ことのはのはね~奈良町から

演劇、アート、短歌他、町家での出会いまで、日々を綴ります。

歌集『ラビッツ・ムーン』批評会

2016-12-01 | 短歌
私の所属する短歌結社は「山繭の会」と言い、歌誌『ヤママユ』を刊行しています。吉野から歌を発表し続けた、日本を代表する歌人、前登志夫が主宰した短歌結社というか「歌と民俗の集団」です。ヤママユは漢字の通り、「山繭」。蛾の「山繭蛾」のヤママユです。この蛾は光を紡ぐ、特別な蛾です。普通の蚕は白い糸をはきますが、ヤママユ蛾は、光合成をして綠色の糸を作ります。できた糸はさわやかな綠色、素朴な光沢の、なんとも良い色なのです。私はヤママユに入ってから、この光を紡ぐ虫のことを知りました。それから改めて、「ヤママユ」という言葉は、特別なものになっています。
さて、歌の集団のヤママユは、各地で歌会を開催しています。現在は、奈良、東京、大阪、京都、神戸とヤママユの各地のメンバーが集まり、前登志夫の研究と、自分たちの歌を批評し合う歌会をしています。私は、奈良歌会に参加しています。
その奈良歌会が中心になって、11/30、歌集『ラビッツ・ムーン』の批評会を企画してくださいました。いつもお世話になっている奈良歌会の皆さんに、私の大学の恩師であり、短歌結社「白珠」の撰者、そして国語学の専門家である、歌人の小谷博泰先生も来て下さいました。(小谷先生には大学の時、寺山修司で卒論を書かせてもらいました。今年、第九歌集!「うたがたり」を上梓され、歌も批評も学問も益々盛ん!)
さて、批評会は『ラビッツ・ムーン』の中から、好きな歌を五首選び、そこから感想や意見をいただくスタイル。
一番、票が集まった歌は

水のようなドレスが着たい月の夜 光目指して烏賊昇ります

ちょっとメルヘンな感じですが…烏賊は私には身近でこの歌となりました。かつて父は、烏賊漁に毎晩出航しました。船の上ではかなりの光をたき、それにひかれて烏賊は上がってきます。そこをとるわけです。なんだか烏賊には申し訳ないですが…。満月の夜は、明るいので、船上の電灯の効果は半減すると、父が言っていました。光に向かう烏賊はあの細長い形状が、水面をめざすので、独特で不思議な感じがします。月あかりにひかれて昇る烏賊の姿…水面を越せば死んでしまうけれど…そんな危うさを思いながら。

二番目は三首ありました。

ぬか床の釘はどこへやったかと祖母は時々夢で尋ねる
薪背負い山道何往復もした祖母の力は火を焚く力
火が水のにおいを連れてくるような蝋燭燃えるかまくらの中

祖母と火の歌です。明治生まれの祖母からは夜寝る前に、村にまつわる話や、家の話などいろいろ聞いたものです。民俗学の折口信夫にたしか「感染教育」という言葉をみたと覚えているのですが、つまり口述、口で伝えて感化していく様と理解しています。夜に聞くお話はまさにそうで、明治の祖母の話を聞いたからか、私には100年前の話も、嘘ではない、つい、そこにあるような気持ちに今もなります。毎夜、隣で寝てくれた祖母と対称的に、もう一人の祖母は師範学校の学生でテニスをするような人でした。こちらの祖母とは小さい時から文通をしていました。耳元で語る祖母と文を書いてくれる祖母。歌の祖母は前者ですが、明治生まれのタイプの違う二人の祖母は、何をする時にもどこかに今もいます。

三番目の歌

葉も花もつけないままに枯れてゆく木がある僕の真ん中にある
泥団子磨く子どもの手の中にふうわり生れる光があるよ

こちらは自分が子どもを持ってからの歌です。

さて、批評会で指摘されて、ああ、そうだったんだと思ったのは、「光」についての歌が多いということ。自分では意識してないのですが、確かにそうです。
関係ないかもしれないですが、息子達の通っていた、プロテスタント系の幼稚園のお祈りの言葉に「光の子らしく歩きなさい」というものがあります。私は宗教には疎いながらも、何かしらこの言葉は子育てする中で「お守り」のように働いていたのかもしれません。

参加いただいた皆さんは、周知の方ばかりで、だからこそ、有り難くて。特に私が歌を続けていられるのは、ヤママユ編集委員の喜夛隆子さんのおかげなので、御礼をいう時に、母のような姉のような喜夛さんと言いながら、感極まってしまいました。鬼の目にも涙?!でございます。

それから、こんなことを言ってくださった方も。「あなたは、その人物がとても面白いのに、歌にそれが出ていない。」…確かに。歌より人が面白いは嬉しくもあり、いや、歌人となると、それでは困る?!
ともあれ、本当に嬉しくて。お世話下さった皆様、ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。