母の死去、葬儀を済ませてほっとするが、何か空しさを感じるのも事実である。
十億の人に十億の母あらんも わが母にまさる母ありなんや
暁烏 敏(あけがらす はや 1877~1954 宗教家)*
葬式も兄のお陰で盛大であったが自分が死んだらどんな葬式を望むか。昨年私の所属する元会社の「労働組合退職者の会」県支部が20ページの「エンディングノート」を送ってくれた。ボランティアで会の支部に勤める友人は静岡県支部作成を見本にしたといっていた。
無声の人になった際、遺族が困らないよう日常的引継ぎから、終末期医療の希望、どんな葬式を望むかなど意思表示しておくのも大事だろう。私は年齢的に十分その域に達しているし、母は例外だったのだ。
最近は家族葬が多いと聞く、一部の僧侶は家族葬を否定される文言も見るが、最近は葬儀社ビジネスに主導されている。母の葬儀会場も女性が和服を美容師に着せてもらう部屋が、家族葬の場にもなるしつらえと聞いた。
私の場合は盛大な葬式など望むべくもないし、むしろ質素に静かに世間に知られることなく、家族と一部親戚だけの身内のものだけに送ってもらってこの世を去っていきたい。新聞のおくやみ欄掲載も辞退がいいと思っている。いよいよとなると気が変わるだろうか。
盛大な送り方をしてもらった母は経済の活性化には貢献しただろうが、その分兄が今まで世間に金銭的にも負担してきたし、これからもお返ししていかねばならないと、親戚が初七日の精進落としで私に言った。
散りぬべき時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ 細川ガラシャ
* 暁烏 敏氏のこの歌は”松任駅前の銅像のプレートも刻まれ、観光バスに乗ればガイド嬢たちが歌って聞かせるという。いまや歌人暁烏敏を代表する歌といっていい。”
出典:「地獄は一定(いちじょう)すみかぞかし-小説 暁烏 敏-」 石和 鷹 著」 1997年刊 新潮社 第8回伊藤整文学賞受賞
この本はなかなか読み応えがあった。自ら求めて蔵書になったし、その前に図書館にも希望図書で購入してもらった。ネットにあるお坊さんの適切な書評があった。