たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

遺品整理・形見分け

2012年05月29日 | 日記

私の手次寺の故前住職は「金がないとか、忙しいとかで、親が子供の食事に手を抜いたことがあるか、年忌法要を手抜きするのは、そういうことだ」と説法された。

亡母49日法要のお斎(おとき)も盛り上がって、来年の1周忌もその場で予約された。バスで一同帰宅し親戚の方はそれぞれ迎えに車が来ていて家へ入らず帰っていかれた。
最近はケイタイと車が田舎の生活すべてを仕切っている。

一休みした後で亡母の遺品整理を親族一同で行う予定になっていて、6畳一間に古箪笥2本、押入れ2間の母の寝室の遺品をすべて放り出し、捨てるもの、それぞれ貰うものなどを一品ずつ整理した。

108年という歴史は、さすが長く、中でも古文書を入れた箪笥の小引き出しの一つは宝の山だった。それも子供に関するものが数多く、私や姉はその存在を知っていたので、自分に関するものは既に貰っていってある。名古屋から来た弟は初めて見るものばかりで、小学校1年の時の成績表から、各種表彰状まで感嘆の声を上げていた。
私は2歳の時に受けた種痘済み証が残っていた。75年も前の書類、村長の署名捺印がある。それと夜間高校2年終了時の表彰状が出てきた。昔の母親ながらよくここまで子供一途に、大事に育ててくれたかと感慨ひとしおだった。

「子供が大きくなると、大きなを心配せならん・・」思春期、反抗期、就職期などに嘆かせたこともある。「目クラ可愛がりで・・」と自嘲したこともあるが、このようにしてわれわれは育ったのである。
姉は古い箪笥1本ごと、衣類を貰って家に入らないと物置小屋へ箪笥を運ばせた。
私は形見にマフラーを一つ貰ってきた。それと自分が送った子供の写真や結婚式の写真などは回収してきた。

最近のヤンママも愛情たっぷりに我が子を育ててほしい。

「やうち」でたっぷり半日かかり、夕食時に身内が揃ってまた飲み直し、「偉大で立派な母御だった・・・」と兄が述懐し、娘婿が「賢い人だった」と、よいしょしてくれた。もって瞑すべしであろう。

中陰中は一日も欠かさず毎晩、高校3年の孫の跡取り息子も、家族と一緒に正信偈のお勤めに全参加してくれたという。介護の骨を折ってくれた嫁や、よき家族に抱えられての108年の長い長い歴史を締める満中陰法要の夜となった。