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コロンブドール

Les Films de la Colombe d'Or 白鳩が黄金の鳩になるよう人生ドラマを語る!私家版萬日誌

中之口川と始祖東映社長 大川 博氏 伝  50年目の真実

2009-08-12 | 脳裏のなかで
 東映京都撮影所に行くと始祖 大川 博 初代東映社長の手形が俳優会館をはじめ
 各スタジオ前にその手形プレートが掲げられています。
 当時、この東映京都撮影所は東洋一と云われていました。
 そんな同郷人の偉大さを尊崇し、中之口川を渡り想い・・・・。

 東映設立から七年目の昭和三十四年に発刊された大川 博著「この一番」より
 50年、はや半世紀を記念し、
 その越後新潟生家 中之口村(現新潟市)での氏の幼年時代の素顔一端を今日
 本年は良き50周年と相成りますのでので御紹介しますー。

 写真、中之口川のこの先に中之口村があります・・・・。
 上段の山は幼年時代中之口村からも望め、氏も毎日見ただあろう名峰粟ヶ岳(1293m)ですー。


大川 博著「この一番」(昭和三十四年二月刊)ワンパク時代 より抜粋

ワンパク時代は楽しく懐かしいものだ。(略)

生家は、新潟県西蒲原郡中之口村大字羽黒、越後平野の真中を信濃川が
流れており、それがさらに分離して中之口川になる。私の生家は、その川に近い
小さなで、父を彦太郎、母はトキといい、私は七人兄姉の末っ子として生れた。
先祖は、代々、庄屋をつとめていた。
先祖はしかし、さらに通くさかのぼれば、戦国時代の勇将村上義清の家臣だったとか。(略)

  
ところで、この月この日に生まれた人は「五黄土屋」の人だという。この星の生まれは、出世をすれば昇龍の勢いを得、落ちればコジキにまでなるという厳しい星なのだそうで、ワンパク時代の私は、素人易者などに、まことシサイらしく聞かされたものだった。

(略)

体格がガッチリしていた私は、相撲もかなり強かった。仲間を集め、投げとばしてはいい気持になっていたものだ。そして、「今日は何人投げた」などと、兄違に自慢する。さぞや賞めてくれるだろうと思うと、「あんまり乱暴するではないぞ」と叱られる。すると、又持ち前の負けん気がムラムラとおきて、その翌日
は、いっもより強く投げとばしてしまう、投げられた子は、泣きながら兄にいいつける。木かげでみていると、兄達は、「お前らが弱すぎるんだ」といって、追
っばらってくれている。私に怒っても、蔭では、私をかばってくれる兄達だったのである。

注:大川 博氏は明治二十九年十二月三十日生まれ
  この中之口村は横綱羽黒山の出身地でもあります。


大川 博 Wikipedia 注 このWikipediaでは誕生日は29日、氏の著書には30日になっていますー。

東映映画創設者 大川 博 旧中之口村 HP

横綱 羽黒山


蛇足ですがわたくしYouzoも「五黄土屋」の星まわりです・・・。 きょう良き吉日に想う。 YOUZO
 

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