何気に深夜のニュースを聞いていると、「生物季節観測」が見直しされるとのこと。何のこと?と思って見ると、「生物季節観測」というのは、気象庁が各気象台で行っている、桜の開花した日や、つばめの初見などのことで、うち、動物に関しては全廃するという内容でした。
「生物季節観測」は昭和28年から始まったとのこと。動植物の初鳴きや開花などを、各気象台や測候所が観測、桜の開花や紅葉は天気予報とセットで知らされるので、ああ、春だな、秋だなと実感することも多いですね。こうしたポピュラーな植物の観測は残すが、動物に関しては全廃するというのです。現在、観測されている動物は、以下。(気象庁HPより)
あきあかね初見 あぶらぜみ初鳴 うぐいす初鳴 えんまこおろぎ初鳴 かっこう初鳴 きあげは初見
くさぜみ初鳴 くまぜみ初鳴 さしば南下初見 しおからとんぼ初見 つくつくほうし初鳴 つばめ初見
とかげ初見 とのさまがえる初見 にいにいぜみ初鳴 にほんあまがえる初鳴 にほんあまがえる初見 はるぜみ初鳴
ひぐらし初鳴 ひばり初鳴 ほたる初見 みんみんぜみ初鳴 もず初鳴 もんしろちょう初見
「初鳴」「初見」が動物の後につくと…人が見て、聞いているのだという実感がわき、なんだかその見聞きしていることに愛情を感じてしまいます。自分のことをふりかえっても、中々、季節の移り変わりに敏感でない暮らしですから、こうした生きとし生けるものの声や姿を見て、観測してくださる方がいるということに、感謝したくなります。ところが、こうしたことも本日のニュースが流れるまで、その実情も知らず、真剣に考えもしなかったのですから、本当に自分の意識の低さに唖然としてしまいました。
はっきり言って、このニュースは、かなりの大事件?!のはずです。それは、文化的な側面と科学的側面、どちらからもです。日本の文化は、自然と共に育まれたことは言うまでもありません。四季が訪れる美しい風土から生まれた、歌も絵画もデザインも…その創造の源泉に木木や動植物、鳥獣虫魚がいます。一方、戦後の経済発展以降、現代まで、初見や初鳴がズレたり、見られなかったりした動物もいることでしょう。その観測の変化こそが、自然の状態がおかしいぞ、というシグナルにもなり、地球温暖化による影響を語ることにもなるのでは、と思います。
このような大事な観測を、自然の一つである「人」が行うということの、美しさと意義。気象庁の予算は緊縮を迫られているとも言われているそうですが、気象災害が多い中、更に役割は重要となるでしょうし、それと同時に、こうした日本の気象台ならではの、目で見て耳で聞く観測の姿を、もっとも素晴らしいこととして、発信すべきではないかと思います。
といっても、今頃、その現状をニュースで知って大変だ!なんて言ってる自分に、なんとも…です。
このニュースが何気に流れ、「ふーん」で過ぎてしまう現代…。
最後に、短歌の師、前登志夫の歌集『鳥獣蟲魚』から。
けだものの歩める跡にくれなゐの紅葉散りけりこともなきかな
「生物季節観測」は昭和28年から始まったとのこと。動植物の初鳴きや開花などを、各気象台や測候所が観測、桜の開花や紅葉は天気予報とセットで知らされるので、ああ、春だな、秋だなと実感することも多いですね。こうしたポピュラーな植物の観測は残すが、動物に関しては全廃するというのです。現在、観測されている動物は、以下。(気象庁HPより)
あきあかね初見 あぶらぜみ初鳴 うぐいす初鳴 えんまこおろぎ初鳴 かっこう初鳴 きあげは初見
くさぜみ初鳴 くまぜみ初鳴 さしば南下初見 しおからとんぼ初見 つくつくほうし初鳴 つばめ初見
とかげ初見 とのさまがえる初見 にいにいぜみ初鳴 にほんあまがえる初鳴 にほんあまがえる初見 はるぜみ初鳴
ひぐらし初鳴 ひばり初鳴 ほたる初見 みんみんぜみ初鳴 もず初鳴 もんしろちょう初見
「初鳴」「初見」が動物の後につくと…人が見て、聞いているのだという実感がわき、なんだかその見聞きしていることに愛情を感じてしまいます。自分のことをふりかえっても、中々、季節の移り変わりに敏感でない暮らしですから、こうした生きとし生けるものの声や姿を見て、観測してくださる方がいるということに、感謝したくなります。ところが、こうしたことも本日のニュースが流れるまで、その実情も知らず、真剣に考えもしなかったのですから、本当に自分の意識の低さに唖然としてしまいました。
はっきり言って、このニュースは、かなりの大事件?!のはずです。それは、文化的な側面と科学的側面、どちらからもです。日本の文化は、自然と共に育まれたことは言うまでもありません。四季が訪れる美しい風土から生まれた、歌も絵画もデザインも…その創造の源泉に木木や動植物、鳥獣虫魚がいます。一方、戦後の経済発展以降、現代まで、初見や初鳴がズレたり、見られなかったりした動物もいることでしょう。その観測の変化こそが、自然の状態がおかしいぞ、というシグナルにもなり、地球温暖化による影響を語ることにもなるのでは、と思います。
このような大事な観測を、自然の一つである「人」が行うということの、美しさと意義。気象庁の予算は緊縮を迫られているとも言われているそうですが、気象災害が多い中、更に役割は重要となるでしょうし、それと同時に、こうした日本の気象台ならではの、目で見て耳で聞く観測の姿を、もっとも素晴らしいこととして、発信すべきではないかと思います。
といっても、今頃、その現状をニュースで知って大変だ!なんて言ってる自分に、なんとも…です。
このニュースが何気に流れ、「ふーん」で過ぎてしまう現代…。
最後に、短歌の師、前登志夫の歌集『鳥獣蟲魚』から。
けだものの歩める跡にくれなゐの紅葉散りけりこともなきかな