かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 16

2022-02-13 13:49:08 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究2の2(2017年7月実施)
    『泡宇宙の蛙』(1999年)【蟹蝙蝠】P14~
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆    司会と記録:鹿取未放


16 おおきなる世界のごとくある山毛欅(ぶな)や世界揺すれば水音ばかり

        (レポート)
 「山毛欅や」の「や」は間投詞、山毛欅のおおらかさを詠嘆しているのだろう。その大きな山毛欅の樹の葉を、風がゆすっているのだろう。世界を揺するような山毛欅の大樹の揺れだというのに、山毛欅の葉擦れの音はせず、山毛欅に流れている水音ばかりが聞こえて来たのだという。不思議な一首だ。もしかすると水音は、山毛欅を流れる水の音ではなく、山に流れる水の音かも知れないし、自分のうちに流れる悲しみの音かもしれない。わさわさと鳴る外からの樹木の音は届いて来ず、ただ我が裡にひびく水流のみがあるという寂しさ、とも感じた。(真帆)


      (当日意見)
★山毛欅の木って、耳を当てると水の音が聞こえるって言いますよね。木の中に水を蓄えているん
 です。飽和状態になると皮を伝わって水が流れ出てくる。(T・S)
★では、世界揺すればってどういう事ですか?(真帆)
★前の歌(釣り合えよ 今日死ぬ鳥のきょうの日と千年生きる木の千年と)を受けて圧倒的な樹
 の存在感を山毛欅に代表させていっているような歌ですね。山毛欅は大きくて、まるでそれ自体
 が世界みたいなんです。だから風ではなく自分が山毛欅を揺すぶるんですね、それが世界揺すれ
 ばってこと。そうすると水音ばかりだ。この最後の「ばかり」はどういう意味なのでしょうね。
 作者はもっと他のものも期待していたのでしょうか?それとも水音であけで充足したということ
 でしょうか。(鹿取)
★山毛欅だけで完成された一つの世界。(慧子)

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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 15

2022-02-12 13:32:28 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究2の2(2017年7月実施)
    『泡宇宙の蛙』(1999年)【蟹蝙蝠】P14~
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆    司会と記録:鹿取未放


15 釣り合えよ 今日死ぬ鳥のきょうの日と千年生きる木の千年と

     (レポート)
 「釣り合えよ」と初句切れ、一字アケの強さ。短命の鳥と、千年生きる樹木とを比較し、「釣り合えよ」と言っている。どうか生きとし生けるものの命の重さは、等しくあってくれたまえ、と詠っている。
    (真帆)


     (当日意見)
★祈りですよね。涙ぐましい気がします。松男さんの思考の形がよく見える歌で、大好きな歌です。
   (鹿取)

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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 14

2022-02-11 10:58:39 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究2の2(2017年7月実施)
    『泡宇宙の蛙』(1999年)【蟹蝙蝠】P14~
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆    司会と記録:鹿取未放


14 稚児車(ちんぐるま)いっしょうけんめい山にありてどんなに人は死にても 咲く

      (レポート)
 稚児車はバラ科の小低木で、五弁の白い小さな花を咲かせる。一面に咲く小さな稚児車の花から詠い起こし、健気な命をみつめつつ、下句へゆく。結句の「人は死にても 咲く」は作者の哲学なのだろう。母の挽歌にあれば、この「死にても 咲く」は死化粧のようでもあり、作者の弔いの情のようでもある。(真帆)


      (当日意見)
★一連、死のことを思っている。お母さんの一生を青虫と比べたり、鳥くらい軽ければ死も受け入
 れやすいだろうかと思ったり。そんなことを思いながら山登りしているんでしょうか。懸命に咲
 いている小さな稚児車を見ながら、人間はどんどん死んでいく、でも稚児車は咲く。まあ、稚児
 車だって同じ花が永遠に咲いている訳じゃないですけど。似たような場面を作者があとがきで書
 いていたので、まとめの時書いておきます。(鹿取)


      (まとめ)(鹿取)
 尾瀬沼を一周し、大清水への長い下り道を歩いているうちにいつしか前後に人がいなくなり、蟬が鳴き、鳥が鳴き、水の音が聞こえ、落ちようとする太陽が山毛欅や水楢やもろもろのみどりの草木をまぶしく照らし出したとき(ああみんな死んでいく。ああみんな生きている。)と思ったことがあった。生の圧倒感にジーンときたことがあった。(『泡宇宙の蛙』あとがきより)
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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 13

2022-02-10 12:17:21 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究2の2(2017年7月実施)
    『泡宇宙の蛙』(1999年)【蟹蝙蝠】P14~
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:泉 真帆    司会と記録:鹿取未放


13 鳥のおもさとなりうれば死はやすからん大白檜曾(おおしらびそ)に蒿雀(あおじ)さえずる

      (レポート)
 大白檜曾(おおしらびそ)はマツ科モミ族の常緑針葉樹で、栂(つが)ともいう。蒿雀(あおじ)はスズメ目ホオジロ科の鳥で、雀より少し大きい。送り雀(おくりすずめ)という妖怪の鳴き声は、この蒿雀に例えられるそうだ。
 鑑賞としては、上句の「鳥のおもさとなりうれば死はやすからん」に切なさを思う。「鳥のおもさとなりうれば」とは、もしも鳥になれたなら、くらいの意味であろう。人間のようにもがき苦しみ、病と闘いながら終焉を迎えるのではなく、もしも鳥のようになれたら、死はきっと、自然の摂理に順応し、安らかにあるのだろう、と詠っているのではないだろうか。高々と大白檜曾の樹にさえずる蒿雀の声が、耳にひびく。(真帆)


         (当日意見)
★(電子辞書の蒿雀の声を会員に聞いて貰って)蒿雀はこんな声で鳴くそうです。澄んだきれいな
 声ですね。鳥は飛ぶために種の戦略として体重を極限まで落としていますから、小鳥は特にとて
 も軽い。大白檜曾に天真爛漫にさえずっているようにみえる蒿雀の姿を見て、その声を聞いてい
 ると鳥のようだったら死も自然にやすらかに来るような気がしている。自然の一部になりきって
 いるような鳥(木も)への軽い羨望でしょうか。でもこの作者、一方では人間の自分が生きるこ
 とで小鳥の生を奪っているという意識の歌もあって複雑ですね。(鹿取)
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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 12

2022-02-09 11:54:06 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究2の2(2017年7月実施)
    『泡宇宙の蛙』(1999年)【蟹蝙蝠】P14~
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆    司会と記録:鹿取未放


12 体毛はかつて鱗でありしとう ひと愛しあうときの黒髪

      (レポート)
 人間の祖先は魚だったという説がある。体毛はかつて鱗だったのだという。その説を提示したあと、一字スペースをおき、下句の愛の様相へ展開するさまが見事だ。人の性愛のさまを、魚が鱗を光らせながらまぐわう様子とかさね、読者になんの摩擦もおこさずイメージさせる。結句の「黒髪」へ、ごく自然に連想を導く修辞の技もすごければ、描かれた絵画的な美しさにもうっとりしてしまう。(真帆)


      (当日意見)
★鱗は魚の体を守っていたんだから、正しい説。胎児は、お腹の中で鰓呼吸する時期があるって言
 うじゃないですか。人間は服を着るようになってだんだん体毛がなくなったんです。(T・S)
★髪の毛の断層写真を見ると鱗みたいですよ。(真帆)
★なるほど、あの固い鱗が柔らかな黒髪になったのかと思うと違和感がありますが。命は最初海で
 誕生したから、進化の過程で大切な頭を守る髪になったというのはなるほどと思います。美しく
 てエロチックな歌ですね。(鹿取)
★やっぱり男の人の歌ですね。黒髪が大好きで。(T・S)

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