椿にも苦い思い出があります。幼稚園長をしていた時のことです。園児たちは「園長先生、これ見て」と、ドングリやダンゴムシ時にはトカゲまで、いろいろなものを見せに来ます。
ある日の園庭、一人の女の子が椿の固い蕾を見せに来ました。日頃から生き物の命を大切にしましょうねよ、と教えていた私は驚きました。この子は椿の枝から、蕾をむしり取ってきたのだろうか。そんな不安を押し殺し、固い笑顔で聞きます。
「どうしたの」~前回も書きましたが、この「どうしたの」は魔法の言葉です。この言葉から、子どもに接していけばいいのです。
私も蕾をむしり取ってきた(と思った)子どもに対し、叱ることなく「どうしたの」と聞くことから始めました。
「あのね、後ろの庭の椿の木の近くで遊んでいたら、この蕾が落ちていたの。」
私は叱らなくてよかったと、胸をなでおろします。そう話した子どもは、次に、固くたたまれている花びらの一枚一枚をむしりとり、水飲み場のタイルの上に並べ始めました。私は驚き慌てます。蕾をばらばらにしてしまうなんて…。でも、ぐっとこらえてまた笑顔で聞きます。
「どうしたの。」
「このつぼみが落ちていて、かわいそうだったから、拾ってきたの。でも、このまま
じゃ死んじゃいそうだから、一枚一枚はがして、ここに並べてあげるの。ほら、一枚
はがしてここに置くと、くるっとまるまるでしょ。園長先生、これってわかる.さなぎ
なのよ。さなぎって、だんだん蝶々になるの。こうしておくと、みんな蝶々になって、
お空に飛んでいくわ。つぼみさんをお空にかえしてあげるの。」
この子は、植物の命を粗末にするどころか、小さな命を慈しむ、やさしい心根を持った子なのです。私は、その女の子をぎゅうと抱きしめました。
子どもの行いには、みなその子なりの意味があります。頭越しに大人の主観で叱るのではなく、「どうしたの」と聴くその思いやりの一言が、子どもの気持ちに寄り添い、子どもの優しさを発見することもあるのです。
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