かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 200 中国⑤

2023-02-28 11:02:09 | 短歌の鑑賞
2023年度版 馬場あき子の旅の歌26(2010年3月実施)
    【飛天の道】『飛天の道』(2000年刊)164頁~
     参加者:N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、
         渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放

200 匂ふといふ色雪にあり烏魯木斉の空に天山は暮れ残りゐつ

       (レポート)
 今、白雪を被った7千メートルを超す天山山脈の山々は、夕暮れを迎えている。が、まだ暮れていない。夕暮れのかすかな光に淡く浮かんだ山々。(T・H)


      (まとめ)
 夕暮れの天山の被る雪を「匂ふといふ色」と捉えたところがすばらしい。「匂ふ」は美しい色つやをいう語だが、今でも「匂うような黒髪」などの言い回しに意味の名残がある。暮れ残っているのだから天山の裾野は徐々に暗くなっているが雪を被った天山の頂の方はまだ夕日が雪を染めているのだろう。かそかな光りをたたえたはかなげな夕暮れの山を「匂ふといふ色」と捉えた。作者の感動のほどがしのばれる。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠 199 中国⑤

2023-02-27 11:46:25 | 短歌の鑑賞
2023年度版 馬場あき子の旅の歌26(2010年3月実施)
    【飛天の道】『飛天の道』(2000年刊)164頁~
     参加者:N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、
         渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放


199 おお天山その新雪のかがやける静かなる身もて機窓に迫れ

       (レポート)
 今、飛行機の窓外に天山山脈が見えてきた。その山頂は新雪に輝いている。シルクロードは天山南路・天山北路と、その山脈の裾野の南北を東西に走っている。山々の中には7千メートルをこすものもある。当然、雪を被っている。「静かなる身もて機窓に迫れ」「迫ってくる」ではなく、「機窓に迫れ」と呼びかけておられる先生のお気持ちは、どんなものなのか?(T・H)


      (まとめ)
 全体に昂揚した詠いぶりである。新雪を被った天山の偉容に圧倒されている作者が見えるようだ。「迫れ」は命令形ではなく、「こそ」という係助詞の省略された已然形で強調を示しているのだろう。「新雪かがやく天山が機窓に迫ってきたことよ」という意味で、山自体がこちらに向かって迫ってくる迫力を感じる。
 ネパールでは「夢と思ひしヒマラヤの雄々しきマチャプチャレまなかひに来てわれを閲せり」と詠われているが、この天山の歌よりおよそ5年後のことである。
 掲出歌についても『飛天の道』あとがきから作者のことばを少し引用する。(鹿取)
  旅では白雪を被いた天山の並はずれた大きな美しさに日々感嘆の声を発していた……
(馬場あき子)

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馬場あき子の外国詠 198 中国⑤

2023-02-26 11:39:04 | 短歌の鑑賞
2023年度版 馬場あき子の旅の歌26(2010年3月実施)
    【飛天の道】『飛天の道』(2000年刊)164頁~
     参加者:N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、
         渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放


198 富士よ富士しだいに小さく日本は沈みゆき濃きスモッグに満つ

    (まとめ)
 前歌【風早(かざはや)の三保の松原に飛天ゐて烏魯木斉(うるむち)に帰る羽衣請へり】を受けての作だから、烏魯木斉に帰る飛天とこれから行こうとする自分たちを意識の上で重ねているのであろう。実際は飛行機で中国に向かっている場面だろうが、「富士よ富士」と呼びかけるとき日本を離れる飛天の寂しさも投影させているのだろう。スモッグに満ちた日本が小さく沈むように遠ざかってゆく。「スモッグに満つ」に象徴される日本の現状は自然破壊や環境汚染の問題だけではなく、汚染を生み出す政治状況の不透明性までを含んでいるのだろう。「沈みゆき」にそんな祖国日本に対する悲しみと哀惜が滲む。(鹿取)
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馬場あき子の外国詠 197 中国⑤

2023-02-25 11:50:54 | 短歌の鑑賞
2023年度版 馬場あき子の旅の歌26(2010年3月実施)
    【飛天の道】『飛天の道』(2000年刊)164頁~
     参加者:N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、
          渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放


197 風早(かざはや)の三保の松原に飛天ゐて烏魯木斉(うるむち)に帰る羽衣請へり

      (レポート)
 烏魯木斉:新疆ウイグル自治区の区都。海抜900メートルにあり、
 町の名はウイグル語で「優美な牧場」の意。市街ではポプラ並木が
 三、四列と連なり、その間を清水が流れるオアシス都市特有の光景
 を持つ。北京より約2700キロ。東京~北京間より300キロも
 遠い。


     (まとめ)
 歌は「三保の松原に飛天がいて烏魯木斉に帰る羽衣を返して欲しいと言った」の意。「風早の」は風が激しく吹く意味だが古歌では「三保」に掛かる枕詞のようにも使われている。(万葉集に「風早の三穂の浦廻(うらみ)の白つつじ」(四三七)などとある)しかし「風早の」がこの歌では意味としてよく機能していて、三保の松原から烏魯木斉までの途方もない距離を帰っていく飛天にスピード感や爽やかさを与える役目をしている。
 羽衣伝説は日本各地にあるが、近江、丹後、三保の松原のものが特に有名である。謡曲「羽衣」は三保の松原が舞台で、羽衣を見つけた漁師が、天女の舞と交換にこれを返す美しいお話。飛天が帰って行く場が作者らがこれから尋ねようとしている烏魯木斉だという断定がほほえましい。歌集『飛天の道』のあとがきに、この歌に関連する部分があるので長いが引用させていただく。(鹿取)

 シルクロードという東西の文物の交流の道は、同時に仏教やイスラム教や、道教などの思想・宗教の伝来の道でもあり、その激しい葛藤の道であった。しかし、天翔る飛天の表情はどれも温雅で、閑雅な楽の音とともにある。それは魂を癒すべき無辺の愛を導き運ぶもののやさしく強い意志の力にかがやいていた。その飛天の道の終点が日本であることも感慨深い。日本の天女伝説はすでに『風土記』の中にあるが、能「羽衣」によって定着し、一般化した三保松原の天女も、このシルクロードから飛行してきた天女の一人だったと思うと特別ななつかしみが湧く。
   (馬場あき子『飛天の道』あとがきより)
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馬場あき子の外国詠 196 中国⑤

2023-02-24 09:43:18 | 短歌の鑑賞
2023年度版 馬場あき子の旅の歌26(2010年3月実施)
    【飛天の道】『飛天の道』(2000年刊)164頁~
     参加者:N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、
         渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放


196 靡くもの女は愛すうたかたの思ひのはてにひれ振りしより

     (レポート)
 「飛天」は天空を飛んで、仏陀を礼賛・讃美する天人。しばしば散華や奏楽器の姿で表現される。天空を降りてくるのであるから、衣も乗っている雲もたなびいている。「~いもがそでふる」を引用されているのかも知れない。「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」(万葉集20など)(T・H)
   

        (当日意見)
★「袖を振る」と「領巾を振る」は、違う。(藤本)
★佐用姫伝説の主人公が、せっかく恋仲になった大伴狭手彦と瞬く間に
 別れがやってきて、領巾(ひれ)を振って泣くことになるんだけど、
 「うたかたの思ひ」ってそのことじゃないですか。(鹿取)


    (まとめ)
 195番歌(蜃気楼の国のやうなる西域の飛天図を見れば夜ふけしづまる)で衣がなびく飛天図に見入っていての連想であろうか。万葉集に載る「ひれ振る」歌を幾首かあげてみる。

 a 松浦県佐用姫(まつらけんさよひめ)の子が領巾(ひれ)振りし
   山の名のみや聞きつつ居らむ(巻五・八六八) 山上憶良
 b 遠つ人松浦佐用姫夫恋ひに領巾振りしより負ひし山の名  
     (巻五・八七一)   作者不詳、一説に山上憶良とも
 c 海原の沖行く船を帰れとか領巾振らしけむ松浦佐用姫
(巻五・八七四) 大伴旅人

 これらの歌はいずれも佐賀県唐津市に伝わる佐用姫伝説をもとにして後世の歌人達が詠ったもので、伝説はこうである。
 537年、百済救援の為、兵を率いて唐津にやってきた大伴狭手彦(さでひこ)は、軍船建立まで滞在した長者の家で、長者の娘佐用姫と恋仲になった。やがて狭手彦は出航し、姫は鏡山に登って領巾を振り続けた。その後、七日七晩泣き続けてとうとう石になってしまった。そこで領巾を振った鏡山を領巾振山(ひれふりやま)と呼ぶようになった。現代も唐津市に鏡山(領巾振山)は残っている。ところで憶良や旅人は7世紀後半から8世紀前半にかけて活躍した歌人だから、領巾振山の伝説からは既に150~200年の時が経過していたことになる。
 ともあれ、馬場のこの歌は万葉集のこれらの歌を背景におきながら、悲恋の姫に想いをよせ、そこから靡くものを愛するようになったと女のはかなげな習性を思っているようだ。(鹿取)
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