北本市東光寺の蒲桜は毎年撮影していますが、うまく撮るのが難しい桜です。
枝が四方に広がっており、近くにお堂やお墓があるので構図も限られます。
従って毎年記念写真的に撮ることにしています。
枝が四方に広がっており、近くにお堂やお墓があるので構図も限られます。
従って毎年記念写真的に撮ることにしています。
この日の蒲桜は既に散り際で来るのが遅かったようです。
天然記念物に指定された大正時代の蒲桜。現在の蒲桜は二代目です。
蒲桜の名は源頼朝の弟の蒲冠者(かばのかじゃ)源範頼(のりより)に因んでいます。
範頼は蒲御厨(かばのみくりや)、静岡県浜松市で生まれたことから蒲冠者や蒲殿と呼ばれました。
平家討伐時には大手の将軍を務めるなど手柄をあげました。
範頼は鎌倉幕府で重きをなしますが、謀反の疑いを掛けられて伊豆に流されました。
配流後の範頼については不明ですが、東光寺には追っ手から逃れてこの地でなくなったとの伝説があります。
東光寺からほど近い高尾阿弥陀堂には範頼の妻、亀御前が範頼の訃報を聞いて悲観し荒川に入水したとの伝説が伝わっています。
なお範頼の子の範圓、源昭は助命され、範圓の子は吉見氏を名乗り存続したそうです。
源範頼肖像(横浜市太慶寺)
範頼の位牌(中央)。