かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

写真入り 馬場あき子の外国詠 144(ネパール)

2019-12-31 16:58:04 | 短歌の鑑賞
  
  飛行機から。ジョムソンより手前の町か?

  
  川沿いの道を行く人たち

  
   右側の木々はシャン農場

  
   シャン農場のそばを馬で通る人   



  写真入り馬場の外国詠 18(2009年5月)
    【ニルギリ】『ゆふがほの家』(2006年刊)89頁~
     参加者:K・I、N・I、佐々木実之、曽我亮子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:N・I 司会とまとめ:鹿取 未放


144 ヒマラヤをカリガンダキ河に沿ひ溯る貧しき裸足の道ありき俯瞰す

     (レポート)
 小さな飛行機から見た風景でしょうか。たぶん石ころ道のほこりっぽい道を素足で歩く人が多いのでしょう。これから訪ねる土地への挨拶歌と読みました。(N・I)


     (意見)
★挨拶歌とか挨拶の句は、土地褒めが習わしでしょうから、これはそれとはちょっと違う感じです
 よね。(鹿取)


      (まとめ)
 馬場あき子がヒマラヤを訪問した2003年当時、ポカラからジョムソンまで車は通っておらず、地元の人たちはカリガンダキ河に沿う道を使っていた。この道を行くには馬や驢馬に乗るか、歩くしかなかった。そして土地の人の多くは大きな荷物を額に掛けた紐で支えて往来していた。しかし裸足であるかどうかまでは飛行機やホテルからは見えないから、かつて裸足で行き来したということを詠んでいるのだろう。それが「道ありき」と過去の助動詞「き」が使われている理由だろう。かつてこの街道は「塩の道」と呼ばれ、チベットの岩塩をインドに運ぶための道であった。カリガンダキ河はそもそもガンジス川の支流なのである。ヤクに岩塩を乗せて運んだというが、ヤクを引く人々は裸足だったのだろうか。ちなみに裸足の人は、首都のカトマンズでも多く見かけた。日本なら小学校高学年くらいの女の子が上半身裸で裸足ということもあった。5・11・5・8・9と大幅な字余りであり、結句は5音と4音の大胆な句割れになっている。これは貧しさへの詠嘆であろうか。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠 143(ネパール)

2019-12-30 19:09:48 | 短歌の鑑賞
   馬場あき子の外国詠17(2009年4月実施)
    【ムスタン】『ゆふがほの家』(2006年刊)86頁~  
     参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、N・T、
         藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放
                    

ネパールのアッパームスタンに「こしひかり」を実らせた
  近藤亨翁をたずねてジョムソンに行った。
(この詞書のような2行は、「ニルギリ」の章全般に掛かる。鹿取注)


143 標高三千に稲の道あり不可思議の情熱のごと稲は稔れり

     (レポート)
 通常では考えられない寒冷地での稲作である。それが近藤翁の情熱に応えるように稔ったのである。そこに馬場先生は、通常の人間の情熱を超えた神の恩恵・采配を感じられたのかも知れない。「不可思議の情熱のごと稲は稔れり」にそのお気持ちが現されているように思う。(T・H)


      (まとめ)
 近藤亨氏が標高三千の荒れ果てた高地に稲を稔らせたのは、はるか何千年もの間にたどった「稲の道」ではない。ルートを外れた人工の強引な技の結実であり、それは貧しい土地の人たちに何とかして豊かな稔りを届けたいというひたすらな情熱の結果である。それを讃えて、ここにも稲の道があるよと作者は言っているのだろう。新潟大学で果樹の専門家だったという近藤氏がリンゴやメロンを稔らせるのは分かりやすいが、稲については大変なご苦労があったようである。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠 141(ネパール)

2019-12-29 20:03:59 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の外国詠17(2009年4月実施)
    【ムスタン】『ゆふがほの家』(2006年刊)86頁~  
     参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、N・T、
         藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放
                    

ネパールのアッパームスタンに「こしひかり」を実らせた
  近藤亨翁をたずねてジョムソンに行った。
(この詞書のような2行は、「ニルギリ」の章全般に掛かる。鹿取注)


141 ムスタンの林檎は大きみのりぞと人ほむる近藤亨翁の林檎

        (レポート)
 「ムスタンの林檎は大きみのり」と人が褒めているのは、その林檎の現実の大きさを褒めているのか、それとも近藤氏のご苦労の多大さに対し、敬意を表しているのか、たぶん、その双方であろうとは思うが。ここに「近藤亨翁」と敬語を使っておられる点に、その尊敬の気持ちが表れている。しかしなぜここに「人ほむる」と他人の評価を持ってこられたのであろうか。林檎の大きさとともに、それを高地で実らせた近藤氏の業績への敬意を「大きみのり」と「人ほむる」に、その客観性を持たせているのであろうか。(T・H) 


      (当日意見)
★先の歌で言ったように、ここの林檎はこぶりなので、「大きみのり」はその業績に対する言葉で
 しょう。2700メートルの高地に美味しい林檎を実らせるのはたいへん難しいことだったよう
 ですから。「人ほむる」はレポーターの言っているとおりで、もちろん自分も褒めているのです
 けれど、土地の人がまず感謝を込めて褒め、日本でも近藤氏を知る人はみんな褒めるわけです。
 ところで、この林檎、大変な人気で、カトマンズの高級スーパーで「ムスタンの林檎」としてブ
 ランドになっているそうです。ジャムとか干し林檎も作られ、現金収入源にもなっているようで
 す。(鹿取)


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写真入り 馬場あき子の外国詠 140(ネパール)

2019-12-28 18:42:03 | 短歌の鑑賞
      
      【再掲】私たちが泊まったマウンテンリゾートホテルはピンクの○印。どこに行くにも下の街道まで出なければならない。


      
      2003年当時、ジョムソンにただ1台あった4輪車はこのトラクターだけ。
      土地の子供たちが追いかけてきて伸び乗ったりしていた。
      この道を馬で下った。


      
      【再掲】馬場あき子の乗る白い馬



  写真入り 馬場あき子の外国詠17(2009年4月実施)
    【ムスタン】『ゆふがほの家』(2006年刊)86頁~  
     参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、N・T、
         藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放
                    

ネパールのアッパームスタンに「こしひかり」を実らせた
  近藤亨翁をたずねてジョムソンに行った。
(この詞書のような2行は、「ニルギリ」の章全般に掛かる。鹿取注)


140 わが馬のよごれゐたれば悲しきに馬は隊列を出でんときほふ

     (レポート)
 残念ながら、このお歌の状況は私には分からない。馬場先生を乗せてきた馬が今、糞をしたいと、隊列から離れたがっているのだろうか。それとも長い道中で、汚れてしまった馬を洗おうと、馬丁が近くの川に馬を引き入れんとして、馬たちが先を争って隊列を崩しているのだろうか。なぜその時に「悲しきに」という文言が入るのだろうか。諸賢のご解釈を乞う。(T・H)


     (当日意見)
★現地の人々の生活の苦しさが馬に出ていて、それが悲しい。(N・I)


        (まとめ)
 139番歌(馬なければ歩みきれざりき高地ムスタンゆきゆきて四本(よもと)の柳植ゑきつ)の解説に書いたように、ジョムソンでの移動は主に馬を使った。一泊した翌朝、中腹に建つホテルの途中まで馬たちが迎えに来た。私(たち)は青くなった。馬に乗るのは初めてな上、つづらおりの急坂である。さらに片方は下の街道まで何もない断崖絶壁である。あまつさえ登りならまだしも下りである。馬の背中に乗っただけで前につんのめりそうになる。それだけではない、道幅は狭く馬二頭は並んで歩けないもどなのに、当日寄せ集めの馬十数頭はまったく統制が取れていないため、それぞれの馬が断崖絶壁側をまわって前の馬を追い抜こうとする。「馬は隊列を出でんときほふ」はそういう状況を詠んでいる。今にも絶壁を転げ落ちるようで恐い。「追い抜かなくていいよ、このまま行こうね」と私は手綱を引いて自分の馬を必死で宥めた。先生はそういう馬たちや仲間の行動を面白がっていらしたのかもしれない。歌は馬の汚れの悲しさ、ひいては土地の貧しさのかなしさとしての視点に収められた。馬は農家からかり出されたもので、日頃の手入れが十分ではなかったのだろう。特に先生は白い馬に乗られていたのでよけいに汚れが目立ったのだろう。(鹿取)
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写真入り 馬場あき子の外国詠 139(ネパール)

2019-12-27 20:52:32 | 短歌の鑑賞
          
           川を渡る馬たち、背景に色づいているのは農園のりんご

          
            けっこう深い



馬を下りて木の橋を渡っているところ

  写真入り 馬場あき子の外国詠17(2009年4月実施)
    【ムスタン】『ゆふがほの家』(2006年刊)86頁~  
     参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、N・T、
         藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放
                    

ネパールのアッパームスタンに「こしひかり」を実らせた
  近藤亨翁をたずねてジョムソンに行った。
(この詞書のような2行は、「ニルギリ」の章全般に掛かる。鹿取注)


139 馬なければ歩みきれざりき高地ムスタンゆきゆきて四本(よもと)の柳植ゑきつ

      (レポート)
 今、馬場先生は、ようやく高地ムスタンの地にたどり着き、4本の柳を植えて来られた。これは今回のネパールへの旅のメイン・イベントであったろう。1本ではなく4本の柳というところがいい。近くに川が流れているのだろうか。風に靡く柳の姿を思い浮かべるだけで、気持ちが和らぐ。そのムスタンの地へは、馬がなければ来れなかった。馬が唯一の交通手段である。「ゆきゆきて」の語句にそれまでの道程のご苦労が偲ばれる。(T・H) 


      (まとめ)
 行動半径を広げようとすれば、この土地では馬に乗るしかない。林檎を食べた農場の向かい側に、鱒の養殖場などがあった。これも近藤享氏指導のものである。そこに行くにはカルガンダキ川(幅70~80メートルといったところか)を渡らないといけないのだが、もう浅瀬ではなく、馬の腹くらいまで水かさがあった。素人はとてもそんな川を馬で渡ることが出来ないので、何人かの馬子さんたちが馬だけを向こう岸へ渡してくれた。われわれは材木を一本渡しただけの橋を幾つか渡り継いで向こう岸にたどり着いた。鱒の養殖場などを見学した後、更に河原を遡行して、広大な河川敷のような所に植樹をした。そのうちの幾本かは背丈ほどに育っていたと10年後にこの地を再訪した友人が教えてくれた。「ゆきゆきて」は「伊勢物語」の東下りを連想するが、旅のあてどないさびしさがにじんでいる。(鹿取)
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