コロンブドール

Les Films de la Colombe d'Or 白鳩が黄金の鳩になるよう人生ドラマを語る!私家版萬日誌

名しらず花とねぎの種

2006-06-17 | はなかけないフルールたち
 ”名しらず”で前ガザニアのときに手前で一輪ピンあまで写っていた質素で可愛い赤い花なのか実なのか・・・咲いた花?草花?・・・です。
この種も、この土地に生育していたものか、また以前の北の宮 宇都宮の種かは出処不明ですが、毎年、咲いてくれますので嬉しいものです。

 
店で買った長ねぎの根が元気でしたので、根の下部のみ切り、ただ植えましたら見事に種の玉になりました。この長ねぎ、出処は、中国か・・・、国内かは不明です。
またちょうど、動物園の”ぼろぼろダチョウ”のようにひょろりと伸び遠く何処かを見ているかの首のようで、愛らしかったので・・・。  だいぶピンぼけ ですが失礼候。

  ぼろぼろな駝鳥ー高村光太郎作

この詩は、今の教科書では知りませんが、以前は国語の教科書に必ず載っていた詩です。
教室での先生を見れば、ー撃ちして止まるー で大騒ぎな
授業大嫌いの学校大好きの私たちクラスは、不思議にもこの詩だけは憶えているのです・・・・。


彫刻家、詩人として著名な高村光太郎さんは中野と縁深く、70歳を過ぎ桃園の地に住み、
あの有名な青森県の十和田湖畔に立つ乙女の像を中野で生んだそうです。
そして昭和31年4月2日、稀な春の大雪が東京を埋め尽くした早暁、3時45分、
中野桃園町の中西氏アトリエで一人静かに高村光太郎さんの創作意欲を象徴するが如し
純白な献雪に飾れながら終わりを迎えたそうです・・・。

高村光太郎が一人 生きた桃園



※ 写真一工夫
コンパクトデジタルカメラで撮影時、オートフォーカスのためせっかくの接写機能が生かされなく、いつもピントが小さき草花の奥にいって、”ピンあま”の写真になっていましたが、
草花の直ぐ後ろにー厚紙ーを置きましたら、ピントが多少合ってきました。
まだまだ、研究の余地があります・・・・・。いい方法はないものでしょうか?