M5超えの「巨大地震」は、年内にやってくる…次に災害におそわれる「大都市の名前」
先月7日に首都圏をおそった「震度5」の地震を背景に、いま日本に起きている異変についてを前編の「巨大地震は「12月までにやってくる」…首都圏をおそった「震度5」は前兆だった」で専門家が指摘している。では実際に、一番あぶない地域はどこなのか、引き続き専門家が分析する。 【写真】災害の記憶をいまに伝える日本全国「あぶない地名」
災害に弱すぎる地形
もうひとつ、近いうちに関東で規模の大きな地震が起きる可能性が高いことを示すデータがある。
地震活動をわかりやすく可視化した「地下天気図」だ。東海大学海洋研究所地震予知・火山津波研究部門客員教授の長尾年恭氏はこう解説する。 「ある地域で地震が少なくなる現象を『静穏化』といい、静穏化が長いほど、地震が発生したときのマグニチュードは大きくなります。そこで、静穏化が起こっている地域を青くして判別していました。
実は青色が消えるのは地震が起こりやすくなった証拠です。
昨年8月から今年2月にかけて、関東地方では青い地点が数多く確認されていました。ところが3月以降は徐々に減っていたんです。そして、とうとう10月には関東の地下天気図から青色がなくなりました。
その直後に千葉県北西部で地震が発生した。ただ、M5・9と想像よりも規模が小さなものでした。まだ地下にエネルギーが溜まっていると考えると、近いうちに関東地方が大きな揺れに襲われる可能性は高いと思います」 では12月に関東で大地震が来たら、どんな被害が起きてしまうのか。
東京では10月7日の地震をはるかに超える被害が出ることになる。水道・電気・ガスなどのライフラインはすべて止まり、老朽化したビルは倒壊してしまう。首都東京が、その機能を完全に喪失する可能性すらある。
だが、その東京よりも大きな被害が想定されている地域がある。
相模湾の沿岸地域、房総半島南部だ。大正関東地震における東京の最大震度は6強だが、この2つの地域は、震源の相模トラフに近いことから震度7に達したと推定されている。
気象庁の等級では、「震度6強」で、「はわないと動くことができない。飛ばされることもある」「大きな地割れが生じたり、大規模な地すべりや山体の崩壊が発生することがある」などと基準が定められている。
想像するだけでも恐ろしい状況だが、相模湾沿岸地域をはじめとする地域では、それよりも強い揺れが襲いかかるのだ。 中でも特に、壊滅的な被害が危惧されているのが神奈川県の鎌倉だ。
地球物理学者で武蔵野学院大学特任教授の島村英紀氏はこう解説する。 「鎌倉は東・北・西の三方を山に囲まれ、南は相模湾に面した天然の要害です。この地に幕府が開かれたのも、敵から攻められにくく守りやすいから。
ただ、裏を返せば容易に外へ出られないわけで、自然災害が起きた際に被害を受けやすい。 その上、海抜の低い扇状地なので津波が川を遡上して氾濫被害が拡大するリスクも高いんです」 こうした地理的要因があった鎌倉は、大正関東地震において「建物の倒壊」「火災による焼失」「津波による流失」という三重の被害を受けている。
これは被災地の中でも珍しく、犠牲者の多かった東京でも津波による被害は少なかった。 当時から地形は変わっていないため、いま関東大地震が鎌倉を襲ったら被害規模は大きくなるに違いない。
鎌倉駅東口から鶴岡八幡宮へ向かう小町通りは、いつ訪れても家族やカップルなど多くの人で賑わっているが、大惨事になるはずだ。
15分で津波が来る
「お土産屋などの店舗を中心に建物が密集しているため、耐震性の低い建物は倒壊する危険があります。
それに伴って延焼火災が起こったり、巻き込まれたりする人も出る可能性があります。
高台や鉄骨構造のビルなど安全な場所に避難する必要がありますが、土地勘のない観光客は判断できない。人出の多い休日の日中などでは、パニックによる被害拡大も予想されます」(危機管理アドバイザーの和田隆昌氏) 長谷寺や銭洗弁天といった鎌倉を代表する歴史的建造物も、ことごとく崩壊する可能性が高い。鎌倉国宝館学芸員の浪川幹夫氏はこう解説する。
「大正関東地震では、鶴岡八幡宮の舞殿(舞楽を行うための建物)が倒壊し、入り口の楼門も倒れてしまいました」 山の近くにいる場合、土砂崩れにも警戒しなければならない。
特に危ないのは、鶴岡八幡宮の東と北に位置する高級住宅街・扇ガ谷と雪ノ下だ。 「この地域のすぐ後方には山々がそびえたっています。鎌倉の山は三浦層群という脆弱な地質で形成されているため、急傾斜の斜面では落石、土砂災害の危険があります」(前出の和田氏) 由比ヶ浜海岸や、長谷寺がある長谷といった地域には木造住宅が多いため、倒壊や火災にみまわれるリスクも高い。
それだけではない。幕府ができるまで多数の湖沼が点在する低湿地だった鎌倉には、液状化現象の危険性もある。
「1703年に関東地方に壊滅的な被害を与えた元禄地震(推定M7・9~8・2)に関する古文書を確認すると、鎌倉五山のひとつとして有名な円覚寺では、仏殿で水が噴きあがってきて仏像が泥だらけになったという記述もあります」(前出の浪川氏) 長い揺れが収まったあとは、追い打ちをかけるように津波が鎌倉市街にやってくる。
大正関東地震で鎌倉には約6mの津波が押し寄せた。『鎌倉震災誌』(昭和5年刊行)には、住民の証言として、地震から津波来襲まで15~20分程度しかなかったと記録されている。
東日本大震災で、甚大な被害を受けた岩手県釜石で30分ほどかかったと考えると、あまりにも短い。
大仏も守ってくれない
「当時、津波の被害が一番大きかったのは由比ヶ浜です。津波は堤防を破壊して、密集した民家を呑み込みました。その大半は引き波によって流失しています」(浪川氏) いまも由比ヶ浜には多くの人が住んでいるが、かつてとは違って海岸に堤防が存在しない。そこには、文化都市・鎌倉ならではの事情もある。
「本来ならば、津波対策として海岸沿いに堤防や津波避難タワーなどを作るべきだと思います。ただ、観光産業や景観への影響を懸念する住民の声が無視できないんです」 海岸付近を一掃した津波は止まることなく市街地へと侵入を続ける。何も障害物がない若宮大路を遡上して鶴岡八幡宮へと向かうはずだ。
「元禄地震で、津波は海岸から2km以上も離れた鶴岡八幡宮まで届いたそうです。若宮大路の東側には市街を南北に貫く滑川も流れているため、2つのルートから津波が侵入してくる可能性があります」
では、「津波来襲時緊急避難空地」に指定されている高徳院はどうか。ここは、鎌倉のシンボルとして親しまれてきた鎌倉大仏がある寺として広く知られている。 海岸からの距離は約800m、海抜は12mあるが、本当に津波から身を守れるかどうかは定かではない。前出の高橋氏はこう解説する。 「奈良の大仏と違って、鎌倉大仏は建物の中にありません。
1495年、鎌倉を襲った明応地震(推定M8・2~8・4)で発生した津波によって大仏殿が流されたからだとされています」 市街全域が津波に呑み込まれてしまっても不思議ではない。周囲の山があるため行き先を失った津波は市街に留まり、鎌倉は水底に沈む。浸水した車や住宅から火災が発生すれば、東日本大震災のような惨状が広がる。
これは紛れもなく、すぐ目の前に迫った「現実の危機」だ。
警告を発する研究者たちの声に耳を傾け、我々はこの来たるべき大災害に備えなければならない。