かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 336 スイス②

2024-12-21 10:08:42 | 短歌の鑑賞

   2024年度版 馬場あき子の外国詠46(2011年12月実施)
     【氷河鉄道で行く】『太鼓の空間』(2008年刊)167頁~
      参加者:K・I、N・I、鹿取未放、崎尾廣子、曽我亮子、
        たみ、藤本満須子、渡部慧                                     

336 風景は人間を抱き暮れゆけどグリンデンワルドの山夜を圧倒す

            (まとめ)
 335番歌(氷河渉るマンモスの足の重さもて佇めば襲ひくる白きアイガー)の続きで、夜の暗闇にそびえ立つグリンデンワルドの山が覆いかかるような怖さを感じたのだろう。もちろん、民家やホテルに明かりは点いているが、人工の明かりなどは遙かに凌駕した圧倒的な山の力なのだろう。(鹿取)


             (レポート)
 「グリンデンワルド」はアイガーの麓に広がる小さな村。上の句の韻律に子守歌を聞くような心地よさを覚える。またアルプスの少女ハイジをも連想する。眺めるままに陽が落ちると風景ががらりと変わったのであろう。高峰がより高々と間近に迫り村を囲む峰峰もずっと近く目に映ったのであろう。怖ささえも感じたであろう作者の驚きが感じられる。雄大な自然の前では村も人も小さな存在でしかないと詠っているのであろう。(崎尾)


             (当日意見)
★山は一つの山ではない。街は人間くさいところで、人間のいとなみと自然を対比し、自然への畏敬を 詠っている。(N・I)
★グリンデンワルドという固有名詞が際だっている。(慧子) 
★人間の営みとか業を拒絶して山は屹立している。自然の山の前では人間は何ものでもない。上の句との対比で下の句の怖さがよけいに際だっている。(たみ)  

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馬場あき子の外国詠 335 スイス②

2024-12-20 21:08:49 | 短歌の鑑賞

  2024年度版 馬場あき子の外国詠46(2011年12月実施)
     【氷河鉄道で行く】『太鼓の空間』(2008年刊)167頁~
      参加者:K・I、N・I、鹿取未放、崎尾廣子、曽我亮子、
        たみ、藤本満須子、渡部慧 

 

 335 氷河渉るマンモスの足の重さもて佇めば襲ひくる白きアイガー

         (まとめ)
 「マンモスの足の重さもて」は、標高が高い為に体が動かしづらく、足も重く感じられたのだろう。そこを、歌で詩的に飛躍させている。マンモスは氷河時代に棲息していた哺乳動物だが、作者は獲物を求めて氷河をさまよう巨大なマンモスを思っている。空想しているうちに、餓えて氷河をわたりながら重い足を一時休めて佇むマンモスに作者がなりきってしまったのだ。その時、アイガーが「襲ひくる」のは、獣の本能的な実感であろう。「白き」という何でもない形容が、ここでは山の魔の恐ろしさをあますなく伝えている。ちなみにアイガーは標高3,970メートルで、切り立った峻険な北壁を持つ。(鹿取)


            (レポート)
 この歌は自身をマンモスに重ねてアイガーと向き合った歌なのであろうか。結句の「白き」は初句ののびやかさ、3句から4句の重々しさを跳ね返しアイガーを屹立させていると思う。シャープなシルエットが特色であるアイガーをそしてその高さをこのようなスケールの大きいユニークな表現で1首としたのであろう。(崎尾)

 

              (当日意見)
★疲れ果てて作者は自分の足がマンモスの足のように感じられた。(N・I)
★作者は疲れてはいないが、自意識を出された。(慧子)
★雪崩が押し寄せて押しつぶされたマンモスが化石化している山。作

 者はマンモスと一体化している。前半字余りでずっと続く部分(氷

 河渉るマンモスの足の重さもて~佇めば)には、足を引きずり引き

 ずり息もたえだえにやっと登ってきた様子がよく伝わってくる。富

 士登山をしたときのこと思い出しました。(たみ)

 

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馬場あき子の外国詠 334 スイス②

2024-12-19 09:04:37 | 短歌の鑑賞

2024年度版 馬場あき子の外国詠46(2011年12月実施)
  氷河鉄道で行く】『太鼓の空間』(2008年刊)167頁~
  参加者:K・I、N・I、鹿取未放、崎尾廣子、曽我亮子、
      たみ、藤本満須子、渡部慧 
                   

334 薄き空気と高さに馴れし体らは標高三千ではしやぎはじめぬ

             (まとめ)
 ユングフラウヨッホ駅からエレベーターで上るスフィンクス展望台は3571メートルだそうだ。この歌には精神の高揚感がある。「体ら」の複数は「自分だけでなく他の人たちも、という意味」との意見があったが、複数の人ではなく〈われ〉の手も足も頭もというように体の複数の器官を指しているともとれる。私はこちらの説。だから「はしやぎはじめ」たのは〈われ〉の体感をいっているのだろう。(鹿取)


             (レポート)
 一首の成り立ちを見てみると初句は7音で、あとは7・5・9・7音と続く。ゆるやかに歌い始めている2音字余りの初句であるが、初句、2句、3句の最初の1音1音を追ってゆくとそこに軽やかにリズムがある。酸素の薄さにも慣れ、目・耳・皮膚などの感覚がもどり、体の動きまでも軽くなって行く感じをこのリズムで表現しているように思う。高所ゆえのにぎにぎしさに自然と顔がほころぶ歌である。(崎尾) 


             (当日意見)
★人間は高所では内省的になりにくい。これが地下なら内省的になるだろう。

   (慧子)
★「体ら」は複数を表し、自分だけでなく他の人たちも、という意味。

  (藤本)
★高さにだんだん順応して体が喜びに浸れる状態になってきた。同時

 に心も解放された。(たみ)
★評者のレポートについて、「初句、2句、3句の最初の1音1音を

 追ってゆくとそこに軽やかにリズム がある」とあるが、これは

 もっと具体的に言わないと説得力がない。(鹿取)
          

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 363

2024-12-18 17:07:43 | 短歌の鑑賞

 2024年度版 渡辺松男研究43(2016年10月実施)
  『寒気氾濫』(1997年)【半眼】P146~
   参加者:泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆     司会と記録:鹿取 未放          


363 君の乳房やや小さきの弾むときかなたで麦の刈り取り進む


              (レポート)
 362首目(ぶな若葉風のきみどりさんさんとふいに誰かを抱きたき日照雨(そばえ))を受けての一首か。青春映画のようにも感じる。上の句の作者の仄かなエロスに、下の句の「麦の刈り取り」という実景を添えてリアリティのある歌。作者の視線の動きも伝わる。気をそらしたい気分か。(真帆)
          
            (当日意見)
★そうか、私はこれはメイクラブの場面かと読んでいましたが、なる

 ほど、外  の情景と取った方が 良いのでしょうね。一連の歌の場

 の中にお  いても、その方が自然な流れです。君が走ったりすれば

 乳房も弾むわけだし、「麦の刈り取り」も目に見えるものとしてあ

 るわですね。今までメイクラブと思って読んでいたので、自分たち

 は室内にいて夢中で抱き合っているが、彼方には「麦の刈り取り」

 という労働の現場があるのを頭の片隅で意識しているって思ってい

 ました。他の人たちはどう解釈されますか。(鹿取)
★私は泉真帆さんの感じです。外の状況でしょう。でも、どうにでも

 とれますね。(鈴木)
★青春性と麦が合いすぎているような気がする。さっきのそばえはよ

 く合っていたんだけど。(慧子)
★うーん、私は麦を青春性とは思わないですね。むしろ、中年男の純

 情。だから、恋している自分にはかすかに麦苅りという労働に対す

 る引け目がある。(鹿取)
★これ、春一番から季節的には移ってきていますよね。長い間に作っ

 た歌をまとめたんでしょうか。(鈴木)
★麦の刈り取りは初夏ですよね。だから薄着になって今まで隠れてい

 た胸が現れた。(M・S)

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 362

2024-12-17 11:09:40 | 短歌の鑑賞

 2024年度版 渡辺松男研究43(2016年10月実施)
   『寒気氾濫』(1997年)【半眼】P146~
    参加者:泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:泉 真帆     司会と記録:鹿取 未放          


362 ぶな若葉風のきみどりさんさんとふいに誰かを抱きたき日照雨(そばえ)

             (レポート)
 「誰か」と詠っているが、私は特定の君のような気がする。山毛欅の若葉にふりそそぐ陽光が、葉のうすみどりを透かしている。ふいの日照雨に、ある人を抱きたくなる情動が美しい。(真帆)

          
          (当日意見)
★誰かって特定の人ではないですね。(曽我)
★誰かって書いてあるけど、私は特定の人と思ったのです。(真帆)
★ぶな林の中にあっての思いだから、逆に決めたくはない気がしま

 す。特定の君だと言い過ぎという気がする。(鈴木)
★ここは私も気分的に不特定な誰かって考えたい。(鹿取)
★そばえがここの気分にとても合っていますね。(慧子)
★濃厚な感じじゃないですね。特定しない方が歌に広がりが出

 る。(鈴木)
★ぶな若葉に風が吹いてお日様がさして作者は開放的な気分を味わっ

 ていたと思うんです。そこへにわか雨でしょう、ちょっと薄暗く

 なって少し人恋しさを感じたということかな。(M・S)
★日照雨はにわか雨とかかなりニュアンスが違います。日照雨は陽光

 がきらめきながら雨が降っている。そこにふっと兆した人恋しさ。

   (鹿取)

 

 

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