かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 356

2024-11-30 19:24:37 | 短歌の鑑賞
  2024年度版 渡辺松男研究42(2016年9月実施)
    『寒気氾濫』(1997年)【明快なる樹々】P143~
     参加者:M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:鈴木 良明    司会と記録:鹿取 未放


356 大きなる芽をりんりんと鬼胡桃空へおのれの転記光らす

     (レポート)
 鬼ぐるみの鬼は実の核の部分が堅く、凸凹が激しいために付けられた名のようだ。鬼胡桃は雌雄同株なので、春になると枝の先端から芽吹く、頂芽から雌花の穂状の赤い花柱を直立させながら、同時に長さ10~30センチの多数の雄花が下向きに垂れ、秋になると実を付ける。本歌では春になって枝の先から一斉に空に向かって芽吹き始める葉の様子を、「大きなる芽をりんりんと」と形容し、何でもない木から鬼胡桃への転機、己の変わり目をここに鮮やかに視てとっているのである。(鈴木) 


    (当日意見)
★芽が出たところを視ると丸まったようで目立ちます。(鈴木)
★宮沢賢治のイギリス海岸と呼んだ場所に案内された時、こえが鬼胡桃の木だと教えら
 れた気がします。松男さん、様々な木と一緒に育ってきているのですね。私などは木
 に囲まれて育っても、誰からも名前を教わらず、聞きもしないできてしまいましたが。
    (鹿取)


      (後日意見)
 宮沢賢治の「イギリス海岸」に、炭化した胡桃の化石が発見された場面がで出てくるので、案内された時聞いたのは化石の話だったのかも知れない。それとも鬼胡桃の木がこの時も茂っていたのだろうか。(鹿取)
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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 355

2024-11-29 23:07:05 | 短歌の鑑賞
  2024年度版 渡辺松男研究42(2016年9月実施)
    『寒気氾濫』(1997年)【明快なる樹々】P143~
     参加者:M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:鈴木 良明    司会と記録:鹿取 未放



355 君といるときは山毛欅(ぶな)の原林に雨降るような安堵もありぬ

     (レポート)
 山毛欅は欅のような大木になり、若葉に産毛が生えるのでこの名がある。山毛欅は落葉広葉樹なので、その原林は明るく、雨が降っても暗くじめじめした感じではない。だから下の句が自ずから納得されるのである。(鈴木) 


       (当日意見)
★大好きな歌です。母性とか言うと歌がつまらなくなるけど、原林が効いていて、山毛
 欅は一本ではなく辺り一面山毛欅林で、そこにしっとりと雨が降って木々を育ててい
 る。雨、安堵とア音を重ねて明るく心が解放されている。大きく柔らかい、やさしい
 ものに抱かれる安堵感をうまく出せている。男の人の気分ってこんな感じなんだろう
 なと納得がいく。(鹿取)
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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 354

2024-11-28 17:01:38 | 短歌の鑑賞
  2024年度版 渡辺松男研究42(2016年9月実施)
    『寒気氾濫』(1997年)【明快なる樹々】P143~
     参加者:M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:鈴木 良明    司会と記録:鹿取 未放


354 野の芹をともに摘みつつ何処にでもいそうでいない君とおもいぬ

     (レポート)
 日常的な暮らしの中で人は、互いにかけがえのない存在になってゆく。特別ではないが、替えるこtぽのできない関係が「何処にでもいそうでいない君」という表現に表れている。上の句で「野の芹をともに摘みつつ」という平凡な行為を詠みながら自然に下の句の思いを導いていて、秀歌になっている。(鈴木)
    
       (当日意見)
★野の芹は清らかな水の流にる水辺に生える。ので、野の芹だけで清潔なイメージを呼
 び出せる。そういう場で共に芹を摘む君のういういしさ、清らかさ、優しさなども感
 じられる。その君に信頼感を抱いている〈われ〉。好きな歌です。(鹿取)
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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 353

2024-11-27 23:42:42 | 短歌の鑑賞
  2024年度版 渡辺松男研究42(2016年9月実施)
    『寒気氾濫』(1997年)【明快なる樹々】P143~
     参加者:M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:鈴木 良明    司会と記録:鹿取 未放


353 全身で春を悦ぶ樹のもとをただ通りゆく人間の顔

      (レポート)
 自然そのものである樹は「全身で春を悦ぶ」のである。それに対して、自然から遊離した人間は自らの裡に春を実感できず、樹々の芽吹きや山菜などによって間接的に春を知るのである。自然の変化に関心のない人間は「樹のもとをただ通りゆく人間」で、自然から見れば、その顔は、感動のない、のっぺらぼうに映るだろう。(鈴木)    


     (当日意見)
★これを読んだ時「樹のもとをただ通りゆく人間」に作者は含まれるのか、含まれない
 のか気になりました。ボクは樹の気持ちが分かるけどおまえらはわかちゃいないね、
 というのだったらすぐく偉そうで嫌だし。自分は木の葉であってもよかった、という
 歌も作っていますから、「ただ通りゆく人間」に作者は含まれているのだろうと思い
 ます。いくら樹が好きでも365日ずっと樹を見てすごすわけにはいきませんから。
 「一本のけやきを根から梢まであおぎて足る日あおぎもせぬ日」(『寒気氾 濫』)とい
 う歌の鑑賞を以前しましたが、松男さんだって樹のことを思う精神的余裕のない日あ
 るんですね。そういう日は自分も自然から遠ざかった顔をしているんだろうなという
 自覚があるんですね。(鹿取)
★自分はわかっているんだということを出さない。他の奴らは黙って通り過ぎていくだ
 けだと言わないところがすばらしい。自分が上の立場ではなく、下から見ている。レ
 ポートの「自然から見れば」 はそこを気遣った表現で松男さんが見て「その顔は、
 感動のない、のっぺらぼう」と要ったのではないです。自然から見れば自分の顔だっ
 てのっぺらぼうに見えるんだよ、という事ですね。(鈴木) 
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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 352

2024-11-26 22:35:18 | 短歌の鑑賞
  2024年度版 渡辺松男研究42(2016年9月実施)
    『寒気氾濫』(1997年)【明快なる樹々】P143~
     参加者:M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:鈴木 良明    司会と記録:鹿取 未放


352 樹のどんなおもいが春を呼ぶのかと欅の幹に耳押しあてる

    (レポート)
 樹を擬人化して、樹のおもいを探ろうとしている。葉が茂ってくれば、そのそよぎのなかに樹のおもいを聞くことも可能だろうが、小枝や風がごまかすこともあるし、そもそもその季節ではない。勢い本音を訊こうとして「欅の幹に耳押しあてる」のである。また、現象的には、樹が「春を呼ぶ」のではなく、春が巡ってきたので、樹はおのずからそれに反応するわけなのだが、自然から遊離した人間から見れば、自然そのものである樹が「春を呼ぶ」ように思えるのである。(鈴木)


      (当日意見) 
★レポーターのような理屈ではなく、これはものすごく素直な歌だと思いますが。
   (鹿取)
★樹が水を吸い上げる音が聞こえると聞いたことがあるますが、何か樹の思いが聞こえ
 るような音があって、この樹と定めて聞く人がいるそうですね。(M・S)
★それは面白いですね。樹に耳を押し当ててああ春が来たんだなあという歌はけっこう
 ありますね。これは逆に樹の思いに主眼があって、それが面白い。(鹿取)
★樹に耳があるとか眼があるとかうたった歌はありますけど、この歌は甘くなっていな
 くていいですね。(慧子)
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