茶陶遊人の部屋

日々の日記と、お茶と地元の歴史等を発信していきます。最近はk-popにはまっている韓国好遊人です。

「つれづれ」潜む寂しさに、兼好法師がもし現代に生きていたら何と書くでしょうか!!

2021年06月03日 | Weblog


我が古典の会も「防止条例」により只今休講中なので、「徒然草」も中断しています。こんな時私は兼好さんの生き方を改めて探ってみました。「つれづれ」の意味を再検討してみると、「所在ない」「退屈」と解釈されますが、実は「物寂しい」と云った「退屈で物寂しいままに」と今の新ウイルス対策で孤独な暮らしを強いられる現代人の心境とも近しく感じられます。もう2年ちかくも自粛生活を強いられている現代人、特に若い世代はこの苦境に耐えられず、路上飲みに走り、憂さ晴らしをしていますが、あの厳しい言葉で世情を批判してる兼好さんも、何故か酔っ払いには「さはいえど上戸はをかしく罪許さる者なり、(酒飲みは明るく愛嬌があって罪がない)朝になって眠りこけた姿もまた、良いという、理解をしめしたり、別の段では、「この世に女がいなかったら、男は着るものもかぶるものも、どうでもよくなる」と男心の機微を語っています。兼好さんは、自分の時間や、空間を大切にしながら、酒に酔い、色を好む人間そのものに興味を持っていたようですね。新型コロナ対策とともに新しい生活スタイルの模索が続く今の時代に、兼好法師と共に見つめ直したいと思う今日この頃です。
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