あ~ぁ、あすから「師走」 ことしも残り31日
■「カメラの日」
由来:1977(昭和52)年のこの日、小西六写真工業(後のコニカ→現コニカミノルタ→)が
世界初の自動焦点(AF=オートフォーカス)カメラ「コニカC35AF」を「ジャスピンコニカ」の愛称で発売。
誰でも「ピンぼけ」せずに撮れるということで、それまでカメラに縁の薄かった女性や中高年層の
市場を開拓した。
同じ年に巨人軍の王選手が米大リーグのアーロン選手の記録を抜く通算本塁打756号を達成。
・コニカミノルタ214年史
◆陰の声1:名機「CF35」の系譜を引き継ぐ「AF3D」は28年前の1983(昭和58)年の発売。
・なんと、赤色ボディーが「取説」と共に、我が家にあったことを思い出した。
・店頭のおじさんに「何で、このカメラは他より高いの?」と聞いたら「レンズがガラス!」の一言。
それが気に入って購入を決めた、何とも変な購入動機ではある。
当時、一般向け小型フィルムカメラのレンズの主流がプラスティック製へと向かっていたが、
このカメラのテッサータイプ・レンズ「(ヘキサノン)」は「ガラス・レンズ」だった。
世界最大の携帯電話メーカー「ノキア」のレンズも「テッサー・タイプ」、今なお信者がいると見える。
・保存状態は良好、カレンダーも1日ずれていただけ、電池を入れてシャッタテスト。
※カレンダーは2019年まで組み込み、残り8年のおつとめ・・・・その頃には もおさらばか
*オートフォーカス機能
*シャッター
*ストロボ すべて正常のようす。
*AE機能 未確認。
フィルム買ってドリミネーションでも撮って実写テストを試みるとするか。
往時「赤のサクラか・サクラの赤か」のヘッドコピーで売り出した「サクラフィルム」は
とっくの昔に生産打切り。
往年のライバル「FUJIFILM」で撮ってみよう。
↓すべて画像クリックで拡大
・戦前の「さくらフィルム」(六櫻社)製品カタログ
■「シルバーラブの日」
由来:1948(昭和23)年のこの日、歌人の川田順が弟子の大学教授夫人とともに家出した。
当時、川田順は68歳で、3年前から続いていた教授夫人との恋の行く末を悲観して、
死を覚悟しての道行きだったが、養子に連れ戻され、その後2人は結婚した。
川田が詠んだ “墓場に近き老いらくの恋は恐るる何もなし” から「老いらくの恋」が
流行語になった。
◆陰の声:まだ性懲りもなく、入れ歯ガタガタ鳴らして「第2の墓場へ突入する!?」
昭和23年と言えば今は亡きおやじがシベリヤから復員した翌年、食べるのがやっとの時代だった。。
凄まじきは、恋の路 !!
■「カメラの日」
由来:1977(昭和52)年のこの日、小西六写真工業(後のコニカ→現コニカミノルタ→)が
世界初の自動焦点(AF=オートフォーカス)カメラ「コニカC35AF」を「ジャスピンコニカ」の愛称で発売。
誰でも「ピンぼけ」せずに撮れるということで、それまでカメラに縁の薄かった女性や中高年層の
市場を開拓した。
同じ年に巨人軍の王選手が米大リーグのアーロン選手の記録を抜く通算本塁打756号を達成。
・コニカミノルタ214年史
◆陰の声1:名機「CF35」の系譜を引き継ぐ「AF3D」は28年前の1983(昭和58)年の発売。
・なんと、赤色ボディーが「取説」と共に、我が家にあったことを思い出した。
・店頭のおじさんに「何で、このカメラは他より高いの?」と聞いたら「レンズがガラス!」の一言。
それが気に入って購入を決めた、何とも変な購入動機ではある。
当時、一般向け小型フィルムカメラのレンズの主流がプラスティック製へと向かっていたが、
このカメラのテッサータイプ・レンズ「(ヘキサノン)」は「ガラス・レンズ」だった。
世界最大の携帯電話メーカー「ノキア」のレンズも「テッサー・タイプ」、今なお信者がいると見える。
・保存状態は良好、カレンダーも1日ずれていただけ、電池を入れてシャッタテスト。
※カレンダーは2019年まで組み込み、残り8年のおつとめ・・・・その頃には もおさらばか
*オートフォーカス機能
*シャッター
*ストロボ すべて正常のようす。
*AE機能 未確認。
フィルム買ってドリミネーションでも撮って実写テストを試みるとするか。
往時「赤のサクラか・サクラの赤か」のヘッドコピーで売り出した「サクラフィルム」は
とっくの昔に生産打切り。
往年のライバル「FUJIFILM」で撮ってみよう。
↓すべて画像クリックで拡大
・戦前の「さくらフィルム」(六櫻社)製品カタログ
■「シルバーラブの日」
由来:1948(昭和23)年のこの日、歌人の川田順が弟子の大学教授夫人とともに家出した。
当時、川田順は68歳で、3年前から続いていた教授夫人との恋の行く末を悲観して、
死を覚悟しての道行きだったが、養子に連れ戻され、その後2人は結婚した。
川田が詠んだ “墓場に近き老いらくの恋は恐るる何もなし” から「老いらくの恋」が
流行語になった。
◆陰の声:まだ性懲りもなく、入れ歯ガタガタ鳴らして「第2の墓場へ突入する!?」
昭和23年と言えば今は亡きおやじがシベリヤから復員した翌年、食べるのがやっとの時代だった。。
凄まじきは、恋の路 !!