二度目の東京オリンピックが始まりました。同時代にいる者として、覚え書きのようなものを書こうと思います。
まずは、2019年12月 小町座公演 「五輪ものがたり」から。
上演当時はコロナでまさか開会が延期されるとは思ってもいなくて、ただ「五輪」開催前に自分なりの「五輪」へのまとめが戯曲になれば、と思いました。世代の違う四人の人物がそれぞれ、自分が経験した「五輪」とその時代の自分の話を一人芝居で語り、最後、四人集まるという構成です。
①昭和戦前、女学生が幻の東京五輪と敬愛する叔父の出征、戦死の思い出を語る。→戦前の五輪に関しては、ヒトラーのベルリン五輪が壮大なプロパガンダであったように、日本でも同じような役目を背負う宿命があったと思われます。最も、戦時中で中止になりましたが、学徒出陣をした国立競技場が、戦後のオリンビックの聖地となる歴史…。戦時の「死」への熱狂と「生」を謳歌する熱狂…。私たちの価値感は終戦で一変したと言われますが、けれど、本当に「変化」したのか…。戦前の女学生は、戦時の時間を心のどこかに止めたまま、戦後をまま、生きてきたように感じて、九十代の老婆が語るとしました。
②1964年の東京オリンピック。福島から上京した「金の卵」(高度経済成長を支えた若年労働者)と言われた少女が縫製工場で出会った年上の女性との思い出を語る。
→高度経済成長は日本が最も元気な時代として、ポジティブに捉えられますが、支えていたのは十代の労働者。田舎からの上京、慣れない生活の中、苦労も多かったことでしょう。特に上野駅は東北からの労働力の玄関口として、象徴的な場所でした。ところで、今回のオリンピックは「復興五輪」と言われますが、ならばどうして東京なのでしょう。福島五輪ならわかるのですが。「復興」という言葉。2011の震災は、これまでの震災と決定的に違うのは、「放射能」という厄介なものを抱えていることです。これは単純に「復興」といえるような話にはならない、複雑な問題が多々あります。「復興五輪」という言葉の広がりによって、「復興した」というイメージが世界にも国内にも定着すれば、全て終わり?劇中の婦人の一人語りの最後の言葉は「それでもオリンピックはくる…オリンピックはくる…!」
③20代にバブルを経験した50代の女性。小学校の頃の札幌オリンピック、成人になってからの長野オリンピックを、バブル時に地上げで店を奪われた父親の話を交えて語る→この時代は私の生きてきた時間とそのまま重なるので、書きやすかったですが、長野五輪の開会式はテレビで見てなかったのか、覚えていなくて、今回、映像で確認しました。その開会式は、日本の伝統を前に出したもので、あの劇団四季の浅利慶太さんがプロデューサー。御柱が立つ時の声の良かったこと!劇中、履き物屋店を失い、気力も失せた父親が、柱が立ち上がる開会式を見て、再度、鼻緒を作ろうとする、という物語にしました。その土地それぞれの伝統や民俗には、暮らしの中で培われた、手仕事や身体性が、地域の文化や祭につながっています。このリアルな「人間」の声と技が、オリンピックを通して伝わることは、意味があると思って書きました。
④1996年のリオ五輪をテレビで見た大学生。ボランティアでブラジルから出稼ぎに来ている家族の子どもに日本語を教えている。その子とのエピソードを語る。→前回のリオ五輪。ブラジルは日本人移民も多い、縁のある国で日本で働く方も多いです。けれど言葉の問題もあり、苦労する中で、近隣の日本人が支えているニュースや話を聞くと、ほっとします。若い世代がそうした現場に関わり、理解しあうことは、まさに、オリンピックの精神に重なるのではないかと。
さて、この四つの話ですが、④の女子大生が映画サークルで「オリンピック映画」を作るための語りだった、というオチになります。語りと共に、思い出の品をそれぞれが持ってきますが、それが「五輪」の円に重なります。戦前の老婦人は①「出征する叔父に編んだ夕日」。1964五輪の婦人は②「干し柿をつないだもの」。長野五輪の女性は③父親が鼻緒をアレンジして作ったリース。④大学生はブラジルのドーナツ。ところが、円いものは四つしかありません。「これじゃ五輪ものがたりにならへん!」と笑いながら、ふと全員が手をつなぎ、大きな輪を作ります。五つの輪がこうして出来て、「五輪ものがたり」は終わりました。
40分程度の短編芝居、これを見てくださった、詩人で釜ケ崎芸術大学を企画運営するなど、幅広く活躍する、上田假名代さんが、当時くださった観劇の感想を以下、そのまま転載して、この回を終えます。(2019年12月1日観劇)
「五輪物語は圧巻でした。河瀬直美監督のいる奈良で オリンピック、なかなか難しいテーマだとおもうのですが、いま、必要なお芝居で、このタイミングでの上演がよかったです。戦中の中止になったオリンピックからの展開と、ひとりひとりの物語が いまのオリンピックに対する違和感の端緒をあらわしていて 福島のことを声高じゃないからこそ、胸にずんとくるあらわしかたが、さすがでした。役者さんたちの 玄人くさくないところ とても好感をもちました。」
②のお話、東京へ上京するシーン
まずは、2019年12月 小町座公演 「五輪ものがたり」から。
上演当時はコロナでまさか開会が延期されるとは思ってもいなくて、ただ「五輪」開催前に自分なりの「五輪」へのまとめが戯曲になれば、と思いました。世代の違う四人の人物がそれぞれ、自分が経験した「五輪」とその時代の自分の話を一人芝居で語り、最後、四人集まるという構成です。
①昭和戦前、女学生が幻の東京五輪と敬愛する叔父の出征、戦死の思い出を語る。→戦前の五輪に関しては、ヒトラーのベルリン五輪が壮大なプロパガンダであったように、日本でも同じような役目を背負う宿命があったと思われます。最も、戦時中で中止になりましたが、学徒出陣をした国立競技場が、戦後のオリンビックの聖地となる歴史…。戦時の「死」への熱狂と「生」を謳歌する熱狂…。私たちの価値感は終戦で一変したと言われますが、けれど、本当に「変化」したのか…。戦前の女学生は、戦時の時間を心のどこかに止めたまま、戦後をまま、生きてきたように感じて、九十代の老婆が語るとしました。
②1964年の東京オリンピック。福島から上京した「金の卵」(高度経済成長を支えた若年労働者)と言われた少女が縫製工場で出会った年上の女性との思い出を語る。
→高度経済成長は日本が最も元気な時代として、ポジティブに捉えられますが、支えていたのは十代の労働者。田舎からの上京、慣れない生活の中、苦労も多かったことでしょう。特に上野駅は東北からの労働力の玄関口として、象徴的な場所でした。ところで、今回のオリンピックは「復興五輪」と言われますが、ならばどうして東京なのでしょう。福島五輪ならわかるのですが。「復興」という言葉。2011の震災は、これまでの震災と決定的に違うのは、「放射能」という厄介なものを抱えていることです。これは単純に「復興」といえるような話にはならない、複雑な問題が多々あります。「復興五輪」という言葉の広がりによって、「復興した」というイメージが世界にも国内にも定着すれば、全て終わり?劇中の婦人の一人語りの最後の言葉は「それでもオリンピックはくる…オリンピックはくる…!」
③20代にバブルを経験した50代の女性。小学校の頃の札幌オリンピック、成人になってからの長野オリンピックを、バブル時に地上げで店を奪われた父親の話を交えて語る→この時代は私の生きてきた時間とそのまま重なるので、書きやすかったですが、長野五輪の開会式はテレビで見てなかったのか、覚えていなくて、今回、映像で確認しました。その開会式は、日本の伝統を前に出したもので、あの劇団四季の浅利慶太さんがプロデューサー。御柱が立つ時の声の良かったこと!劇中、履き物屋店を失い、気力も失せた父親が、柱が立ち上がる開会式を見て、再度、鼻緒を作ろうとする、という物語にしました。その土地それぞれの伝統や民俗には、暮らしの中で培われた、手仕事や身体性が、地域の文化や祭につながっています。このリアルな「人間」の声と技が、オリンピックを通して伝わることは、意味があると思って書きました。
④1996年のリオ五輪をテレビで見た大学生。ボランティアでブラジルから出稼ぎに来ている家族の子どもに日本語を教えている。その子とのエピソードを語る。→前回のリオ五輪。ブラジルは日本人移民も多い、縁のある国で日本で働く方も多いです。けれど言葉の問題もあり、苦労する中で、近隣の日本人が支えているニュースや話を聞くと、ほっとします。若い世代がそうした現場に関わり、理解しあうことは、まさに、オリンピックの精神に重なるのではないかと。
さて、この四つの話ですが、④の女子大生が映画サークルで「オリンピック映画」を作るための語りだった、というオチになります。語りと共に、思い出の品をそれぞれが持ってきますが、それが「五輪」の円に重なります。戦前の老婦人は①「出征する叔父に編んだ夕日」。1964五輪の婦人は②「干し柿をつないだもの」。長野五輪の女性は③父親が鼻緒をアレンジして作ったリース。④大学生はブラジルのドーナツ。ところが、円いものは四つしかありません。「これじゃ五輪ものがたりにならへん!」と笑いながら、ふと全員が手をつなぎ、大きな輪を作ります。五つの輪がこうして出来て、「五輪ものがたり」は終わりました。
40分程度の短編芝居、これを見てくださった、詩人で釜ケ崎芸術大学を企画運営するなど、幅広く活躍する、上田假名代さんが、当時くださった観劇の感想を以下、そのまま転載して、この回を終えます。(2019年12月1日観劇)
「五輪物語は圧巻でした。河瀬直美監督のいる奈良で オリンピック、なかなか難しいテーマだとおもうのですが、いま、必要なお芝居で、このタイミングでの上演がよかったです。戦中の中止になったオリンピックからの展開と、ひとりひとりの物語が いまのオリンピックに対する違和感の端緒をあらわしていて 福島のことを声高じゃないからこそ、胸にずんとくるあらわしかたが、さすがでした。役者さんたちの 玄人くさくないところ とても好感をもちました。」
②のお話、東京へ上京するシーン