ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

どこにも属さないで生きることについて

2008-04-04 17:37:27 | 観想
○どこにも属さないで生きることについて

かつては転勤もない私学という学校空間に23年間も勤め、その学校の一教員としてかの学園に所属していた。転勤がない、というのはある意味、恐ろしいことで、一度捩じれてしまった人間関係を定年まで引きずることになりかねない。というか、そういう関係性の中に僕は身を置き、苦しんだ。自分に正直に生きるというのは、教師社会においてもなかなかに困難な課題である。勿論、そういう想いを貫こうと心に誓ったときから、生涯を平教員で終わる覚悟は出来ていた。そんなことは問題外だったが、さすがに、正当な議論における批判でも、あらぬ恨みを買うことはしばしばであった。それならば、敢えて堂々とした孤立を決め込もうとしたが、孤立を決め込んだその瞬間から、自分の舌鋒はさらに鋭くなり、異端視されるとは、こういう感覚を指して言うのか、とまさに皮膚感覚で感じ取った。そういう23年間だった。正直に言うとやはり孤独で、苦しい抗いの時期だった、と感じる。たぶん私企業の会社員であれば、当の昔に左遷か降格の憂き目に合い、リストラの対象にもなっていたことだろう。僕が23年という長きに渡って教師という仕事を続けられたのはやはり、生徒がおり、保護者がいたからである。依拠する対象は彼らだけだったが、そのことが、管理職にとっては頭痛の種だったろう。またそれが僕の首を切れなかった最大の理由だろう、と思う。47歳にして依願退職に追い込まれたのは、皮肉なことに、海外留学という分野に何の関心もない、怠けた英語教師たちと管理職に、生徒たちの海外に飛び出すチャンスをこちらからぶっつけてやろうとした試みにつけ込まれたからだ。理事会や管理職は、僕の留学業者との金銭的癒着の問題を武器にして、僕は詰め腹を切らされた。確かにギリギリの線だっただろうし、正当に抗えば乗り超えられる壁だったが、その審査に当たるメンバーを見て、正直ダメだ、と痛感させられた。僕の批判の的であった僧侶たちとその提灯持ちの管理職たちだけで構成された委員会の顔ブレだけで勝負はついていた。47歳にして、僕は所属という概念から突き飛ばされた。どこにも所属しない生きかたを模索せざるを得なかった。生易しいものではなかった。死への誘惑は常について廻った。数年間の、宙づり状態の中で、ご多分にもれず、抑うつ症状になやまされもした。未来という言葉が自分の語彙の中から完全に姿を消していた。どこにも所属しない恐怖を嫌というほど味わった。

心境の変化とは、自分にも予測不能の出来事であり、いま僕はどのような束縛され得る団体からも、自由である。正直に言って、いまの仕事に確信があったわけではない。ただあったのは、自分にもし、教科指導や学級経営という能力をさっ引いて残る力量とは、いったい何か? ということを考え詰めただけの結果に過ぎない。生業は心理カウンセラーということになってはいるが、別にいまの僕のカウセリングに、カウンセリングの資格も、技術も役立っているとは言いがたい。勿論そういう要素は必要なので、おくればせながらの勉強もし、資格も取ったが、それだけで、この仕事が成り立つほどに甘くはないのである。たぶん、僕が唯一、自分で確信を持っている力とは、直感力と洞察力の鋭敏さだけである。この二つの要素から紡ぎだされる言葉によって、僕は心理学を超えた領域で他者と対峙していると確信している。もし、僕という存在によって救われる人々がいるとするなら、それは、僕の生の限界点から発せられる言葉の力に他ならない。それこそが僕の武器であり、それ以外に僕の持てる能力はない。どこにも属さないで生きるにはまことに危ういところに依拠した生きかたなのかも知れないが、それなりの自由と歓びを感じつつ、毎日を生き抜いている。たぶん死の直前までこの生きかたは変わることはない、と推察する。今日の観想である。

○推薦図書「流星の絆」 東野圭吾著。講談社刊。東野の優れた作品は、必ずと言ってよいほど、そのエンターティメント性を上回る人間洞察が描かれたものです。多作の作家で、どの書を読んでも興味深いのですが、この作品は、人間のぎりぎりの善意とその善意を裏切らざるを得なかった人物たちのかもし出す世界像で成り立っている小説です。傑作だ、と思います。ぜひ、どうぞ。

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