夜明けの時刻が出勤の時刻に再び入り込んできた。
山際のグラデーションをただ眺めていると、今月3日目の休暇を取って伏見稲荷へ行こうという気になった。
命を惜しむ肉体を他所に、長生きすることが人生の本質ではない気がしていた。
世の中は新型コロナ3週季目。初代種ウィルスの中には生き残りが今尚あるのだろうか。
100兆を超えるウイルスや細菌と共にあり、生命を維持している肉体の現状を無視して
除菌や抗ウィルスの信仰が大流行しているけれど、どこかで転換点が生まれたりするんだろうか。
かつて瀬戸内海では水の浄化に精を出して魚の住めない海域を作ってしまった。
今は、それを空気でやろうと脱炭素なんてことを真顔でやっている。
今度は何が住めなくなるのだろう。
そうは言っても人間は社会を形成せずに生きることは、かなり困難でなかなか実現できない。
そこには組織が必要で、社会的立場にある人への忖度なくしては社会自体がなりたたない。
報道の支離滅裂ぶりをじっと眺めていたら、それぞれの村の代弁者が綱引きしているように見えてくる。
確かに彼らにとっては目の前の収入源とのつながりが現実であり、社会全体こそが非現実世界なのかもしれない。
不思議な色の変化を残して、今日も夜が明けていく。
何をきっかけに明るくなったのかは、今日も見つけられなかった。
今日も休み休み馬鹿をやって行こう。
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