ことのはのはね~奈良町から

演劇、アート、短歌他、町家での出会いまで、日々を綴ります。

2021年コロナ下の1月は…。

2021-01-27 | その他
①小町座「コロナ姫」稽古
マスクしながらの稽古、続けています。初舞台の中学生、昨年に比べるととても良くなりました。お友だちがセリフの読む練習の相手をしてくれると聞きました。若い世代にそんな形でお芝居は面白いと感じてもらえたら。今回が舞台二度目の「父」役の方は、モノローグも多く、稽古しながら、「あれ?結局、この芝居の大事なことは、父役が全部言ってるんだ。これはやる方は大変だ。」と今頃、つくづく思ったり。演じる方は大変、でも、皆、家のことや仕事をしながら、稽古を続けています。小宮ミカさんの曲もできあがり、曲入りで稽古すると、キャストもぐっと世界が近くなるようです。健康に注意しながら、なんとか、本番までいけますように。



②奈良町にぎわいの家
静かなお正月。例年は大きな座敷で国内外、老若男女が、カルタや福笑いや羽根突きで賑わっていたのがウソのようです。体験型のイベントができないので、地元中学生の陶板作品展など、座敷は展示を見ていただく空間にしました。二十四節気、季節感を大切にしていますので、その春夏秋冬の奈良の風景と当館の季節の写真をYouTubeに4本、あげました。

奈良町にぎわいの家~二十四節気とともに~vol.1 春

登録有形文化財 奈良町にぎわいの家(大正6年(1917)築・奈良市所有。運営…奈良町にぎわいの家管理共同体)は二十四節気の季節感を大切に運営...

youtube#video

 

今年、北国は大雪で暮らしが大変ですが、奈良の雪はすぐ溶けました。雪が降ると嬉しくて、町家の雪景色をとりました。



③本
新年に、加藤周一氏の「羊の歌」「続 羊の歌」を読みました。若い頃、読みましたが全然内容を忘れていました。大正生まれ、戦争を体験し、自分がどのように年齢を重ね、「自分」となっていったのかが、客観的に書かれています。以下は、ベトナム戦争で子どもたちが25万人死んだという新聞記事の話題になった折の話ですが、抜粋します。
「ぼくはそういうことを知りたくないね、平和にたのしんで暮らしたいのだ」とその実業家はいった、「知ったところで、どうしようもないじゃないか」--たしかに、どうしようもない。しかし「だから知りたくない」という人間と、「それでも知っていたい」という人間とがあるだろう。前者がまちがっているという理くつは、私にはない。ただ、私は私自身が後者に属するということを感じるだけである。しかじかの理くつにもとづいて、はるかに遠い国の子供たちを気にしなければならぬということではない。彼らが気になるという事実がまずあって、私がその事実から出発する、または少なくとも、出発することがある、ということにすぎない。25万人の子供……役にたっても、たたなくても、そのこととは係りなく、そのときの私には、はるかな子供たちの死が気にかかっていた、全く何の役にもたたないのに、私はそのことで怒り、そのことで興奮する。…

④大正生まれ
奈良町にぎわいの家は大正6年の建築、だからでもないですが、昔から大正時代は興味のある時代でした。先の加藤周一氏は大正8年(1919)生まれ。三島由紀夫は大正14年生まれ。短歌の師、前登志夫は大正15年生まれ。この世代は若き日々、戦争の時代を過ごした世代です。けれども、
なんとまあ、それぞれ違うことでしょう。昨年は三島由紀夫没後50年で、テレビでも全共闘との対話や、若手の解釈による演劇の公演もありました。ここにあげた大正生まれ三人の中で、ダントツに三島が有名で、ポピュラーなスターでしょう。なぜ人気があるのか。またそれはいつか書きたいのですが、「自分、我」へのこだわりが強いことは確か。そこには現代人の「自分って?」という感覚が呼応するのかもしれません。一方、前登志夫も「我」の歌は多いし、「われ」が感じなければ「歌」は生まれないけれど、近現代の視点を持った「人間の肉体」とは違うところで、前先生の「われ」の「肉体」はあり、その「われ」は、どんな文学よりも?!遙かにぶっ飛んでいると思っています。加藤周一の「ひとり」の距離感、自分にも国にも「肉体」を求めた三島由紀夫、そして、尾根を歩く生きていて、生きていない、前登志夫の世界。大正生まれはすごいですね。100年の時間を考えたいなと、新年に思いました。

 前登志夫

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