たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

テレビ番組・玉音放送

2013年02月20日 | 日記

先週土曜日のBS朝日2時間特集「戦争が聞こえた~ラジオが伝えた遺言」が見応えがあった。
戦争末期に特攻に選ばれた飛行兵が遺言を録音し、ラジオの電波に乗せて放送したドキュメント番組だった。
当時の特攻兵で生き残った90歳前後の人を訪ねてインタビューを何人かしていた。まだご健在なのに驚いた。
アメリカからも元在日外交官で、日本語がよくできるアメリカ兵が、日本に降伏を呼びかけ、短波で何回も放送したらい。その音声も感慨深く聞いた。在日中は高松宮殿下とも交流があったし、その子孫をアメリカへ訪ねて殿下から贈られた遺品や放送資料も放映した。

米英蘇支4カ国がポツダム宣言を発するが日本は受諾せず、戦争は本土決戦に突入の時機を迎える。そうこうしいるうちに広島と長崎に原爆が落とされ、日本は否応なく決断をしなければならなくなる。
そのとき広く柔軟に時勢を読むことができた内閣情報局総裁・下村宏が天皇に拝謁し、天皇自ら戦争終結宣言されるしか事態は打開できないと進言する。いわゆる玉音放送である。その前後の経緯をよく分るように放映してくれた。
坂本慎一「玉音放送をプロデュースした男」PHP研究所2010 があるらしい。著者のインタビューもしていた。少し早くても、遅くても玉音放送で戦争終結とはならなかった絶妙のタイミングだったらしい。徹底抗戦を唱える陸軍の若手将校の一部がクーデターを意図し放送用の録音盤を実力で奪取しようとする動きがあったが、失敗に終わった(宮城事件、録音盤事件)の経緯もよく分った。この録音技師がご健在でインタビューもしていた。
昭和天皇の存在は、当時大変重い国体の主体であったのだ。Nスペだったら視聴率も上がっただろう。

当時私は国民学校2年生で、昭和20年8月15日、「今日は天皇の大事な放送があるので、近所のラジオのある家で聞くように」と全校児童が早退だった。家にはラジオがなかったので近くの家に村人10数人と子どももたくさん集まって玉音放送を聴いた。
意味は何も分らなかったが大人の話で終戦、戦争は負けたと知った。女、子どもは勝った国の兵隊に岩に投げつけられて、殺されるかもしれないと話す人もいてこわかったことを思い出した。昭和史を勉強し、再放送を見たい。