佐賀吹奏楽コンクール審査最終日。
今日は中学校B、高校B、小学校の部門。
いつも前から思うことだが、日本中の学校が課題曲よりも自由曲の方が圧倒的に上手い。
自由曲はその学校がやりたい曲でありバンドのカラーや人数なども考慮して選曲している。
課題曲はどうしてもやりたい曲ではなく、この中からだとこれがあうかな?と仕方なく選ぶ事もあるだろう。
もしこの近年20年くらいの課題曲が名作であるならば次の年からその曲を自由曲として取り上げる学校があっても良いはずだ。
私の時代の課題曲は三善晃、池辺晋一郎、保科洋、間宮芳生など凄い作曲家が本気で書いていた。
どの課題曲もやりたいという理由で選曲に迷った。
実際その作品は後にコンクールの自由曲として取り上げる学校も多かった。
曲に魅力がないという事は奏者にとって辛いかもしれないが、何とかそこからウタを見出し、ハーモニーやユニゾンの美しさを出そうと努力する。
奇妙なコード進行で酔いそうになるマーチ、鳴りにくい音域、ドミナントもトニックも全く無視したダイナミック指定、メロディに途中から厚みを出そうと被せてくるラッパ、居心地の悪いアクセント、カラクリだらけの実験音楽、その曲からは想像もつかない題名・・・奏者は難所ににぶち当たってもそれをクリアする努力をしている。
昔は曲の力を借りて課題曲は多少上手く聴こえただろうし、今はこのような曲だから良い音で吹かないとそのバンドの実力が丸わかりだ。
全日本吹奏楽連盟はどんな曲でもいい音いい音楽に聴こえるよう努力するよう試練を与えてくれているのかもしれない。曲の力に頼り過ぎるなということだろう。
最近の課題曲の作曲家を否定するつもりはない。
吹奏楽業界に貢献していただき有り難く思う。
でもまだ少年、少女が演奏するにあたり最初に出会う曲はもっともっと魅力のある曲であるべきだと。