生きていることがただ辛く、あるいはただ悲しい。
そんな心折れそうな経験は誰しもがあると思う。
私の場合はしょっちゅうやって来るだけに、多少なれのような事も出てきている気もする。
文枝師匠の声で
「はい皆さんご一緒に、どうしたらよいのでしょうか?」とか
「誰か代わってください。」とか
そんな声が条件反射のように聞こえてきてくるようになってきている。
駄目になるとしても、どうにかこうにか足掻いて何とかしないと。
と、むやみやたらに力んで、視野は狭くなり周囲に嫌な空気をまき散らす。
無くなりはしないものの、そんなとこからは、少しは這い出せたのかもしれない。
それでも、プラットホームで
「このままふらっと行ったなら、激痛の後、楽になれるんかも」
なんて思うことはある。
口では「そもそも私なんて、そんなできた人間ではない」と言いながら、
「でもこんな筈ではなかった」という、
根拠もない理想でもない虚構の淵に立ち、やがて欠点探しの旅を始めてしまうことはまだある。
一介の取るに足りない私に注がれている数々の恩恵。
なぜそれを見つめ直したり、ひとつひとつ数えたりすることに
抵抗や恐れに似た嫌悪感が芽生えるのだろう。