2023年版 渡辺松男研究18 2014年8月
【夢解き師】『寒気氾濫』(1997年)65頁~
参加者:泉真帆、鈴木良明(紙上参加)、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部 慧子 司会と記録:鹿取 未放
150 沈黙のおんなに凭りかかられてみるみる石化してゆく樹幹
◆文章中、塚本邦雄の「邦」の正字が出せませんでした。申し訳ありません。
(レポート)
そこにいる「おんな」は「沈黙」のまま樹に凭りかかっている。精神のいきいきしていない人に凭りかかられると樹といえどもたいへんな圧迫かも知れない。沈黙の圧迫による樹幹の困惑や疲労を「みるみる石化してゆく」として、うつろう時をかたちにし、読者に示す。(慧子)
(紙上意見)(2014年月)
斎場の樹木に凭れて、故人を偲んでいる沈黙の女。凭れかかられている樹幹は、その嘆きの重さにたちまち石化していく。塚本邦雄の歌をベースに面白く表現している。(鈴木)
(当日発言)(2014年月)
★塚本邦雄の『水葬物語』に「革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆく
ピアノ」があります。ただのパロディではなく、対比して作っている。沈黙の女には
何か重いものがあってそれに凭りかかられるので何か固まってしまう歌だと思う。た
だ、肝心なところを味わえていないのですが。樹幹というのは、木の中の役割をきち
んと言いたかったのではないか、根に続く樹 幹であるよということ。語らぬものの
沈黙の訴えによって動けなくなってしまったものをいいたかったのではないか。
(真帆)
★塚本邦雄の第一歌集『水葬物語』の巻頭歌だから誰でも知っていますよね。塚本にと
っても処女歌集の巻頭歌だから非常に思い入れがあるはずですし、元の歌の辛辣な批
評意識とか苦さとかは周知のことだと思います。その本歌取りをするのだから、渡辺
さんにも相当な覚悟とか思い入れがあるはずなんですけれど、私はもう一つこの歌が
分からないです。真帆さんが言った「語らぬものの沈黙の訴えによって動けなくなっ
てしまったもの」というのはそうなんだろうと思うし、鈴木さんの「斎場の樹木に凭
れて、故人を偲んでいる沈黙の女」という解釈も、唐突に女が出てきたように思った
けど、なるほど一連の流れの中では故人と深いかかわりのあった女か、とも思うんで
すけど、作者の意図とか本質的な部分が自分ではつかめないでいます。(鹿取)
★国のことだったりしますか?「沈黙のおんな」でどこかの国を例えたり。(真帆)
★それは違うような気がする。この一連にいきなり外国への風刺とかは出てこないん
じゃないかなあ。(鹿取)
(後日意見)
塚本は「革歌作詞家」を風刺しているが、この「沈黙のおんな」は風刺の対象なのか、鈴木さんのように故人を偲んでいる労るべき存在なのか。私は風刺の対象と読んだ。たとえば樹幹は〈われ〉で、すねて沈黙している女に凭りかかられて意固地になっている場面。溶けてゆくピアノは「すこしづつ」で、石化する樹幹は「みるみる」だからスピード感が違う。この歌は塚本のパロディであり、何か滑稽味を狙ったものなのだろうか。ちなみに、『寒気氾濫』の出版記念会に主賓として列席された塚本氏は、この歌については何も発言されなかった。その後も、管見ながら誰かがこの歌について批評しているのを見た覚えがない。(鹿取)
【夢解き師】『寒気氾濫』(1997年)65頁~
参加者:泉真帆、鈴木良明(紙上参加)、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部 慧子 司会と記録:鹿取 未放
150 沈黙のおんなに凭りかかられてみるみる石化してゆく樹幹
◆文章中、塚本邦雄の「邦」の正字が出せませんでした。申し訳ありません。
(レポート)
そこにいる「おんな」は「沈黙」のまま樹に凭りかかっている。精神のいきいきしていない人に凭りかかられると樹といえどもたいへんな圧迫かも知れない。沈黙の圧迫による樹幹の困惑や疲労を「みるみる石化してゆく」として、うつろう時をかたちにし、読者に示す。(慧子)
(紙上意見)(2014年月)
斎場の樹木に凭れて、故人を偲んでいる沈黙の女。凭れかかられている樹幹は、その嘆きの重さにたちまち石化していく。塚本邦雄の歌をベースに面白く表現している。(鈴木)
(当日発言)(2014年月)
★塚本邦雄の『水葬物語』に「革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆく
ピアノ」があります。ただのパロディではなく、対比して作っている。沈黙の女には
何か重いものがあってそれに凭りかかられるので何か固まってしまう歌だと思う。た
だ、肝心なところを味わえていないのですが。樹幹というのは、木の中の役割をきち
んと言いたかったのではないか、根に続く樹 幹であるよということ。語らぬものの
沈黙の訴えによって動けなくなってしまったものをいいたかったのではないか。
(真帆)
★塚本邦雄の第一歌集『水葬物語』の巻頭歌だから誰でも知っていますよね。塚本にと
っても処女歌集の巻頭歌だから非常に思い入れがあるはずですし、元の歌の辛辣な批
評意識とか苦さとかは周知のことだと思います。その本歌取りをするのだから、渡辺
さんにも相当な覚悟とか思い入れがあるはずなんですけれど、私はもう一つこの歌が
分からないです。真帆さんが言った「語らぬものの沈黙の訴えによって動けなくなっ
てしまったもの」というのはそうなんだろうと思うし、鈴木さんの「斎場の樹木に凭
れて、故人を偲んでいる沈黙の女」という解釈も、唐突に女が出てきたように思った
けど、なるほど一連の流れの中では故人と深いかかわりのあった女か、とも思うんで
すけど、作者の意図とか本質的な部分が自分ではつかめないでいます。(鹿取)
★国のことだったりしますか?「沈黙のおんな」でどこかの国を例えたり。(真帆)
★それは違うような気がする。この一連にいきなり外国への風刺とかは出てこないん
じゃないかなあ。(鹿取)
(後日意見)
塚本は「革歌作詞家」を風刺しているが、この「沈黙のおんな」は風刺の対象なのか、鈴木さんのように故人を偲んでいる労るべき存在なのか。私は風刺の対象と読んだ。たとえば樹幹は〈われ〉で、すねて沈黙している女に凭りかかられて意固地になっている場面。溶けてゆくピアノは「すこしづつ」で、石化する樹幹は「みるみる」だからスピード感が違う。この歌は塚本のパロディであり、何か滑稽味を狙ったものなのだろうか。ちなみに、『寒気氾濫』の出版記念会に主賓として列席された塚本氏は、この歌については何も発言されなかった。その後も、管見ながら誰かがこの歌について批評しているのを見た覚えがない。(鹿取)