渡辺松男研究2の1(2017年6月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
【無限振動体】P9~
参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放
3 ジョン・ケージ『四分三十三秒』のすずしさよ茸すぱすぱと伸ぶ
(レポート)
これは音楽は音を鳴らすものという常識を覆す無音の音楽である。しかし無を聴くというよりも演奏会場内外の様々な雑音、すなわち鳥の声、樹々の揺れる音、会場のざわめきなどを聴くものとされている。このように作曲者の思惑や意図のないことを「すずしさや」と作者はみていよう。「すぱすぱ」という明るい大様な雰囲気をもたらすオノマトペによってのびる茸。言葉にしない、音にしない、そんな大切なことの象徴として、少し無骨な茸がある。(Wikipedia参照)(慧子)
(当日意見)
★自然界に作為の入り込んでいないことをすずしいと言ったんだろうなと、レポートに共感しまし
た。すぱすぱにとてもよく呼応していると思います。(真帆)
★泉さんのように撮るには、レポートの【このように作曲者の思惑や意図のないことを「すずしさ
や」と作者はみていよう】は補足が必要かなと思います。文字通りなら、作曲者の思惑や意図は
大いにあるわけですから。(鹿取)
★きのこの生えている場所は自然音しか聞こえない場所なんですね、鳥の声や風の音を聴いて茸は
育つんですね。(T・S)
★動画でこの音楽を聴いてみました。このジョン・ケージは茸が好きなんだそうです。作者は知っ
ていて引っ張ってこられたんですね。この無音は東洋の思想や鈴木大拙の禅などの影響とも言わ
れていますし、エリック・サティの音楽を茸に例えたとかも言われています。作者はこの無音の
音楽をすずしさと言われた。それとすぱすぱと伸びるあたりがよく分からないのですが。まあ音
のない所で伸びていくということでしょうが。(A・Y)
★「すずしさよ」で場面は切れているのではないですか。4句めが句割れになっていますが、「す
ずしさよ」までで無音の音楽を提示して、以下で茸の伸びる場面に飛ぶ。「すぱすぱ」という小
気味よい擬態語が「すずしさよ」とスの音でさりげなく繋がっている。さらりと詠っているよう
でとても技巧的な歌ですね。ところで、すずしいというのは松男さんの一つのキーワードで、時
々出てきますね。この語に独特の思い入れがあるようです、化石の歌とかあるのですが。A・Y
さんが今言われたように、ジョン・ケージは前衛的な作曲家であり詩人であり、よく知られた茸
研究者なんですね。自然の音に託すというジョン・ケージの音楽の思想と自然界で元気いっぱい
きのこが伸びる情景とは切れているようで繋がっています。松男さんも茸狩りが好きだそうです
が、楽しい歌ですね。(鹿取)
(後日意見)
当日発言で言いかけた化石を詠った「すずしい」の歌はこれから読む『泡宇宙の蛙』の中にある。『寒気氾濫』の中にも、例えばこんな「すずしい」の歌があった。
欠陥とみなされているわが黙も夕べは河豚のようにすずしい
『寒気氾濫』
透りたる尾鰭を見れば永遠はすずしそうなり化石の石斑魚(うぐい)
『泡宇宙の蛙』
これは余談だが、作曲家、一柳慧が戦後アメリカでジョン・ケージの自宅に招かれて行ったところ、考え方や行動が影響を受けるからと家具がない家で椅子もなく床に座って話をしたと発言している。(朝日新聞「人生の贈りもの」2017・6・20夕刊)(鹿取)
【無限振動体】P9~
参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放
3 ジョン・ケージ『四分三十三秒』のすずしさよ茸すぱすぱと伸ぶ
(レポート)
これは音楽は音を鳴らすものという常識を覆す無音の音楽である。しかし無を聴くというよりも演奏会場内外の様々な雑音、すなわち鳥の声、樹々の揺れる音、会場のざわめきなどを聴くものとされている。このように作曲者の思惑や意図のないことを「すずしさや」と作者はみていよう。「すぱすぱ」という明るい大様な雰囲気をもたらすオノマトペによってのびる茸。言葉にしない、音にしない、そんな大切なことの象徴として、少し無骨な茸がある。(Wikipedia参照)(慧子)
(当日意見)
★自然界に作為の入り込んでいないことをすずしいと言ったんだろうなと、レポートに共感しまし
た。すぱすぱにとてもよく呼応していると思います。(真帆)
★泉さんのように撮るには、レポートの【このように作曲者の思惑や意図のないことを「すずしさ
や」と作者はみていよう】は補足が必要かなと思います。文字通りなら、作曲者の思惑や意図は
大いにあるわけですから。(鹿取)
★きのこの生えている場所は自然音しか聞こえない場所なんですね、鳥の声や風の音を聴いて茸は
育つんですね。(T・S)
★動画でこの音楽を聴いてみました。このジョン・ケージは茸が好きなんだそうです。作者は知っ
ていて引っ張ってこられたんですね。この無音は東洋の思想や鈴木大拙の禅などの影響とも言わ
れていますし、エリック・サティの音楽を茸に例えたとかも言われています。作者はこの無音の
音楽をすずしさと言われた。それとすぱすぱと伸びるあたりがよく分からないのですが。まあ音
のない所で伸びていくということでしょうが。(A・Y)
★「すずしさよ」で場面は切れているのではないですか。4句めが句割れになっていますが、「す
ずしさよ」までで無音の音楽を提示して、以下で茸の伸びる場面に飛ぶ。「すぱすぱ」という小
気味よい擬態語が「すずしさよ」とスの音でさりげなく繋がっている。さらりと詠っているよう
でとても技巧的な歌ですね。ところで、すずしいというのは松男さんの一つのキーワードで、時
々出てきますね。この語に独特の思い入れがあるようです、化石の歌とかあるのですが。A・Y
さんが今言われたように、ジョン・ケージは前衛的な作曲家であり詩人であり、よく知られた茸
研究者なんですね。自然の音に託すというジョン・ケージの音楽の思想と自然界で元気いっぱい
きのこが伸びる情景とは切れているようで繋がっています。松男さんも茸狩りが好きだそうです
が、楽しい歌ですね。(鹿取)
(後日意見)
当日発言で言いかけた化石を詠った「すずしい」の歌はこれから読む『泡宇宙の蛙』の中にある。『寒気氾濫』の中にも、例えばこんな「すずしい」の歌があった。
欠陥とみなされているわが黙も夕べは河豚のようにすずしい
『寒気氾濫』
透りたる尾鰭を見れば永遠はすずしそうなり化石の石斑魚(うぐい)
『泡宇宙の蛙』
これは余談だが、作曲家、一柳慧が戦後アメリカでジョン・ケージの自宅に招かれて行ったところ、考え方や行動が影響を受けるからと家具がない家で椅子もなく床に座って話をしたと発言している。(朝日新聞「人生の贈りもの」2017・6・20夕刊)(鹿取)