クロムの備忘録的ダイアリー

定年後の日々の楽しみや関心事、具体的には写真、カメラ、観る将あるいは投資の話題などを綴っていきます。

伊勢志摩熊野旅行7日目

2019年05月09日 14時50分07秒 | 旅行
串本から埼玉まで長距離なので途中下車という意味で桑名に宿を取りました。
宿泊後の午前は観光の時間が取れるので桑名城址と六華苑に行きました。


桑名城は残っておらず幡龍櫓という櫓が建っていました。


またこの地点は伊勢国の東の入り口に当たるため、伊勢神宮の一の鳥居が立てられました。


桑名城跡を後にして六華苑に行きました。
六華苑は2代目諸戸清六の邸宅として大正2年に完成。
諸戸清六は山林王だったそうで、2代目は初代の急逝後事業を引き継ぎ、洋館と和館が接した六華苑を建てました。洋館部分はジョサイア・コンドルに設計を依頼しました。コンドルは鹿鳴館、ニコライ堂、岩崎邸園、古河庭園などで知られる建築家です。六華苑は地方都市に現存する唯一の遺産だそうです。




洋館内にはコンドルの略年譜が載っていましたがそれがなかなか興味深かったです。
コンドルは25歳で来日、5年の契約を延長し、13年間政府の仕事に携わり、多くの設計を残すとともに建築家を育てました。この程度は知っていたのですが、日本女性と結婚し、67歳で亡くなるまでの生涯を日本で過ごしました。コンドルは41歳で前波くめと結婚します。その際、来日後ほどなく生まれた娘ヘレンを養女として引き取りました。くめはコンドルが習っていた踊りが縁で知り合ったそうです。




コンドルは日本文化に関心を持ち、狩野派の絵師河鍋暁斎に師事、日本画に習熟していました。
また日本文化をイギリスの雑誌に紹介、日本庭園の著作も残しました。
建築に素養もないのでコンドルのこのような面を知った事が六華苑を見学した成果といっても良さそうです。


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