「月形龍之介没後40年 月形哲之介没後1年」 上映会 池袋 新文芸座で開催されました。
名優 月形龍之介さんから息子哲之介受け継がれた名演技、そして孫へと・・・
千秋楽には月形龍之介さんの孫で哲之介さんの長男 門田雅成さんがゲストで無口家系と言いながら
大いに語ってくれました。 司会は円尾敏郎氏(向かって左)
雅成さんは家では、祖父龍之介さんをパパさん、父哲之介さんをお父さんと読んでいたそうです。そしてこの三代は奇しくも明治、大正、昭和の”寅年”生まれなのだそうです。龍之介さんは明治35年生まれ、哲之介さん大正15年生まれ、雅成さん昭和25年生まれの寅年だそうです。よくもまあ口重家系にも関わらず、寅男が揃ったものだと感心する次第です・・・。
そんなわけで龍之介パパさんは虎の親が子を可愛がるように優しかったそうですが、しかし父さん哲之介さんは時にトラの如し怖い父さんにもなったそうです。ある夜、家の庭でさかりのついた猫の鳴き声や蛙の鳴き声がうるさいと窓を開け大きな声で寅が吠えるように怒鳴りちらしたそうです。そうすると天地をひっくり返したように”シーン”と嘘のように静まりかえったエピソードを話されました。息子雅成さんは、その父の声の方がよっぽど近所迷惑だったんじゃないかと子供ながら心配したとか・・・。ではその孫、子の雅成さんはフウテンの寅さんか?いやいや、祖父龍之介さんはご立派で生前、家族みんなが目に入る机の上に色紙を書き置きし、三代目役者家庭の憂き目を悲観しこう記し伝えたそうです。
「父親が苦労して 子供が楽をして 孫が乞食になる」 とー。孫の雅成さんは後、堅気のサラリーマンになり乞食にもならず、今日のように月形家・門田家を継承しているようです・・・・。
故に三代”寅”の月形家では、”トラ・トラ・トラ”とその暗号電文「日本映画、ワレ奇襲ニ成功セリ」と発信して、その後、邦画が斜陽になってから三代目役者にならぬよう暗に孫雅成さんと家族に伝えていたと考えるのは私の憶測しすぎでしょうか・・・・・。
さてまた思い出深いエピソードは、中学生の頃「十三人の刺客」(1963)「宮本武蔵 一乗寺の決斗」(1964)などの時代劇を観て、これが時代劇剣術と思い一人庭で木刀を持ち真似事のように振っていたそうです。そんな息子の様子を縁側でこっそり龍之介さんがカメラを持ち見ていたそうです・・・。その稽古を見た祖父龍之介さんは孫雅成さんに「うまいネ。父より上手いかもしれないネ」と言い誉めてくれたそうです。そんな祖父と孫のほのぼのとしたある家族風景の思い出を語っても呉れました。その時祖父龍之介さんが、こっそり撮ってくれた剣術の真似事で木刀を振っている孫の雅成さんの写真が残っているそうです・・・名優月形龍之介としてまた祖父として、孫の成長の様子を見守るほのぼのとした月形龍之介さんの人柄の一端をみたようです。その人柄が、芸を助け生かされているから人間味のある善人水戸黄門やまた悪役でも印象深く味わいのある役柄を演じられたとしみじみ思いました・・・。
更に今回上映の「秘 剣」(1963/東宝)の龍之介さんはまさに宮本武蔵そのものであったと言い、晩年まで龍之介さんは武蔵に思いれ深くこだわっていたエピソードも話してくれました。亡くなる数年前にテレビ映画東伸テレビ制作「それからの武蔵」の撮影は、入院治療中のにもかかわらず武蔵を演じようとして病院から撮影に赴き武蔵を演じ、そして病院に帰る姿の祖父・月形龍之介の壮絶な役者魂の話をしてくれました。
なお、円尾氏の調査ではこの貴重な月形家”父と子”の共演「それからの武蔵」シリーズの作品が現在不明のままだそうで、絶対誰かが保管しているはずであるから、もしその所在がわかりましたら伝えて下さいと強くお願いしていました。
最後に雅成さんが学生の頃ロックバンドをしていて最近また音楽をやりだしたので、「わたしは(祖父、父のように)俳優でない会社人で芝居は出来ないので歌を披露します」といって高知上映会、東映京撮影所上映会でも歌った驚くべき素晴らしい神の恵みの歌、否、素晴らしい驚くべき祖父と父からの恵みの歌 ” Amazing Grace ” を今回はアカペラではなく、都内の従兄妹からギターを持ってきてもらって、名優祖父龍之介と父哲之助を超え門田家三代目を継ぐ心意気を示唆したような心のこもった独唱で歌ってくれました。歌い終わり、会場からの温かな拍手で見送られていました。
今回の名優月形龍之介、哲之助さんを祖父、父に持つ門田雅成さんのトークを聞き、外国アカデミー賞を受賞した映画「おくりびと」で西洋人も理解できるテーマを思い出しました。親が亡くなりそれを見届け送り初めて子は親を超え、人は進化し、成長するように雅成さんもこの祖父龍之介、父哲之助さんの死を見届けた時を境に成長したようです。その月形家という名優家系の重荷から解放されさして超越し、門田という家名を継承し、玄関の表札を「雅成」名義の表札に変えたことはその表れとも思うのは私だけでしょうか・・・・。名優家系とは、みえない家名のその重みに代々大変苦労しているとものだとつくづく思った次第です。
次回は、「巨匠・内田吐夢 名優・月形龍之介 東映時代劇傑作選 (その一)
内田吐夢、月形龍之介没後40年回顧」
として来月十月 時代劇のメッカ京都で 本年皐月は五月にオープンしたばかりのピカピカの
最新上映設備と各上映ホールに大画面スクリーンを備えたT・ジョイ京都で開催されます!
迫力のある時代劇映画が堪能できそうです・・・。
当日は、連日豪華なゲストが来場して下さるようです。ファンの方々御期待下さい!! 下記リンク参照
会場には、月形哲之介さんの敦子夫人もお見えになられていて、
簡単ながら足を運んでくれたお客様に感謝の御挨拶をしていました。
最後には”わたしは俳優でない会社人で芝居は出来ないので学生の頃
やっていた歌を歌います”といい、東映京都撮影所での記念上映会でも
披露してくれた「Amazing Grace」をギター弾き語りで歌って呉れました・・・。
「月形龍之介没後40年 月形哲之介没後1年」チラシ 上映作品解説 PDF
9/17(金)上映
「秘 剣」 (1963/東宝)10:00/14:45/18:40
「水戸黄門」(1957/東映)12:05/16:50/20:45 (終映22:25)
※ニュープリント 13:55より 門田雅成さん(月形龍之介孫、月形哲之介長男)のトークショー
月形龍之介 Wikipedia
月形哲之介 Wikipedia
それからの武蔵 (1964年) 東伸テレビ映画 MBS Wikipedia
日本映画スチール集 剣聖月形龍之介 紀伊国屋WEB
月形哲之介監修 石割 平、円尾 敏郎編集 ワイズ出版 (2001)
「水戸黄門」 石割 平 (著), 円尾 敏郎 (編集) ワイズ出版 (2007/12) 三省堂
ワイズ出版
巨匠・内田吐夢 名優 月形龍之介 東映時代劇傑作選(その一)内田吐夢、月形龍之介没後40年回顧
T・JOY 京都 開催 2010年10月16日(士)~10月22日(全) 上映予定プログラム PDF
T・ジョイ 京都 公式HP
JR・近鉄・地下鉄京都駅八条口よりすぐ 新都ホテル裏 イオンモールKYOTO Sakura館5階
名優 月形龍之介さんから息子哲之介受け継がれた名演技、そして孫へと・・・
千秋楽には月形龍之介さんの孫で哲之介さんの長男 門田雅成さんがゲストで無口家系と言いながら
大いに語ってくれました。 司会は円尾敏郎氏(向かって左)
雅成さんは家では、祖父龍之介さんをパパさん、父哲之介さんをお父さんと読んでいたそうです。そしてこの三代は奇しくも明治、大正、昭和の”寅年”生まれなのだそうです。龍之介さんは明治35年生まれ、哲之介さん大正15年生まれ、雅成さん昭和25年生まれの寅年だそうです。よくもまあ口重家系にも関わらず、寅男が揃ったものだと感心する次第です・・・。
そんなわけで龍之介パパさんは虎の親が子を可愛がるように優しかったそうですが、しかし父さん哲之介さんは時にトラの如し怖い父さんにもなったそうです。ある夜、家の庭でさかりのついた猫の鳴き声や蛙の鳴き声がうるさいと窓を開け大きな声で寅が吠えるように怒鳴りちらしたそうです。そうすると天地をひっくり返したように”シーン”と嘘のように静まりかえったエピソードを話されました。息子雅成さんは、その父の声の方がよっぽど近所迷惑だったんじゃないかと子供ながら心配したとか・・・。ではその孫、子の雅成さんはフウテンの寅さんか?いやいや、祖父龍之介さんはご立派で生前、家族みんなが目に入る机の上に色紙を書き置きし、三代目役者家庭の憂き目を悲観しこう記し伝えたそうです。
「父親が苦労して 子供が楽をして 孫が乞食になる」 とー。孫の雅成さんは後、堅気のサラリーマンになり乞食にもならず、今日のように月形家・門田家を継承しているようです・・・・。
故に三代”寅”の月形家では、”トラ・トラ・トラ”とその暗号電文「日本映画、ワレ奇襲ニ成功セリ」と発信して、その後、邦画が斜陽になってから三代目役者にならぬよう暗に孫雅成さんと家族に伝えていたと考えるのは私の憶測しすぎでしょうか・・・・・。
さてまた思い出深いエピソードは、中学生の頃「十三人の刺客」(1963)「宮本武蔵 一乗寺の決斗」(1964)などの時代劇を観て、これが時代劇剣術と思い一人庭で木刀を持ち真似事のように振っていたそうです。そんな息子の様子を縁側でこっそり龍之介さんがカメラを持ち見ていたそうです・・・。その稽古を見た祖父龍之介さんは孫雅成さんに「うまいネ。父より上手いかもしれないネ」と言い誉めてくれたそうです。そんな祖父と孫のほのぼのとしたある家族風景の思い出を語っても呉れました。その時祖父龍之介さんが、こっそり撮ってくれた剣術の真似事で木刀を振っている孫の雅成さんの写真が残っているそうです・・・名優月形龍之介としてまた祖父として、孫の成長の様子を見守るほのぼのとした月形龍之介さんの人柄の一端をみたようです。その人柄が、芸を助け生かされているから人間味のある善人水戸黄門やまた悪役でも印象深く味わいのある役柄を演じられたとしみじみ思いました・・・。
更に今回上映の「秘 剣」(1963/東宝)の龍之介さんはまさに宮本武蔵そのものであったと言い、晩年まで龍之介さんは武蔵に思いれ深くこだわっていたエピソードも話してくれました。亡くなる数年前にテレビ映画東伸テレビ制作「それからの武蔵」の撮影は、入院治療中のにもかかわらず武蔵を演じようとして病院から撮影に赴き武蔵を演じ、そして病院に帰る姿の祖父・月形龍之介の壮絶な役者魂の話をしてくれました。
なお、円尾氏の調査ではこの貴重な月形家”父と子”の共演「それからの武蔵」シリーズの作品が現在不明のままだそうで、絶対誰かが保管しているはずであるから、もしその所在がわかりましたら伝えて下さいと強くお願いしていました。
最後に雅成さんが学生の頃ロックバンドをしていて最近また音楽をやりだしたので、「わたしは(祖父、父のように)俳優でない会社人で芝居は出来ないので歌を披露します」といって高知上映会、東映京撮影所上映会でも歌った驚くべき素晴らしい神の恵みの歌、否、素晴らしい驚くべき祖父と父からの恵みの歌 ” Amazing Grace ” を今回はアカペラではなく、都内の従兄妹からギターを持ってきてもらって、名優祖父龍之介と父哲之助を超え門田家三代目を継ぐ心意気を示唆したような心のこもった独唱で歌ってくれました。歌い終わり、会場からの温かな拍手で見送られていました。
今回の名優月形龍之介、哲之助さんを祖父、父に持つ門田雅成さんのトークを聞き、外国アカデミー賞を受賞した映画「おくりびと」で西洋人も理解できるテーマを思い出しました。親が亡くなりそれを見届け送り初めて子は親を超え、人は進化し、成長するように雅成さんもこの祖父龍之介、父哲之助さんの死を見届けた時を境に成長したようです。その月形家という名優家系の重荷から解放されさして超越し、門田という家名を継承し、玄関の表札を「雅成」名義の表札に変えたことはその表れとも思うのは私だけでしょうか・・・・。名優家系とは、みえない家名のその重みに代々大変苦労しているとものだとつくづく思った次第です。
次回は、「巨匠・内田吐夢 名優・月形龍之介 東映時代劇傑作選 (その一)
内田吐夢、月形龍之介没後40年回顧」
として来月十月 時代劇のメッカ京都で 本年皐月は五月にオープンしたばかりのピカピカの
最新上映設備と各上映ホールに大画面スクリーンを備えたT・ジョイ京都で開催されます!
迫力のある時代劇映画が堪能できそうです・・・。
当日は、連日豪華なゲストが来場して下さるようです。ファンの方々御期待下さい!! 下記リンク参照
会場には、月形哲之介さんの敦子夫人もお見えになられていて、
簡単ながら足を運んでくれたお客様に感謝の御挨拶をしていました。
最後には”わたしは俳優でない会社人で芝居は出来ないので学生の頃
やっていた歌を歌います”といい、東映京都撮影所での記念上映会でも
披露してくれた「Amazing Grace」をギター弾き語りで歌って呉れました・・・。
「月形龍之介没後40年 月形哲之介没後1年」チラシ 上映作品解説 PDF
9/17(金)上映
「秘 剣」 (1963/東宝)10:00/14:45/18:40
「水戸黄門」(1957/東映)12:05/16:50/20:45 (終映22:25)
※ニュープリント 13:55より 門田雅成さん(月形龍之介孫、月形哲之介長男)のトークショー
月形龍之介 Wikipedia
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それからの武蔵 (1964年) 東伸テレビ映画 MBS Wikipedia
日本映画スチール集 剣聖月形龍之介 紀伊国屋WEB
月形哲之介監修 石割 平、円尾 敏郎編集 ワイズ出版 (2001)
「水戸黄門」 石割 平 (著), 円尾 敏郎 (編集) ワイズ出版 (2007/12) 三省堂
ワイズ出版
巨匠・内田吐夢 名優 月形龍之介 東映時代劇傑作選(その一)内田吐夢、月形龍之介没後40年回顧
T・JOY 京都 開催 2010年10月16日(士)~10月22日(全) 上映予定プログラム PDF
T・ジョイ 京都 公式HP
JR・近鉄・地下鉄京都駅八条口よりすぐ 新都ホテル裏 イオンモールKYOTO Sakura館5階