【ジャパンサーチでたずねる】千利休
豊臣秀吉の茶頭として君臨していた千利休が天正19年(1591年)2月28日(旧暦)突然、秀吉の命令により切腹をえいますが命じられたとされていますが、その死には謎が多いことです。理由は利休が奉納した大徳寺の楼門に自分の木像が置かれ、その下を秀吉を通らせた・・というのが秀吉を怒らせた原因とされていますが、当時の様子から秀吉個人に限らず権力争いに明智光秀や徳川家康を含むメンバーが利休を利用してのし上がろうとするのに秀吉の信頼ある利休が利用された面もあるようで、確かな情報がないまま、利休の切腹だけが報道されたようで、いまだにその真相は謎とされています。しかし、利休の茶道の心はいまでもしっかり受け継がれており、世界に誇る日本の文化として世界より注目されており、昨日も裏千家元宗匠の千玄室さんが内閣総理大臣景勝を授与され、世界平和交流の表彰されました。オメデタイことです。💐💐