ダンディな紳士グレゴリー・ぺックが、2003(H15)年6月の今日亡くなった。(享年87歳)
この名優で思い起こすのは、〝老婆の・・〟いや「ローマの休日」(日本公開1954(昭和29)年)だ。
監督や女優エリザベス・テーラーとのギャラが折り合わず、やむなくウィリアム・ワイラー監督に代わり、ブロードウェイで出演中の、まだ映画女優としては無名のオードリー・ヘプバーンを起用、予算不足が生んだ大ヒット作といういわくつきの作品。
ヘプバーンはいきなりアカデミー最優秀主演女優賞をとり、以後20数本の映画に出演、映画界から引退後はユニセフ親善大使として難民孤児の救済活動に献身。
これも経費節減のため、ロケ地をローマ設定、名所をふんだんに取り入れ、イタリヤ製スクーター「ベスパ」や小型車「フィアット」も登場。
「麗しのサブリナ」で衣裳デザインを担当した「ジバンシー」は、その後の作品とともに、全世界にヨーロッパのファッションを広めることになった。
1993(H5)年1月、スイス・ローザンヌ近郊の村で63年の人生の幕を閉じた。
“忠太”は直後に放映された、テレビ追悼番組のほとんどをVHSテープに録画、取りこぼした作品はビデオショップで購入したものだ。
これら20数本のテープは近所の福祉施設に寄贈し、デイサービスに通うお年寄り達に楽しんでもらっている。
「ローマの休日」はいつ観ても新鮮。(画像クリックで拡大)
あれあれ、ペックのことを思い出しながら書くつもりが、ヘプバーン追悼特集(?)になってしまった。
この名優で思い起こすのは、〝老婆の・・〟いや「ローマの休日」(日本公開1954(昭和29)年)だ。
監督や女優エリザベス・テーラーとのギャラが折り合わず、やむなくウィリアム・ワイラー監督に代わり、ブロードウェイで出演中の、まだ映画女優としては無名のオードリー・ヘプバーンを起用、予算不足が生んだ大ヒット作といういわくつきの作品。
ヘプバーンはいきなりアカデミー最優秀主演女優賞をとり、以後20数本の映画に出演、映画界から引退後はユニセフ親善大使として難民孤児の救済活動に献身。
これも経費節減のため、ロケ地をローマ設定、名所をふんだんに取り入れ、イタリヤ製スクーター「ベスパ」や小型車「フィアット」も登場。
「麗しのサブリナ」で衣裳デザインを担当した「ジバンシー」は、その後の作品とともに、全世界にヨーロッパのファッションを広めることになった。
1993(H5)年1月、スイス・ローザンヌ近郊の村で63年の人生の幕を閉じた。
“忠太”は直後に放映された、テレビ追悼番組のほとんどをVHSテープに録画、取りこぼした作品はビデオショップで購入したものだ。
これら20数本のテープは近所の福祉施設に寄贈し、デイサービスに通うお年寄り達に楽しんでもらっている。
「ローマの休日」はいつ観ても新鮮。(画像クリックで拡大)
あれあれ、ペックのことを思い出しながら書くつもりが、ヘプバーン追悼特集(?)になってしまった。
「白昼の決闘」も良かったですね。
A・クイーンはその容貌から、「流浪の民」役で良く出ていたように思いますが・・・。
今日は新聞休刊日、サントリーの広告によると、ついでに休肝日にしては?と提案していました。
これがなかなか難しい!
「ぶんえい」懐かしい館ですね。
私のAHは「アン王女」でして、その後作られた20数本の映画がまとめてぶち当たっても、勝てません。
ヘンリー・マンシーニ作曲の「ティファニーで朝食を」の主題歌「ムーン・リバー」が好きです。
主な作品はDVDで残しておきましたので、いつでもどうぞ。
私も「ローマの休日」は何度も見ましたが、チョット「水戸黄門」的ドラマで
何度見ても胸がすくような気持ちになります。
グレゴリー・ペックの映画で好きなのは「ナバロンの要塞」、
これも何回見ても胸のすくような映画でした。
同映画に出演した
アンソニー・クインも大好きな俳優です。
もう一人は、モンゴメリー・クリフトでした。
YMCAの近くだったと思いますが、「ぶんえい」なる映画館がありました。
洋画ばかりを上演していましたので、学生が多かったようです。
よく通いました。懐かしい写真ですね。