たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

読書 橋の上の殺意

2012年05月03日 | 読書

東建多度CC・名古屋

「橋の上の「殺意」-畠山鈴香はどう裁かれたか」-鎌田 慧著 平凡社 2009.6刊 図書館の本

平成18年4月9日秋田県藤里町で小学校4年の彩香ちゃんの捜索願が能代暑に出される。翌日琴富士川で遺体発見、能代署は事故として扱う。5月17日小学校1年の豪憲君が行方不明となる。6月4日豪憲君の遺体発見から事件として大々的になる。

この大事件の33歳の犯人畠山鈴香に関する詳細なドキュメントである。図書分類では社会病理に分類される本だ。新聞の書評2009.7を切り抜いて保存していたので読んでみた。
本の帯は「33歳のシングルマザーは何故、幼い命を手にかけたのか?死刑判決待望論に挑み、「破滅」と「殺意」の深層に迫って書き下ろした、著者畢生のルポルタージュ!」となっている。事件の発端から最高裁上告断念までの取材に2年半を費やした労作である。

分ったことは、鈴香は子供の頃からダンプの運転手だった父から、日常的に理由無くいきなり殴られる虐待の中で育った。母は近くの町のナンバーワン・ホステスで21歳の時の子が鈴香である。この夫婦は離婚するが、目立たない暗い子に育った鈴香は学校でもいじめに会う。

大阪幼児二人の置き去り餓死事件と共通するが、最近精神医学で注目される機能不全家庭で育った「世代連鎖」、AC(アダルト・チルドレン)を鈴香にも感じた。いわゆる「親の因果が子に報い」という悪循環です。

彼女は精神を病んでいた。一審・二審で彩香ちゃん事件は裁判所が殺意を認定・動機は不明、実行模様も不明で証拠がない。事件前後のことを鈴香は健忘症にかかっていて思い出せない。
豪憲君の殺害は本人が認めるが、動機はよく分らない。著者によると彩香ちゃん殺害現場とされる橋そのものが怪しいという。小4にもなった女児がサツキマスを見たいと、夕方橋の欄干の上で両足を川に向けて坐っていたなど、考えられないという。

一審無期懲役、二審も死刑を回避して無期懲役となって結審した。3人の精神科医の精神鑑定を受ける、私の住まい近くの大学の先生の心理分析も受けるが、書中に精神科医の斉藤学先生が「誰が鑑定しても、足して二で割るような鑑定になる」と指摘される。
先生の患者のシングルマザーは「私もやっていたかもしれない」、「別の人がやってくれたから、わたしがやらなくてすんだ」という人たちがいる。鈴香に共感して在家出家した人もいたという。この本の終章、著者が「病んだ心を裁けるのか」という命題につながるのであろう。

それにしても亡くなった彩香ちゃん、豪憲くんは可哀想でならない。検察冒頭陳述、こういう悪いことをしたという冒陳で、豪憲君殺害模様を著者は露悪的過ぎると、たしなめているように鬼気迫る。傍聴された豪憲君の遺族の悲しみと怒りを思うといたたまれない。
それでも死刑を回避した裁判は妥当ではないかと、著者は死刑待望一色の世間をたしなめる本であった。

付録)書中には精神科医 斉藤学(さとる)氏とあるが、この先生はアルコール依存症の権威である。評価の高い入門書と専門書の2冊を所持している。
・アルコール依存症に関する12章 有斐閣新書 1986.11刊 編者
・アルコール依存症の精神病理 金剛出版 1985.6刊 著者