たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

映画 マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙

2012年04月02日 | 日記

今日は快晴 ゴルフコンペです

30日(金)のショッピングモールは春休みで親子連れのキッズが多かった。映画館ワーナー・マイカル・シネマズは、この日はオール千円のサービスディ、珍しく切符売り場には20人ほど行列、売り子は5~6人がカウンターに立ち繁盛していた。

3月16日の封切り「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」を観たいと思っていた。
圧巻!アカデミー三度目の受賞 オスカー女王(クイーン)メリル・ストリーブ渾身の演技に、世界が泣いた。とその日に新聞広告した。観客ははじめ15人、次々入り50人前後になった。

アカデミー賞⇒ 主演女優賞、メイキャップ賞受賞
ゴールデン・グローブ賞⇒ 主演女優賞受賞
英国アカデミー賞⇒ 主演女優賞、メイキャップ&ヘア賞 等々受賞作品

オープニングは老いたマーガレット・サッチャーが、よぼよぼとコンビニで朝、牛乳パックと新聞を買う場面から始まった。
メリル・ストリーブはキャストの中でただ一人のアメリカ人俳優。実物のサッチャーに大変よく似ているし、老いて認知症になって既に他界した夫デニスに、幻想の中で問いかける、「教えて、あなたは幸せだった」。
ストリーブはサッチャーの30代から80歳後半くらいまでを見事に演じていた。
雑貨商の家に生まれオックスフォード大学を出たサッチャーは、父の影響もあって下院議員に立候補するが惜しくも落選する。
気落ちしている彼女に若い事業家のデニス・サッチャーが求婚する場面、「キッチンで食器を洗う女にはなりたくないわ」と言う彼女に、「君のそういうところが好きなのだ」とデニス。そして二人でワルツを踊る。優雅にワルツを踊るシーンは三回あった。

彼女の政治家としての信念・意思の強さ・リーダーシップ、全てに夫デニスの献身的な陰の協力があってこそ栄光は達成されたと分る映画だった。双子の子供にも恵まれる。遊び盛りの二人が母を追いかけるが車の窓も開けず振り切り国会へ向かう。<鉄の女>はソ連が名づけたと映画にも出たが、本人も気に入ってたらしい。
高齢で認知症となった彼女を娘が介護する。幻想の中に織り込まれる当時の英国の政情が、実際の記録映像とともに迫力があって見応えのある映画だった。

”漫画家 黒鉄ヒロシ 生涯で見た中で10本に入る傑作!本作品は伝記映画と思っては勿体ない、ヒトの普遍的テーマが描かれている。”(3月16日広告)

サッチャリズムといわれた新自由主義経済は非効率な各種の国営企業を民営化し、強すぎる労組の力を削ぎ活性化させた。折から日本も臨調の真っ盛り、大いに参考にされ中曽根康弘内閣の行革に結実した。

3月29日 ありがとう大ヒットと、全紙広告が打たれた。
その紙面の「映画を10倍楽しむための鉄の女の予備知識」<一部再録>

マーガレット・ヒルダ・サッチッヤー(86歳)

1925年 雑貨商の娘として生まれる。市長まで勤めた父親に政治理念を教えられる。
1943年(18歳)オックスフォード大学入学、化学専攻
1950年(25歳)保守党から立候補、落選
1951年(26歳)実業家デニス・サッチャーと結婚⇒ (求婚のシーンは別俳優)
1953年(28歳)双子(キャロル・マーク)出産
1959年(34歳)保守党から議員立候補、当選
1975年(50歳)保守党党首選出
1979年(54歳)女性初の英国首相へ
1990年(65歳)首相の座を降り、官邸を去る
2002年(77歳)健康上の理由で公式の場に出ないことを発表
2003年(78歳)デニス・サッチャー死去
2008年(83歳)娘の回顧録で認知症であることが発表される
2012年(86歳)ロンドンの自宅で過ごす