かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 327

2024-09-30 19:42:29 | 短歌の鑑賞
 2024年度版 渡辺松男研究39(2016年6月実施)
     【明解なる樹々】『寒気氾濫』(1997年)133頁
      参加者:S・I、泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部 慧子   司会と記録:鹿取 未放
 

327 目瞑ればわたしも樹々になれそうな涼しき夜を啼く青葉木菟

      (レポート)
目を瞑ればもとの区別(視覚的に)がなくなって、なりたいものになれるような気がする。涼しい夜ならばなおさらだ。そんな涼しい夜に青葉木菟は作者の樹々になりたいと思っていた心を感じてあらわれたのかもしれない。何ともいえない啼き声が夜も作者の願いもつつみこんでいよう。(慧子)

 
        (当日意見)
★分かりやすい素直な歌ですね。(S・I)
★そうですね、爽やかであまりはからいがなくて、だからという訳ではないですが、好
 きな歌です。ちょっと淋しげに青葉木菟は啼くので、その感じがよく出ていますね。
 「涼しい」は松男さんのキ ーワードの一つですね。(鹿取)
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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 326

2024-09-29 10:52:16 | 短歌の鑑賞
 2024年度版 渡辺松男研究39(2016年6月実施)
     【明解なる樹々】『寒気氾濫』(1997年)133頁
     参加者:S・I、泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部 慧子   司会と記録:鹿取 未放
 

326 樹のもとに感情もまたみどりにてふかまなざしの君を恋いおり

     (レポート)
 もとより樹を好む作者が樹のもとへゆく。樹の包容力にたちまちに同化したのかもしれないと思ったが、「ふかまなざしの君を恋いおり」とあるように、「にて」と「おり」によって既に恋に落ちている状態。「ふかまなざしの君」とは、他の誰でもない「樹」なのだ。(慧子)
     雪国に子を生んでこの深まなざし   森澄雄
 

        (当日意見)
★ 「ふかまなざしの君」とは、他の誰でもない「樹」なのだとレポーターは言ってい
 らっしゃいますが、皆さんいかがですか?(鹿取)
★樹に恋しているんですか?そうすると分かりやすいし、ういういしいですね、みど
 りの季節に。(S・I)
★私は慧子さんに賛成です。樹が深まなざしをしていて、その樹に恋している。何首
 か前の歌(ぶつけあうこころとこころ痛すぎて樹々のみどりへ眼そらせり)に対す
 るM・Sさんの解釈のように奥さんとケンカしていて、ぶつけあうこころとこころと
 いうものがあって、でも最終的に は君に恋しているって考えることもできるけど、思
 い入れのある樹に恋しているととりたいです。(真帆)
★前の歌(一本のけやきを根から梢まであおぎて足る日あおぎもせぬ日)と関連して
 いるので、樹に恋している説に納得しました。(S・I)
★まあ、皆さんがおっしゃる解釈でまちがいとはいえませんが、少し先にとてもリアル
 な君が出てくるので、ここは女性を想定したいと私は思います。(鹿取)

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 325

2024-09-28 11:48:38 | 短歌の鑑賞
 2024年度版 渡辺松男研究39(2016年6月実施)
     【明解なる樹々】『寒気氾濫』(1997年)133頁
     参加者:S・I、泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部 慧子   司会と記録:鹿取 未放
 

325 一本のけやきを根から梢まであおぎて足る日あおぎもせぬ日

     (レポート)
 暮らしの傍に欅がある。なんとなく余裕があると根から梢まであおいで心のみちる日がある。また、何かにせかれていたり、考え込んでいて目もくれなかった、そんな日もある。欅を巡って作者自身を軽くスケッチしていよう。(慧子)

 
        (当日意見)
★構成が単純なので軽いスケッチととられたのかもしれませんが、この歌はとても深い
 歌だと思うし、生き方の原点のような歌の一つだと思うのですが。(鹿取)
★生活のリズムとかいうのではなく、精神的な大切なことという意味ですか?(S・I)
★説明が難しいですが、あおぐといっても別に樹の表面を眺めているわけではないです
 よね。当然、心の深いところで樹と対話しているわけです。だから「あおぎもせぬ
 日」というのは精神が殺伐としているのでしょうね。(鹿取)
★見てるのは現実の欅なのですか?(S・I)
★この場合は現実の欅だろうと思います。いちおう、自分の外側にある対象としての樹
 なんじゃないですか。(鹿取)
★じっさいにある欅だと思います。『けやき少年』というこの作者の歌集が少年時代を
 思い出したものなので、特別な思い入れが欅にはあるんだろうと思います。レポー
 ターが「軽くスケッチしていよう」と言ったのは下句がとても大きく捉えられている
 からでしょう。(真帆)


     (後日意見)
 たとえば「樹木と『私』との関係をどう詠うか」(「短歌朝日」2000年3、4月号)という渡辺松男の文章がある。どの部分も重要だし、一部分を引用すると文意が通じない恐れもあるが、著作権の問題もあるので、一部を引用する。作者が樹をどう見ているか、少しは参考になるかもしれない。(鹿取)
  ……実際に歌を作るときは木と一体化したいと思うだろう。外側にいるだけで
  は満足できないだろう。木の実態を踏まえつつ、自ら詠おうとする木のなかへ入
  っていこうとするだろう。木の対象性を超越しようとするだろう。主客分離にお
  いて成立する認識は越えられなければならないだろう。木という生と死の一体と
  なった感情のような呼びかけを待ち、木が語りかけるのを待つ。その声は結局自
  分の声かもしれないが、同時に木の声でもあるだろう。木に呼ばれているときに
  私は私を実感するはずだ。木のなかで私を現象させてみたいと思うし、私のなか
  で木を現象させてみたいとも思う。……
      ( 引用文3行目の「越えられ」は、ママ )
……私と木との関係はダイナミックで、私の思いのなかに閉じ込めようとしても
  はみ出してしまう部分、そこに木の本領があるのだし、そこに私は引かれる。木
  の器は相当に大きいので私の人間的解釈を充分に許容するだろうが、木はそこ
  からあっという間にはみ出してしまう。つまりこれこそが木というものだという
  ものはない。

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 324

2024-09-27 15:43:47 | 短歌の鑑賞
 2024年度版 渡辺松男研究39(2016年6月実施)
     【明解なる樹々】『寒気氾濫』(1997年)133頁
     参加者:S・I、泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部 慧子   司会と記録:鹿取 未放
 

324 世紀末地球の肌に芹・野蒜・土筆を摘みてやるせなかりし

     (レポート)
 春の野に出て草摘みをしていよう。古代ならばうちたわむれたり、男女の愛の場だったりするだろう。掲出歌は現代、地球の抱えている温暖化、土壌汚染を思えば、この行為のひとときの幸を、また摘み取った草々をもふくめて切なく思うのだ。(慧子)
 
        (当日意見)
★世紀末に焦点が当てられていますね。レポートに「地球の抱えている温暖化、土壌汚
 染を思えば」とありますが、そこまで思っているのでしょうか。あの頃、世紀末思想
 というか、末法思想ではないけど悪いことが起きるというようなことがいわれてい
 ましたよね、そういう反映かと思いましたが。(S・I)
★私は「やるせなかりし」という部分が最初読んだときよく分からなかったのですが、
 レポーターの文章を読んで、なるほど世紀末を迎えて破壊されそうな地球の肌を作
 っている芹・野蒜・土筆を自分はまだ古代の人と同じように草摘みをして喜んだりし
 ているけれど、これが地球を滅び に向かわせることを切なく思うのだというのがよ
 く分かりました。(真帆)
★草摘みをすることが地球を滅ぼすとは思いませんが。また、「地球の肌」って面白い
 表現で、ここが眼目ですが「地球の肌」から芹たちを摘んでいるのですね。それから
 世紀末思想って19世紀末には終末論が流行って特に芸術上でデカダンの気分が蔓延
 しましたけれど、20世紀末は少し違う感じだったように思います。2000年問題
 とかITの世界で深刻な問題があったりしましたが、滅びの思想とは質の違うものだ
 ったように感じています。だから思想上の問題よりは温暖化、土壌汚染の問題の方が
 作者の頭にあったように思います。(鹿取)
★命を摘み取ることの切なさを、摘む行為、摘み取った草々どちらも切ないと、レ
 ポーターは解釈されているように思います。(真帆)


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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 323

2024-09-26 10:18:09 | 短歌の鑑賞
 2024年度版 渡辺松男研究39(2016年6月実施)
     【明解なる樹々】『寒気氾濫』(1997年)133頁
     参加者:S・I、泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部 慧子   司会と記録:鹿取 未放
 

323 ぶつけあうこころとこころ痛すぎて樹々のみどりへ眼そらせり

         (レポート)
 場面として2人以上そこにいて、近景か遠景か樹々のみどりがある。意見の相違などとは違ってもっと切実な人間関係、愛などにかかわれるもののように読み取れる「ぶつけあうこころとこころ痛すぎて」から四、五句へ続くのだが、確かにみどりには心の状態を快復や解放へ向かわせる力がある。(慧子)
 

         (当日意見)
★この歌読むとさっきの322番歌(木から木へ叫びちらして飛ぶ鵯が狂いきれずにわ
 が内に棲む)についてM・Sさんがおっしゃった「この歌。渡辺さんの歌だと思わな
 いで読んだら、奥さんが怒って叫んでいて、それをご主人が狂わないうちに何とかな
 だめたけれど今度は自分がいらいらとしてしまう、そういう歌とも読めますね」の評
 が説得力をもちますね。(鹿取)

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