たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

感激・感動

2013年02月15日 | 日記

昨日の朝日新聞・投書に「どうか幸せになって・・」と題する一文が載った。
“コンビニに並んだ前の客はホームレスだった。パンを1個手づかみで持っていて、レジにパンをそっと置きました。レジの女性は驚いてパンをポリ袋に入れ、お釣りを渡した。その後に「チャリン」、音の方を見るとその人は募金箱にお釣りのいくつかを入れたのです。・・今は不遇かも知れないが、その人は常識のある心の豊かな人だと思いました。どうか幸せになってください。”
という投書です。なかなかいい文章ですね。
さて投書子はこのホームレスの行為に感激したのでしょうか。感動したのでしょうか。

「書くことが思いつかない人の文章講座」近藤重勝 (2011・9刊 幻冬社)
[第2章 伝わる文章の秘密 感動体験を生かす] には、
”感動したことは忘れない。感動とは心を動かされること。英語で言えば「be moved」です。感動体験は最上の題材です。感動体験は脳に長期間保存される。と、教えます。
「感激と感動はどう違うのでしょうか?」と質問が出されています。
答えは 入試に合格した、あこがれのスターと握手してもらったなどもっぱら自己にかかわるもの(何かに挑戦して得られる感動)を感激ととらえることができる。上の投書子のように他者に向けられるもの(外から得られる感動)を感動と書くべきでしょうといっています。
感激と感動の区別、両者の違いは、はなはだ微妙だ。” と、教えます。

1年ほど前、スーパーの自販機でタバコを買いつり銭だけもらって、肝心のタバコを取り忘れ、数時間後思い出し電話した。受付はタバコの銘柄を聞き、「お客さまが届けられて預かっています」と言われ、喜んで2キロほどの店へ貰いに行ったことがあります。わずかなタバコ1箱でも正直にフロントへ届けてくださった、見知らぬお客さんの行為に、そのタバコの味がひと味違いました。
またその頃、別のスーパーで買い物し、マイバッグに駕籠から買い物を移して、その場に財布、カード、免許証入りショルダーバッグを忘れてきてしまった。途中で気がついて戻りましたが、やはりお客さんが届けてくれていて無事戻り(他者から得られ)感動しました。

また、あるときはコンビニの出入り口付近に財布を落とし、お客さんが拾ってレジに届けてくれたこともあります。家へ帰ってしばらくして、コンビニから電話があり気がつく始末で貰いに行きました。財布の中にかかりつけ皮膚科の診療券が入っていて、そこへコンビニが電話され、医院はパソコンの電源を落としていたのを再入力し、私の電話番号を調べてコンビニに教えてくれたのです。コンビニでは募金箱へ千円とコインを少しお礼代わりに入れ(他者から得られ)感動しました。

そのほか、旅先でショルダーバッグを失い、3ヵ月後届けていた奈良県の吉野の警察から電話があり、町内清掃で路端の草むらで拾われた役員さんが届けてくれた。役員さんにはお礼に日本酒1本を下げて行き書類にハンコをもらいました。ビニ製バッグはベトベトに濡れ、財布のお札はくっついて離れず、帰宅して近くの銀行へ持って行き、日本銀行へ送られ新札になって帰ってきました。その新札数枚はお守りにしています。(他者から得られ)感動しました。
ゴルフ練習場でバッグを忘れ、3時間近く経って行ってみたら、そのままに置いてあったことも。お客さんが多く近くの席の誰かが承知で置いていると思われたのでしょうか。これは感激でしょうか。
とにかくここ15年ほどの間馬鹿ばかりして、見知らぬ人々の善意の行為に感謝・感激・感動ばかりです。