かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 411(中欧)

2020-04-30 20:29:03 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の外国詠57(2012年10月実施)
    【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P116~
      参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:崎尾 廣子 司会と記録:鹿取 未放

 
411 天井までキリストをめぐる細密画隙なしこれほどの圧倒もある

        (レポート抄)
 歌の成り立ちをみると6音、8音、5音、9音、7音である。この調べにのせて今目にしている細密画にとまどいながらも驚きが胸を占めてゆく。(崎尾)


        (当日発言)
★この細密画はどこにあるのでしょうか。どの部屋か、どこの部分の細密画か特定できなくてもい
 いが、下からずっと描かれていて天井まで及んでいるのでしょう。(鹿取)
★作者は息苦しさを感じたのではないか。それとここにとけ込めない感じ。ここまでやるのかと
 いう。日本人ならここまではやらないという怖さみたいな気分。(鈴木)
★では、西洋と日本の違いをうたっているのか?(N・I)
★でも日本だってお寺に行けば恐ろしいような地獄絵があるし。大聖堂とお寺では建て方も違う
 が。(藤本)
★まあ、東西を比べてではないかもしれないけど、東洋では余白ということを大事にしますよね。
 だから鈴木さんの息苦しさというのはよく分かる。(鹿取) 
  
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馬場あき子の外国詠 410(中欧)

2020-04-29 17:17:32 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の外国詠57(2012年10月実施)
    【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P116~
      参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:崎尾 廣子 司会と記録:鹿取 未放

 
410 聖堂の薔薇窓にさす朝の陽のいつかしき暗き光を見たり

          (レポート抄)
 この一首は薔薇窓にさす暗き光を歌っている。陰を意識することで光はより輝いて目に映ったのであろう。4句のみが字余りであるがその細やかな調べから聖堂を支配していると思える荘重さが伝わってくる。キリストを太陽になぞらえて造ったとも、奇(くす)しきバラの花とも言われる薔薇窓の精巧さに、光の美しさに心を打たれているのであろう。人の手によって造られた聖堂に太陽の力をも生かしている人間にある創造力の不思議さを思う。(崎尾)

           (当日発言抄)
★「いつかしき暗き光」の言葉につきるのかな。実感として分かる。(鈴木)
★この窓は19世紀作、直径は11メートルで世界最大、2万6千枚以上のガラスを使用。(藤本)
★聖ビート大聖堂の正面を飾るバラ窓は「天地創造」がテーマ。高さは33mで、柱と天井が一体
 となって美しい星型を作りあげているそうだ。これは塔の中に入って見ているのでしょうね。と
 ころで、ステンドグラスと薔薇窓は違うものだけど、この薔薇窓には実際の太陽光が指している。
 そうすると409番歌(ステンドグラスの絵図にとこしへに苦しめる人ありそこに光とどかず) 
 の苦しめる人に届かない光と同じ太陽光かもしれない。もちろんどちらも表の意味は太陽光で、
 裏に比喩的な「光」を暗示しているとか重ねていることは十分にありえるけど。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠 409(中欧)

2020-04-28 19:00:14 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の外国詠57(2012年10月実施)
    【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P116~
      参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:崎尾 廣子 司会と記録:鹿取 未放

 
409 ステンドグラスの絵図にとこしへに苦しめる人ありそこに光とどかず

          (レポート抄)
 この絵図の「苦しめる」「人」の無言の苦しみは悲しくも深く美しいと作者は感じたのかもしれない。王家の「洗礼」を主題としたものであるこのステンドグラスの制作者への、キリスト教への深い理解が作者にはあるのであろう。光の届かない人々へも思いは及んでいるのであろう。「とこしへに」の穏やかな表現がこの歌の中で静かに息づいている。結句の「光とどかず」が胸に染む。(崎尾)


          (当日発言)
★この歌は402番(ステンドグラスの絵図に悲しみの祈りあれどミュシャの光をわれは見てゐ
 る)と2句までが同じ。402番歌はミュシャに光を当てているが、この歌では絵図に描かれた
 人に焦点がある。「とこしへに苦しめる人」は絵そのものが題材。(藤本)
★光が当たらない部分が実際にあるのだろう。だから先生はそこに描かれている人はとこしえに
 苦しめる人だと思った。(慧子)
★そうすると光が届いている人は苦しんでいない人ということになるが、そうですか?「光とど
 かず」の部分の解釈にレポーターは苦しまれたと話されましたが、そこは物理的に光が届かな
 い部分があるという意味ではないですか。(鹿取)
★光とはステンドグラスで強調したい所。もともと強調したい救世主などにスポットライトを当て
 る技法。制作者が強調していない部分が「光とどかず」で、作者はそこに苦しんでいる人がいる
 ことを発見したんじゃないか。英雄など讃えられる人の影としてある人が、確実にいて苦しんで
 いることを発見したんじゃないか。レポーターがいうように制作者が浮かび上がらせることを意
 図したのではなく、制作者が気がつかなかったことを作者が発見したのだ。(鈴木)
★鈴木さんの意見、面白いですね。(鹿取)
★いや、みなさんの解釈のように歌からどんどん離れていくのはよくない。ステンドグラスはま
 んべんなく光が当たるように設計されている。時間によってあたらない時もあるかもしれない
 が。この絵にはチェコに初めてキリスト教を伝えた聖キリルと聖メトディウスが描かれていて、
 物理的には光は当たっている。しかし聖人といわれるこの人たちは永遠に苦しんでいるので、
 その点を光が届いていないと表現している。(藤本)
★そうすると藤本さんの意見は、「光とどかず」の光は太陽光ではないということね。(鹿取)
★藤本さんの説には反対。あくまで現場詠だから、そのとき光が当たっている所と当たっていな  い所があったのだと思う。(鈴木)
★意見が分かれましたが、並列で表記しておきます。(鹿取)


            (後日意見)(2015年9月)
 「ステンドグラスはまんべんなく光が当たるように設計されている」という意見があったが、普通のガラス戸だって外からの光はまんべんなく当たる。また「制作者が強調していない部分が『光とどかず』」だという意見もあった。ミュシャのステンドグラスの写真には例えば右下の暗い部分には頭を抱えて嘆いている人の姿が描かれている。その人物を眺めていると、ミュシャが英雄だけにスポットライトを当てて浮き上がらせ、重要でない人は隅の方に暗く描いているとは思えない。ミュシャは暗く描いた人の苦しみにも聖人と同等の精神性を認めているようだ。当初、鈴木さんの「制作者が浮かび上がらせることを意図したのではなく、制作者が気がつかなかったことを作者が発見したのだ」という意見に賛成したが、今はどうもそうではないように思われる。ミュシャは隅々まで入念な意図の元にステンドグラスを作ったし、作者はそれに導かれて隅に暗く描かれた名もない人の苦悩にも心打たれたのだろう。制作者の力でもあるし、鑑賞者の力でもある。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠 408(中欧)

2020-04-27 17:21:45 | 短歌の鑑賞
 馬場あき子の外国詠56(2012年9月)
     【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P116~
       参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:N・I(欠席、レポートのみ)    司会と記録:鹿取 未放


408 ヤン・パラフの死に花を捧げに行きし友プラハは静かな秋の雨なり
※ヤン・パラフ=カレル大学生。一九六九年一月ワルシャワ協定による
          軍事介入に抗議して焼身自殺。

       (レポート)
 秋の雨の表現に哀しみが出ていると思います。(N・I)


       (当日発言)
★※印は「左注」で、もともと歌集についていたものです。(鹿取)
★「行きし友」は同行していた友人ということだろうから、過去の「し」を使うのは間違いでは
  ないか。しかし、「行きたる友」より「行きし友」の方が音数も合い、美しいので苦渋の選択
  かもしれない。(慧子)
★まあねえ、歌を作った時点は帰国後だろうから、そこからの回想という気分じゃないの。抵抗
  の仕方が焼身自殺というのはとても悲しいけど、作者は軍事介入に抗議する気持ちに対しては
  強い共感を感じているのでしょう。花を捧げに行ったのは友人だけどその行為に自分の気持ち
  の代弁をさせている。静かな秋の雨を降らせてヤン・パラフを悼んでいます。(鹿取)
★ええ、花を持っていった人と作者とは同じ思いだったのでしょう。(崎尾)
★ここの花を捧げに行った友は吟行の旅に同行したIさんだそうだ。(藤本)

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馬場あき子の外国詠 407(中欧)

2020-04-25 17:55:24 | 短歌の鑑賞
 馬場あき子の外国詠56(2012年9月)
     【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P116~
       参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:N・I(欠席、レポートのみ)    司会と記録:鹿取 未放


407 粗末なる青い家の一間に書いてゐしカフカの『判決』のかなしみ思へ

        (レポート)
 プラハはカフカの街である。人間に疑問を突き返してくる街の造り。「判決」の本を探したのですが見つからず「かなしみ思へ」が定かではないのですが、「審判」によれば、ある日突然無実の人が逮捕される内容だったと思いますが、その関連からすれば、何となく分かる気がします。 (N・I)


        (当日発言)
★実際のカフカは若いとき司法の勉強をしたが、「判決」は「審判」とは違い司法の話ではない。
 一晩で書き上げたそうだが、「夢の形式」といわれるカフカの作風が確立された作と言われて
 いる。父親との葛藤が主題で、判決とは父親が息子に下す死の命令のことを指している。女の
 色香に迷って家族や友人をないがしろにしていると息子をなじった父親は息子に溺死を命じ、
 息子は家族を愛していると呟きながら橋の上から身を投げるという話である。(鹿取)
★「判決」の内容が分かればこの歌は難しくはない。カフカの実人生ではお父さんは小説を書く
 ことに反対だったり、どの恋人も父に気に入ってもらえなくて生涯独身だったり、葛藤があった。 
 この小説にも「変身」などにも父との葛藤が色濃く反映している。小説だけ読んでいるとカフカ
 は実人生でもうまく生きていけなかった人のように思えるが、実は有能な会社員として出世もし
 ている。それでもカフカは小説を書きたかったし、その時間が欲しかった。そのため二交代制の
 会社に勤め、早番で仕事を切り上げると残りの時間を小説書きにあてた。もっとも、この「青い
 家」では「判決」は書いていないようだ。(鹿取)


           (追記)(2012年9月)
 勉強会で思い出せなかったカフカが勤めた会社名は、半官半民の労働者障害保険協会。カフカは仕事も出来たがテニス、水泳、ボートなどを好むスポーツマンでもあった。「判決」(「変身」も同年筆)が書かれたのは「青い家」に住む4年前の1912年のことである。その時住んでいたのはカフカ自身が借りたパリ通りのアパートであるが、今は壊され、五つ星のインターコンチネンタルホテルとなっている。彼が次々と仕事部屋を替えたのは騒音が気になったからのようで、「青い家」は静かで気に入っていると恋人への手紙に書いている。ちなみにカフカは結核で1924年41歳の若さで没した。父母も30年代に相次いで亡くなり、カフカと同じユダヤ人墓地に葬られている。その後39年プラハはナチスに占領され、カフカに借家を提供してくれた3人の妹たちは全員ユダヤ人強制収容所で亡くなったという。(鹿取)




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