渡辺松男研究2の26(2019年8月実施)
Ⅲ〈行旅死亡人〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P125~
参加者:岡東和子、A・K、T・S、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:岡東和子 司会と記録:鹿取未放
195 出張の夜更けてきて手のひらが石狩湾のように寒いよ
(レポート)
作者は出張で北海道に来ている。季節はおそらく冬とみられる。冬の北海道では、
夜更けには零下まで気温が下がるのだから、寒いのは当然である。その寒さを「石狩湾のように」と具体的な場所を挙げて表すところに、発想の豊かさがある。札幌や小樽でなく、寂莫とした石狩湾をもってきたことも、場面を的確に表しているようだ。寒さを形容する言葉に(痛いような)という表現があるが、作者は「手のひらが…寒いよ」と、あっさりと歌っていて、それがかえって叙情をかきたてる。(岡東)
(当日意見)
★これは詩的で好きな歌です。(鹿取)
★「手のひらが石狩湾のように寒い」って素敵ですね。松男さんには手のひらの歌
が多いですね。(慧子)
★東日本大震災を詠った歌にもてのひらの歌ありましたよね。震災で泣いている人
を撫でるために200,300の掌がほしいって。(鹿取)
★てのひらの形と石狩湾の形が似ていますね。あの坂の上から眺めると掌のかたち
しているんですね。そうか、こう来るかと思いました。(A・K)
★私も同じ事を思いました。真冬の石狩湾を展望台から眺めましたけど、あのきら
きら点滅しているネオンが余計に寒そうで、凍りつくような空気感で、それが形
状が似ているてのひらに詩的に接続していて、いい感じですね。(鹿取)
(後日意見)
鹿取発言中のてのひらの歌の例。(鹿取)
まぼろしのわがたなごころとびてゆき生きのこり哭くひとの背をなづ
『雨る』
わが掌ひやくにひやくさんびやくあらばともおもふ慟(な)く背をさするまぼろし
Ⅲ〈行旅死亡人〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P125~
参加者:岡東和子、A・K、T・S、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:岡東和子 司会と記録:鹿取未放
195 出張の夜更けてきて手のひらが石狩湾のように寒いよ
(レポート)
作者は出張で北海道に来ている。季節はおそらく冬とみられる。冬の北海道では、
夜更けには零下まで気温が下がるのだから、寒いのは当然である。その寒さを「石狩湾のように」と具体的な場所を挙げて表すところに、発想の豊かさがある。札幌や小樽でなく、寂莫とした石狩湾をもってきたことも、場面を的確に表しているようだ。寒さを形容する言葉に(痛いような)という表現があるが、作者は「手のひらが…寒いよ」と、あっさりと歌っていて、それがかえって叙情をかきたてる。(岡東)
(当日意見)
★これは詩的で好きな歌です。(鹿取)
★「手のひらが石狩湾のように寒い」って素敵ですね。松男さんには手のひらの歌
が多いですね。(慧子)
★東日本大震災を詠った歌にもてのひらの歌ありましたよね。震災で泣いている人
を撫でるために200,300の掌がほしいって。(鹿取)
★てのひらの形と石狩湾の形が似ていますね。あの坂の上から眺めると掌のかたち
しているんですね。そうか、こう来るかと思いました。(A・K)
★私も同じ事を思いました。真冬の石狩湾を展望台から眺めましたけど、あのきら
きら点滅しているネオンが余計に寒そうで、凍りつくような空気感で、それが形
状が似ているてのひらに詩的に接続していて、いい感じですね。(鹿取)
(後日意見)
鹿取発言中のてのひらの歌の例。(鹿取)
まぼろしのわがたなごころとびてゆき生きのこり哭くひとの背をなづ
『雨る』
わが掌ひやくにひやくさんびやくあらばともおもふ慟(な)く背をさするまぼろし