たくさんの映画の題材として取り扱われておりますベトナム戦争。
最終回では、戦争の記録を展示している記念館を見てきた内容を掲載させていただきます。
私が観た映画だけでも地獄の黙示録、ランボー、プラトーン、7月4日に生まれて、フォレスト・ガンプなどがあります。
音楽ではポール・ハードキャッスルの19もヒットしましたね。
(JAZZ MASTERSシリーズは大好きで全部持ってまして、聞いたことがある方は分かると思いますが、どれも一緒(笑)。 サザエさんやアンパンマンなどと同種で不変的な安心がありますね(汗))
どの映画もアメリカ主観で作られたもので我々日本人も少なからず、それらに意識が傾いた知識になっていることは否定できないと思われます。
戦争証跡記念館の入り口
ホーチミン市内にあり、歩いて行ける距離です。
料金は確か1万5千ベトナムドン(日本円で約75円くらい)だったと思います。
画面左の建物が料金所。
入り口を入った屋外には戦争で使用された戦闘機、戦車などが展示されていました。
ですので機械類の展示なんだろうな~、と最初は軽い気持ちで訪れたのですが・・・
これらの写真はあたりさわりないものですが、実際は枯葉剤で影響を受けた乳児などの写真やホルマリン漬け、アメリカ人に銃を突き付けられた一般女性の姿、道端ででエビを売っていたおばさんが銃で殺害され、それを唖然として見つめる主人、砲弾を受けてバラバラになったベトナム兵をアメリカ人が得意げに吊し上げている写真・・・
次から次へと展開される写真に圧倒されてしまいます。
当時の記録を残した写真家の一人。 ラリー・バローズ氏
枯葉剤の影響は世代を超えて今も続きます。
建物の入り口では枯葉剤の影響で障害を持つ青年達による演奏が行なわれていました。
手足が極端に短い方、両眼が消失した方などが民芸品づくり、演奏をしています。
枯葉剤の話題一つとってもみても数多くのエピソードがありました。
そしてもう過去のものと思われていたことも、この国ではまだその影響が続いているのです。
一通り、見終えて(3時間くらいかかりましたが・・・)この記念館に訪れる8~9割がアメリカ人だったように思えます。
日本人には比較的なじみの薄い出来事でしたが、彼等にとっては今でも重要な関心事なのです。
館内のほとんどの説明文は英語でしたが、彼らは食い入るように読んでいました。
英文がほとんどだったので細かな内容は理解できませんでしたが、この記念館ではベトナム国側に立った表記がされていたものと思われます。
どちらの側に立った意見があったとしても戦争によって得られたものは非建設的なものの方が圧倒的に多く、失われたものを取り戻すことはできないということです。
せめて、得られた経験を後世に伝え、活かしていくことだと思いました。
~ベトナム滞在を終えて~
この記念館の他にもクチにある戦跡にも行ってきました。
クチでもアメリカ人がほとんどでしたね。
こちらの戦跡は「体験型」に近い印象でした。
記念館よりは気軽な気持ちで行ってみても良いかもしれませんね。
どんな国にも明と暗、陰と陽があるとは思いますが、この国でもそのことを多く学べたと思います。
でもまだまだ奥深いでしょうね。
日本人に近い体型も親近感があって良かったです。
性格的には真逆でしたね(笑)
その分、面白い方がたくさんいました。
ホーチミン市内は観光地としても成り立っている都市で、一所懸命日本語を勉強していて日本語を話す(とても怪しげな)ベトナム人もたくさんいます。
売っているモノも怪しければ売っている人もアヤシイ。
それらを全部ひっくるめてベトナムなんでしょうね。
未だに北部と南部では文化が違うと聞きます。
まだまだ魅力的な要素が満載のようです。
日本では当たり前のことが外国では違っていたり、日本には無いものが外国にはあったり。
自国の文化を語るには、まず異国の文化を知ることが重要ですね。
そうすると、この日本でも普段何気ない、当たり前のこともとても魅力的に思えるようになります。
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