クッキーのブログ

我家のマスコット犬周辺のできごとを徒然なるままに

【号外 22】 からくり人形 余話

2008年04月24日 | 【号外】
23日夜のテレビ番組「ベントハウス」で、日本が誇るスゴイ技術として
「からくり人形」を紹介していた。
東洋のエジソンとも称される田中久重の「弓曳童子」と「文字書き人形 」だ。
前者は人形がゼンマイを動力として弓を射て、後者は同様に「寿」の文字を書く
もので、ご覧になった方もいらっしゃると思います。

このプレゼンは、その番組内で第一位のプレゼンとなっていたが、私にはもの足
りなかった。時間の都合で止むを得ないのだろうが、説明に省略が多かったよう
に思う。

そこで、おせっかいながら、若干の補足を記します。

「弓曳童子」
・番組では弓を2本まで射て的に当てるところを放送していたが、実際は4本を
 射る。3本目をワザと的から外し、4本目は当たり、満足そうな表情を見せる。
・この表情が実に良く出来ている。

「文字書き人形 」
・内部の構成で12本の糸を使用しているが、「寿」の文字を書くために使われ
 ている糸の数は、その内のわずか3本である。残り9本の内、1本は「寿」の
 最後の「、」を書いて満足する表情をするためだけに使われている。

もう1つ、田中久重といえば「万年自鳴鐘」(万年時計)の製作だろう。愛知万博
のために、この1850年代作製の機械式時計の最高傑作の再現製作が試みら
れたが、現代技術を持ってしても150年前のゼンマイ製作が出来なかったのは
有名な話だ。(真鍮の帯ゼンマイが間に合わず、代わりにステンレスで作った)
この他、いろいろあるがまたの機会に。


田中久重は「もの作りの天才」という枠には納まらない、アーティストあるいは
エンターテナーの要素も併せ持っていた。そこがスゴイというか、余人の及ば
ないところであろうか。

(やまざくら)
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【号外 21】 数える

2008年02月10日 | 【号外】

2月2~3日に、「円周率10万桁暗唱」の世界記録を持つ原口さん(62)が、

「11万桁」に挑戦したが、残念ながら途中でリタイヤしたとのニュースがあった。

11万桁というと、仮に1秒間に3つ言っても1時間に約1万桁、つまり11万桁は休
みなく連続してこのペースで言っても、約11時間も掛かることになる。まあ1日がか
りの体力勝負でもあるわけで、なんともスゴイ。。

このニュースを聞いて、私はある事を思い出した。
高校1年の化学の最初の授業で、先生がこう言った。
「アボガドロ数6.02×10^23を数えられるとしたら、どの位時間が掛かると思うか?」
(アボガドロ数とは、例えば炭素 12 g の中に含まれている原子の数)
皆、「1年」、「一生」とか適当に答え、私も適当に「地球の年齢位」と答えた記憶が
ある。
正解は、お察しの通り「もっと、もっと、”とんでもない”時間が掛かる」のである。

通常の生活の中で出てくる大きな数の単位は、億、兆、京くらいであろうか。
もちろん、その上がある。
http://www.nn.iij4u.or.jp/~hsat/misc/math/bigsmnum.html

巨大な単位が使われることは、めったにないだろうが、こんな例もある。
「那由他(なゆた)」という単位名を基に命名された例だ。
http://www.astroarts.co.jp/news/2004/11/18nayuta/index-j.shtml

私は、ここにある「無量大数(10^68)」が、最も大きな単位だと40年以上思い込ん
でいた。(吉田光由の塵劫記(17世紀)に記載)

ところが、今日改めて調べてみたら、そうでもない様だ。
http://www.sf.airnet.ne.jp/~ts/language/largenumber.html
もっとも、これが「単位」と言えるかは、はなはだ疑問だが。。

(やまざくら)

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【号外 20】 ヒスイ輝石

2007年09月22日 | 【号外】


【ヒスイ輝石】

約7年ぶりで北陸へ出掛けた。
寡て富山に単身赴任していたが、小滝ヒスイ峡までは行ってなかった。

私は、ヒスイを始めとして鉱物・鉱石に関心を持っており、
大学入学前から、その自然の芸術品の魅力に惹かれていた。


ヒスイは、日本史の教科書の最初の方に「勾玉」の材料として載るので
よく知られている。しかし、ヒスイほど間違って認識されている石も少ない。
本来のヒスイ輝石は白色であり、緑色だからヒスイであるのではない。

やや専門的になって恐縮だが、NaAlSi2O6と珪酸塩鉱物の仲間である。
あのヒスイ特有の緑色は、微量な鉄やクロム等の置換によるものである。
この置換よって白色光のうち赤色成分が吸収され、出てくる光が緑色がついて
見える。また、微量な鉄やチタンと置換されると紫色になったり、
鉄とマンガン等でピンクがかった紫になる様である。

こう書くと何だか味気ないが、別の側面も持っている。
ヒスイは、縄文、弥生、古墳時代に使われていたのに、奈良時代以降は
歴史から消えてしまった。そして、小滝川でヒスイが採れると昭和14年に
学会誌に発表されるまで千年以上の空白期間があったのだ。

尚、ヒスイと、当時の生活や政(まつりごと)との関係や、ヒスイの移動との
関係については、森浩一編「古代翡翠道の謎」に詳しく紹介されている。


ヒスイは、あの「お宝鑑定団」番組で驚異的な鑑定価格がついて以来、
妙な人気が出てしまったが、本来持つ気品がある深い味わいは、昔から
何ら変わっていない。

(やまざくら)

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【号外19】 大学訪問

2007年07月19日 | 【号外】
私は仕事の都合で大学を訪問する事がある。
学会発表、共同研究等でこれまで約40の国公立、私大、高専を訪問してきたが、
また新たにP大学を訪問した。

目的は、ある工学技術とその応用について意見を伺い、今後の協力関係の基礎を
築くことであった。結果は、ほぼ100%達成できた。

その要因は、先生のオープンな基本方針と、会社の研究所に先生の出身大学の
同期生がいて、交流が続いてきたことが挙げられる。
勿論、周到に事前調査を行い、その可能性が高いことを予測はしていたが、
これほど話が早く進んだのは私の経験でも珍しいことだ。
あとは、実務的には後輩がうまくやってくれる事を期待しよう。


今、国立大学は大学法人化され、各教授は研究費の確保と成果のPR等で大変な
状況にある。各種展示会等に研究室単位でPRして技術を売り込んだりして必死
である。大学がその固有技術を売り込むなんて、一昔前では考えられない姿勢だ。

ところがP大学は、鷹揚な面があり、細かく紹介できないが一昔前の国立大学
研究室の感がした。それとなく問題点を指摘したが、その研究室だけではなく
大学の体質としてある様だ。
このマイナス分を引いても、こちらにとってはプラスの方が十分に大きい。
これを認めざるを得ない現状では、今後の交流状況をチェックしつつ、可能な
範囲で問題点を是正していこうと思う。

(やまざくら)
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【号外18】 時の記念日

2007年06月10日 | 【号外】

【JJYから入手した受信確認書】1964.12

6月10日は「時の記念日」。で、時間に関する話題です。

私は、これまで自分用の腕時計を買ったことがない。今使っている二つの時計
は共に戴きものだ。別にケチっている訳ではない。30年近く前のクォーツ時計
は、当初の月誤差±15秒以内の初期性能を現在も十分に保っている。
また、6年位前に某社から戴いた電波時計は、それを上回る正確性から手放せ
ない時計となっている。特に長年電車通勤の私は、乗り換え時間が2分程度の
ことがあり、電波時計が重宝している。

ところで、クォーツ(水晶)時計は70年代後半に登場した。そのポイントは
音叉型水晶振動子の量産化の成功である。その振動数は、通常32.768KHzで、
(32768=2^15 つまり2を15回掛けた数)温度変化に対して安定である。

一方、電波時計は、90年代半ばに名大の毛利教授グループの発明で、MI効果
を持つアモルファスワイヤ高感度センサーの量産化の成功が大きい。高感度超
小型アンテナ用センサーとして、今世紀に入ってその普及が加速している様だ。

そして、もう一つ電波時計の普及を加速させている要因がある。それは、それま
で標準電波送信所が福島の一ヶ所しかなかったが、2001年から佐賀にもでき日
本中をカバー出来る様になったことだ。電波時計は夜中の2時とかにその送信所
から送られて来る40KHz、60KHzという電波を受信し、時刻を毎日自己修正してい
るのだ。


この送信所から発する電波には、想い出がある。
中学生の頃、全国の民間放送局(中波)はほぼ受信し終えたので、関心は海外
放送(短波)に向かっていった。英語ならば何とか理解でき、それが例えばスイ
ス放送であることが分ると、その国について調べたりしたものだ。

高校に入っても、毎日夜中と早朝の30分位短波放送を聴いていた頃、ある日
この送信所からの電波JJYを受信したのだ。当時は、5MHz、10MHzで受信した
と思う。(現在は短波の送信は停波している。電離層反射の問題が少ない中波
の方が周波数精度が良い)

その時の受信レポートに対し、JJYから送られて来たのがこのベリカードだ。
(受信確認書 1964.12)

(やまざくら)

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【号外17】 館山・勝浦 (3)

2007年04月17日 | 【号外】
【沼サンゴ層 石碑】

35年程前、転勤で千葉県西部へ転居していった。
近所の探索に出かけた時、周辺に貝塚が点在している事に気がついた。
千葉市から市川市にかけて、加曽利貝塚等の多数の貝塚が分布している。
(尚、その沖合いで東京湾奥に広がる干潟の三番瀬では、現在でも貝類が
豊富に獲れる。)何故こんなに貝塚が多くあるのか、その理由がずっと分ら
なかった。(深く考えようとしなかった・・)

ヒントは「縄文海進」である。
縄文時代を16000年前から2500年位の間とすると、約6000年前頃が
最も暖かく、平均気温で今より約2℃高かったそうだ。
このため海岸線が今より標高で約20m高くなった。
この沼地区と同じ事が当然千葉県西部でも起こった、いや青森の三内丸山
遺跡等の全国で起こっていたのだ。そして、徐々に平均気温の低下と共に
海岸線は現在の位置に近づいて行ったのだろう。


貝塚の位置は、その海岸線(気温)の変化と共に移動し、結果的に点在する
ことになった?
ちなみに、寡って住んでいた所の標高は22mであった。


現在、地球温暖化で海面が上昇し始めている、と言われている。
仮に、本当に平均気温で2℃の上昇が、20mの海面上昇をもたらすとしたら・・
粗っぽい仮説ではあるが、もう「まったなし」の状況に違いない。


【その後、里見八犬伝で有名な館山城を経て、勝浦へ向かった。午前中だけで
12km歩いて、いい運動になった。勝浦での同窓会は割愛とします。】

(やまざくら)
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【号外16】 館山・勝浦(2)

2007年04月16日 | 【号外】
【サンゴ キクメイシ】

沖ノ島から、赤山地下壕を経て、今回の目的地の沼サンゴへ向かう。

満開の菜の花道を進むと、少し大きめの池が目の前に広がってくる。
遠くで農作業であろうか、発電機の駆動音だ。
雲雀の囀りも聞こえる。
さっきから人も車も全く行き交わない。
少し汗ばんできた。

件の発電機を動かしているおじさんに道を伺う。
「すみません、沼サンゴはどの辺りでしょうか?」
「あぁ、あの土手を上がって左の方さね。」
「ありがとうございます。あの道を行けばいいんですね。」
「ん。こっちの畦道から回って行けば近いよ。」

畦道を通るなんて何年ぶりだろうか。
しばし言われた通りに進むと、
おう、これか!?

天然記念物「沼サンゴ層」と書かれた御影石製の石碑の隣に、一箇所に集めら
れた約6000年前のサンゴの化石が、数種類、小屋の中に無造作に転がって
いる。「これだけ?」とも思ったが、まぁ、こんなもんだろう。

北緯35°付近の館山市は、現在世界に生息する造礁性サンゴ分布の最北限だ
そうだ。6000年前(縄文時代)は現在よりもずっと暖かく、海岸線の標高が
約20m!も高く、内陸側へ1kmほど入っていたのだ。
この沼地区が海岸線だったのだ。


来た道を引き返すと、さっきのおじさんが私を待っていた。
「がっかりしたろうて。ハハ・・」
私も苦笑いするしかない。

聞けば、この沼地区一帯は、ずっとサンゴ層が広がっているそうだ。
その主だったサンゴを、あの小屋に集めてあるそうだ。
だからこの付近の水は、ミネラル分が多いとか。

暫し、おじさんの傍らに座って、6000年前の風景を思い浮かべていた。
そして、ずっと疑問に思っていた事が、
「・・・そうか! 分った!」

【続く】
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【号外15】 館山・勝浦(1)

2007年04月15日 | 【号外】
【館山 沖ノ島の地層】

4月7~8日と房総半島の館山、勝浦へ行った。
昔の職場同窓会があり参加したのだ。
集合は会場となる勝浦の古い旅館前14時であり、それまでの時間を使って
館山周辺をブラリ散歩した。

実は目的があった。
館山にある古いサンゴ礁を観ることである。
数年前、何故か毎号家に送付されてくる港湾局の広報誌の中に、
「館山に、古代のサンゴ礁を観ることができる・・」との記述を見つけ、
いつか観たいと思っていた。

朝4時半に家を出て、館山駅に8時過ぎに到着。
まず館山航空基地前までバスで行き、そこからテクテクと沖ノ島まで歩く。
あの関東大震災で地盤が隆起し、その後砂州が繋がり陸繋島になった沖ノ島は
周囲1kmの小島だ。いたる所で傾いた地層が剥き出しになっており、その
傾斜角度は30°以上ある。ザックリ言って南側が隆起している。
資料によると、この近辺の海中でもサンゴ礁があるそうだが、それと分るものは
見つからなかった。

次に、赤山地下壕跡へ寄って同じく地層見学をする。
新生代第三紀の2400万年位前の凝灰岩質の砂岩や泥岩が明瞭に認められる。
やはり30~45°の傾斜地層である。

更に目的の沼サンゴへ行く途中に、ヒカリモ発生地があった。
少し幻想的な雰囲気の黄金に輝いている様に観えるヒカリモという藻の一種で、
数箇所の洞窟の中で観る事ができた。


【沼サンゴ】へ続く
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【号外14】 展示会にて

2007年02月25日 | 【号外】
私は仕事の都合で、各種の展示会や学会等へ情報収集に出かける。
先週末も、ここ数年毎年行っている展示会に行った。
この年になると、色々なブースに知り合いがいたりして思わぬ情報を得たり、
転職をした人や旧友にも出会う事がある。

あるブースを覘いていたとき、突然肩を叩かれた。
数年前に某部品メーカを早期退職したAさん(60)であった。
聞けば、現在は顧問としてその会社に週2~3日出社しているという。
それ以外にも個人会社を経営しているそうだ。
「収入は小遣い程度・・」というが、自分のペースでできる事がいいという。

一休みしていると、約5年前に退職したBさん(50)から声を掛けられた。
転職した大手通信会社は3年でリストラ退職し、現在は別の通信会社で
頑張っていると言う。それなりに大きなプロジェクトに参加して、
「仕事が面白い」という。彼の口から「仕事が面白い」というのは
初めて聞いた気がした。

帰りがけ、大学同級生のCさんと会った。
2年前、会社の同僚とその会社へ訪問した時、応対に出てきたのが偶然にも
C技術部長であった。その会社は定年が65歳だそうで、給料もよく、羨ま
しく思ったものであった。ところが、先日東北の関連会社へ出向の内示があり、
4月から単身赴任という。何かえらく老け込んだ様な気がした。
「求められている仕事があるのは、幸せじゃないか」と私が言うと、
彼は「ん・・」と言ったきりだった。


この年になると、収入の多寡よりも、打ち込めるものがあるかどうかの方が、
より大きな意味を持ってくるのだろう。「これがある」と言えるものがない
私は、まだ自分の2007年問題を直視できていない・・

(やまざくら)
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【号外13】 「東国原」宮崎県知事

2007年01月25日 | 【号外】
「東国原(ひがしこくばる)」宮崎県知事(都城市出身)が誕生した。
その就任までの経緯は別として、私には気になったことがある。
それは、「原」を「ばる」と読むことである。

そう言えば、九州には「田原坂(たばるざか)」(西南戦争)や、
「西都原(さいとばる)」(西都原古墳群)という地名がある。
九州方面では、「原」を「ばる」または「はる」と読むことがあるのだろうか?

九州へは、修学旅行を含めて2回しか行ったことがない。そこで調べてみた。
少し分ったことを挙げる。
・「~ばる」と「~はる」は、九州と沖縄に多い地名で約100箇所ある。
・九州では東部に多く、沖縄では宮古島に多い。
・鹿児島県鹿屋市「東原(ひがしばる)」町がある。
・天然記念物「ヤンバルクイナ」の「ヤンバル」とは、「山原」の意味らしい。
・その由来については諸説あり、定かでない。

もっと掘り下げてみると面白いかもしれない。

(やまざくら)
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