宇宙空間では無重力の状態になるため人間は誰でも空中遊泳が可能である。最近では地上でも人工的に無重力に近い状態を作り出すことができるようになり、宇宙飛行士はその無重力空間の中で宇宙飛行する日に備えて、日々訓練を行っているのはよく知られた事実である。
ところで、私は子供の頃、空を飛ぶことができた。空を飛ぶ夢を見たとは言わない。空を飛ぶことができたというのが、正しい言い方である。なぜなら、夢の中では夢と気付いていないということもあるが、それ以前に、幼年時代は夢と現実の境が曖昧なまま生きている時代であるからだ。
そんなわけで、私は毎日空を飛んでいた。大人で空を飛べるという人はいなかったし、友達も空を飛んでいる様子はなかった。口にするとまずいことになりそうなので、飛べることは親にも黙っていた。昼間はうまく飛べなかったことにはやや不審ではあったが、毎日空を飛んでいるのは絶対に疑う理由のない確実な自分の経験であったから、空を飛べることを自分で信じない理由はなかった。 毎日私は空を飛んで遊んだのだ。
ベルグソンに、夢を主題にして行った講演がある。その中で、なぜ人は夢の中で飛ぶことができるかを解明している節があって、私は自分が空を飛べた理由を見つけてとてもうれしかったのである。さて、ベルクソンはこんなふうに述べている。
「一般的に言えば、その夢(注:空を飛ぶ夢)を一度見ると、繰り返して見る傾向があり、そのたびごとに、こう考えます。『わたしはたびたび自分が地上を旋回する夢を見たが、今度はたしかにわたしは目ざめている。いまや私は重力の法則を越えることができるものだということがわかった。ほかの人たちにも見せよう』と。そして突然目がさめると、次のようなことがわかるだろうと思います。自分の足に支点がなくなっていたことを感じていたのは、実際に横になっていたからです。そして眠っていないと思っていたから、横たわっているという意識がなかったのです。だから自分が立っているのに、地に触れていないと思っていました。これが夢の中の確信です」
(ベルグソン全集5「夢」渡辺秀訳)
私が幼年時代に空を飛ぶことができる確信していたことは間違っていなかったのだ。私は重力の法則を脱することができたと確信していた。立っている状態では、頭から足の方向へ重力のベクトルが向かう。しかし眠っている体勢では重力は背中の方向に向かい、頭と足の方向ならびに腹の方向は、背中よりも重力の重みは少なくなっている。幼き日の私はそのことを敏感に察知していた。
海中では水による浮力があって、その浮力を利用して、水中での遊泳が可能である。だからちょうど海の中に浮かぶように、空中にも浮かぶことが可能だと、眠っている幼い私はそんなふうに考えたのだ。これは科学的な推論ではないだろうか。
人類はその幼年時代より、夢の中でと同じように、いつか無重力状態の中で空中遊泳をすることができると確信していた。この確信は確かな根拠があった。背中と腹の僅かな重力の差異を利用して、夢の中の確信であるにせよ、重力の拘束を脱して人類は実際に空を飛ぶ経験を数限りなく積み重ねて来ていたのである。
【反撃の宇宙】 革命の朝、人は空を翔ぶこともできるぞ。北一輝