東建多度カントリークラブ・名古屋 クラブハウス正面の花
4月28日(土)大型連休初日である。絶好の日和になり、ここ美濃の国、濃尾平野は新緑の真っ盛り、車もクーラーが要る。日頃あくせく働いているニ男をホームコースのゴルフに誘ってある。直前は出張なので当日朝までに来るとメールがあった。長男の長女が大学、三女が中学へ入学したのでお祝いでもと言っていたので、その請求のためでもある。
稼ぎ時の休日に二人の組では勿体ないので、希望者があれば誰かを入れても良いとゴルフ場のフロント嬢に言ってある。
過日4月20日は仏教講座の日 母の葬儀でやや疲れがあったが初七日の日でもある。大きな本堂でお勤めした方が功徳になるかと、少し無理して出かけた。
別院に着いてショルダー・バッグを忘れたことに気がついた。財布も免許証も不携帯で運転した。幸い入場券はお経の本と一緒に別袋に入れていたので、入堂は可能なのでそのまま受講した。
今日の講師は遠く山陽地区というところからお出でになった僧侶の講師である。中国地方だろうが何県なのか分らない講師紹介のパンフをもらった。
議題は難しい演題であった。後でこれは親鸞聖人の正像末(しょうぞうまつ)和讃の一節で、人間がだんだん小さくなって行ったと云う意味だと説明された。
受付で2枚の講演要旨・レジュメが渡されたがこのタイトルも高尚だった。一枚は西洋の思想家の著述が箇条書きされていてこれまた難しい。今日の講座は理解に骨が折れるなと思ったらそのとおりだった。
始まって先ず「真宗大谷派以外の聴衆は手を上げてくれ」と求められたが、意外にも誰一人手は上がらなかった。「仏教講座と銘打っているのだから、他宗派の方でも連れを誘って参加されることが好ましい」といわれた。
講演はテーマと予告メッセージ、レジュメがそこそこに関連してないと聴衆は戸惑う。講師自らあちこち飛んでと二度言われたし、失礼ながら何を伝えようとなさっているのかよく分らない講話だった。坐った前のご婦人も正座を崩したり足を揉んだりされて、時が過ぎるのをひたすら待った。
がんセンター名誉総長垣添忠生氏は研修医のとき、師匠の先生にレポートを持っていくと内容を読まずに「黒すぎる」と突き返されたそうだ。難しい漢字を使い過ぎているという指摘で、女子中学生にも理解できるように書きなさいという指導だったとか。それから先生は難しい内容であればあるほど、誰にも分る文章を書くように心がけたそうだ。(「妻を看取る日」)
真宗の新興宗派「親鸞会」の高森顕徹(けんてつ)先生の講話は実に分りやすかった。「死んでから極楽へ行って幸せになれる、などという無量寿経(大経)、阿弥陀経(小経)を、現代人に一生懸命説いたところで誰もついてこない。苦しく悩み多い今を救ってくれる宗教でなくて、何が宗教だ」と話されたことがある。そのとおりだと思う。
質問時間になって「幅広いテーマのお話だったが、自殺者が多い現状をどう思うか」聞かれた。答えは「個人の問題に矮小化せず、社会の問題と捉えるべきだろう」との主旨のお答えだった。