クロムの備忘録的ダイアリー

定年後の日々の楽しみや関心事、具体的には写真、カメラ、観る将あるいは投資の話題などを綴っていきます。

伊勢志摩熊野旅行6日目

2019年05月08日 11時39分43秒 | 旅行

熊野滞在の最終日は潮岬経由で紀伊大島に行きました。


途中潮岬灯台を眺め、潮岬タワーのある公園に寄りました。ここには本州最南端の碑があります。


串本大橋を渡り紀伊大島の樫野埼(かしのざき)灯台に行きました。
途中トルコのエルトゥールル号遭難事件の慰霊碑の前を通りました。


樫野埼灯台は日本最初の洋式石作り灯台で、現在も稼働中です。
これを作るためにイギリスからお雇い外国人リチャード・H・ブラントンが来日し、各地から日本人が集められ灯台作りを学びました。そのためブラントンは日本灯台の父と呼ばれており、教育の場として灯台に接して石造りの官舎が作られました。
官舎はその後灯台守りの宿舎となりました。施設の説明員の方によりますと、前述のエルトゥールル号遭難の際は、未明に9名の船員が助けを求めにきたのですが、その際の有様があまりに酷かったために非常に驚いたそうです。


エルトゥールル号は座礁し、水蒸気爆発を起こした上に、船員は断崖絶壁を素手で登ってきたため、ある者は指がない、ある者は耳がない、といった惨状が記録に残っているそうです。
翌朝灯台を拠点に村民による救助団が組織され、69名が救助されました。犠牲者は587名にのぼりました。生存者はその後、日本海軍の比叡、金剛に分乗し送還されました。その2隻には秋山真之等が乗っていました。


樫野埼灯台の後は近くの海金剛に行きました。
この荒々しい岩もマグマ由来の岩が荒波に削られて出来たものです。


海金剛を見学後、串本を後にして帰路につきました。
その途中に日本最古の神社、花の窟(いわや)神社の案内板を見たので寄ってみました。
ここはイザナミノミコトを祀っています。書記によるとイザナミは火の神・カグツキ神出産後
火傷がもとで死んでしまい、その魂を祀るため土地の人々は花の咲く時期にのぼりや旗を立てて
歌い踊る祭りを行ったそうです。そのため花の窟という名前がついたそうです。


中に入ると地味な鳥居をくぐった先にある巨岩から不思議な縄がかかっていました。
このような巨岩信仰は先日見た高倉神社でも見たものなのですが、原始的なアミニズム信仰の実例を見る思いで興味深く感じました。


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