緊急事態宣言継続後に開催された美術館を訪れました。
美術館「えき」KYOTOで開催の「田中一村展・奄美へとつづく道」
田中一村美術館の訪問楽しみしていた奄美大島旅行が中止になり残念だったのですが今回鑑賞出来てよかったです。
2018年8月に佐川美術館での「田中一村展」鑑賞後して好きになりました。
明治41年(1908)年、木彫家の父ものとに栃木で生まれた、幼少時より画才を発揮し、7歳の時に父から「米邨」の号を与えられた。大正15年には東京美術学校(東京芸大)に入学するも2ヶ月で退学。同期の画家は東山魁夷です。
30歳で移住した千葉で20年間風景や動植物の写生に明け暮れます、青龍社に出品し入選。39歳で画壇デビュー「米邨」から「一村」に改名するもその後は落選続き。
50歳で新天地奄美大島へ渡り、紬工場で染色工として生計を立てながら。69歳で亡くなるまで19年間、奄美の大自然の情景や色鮮やかな花鳥画を描きました。
以下の写真は展示販売されていた複製画です
「初夏の海に赤翡翠(あかしょうびん)」
「奄美の郷に褄紅蝶」
「不喰芋と蘇鐵」絵画展示はしていません
「奄美の海に蘇鐵とアダン」
「アダンの海辺」晩年の代表作、絵画展示はありません
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