かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 394

2025-02-01 17:19:01 | 短歌の鑑賞

  2025年度版 渡辺松男研究47(2017年3月実施)
     『寒気氾濫』(1997年)【睫はうごく】P157
       参加者:泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、
             A・Y、渡部慧子、鹿取未放
          レポーター:鈴木 良明        司会と記録:鹿取 未放          


394 撓うときあらわなるきみのむねのほね吾(あ)はやわらかに鳴らしてみたし


             (レポート)
 前の歌(黒髪にあっとうさるるわれの上にわらわらと解きはなたれにけり)に続く性愛の場面のようだが、君が身体を撓わせたとき、思いがけずあらわな胸の骨に気づいて、そのほねをやわらかに鳴らしてみたい、その音色を聴いてみたいと思ったのだろう。 (鈴木)


            (当日発言)
★女性の体を楽器のように例えていますね。(慧子)
★俵万智も『チョコレート革命』で自分の体を楽器に例えていましたよね。この歌、上句とてもリアルですよね。下の句は実際に骨を鳴らすわけではなくて、比喩ですね。(鹿取)
★性愛の歌だと分かりますし、優しいですね。(曽我)


            (後日意見)
 当日の鹿取発言「俵万智も『チョコレート革命』で自分の体を楽器に例えていましたよね」は思い違いで、楽器に例えられているのは男性だった。(鹿取)
  生えぎわを爪弾きおれば君という楽器に満ちてくる力あり  俵 万智

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 392,393

2025-01-31 16:32:51 | 短歌の鑑賞

  2025年度版 渡辺松男研究47(2017年3月実施)
     『寒気氾濫』(1997年)【睫はうごく】P157
         参加者:泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、
             A・Y、渡部慧子、鹿取未放
              レポーター:鈴木 良明        司会と記録:鹿取 未放          


392 おそろしきひたすらということがあり樹は黒髪を地中に伸ばす 

      (レポート)
 この歌を読んだ時、能の『定家』を憶った。そのなかに、昔、式子内親王が藤原定家と誰にも知られてはいけない「忍ぶ恋」をしたが、ふたりの仲は裂かれて離れ離れになって死ぬ。定家の執心は定家葛となって蔦紅葉のように焦がれて彼女の墓に纏わりつくと、地中の彼女のからだから髪が伸びて、定家葛と絡まるというくだりがある。「おそろしきひたすら」とは、前の歌の「ひとの嬬」を思い、思われる執心のことなのだろう。その執心が黒髪(若き女性の象徴)を、樹の根が水を激しく吸い求めるように地中に伸ばしてゆく。(鈴木)


              (当日発言)
★樹の根っ子というのはほっておくとどこまでも伸びてコンクリでも壊すほどの勢いですよね。それを黒髪と見ておそろしきひたすらと見ていらしゃるのかなと。(M・S)
★前の歌の「ひとの嬬を吾はおもうなり六月の樹をよぎるとき魚のにおいせり」、次の歌は「黒髪にあっとうさるるわれの上にわらわらと解きはなたれにけり」との関連で黒髪が出てくるんですよね。木の根を黒髪に例えているのですが、樹の歌だけど情念とエロスがもろに出ている。(鹿取)
★この歌には根っ子という言葉は出てこなくて、黒髪というどろどろした情念のようなものが出てくるのですね。(慧子)  
           

393 黒髪にあっとうさるるわれの上にわらわらと解きはなたれにけり

       (レポート)
 前の歌の「おそろしきひたすら」な執心も逢瀬によって解消される。喩としての黒髪が、執心とともにわれの上にわらわらと解き放たれたのだ。(鈴木)


              (当日発言)
★松男さんの歌集には珍しい場面のように思います。392番の歌(おそろしきひたすらということがあり樹は黒髪を地中に伸ばす)はヘビ女のことを思い浮かべました。だけどこの歌を読むと昔からの女性の命である黒髪であって、おどろおどろしい感じです。松男さんの歌の女性はみんな髪の毛が長いようですね。母のことかもしれませんね。これは性愛のうたですかね?(真帆)
★黒髪にあこがれるから懼れもする。自分の上に黒髪が解き放たれてたじたじとなっている、圧倒されている男性の姿ですね。性愛の場面だと思いますが、こういう時の男性心理、面白いですね。(鹿取)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 391

2025-01-30 10:01:32 | 短歌の鑑賞

  2025年度版 渡辺松男研究47(2017年3月実施)
     『寒気氾濫』(1997年)【睫はうごく】P157
         参加者:泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、
             A・Y、渡部慧子、鹿取未放
              レポーター:鈴木 良明        司会と記録:鹿取 未放          


391 ひとの嬬を吾はおもうなり六月の樹をよぎるとき魚のにおいせり

               (レポート)
   「ひとの嬬」を思いつつ樹をよぎるとき、そこから、生臭い「魚のにおい」がした、と詠む。「嬬」は「雨」という文字を含み、柔弱、かよわいなどの意味もあり、梅雨時の歌の中では、「ひとの妻」ではなく、「ひとの嬬」の表記は的確だ。それが結句の「魚のにおいせり」をうまく喚起している。梅雨時のじめじめした生臭さでもあり、ひと嬬を思っていることの生臭さでもあって、それらが相まって、この歌の気分を高めている。(鈴木)


             (当日発言)
★生臭いと直接言わずに「魚のにおいせり」って言っているんですね。よくこの作者は人の妻を思っちゃうんですね。(笑)(真帆)
★「六月の樹をよぎるとき」ってどういうことを言っているのですか?(M・S)
★うーん、前の歌(おおきなる樹はおおきなる死を孕みいてどくどくと葉を繁らせてゆく)と関係があるのでしょう。大きな死を孕んでいる樹というのはある意味生臭いですから。それに六月ですから葉が生い茂っているのですね。どちらが先に出来たか分かりませんが、相互に関係しているように思います。ところで、「吾は」は音数的にも「あは」と読みたいです。(鹿取)
★後の方で、わざわざ同じ漢字に「あ」とルビを振っているんですよ、だからここは「われ」かと。(鈴木)
★そうすると初句、二句、結句と一音ずつ字余りがあって、読みにくい。結句は「魚のにおいす」とすれば定型に収まるのに、8音にしているのはわざとでしょう。この辺りは忸怩とした思いが字余りで表現されて居るのかもしれません。(鹿取)
★この歌は好きだなあと思いました。(A・Y)            

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 390

2025-01-29 20:07:45 | 短歌の鑑賞

  2025年度版 渡辺松男研究47(2017年3月実施)
     『寒気氾濫』(1997年)【睫はうごく】P157
         参加者:泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、
             A・Y、渡部慧子、鹿取未放
           レポーター:鈴木 良明        司会と記録:鹿取 未放          


390 おおきなる樹はおおきなる死を孕みいてどくどくと葉を繁らせてゆく

            (レポート)
 梅雨時に繁る「おおきなる樹」の様子を詠んでいる。「大きなる樹」は沢山の水や養分を根から吸収  し、太い幹を通して、沢山の葉に送り届けなければならない。それがかなわなければ循環せずに「お おきなる死」に至る。梅雨時の「おおきなる樹」は、血管の中を血がどくどくと激しく流れれてゆく ようにして、葉を勢いよく繁らせてゆく。(鈴木)


            (当日発言)  
★生が死を孕んでいる、ということを歌いたかったのだろう。死を育てていると。そこのところがレポーターと違うところです。(真帆)
★河野裕子さんが妊娠したとき生と一緒に死を孕んでしまったって言っていますね。(鹿取)
★私のは通常の科学的な死のイメージなんですけど、実際は生と死は裏表だし、生でありながら死だし……人間の細胞も日々死んでは作られているわけだし、循環というのはそういうことです。河野さんのも同じ考えですよね、生まれなければ死はないんですから。真帆さんの意見の方がこの歌には合っているかもしれませんね。(鈴木)
★一家の主は家族が多いほど養わなくてはいけないから大変で、そういうことを歌っている。一家の主が倒れると家族達も倒れてしまう。(M・S)
★それは少し通俗的すぎるのではないですか。まあ、皆さんいろんな解釈をされたのですが、私はいつも 言っているように松男さんのエッセーから読みました。つまり、樹木の90%は死んでいる内側 で、10%の表層部分のみが生きているって。それが「おおきなる樹はおおきなる死を孕み」の意味だと思います。(鹿取)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 389

2025-01-28 09:55:08 | 短歌の鑑賞

  2025年度版 渡辺松男研究47(2017年3月実施)
     『寒気氾濫』(1997年)【睫はうごく】P157
      参加者:泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、
             A・Y、渡部慧子、鹿取未放
           レポーター:鈴木 良明        司会と記録:鹿取 未放  

       

389 六月のもの思(も)うも憂き雨の日は胸のあたりに古墳が眠る

              (レポート)
 上の句の「もの思うも憂き」には梅雨時の鬱陶しさが詠まれているが、そのような雨の日にあって、「胸のあたりに古墳が眠る」と詠んでいる。これが「現代の墓」だと生々しさが残り、鬱陶しい気持ちがいや増すが、「古墳が眠る」には、その生々しさが消えて、時間を経てずっしりと重く鎮まり返ったものが、あるなつかしさを伴って作者の胸に受容されているのだろう。(鈴木) 

   
             (当日発言)
★松男さんの歌にはよく古墳が出てきますがレポート聞いてこの歌よく分かりました。    (慧子)
★古墳は大きいからお墓というより丘って感じですね。(鈴木)
★上句の「もの思うも憂き」はどう解釈するんですか?(真帆)
★ものを思うのもめんどくさい。(M・S)
                      

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする