラ・メール』『枯葉』『巴里の空の下』『小さな花』『愛の讃歌』『パダム・パダム』
『バラ色の人生』など数多くのシャンソンをカヴァー、さらには他国の『イパネマの娘』『ホワイト・クリスマス』
『ケ・セラ・セラ』『テイク・ファイヴ』『スマイル』などもフランス語で唄って国際的にも活躍していました。
↓はジャクリーヌ・フランソワの『パリのお嬢さん』【YOUTUBEより】
↓はジャクリーヌ・フランソワの『ポルトガルの洗濯女』【YOUTUBEより】
↓はジャクリーヌ・フランソワの『私の心はバイオリン』【YOUTUBEより】
☆ロイ・エルドリッジ Roy Eldridge (1911.1.30~1989.2.26)
ピッツバーグ生まれのアフリカ系米国人で "リトル・ジャズ"の愛称を持つジャズ・トランペッターです。
素人時代にドラマーの兄ジョーの影響でピアニストからトランペッターに転身、人種差別に苦しみながらもジャズ・バンドを
転々としましたが、リズミックなスイングを武器に、1935年にビリー・ホリデイと共演、さらにベニー・グッドマン、
ジーン・クルーパ、ディジー・ガレスピー、オスカー・ピーターソンなどとも共演して一躍名をあげました。
ラジオ関西の電話リクエストのオープニング・テーマ曲『スターダスト』は関西の洋楽ファンにとってはどんな優れた
名曲よりも忘れることができない珠玉の逸品となっています。
↓はロイ・エルドリッジの『スターダスト』【YOUTUBEより】
☆ホルスト・ヤンコフスキー Horst Jankowski (1936.1.30~1998.6.29)
ベルリンで生まれのジャズ・ピアニストです。
ヤンコフスキーはベルリン音楽コンサバトリーで学び、1950年代にドイツでジャズを演奏し、カテリーナ・ヴァレンテの
バンドリーダーを務めました。
1965年には、小洒落たアドリブによるピアノと軽やかなストリングスのアンサンブルがとても絶妙な『森を歩こう』を
自作自演し、ゴールドディスクになっています。
1970年代にはポップとロックヒットのカバーを含むジャズの演奏を中心に、イージーリスニング音楽を作曲していた
ようですが、残念ながら日本では話題になっていないようです。
↓はホルスト・ヤンコフスキー楽団の『森を歩こう』【YOUTUBEより】
【ご命日】
★ジョン・バリー John Barry (1933.11.03~2011.1.30)
映画『007』シリーズの主題歌で一世を風靡したイギリスの映画音楽家。
主要出演作品として『007は殺しの番号』『007危機一発』『野生のエルザ』『さらばベルリンの灯』などがある。
★ダミア Damia (1889.12.05~1978.1.30)
『暗い日曜日』に代表される孤独や絶望をテーマにした謎多き現実派シャンソン歌手。
代表的な歌唱として『暗い日曜日』『人の気も知らないで』『かもめ』などがある。