12/26、奈良女子大学で行われた「なら学談話会」の講師、喜夛隆子先生のサポートとして参加しました。女子大文学部の寺岡伸悟先生にお声かけいただきました。なら学プロジェクト」の一貫である、この談話会は「学内スタッフによる研究だけでなく、スタッフ自身も「なら学」の学びを広げるため、学内外の研究者との交流し、さらに学生や地域の方ともともに学ぶ場」(女子大HPより)とのこと。参加された皆さんは、大学や民俗学の専門家の方でしたが、喜夛先生のお話は、実際の暮らしの歴史であり、興味深く聞いておられました。
話は飛びますが、喜夛隆子さんは、歌人として『系統樹の梢』他3冊の歌集を出され、私の所属する短歌結社「ヤママユ」の編集委員であり、また民俗学の視点から『わたしの額田部』『フォークロアの畦道~前登志夫のうたとともに』を出版されています。私が前先生の歌の講座で初めて参加した時、隣の席が喜夛先生で、そこからのご縁です。(このあたりの経緯は、小野小町事務所HPをお読みください。http://komachi-office.saloon.jp/?page_id=251)
喜夛先生には、今年出版した、歌集『ラビッツ・ムーン』はじめ、本当にお世話になっています。私が図々しく、母のように、姉のように?!頼ってしまうのは、喜夛先生の独特の空気が好きなのだと思います。それは喜夛先生が理系出身である!というところからくる空気かもしれません。
民俗学の浦西勉先生が、喜夛先生の著作『わたしの額田部』について言われたこともまさにそうでした。理系出身であるということが、客観性や観察眼を持つということ。女性歌人では珍しい存在かもしれません。
さて、「なら学談話会」は、喜夛先生『わたしの額田部』から、実際に先生が関わった、額田部の祭りの様子や、伊勢講の話を、当時の映像を紹介しながらのお話でした。
先生は堺から、大和郡山は額田部に嫁がれたのですが、代々の医師のお家で、古いものが沢山あったとのこと。県立民俗博物館にも寄贈されたそうですが、古文書類はまだ沢山おありのようで、参加の先生方も興味をもっておられました。
方言の話も出ました。富山大学から来られた、中井精一先生から、奈良の方言を楽しくまとめたファイルをいただき、とても嬉しかったのですが、方言に関して触れながら、喜夛先生が言われたことが印象に残りました。言葉が消えるということは、人間の微妙な感情も消えてゆく。言葉が「白」か「黒」かでなく、その間にあるいろんなものを表現していたのに。それがなくなっている現実は残念、とぃつた内容であったかと思います。「民俗」はそうしたことを振り返り、はたと立ち止まる機会になると、今日のお話を聞いて強く思いました。喜夛先生のまとまったお話を聞く機会をいただけて、有り難い会でした。
余談ですが、奈良町にぎわいの家にある赤、白、青の立派な蚊帳は、喜夛先生から寄贈していただいたものです。昨年、この蚊帳をNHKが取材しました。喜夛先生の家の大きな長持からその蚊帳を取り出すシーンをカメラにおさめ、放送されました。その蚊帳をにぎわいの家では夏に吊っています。子どもたちは見たことのない「蚊帳」で盛り上がっています。また年配の方は懐かしく、喜ばれています。
その蚊帳を歌った、奈良町にぎわいの家のために作って下さった、喜夛隆子作、二十四節気短歌を紹介しましょう。
蚊帳に一つほたる放ちてほの青き夢見る子ども小暑の頃か
蚊帳の中に蛍を放ち、独特のささやかな光を感じながら、夢うつつに寝入る子ども。「ほの青き」は、蛍の光でもあり、幼い時間を刻む子どもの夢の色でもあります。蚊帳という不思議な空間の詩情がよく伝わる、素敵なお歌です。
最後に、1/14(土)午後2時から、奈良町にぎわいの家で喜夛先生をお招きして「はじめて短歌」講座を開催。はじめて短歌を作る方の会、ぜひご参加くださいね!
なら学談話会
NHKで紹介された喜夛先生の蚊帳(奈良町にぎわいの家)
話は飛びますが、喜夛隆子さんは、歌人として『系統樹の梢』他3冊の歌集を出され、私の所属する短歌結社「ヤママユ」の編集委員であり、また民俗学の視点から『わたしの額田部』『フォークロアの畦道~前登志夫のうたとともに』を出版されています。私が前先生の歌の講座で初めて参加した時、隣の席が喜夛先生で、そこからのご縁です。(このあたりの経緯は、小野小町事務所HPをお読みください。http://komachi-office.saloon.jp/?page_id=251)
喜夛先生には、今年出版した、歌集『ラビッツ・ムーン』はじめ、本当にお世話になっています。私が図々しく、母のように、姉のように?!頼ってしまうのは、喜夛先生の独特の空気が好きなのだと思います。それは喜夛先生が理系出身である!というところからくる空気かもしれません。
民俗学の浦西勉先生が、喜夛先生の著作『わたしの額田部』について言われたこともまさにそうでした。理系出身であるということが、客観性や観察眼を持つということ。女性歌人では珍しい存在かもしれません。
さて、「なら学談話会」は、喜夛先生『わたしの額田部』から、実際に先生が関わった、額田部の祭りの様子や、伊勢講の話を、当時の映像を紹介しながらのお話でした。
先生は堺から、大和郡山は額田部に嫁がれたのですが、代々の医師のお家で、古いものが沢山あったとのこと。県立民俗博物館にも寄贈されたそうですが、古文書類はまだ沢山おありのようで、参加の先生方も興味をもっておられました。
方言の話も出ました。富山大学から来られた、中井精一先生から、奈良の方言を楽しくまとめたファイルをいただき、とても嬉しかったのですが、方言に関して触れながら、喜夛先生が言われたことが印象に残りました。言葉が消えるということは、人間の微妙な感情も消えてゆく。言葉が「白」か「黒」かでなく、その間にあるいろんなものを表現していたのに。それがなくなっている現実は残念、とぃつた内容であったかと思います。「民俗」はそうしたことを振り返り、はたと立ち止まる機会になると、今日のお話を聞いて強く思いました。喜夛先生のまとまったお話を聞く機会をいただけて、有り難い会でした。
余談ですが、奈良町にぎわいの家にある赤、白、青の立派な蚊帳は、喜夛先生から寄贈していただいたものです。昨年、この蚊帳をNHKが取材しました。喜夛先生の家の大きな長持からその蚊帳を取り出すシーンをカメラにおさめ、放送されました。その蚊帳をにぎわいの家では夏に吊っています。子どもたちは見たことのない「蚊帳」で盛り上がっています。また年配の方は懐かしく、喜ばれています。
その蚊帳を歌った、奈良町にぎわいの家のために作って下さった、喜夛隆子作、二十四節気短歌を紹介しましょう。
蚊帳に一つほたる放ちてほの青き夢見る子ども小暑の頃か
蚊帳の中に蛍を放ち、独特のささやかな光を感じながら、夢うつつに寝入る子ども。「ほの青き」は、蛍の光でもあり、幼い時間を刻む子どもの夢の色でもあります。蚊帳という不思議な空間の詩情がよく伝わる、素敵なお歌です。
最後に、1/14(土)午後2時から、奈良町にぎわいの家で喜夛先生をお招きして「はじめて短歌」講座を開催。はじめて短歌を作る方の会、ぜひご参加くださいね!
なら学談話会
NHKで紹介された喜夛先生の蚊帳(奈良町にぎわいの家)