かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 137

2022-09-30 10:54:10 | 短歌の鑑賞
  2022年度版 渡辺松男研究2の18(2018年12月実施)
     Ⅲ〈錬金術師〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P93~
     参加者:泉真帆、M・I、岡東和子、A・K、T・S、曽我亮子、
         渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子   司会と記録:鹿取未放


137 どっぷんどっぷん自動車流るおとことしてのみ込めぬものばかり流るる

    (レポート)
 どんぶらこ、どんぶらこ、桃が流れてきた。この昔話を思わせる「どっぷんどっぷん自動車流る」とまずは詠い起こす。コンベアーに自動車の部品が流れているであろうを、「のみ込めぬものばかり流るる」という。当時の自動車産業の発展、めまぐるしい資本の動きに違和感があるらしく、昔話桃太郎をなんとなく思わせながら、ユーモラスに仕上げている。が、「おとことして」と断っているのは、実利に走りすぎることの疎ましさがあるのだろう。そして男子たるもの哲学をしないとは如何なものか、そんな気分があるのかもしれない。(慧子)

    (当日意見)
★ベルトコンベアーに自動車の部品が回っているのだったら、男だって女だって対応できま
 すよね。男だからとか女だからとかいう性で屹立する仕事なんかなくなってきていると思
 います。男として立つことのできる仕事なんってないので、飲み込めないものばかりが流
 れてくる。(A・K)
★では、松男さんは男として立ちたいと思っているってこと?(鹿取)
★そうでは無くて、男でも女でも性で屹立する仕事はないと言いたかったのかなと。
 (A・K)
★男として育てられてきたのに、男を生かす仕事が無い。(真帆)
★松男さんってそんなに男、女を問題にするような人では無いと思うのですが。「どっぷん
 どっぷん自動車流る」に続いておとことして飲み込めぬって続くのがわからない。
  (A・K)
★飲み込めぬもの「ばかり」だから、自動車は例よね。他にも飲み込めないものがたくさん
 あるってことでしょう。もしかしたら「おとことして」は作者の価値観では無く父や祖父
 や世間から押しつけられた価値観なのでしょうかね。前の歌に「時に浸る千人のわれを祖
 父も父もかたっぱしからぶんなぐりにくる」とあるように自分はそういう価値から外れた
 ところで思索して生きたい、しかし世間や親たちはそれを許さず「おとことして」流れて
 くる自動車を呑みこめという。それに自分は抗いたいが、否応なく自動車
 はどっぷんどっぷんと押し寄せてくる。(鹿取) 
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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 136

2022-09-29 14:45:43 | 短歌の鑑賞
  2022年度版 渡辺松男研究2の18(2018年12月実施)
     Ⅲ〈錬金術師〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P93~
     参加者:泉真帆、M・I、岡東和子、A・K、T・S、曽我亮子、
         渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子   司会と記録:鹿取未放


136 時に浸る千人のわれを祖父も父もかたっぱしからぶんなぐりにくる

      (レポート)
ある状態にどっぷりつかるという表現があるが、哲学や文学にかたむき、思索している、であろう作者、つまりわれを「時に浸る」と表現して、巧みさがまず光る。祖父や父には無為に時を過ごすとみられているはずのわれ、そのわれたるや千人もいるのだ。いつもいつもそのように時に浸っていることを千人のわれと表現して鮮やかだ。そんな作者〈われ〉の様子を納得できない祖父や父は片っ端から、千人分をぶんなぐりにくるという。それぞれの有り様の違いが思われる。(慧子)


    (当日意見)
★自分のような人間が千人もいるのかと思っていましたが、レポートでわかりました。
   (岡東)
★祖父と父はだいたい同じ価値観 の人間で、自分だけが違うのでぶん殴られている。
   (真帆)
★前の歌から読むと思索的な作者と解釈できますが、上の句は一般論、モラトリアムの状態
 にある若者たちとも読めると思います。モラトリアム的な千人の若者を上の世代やさらに 
 上の世代が、大家族を養うのが男だというような価値観でぶん殴りに来る。働かない若者
 にいらいらするんですね。「時に浸る」は松男さん的な表現だと思いますが、それが文学
 や哲学をすることだとは私は結びつきませんでした。(A・K)
★今みたいに広げた読みも面白いと思いますが、父や祖父に比べて〈われ〉は肉体を動かし
 て働くことにあんまり向いていないという自覚。何度も紹介したダニが耐えていたらヒト
 は笑うだろう、ってある「日常宇宙」という評論ですけど、おじいさんのことが書かれて
 いました。お百姓さんで、若くから鰥で、やたらに丈夫で、働いては食い働いては食いし
 て、さびしいなんっていおうものならぶん殴られたって。それは実際に手で殴ったか、言
 葉で殴ったかわかりませんが。(鹿取)
★鹿取さんの意見を聞いてわかりました。松男さん個人のこととして読む方がこの歌はずっ
 とすっきりする。松男さん、高等遊民みたいなところがあって、それをお父さんもお祖父
 さんも認めない。本読んで音楽聴いてちゃらちゃらしている生活なんって認めない。歌と
 してその解釈の方がずっといいと思います。(A・K)
★千人というのは日々そういう行動をしているということですね。 (岡東)

      (後日意見)
 鹿取発言の「日常宇宙」、正確には以下の表現になっている。(鹿取)
若いうちから鰥夫で、しかしやたらに丈夫で、食ってははたらき、はたらいては食い、そしてほとんどしゃべることのなかった百姓の祖父を思い出してしまった。(中略)鯨のようにスケールの大きいものが、言葉なくその存在に耐えながら泳ぐからその淋しさもいいのであって、百姓の祖父の場合はかっこよくもなんともなかった。淋しいなどとは言えないし、言おうものならぶったおされた。
               
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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 135

2022-09-28 11:28:11 | 短歌の鑑賞
  2022年度版 渡辺松男研究2の18(2018年12月実施)
     Ⅲ〈錬金術師〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P93~
     参加者:泉真帆、M・I、岡東和子、A・K、T・S、曽我亮子、
         渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:渡部慧子   司会と記録:鹿取未放


135 ごんごんと資本回転する怖さ ブレーキのなき父のくちびる

      (レポート)
 ごんごんというオノマトペの勢い、それにともなう強さで詠いおこし、資本をつぎこみ回転させる状態を怖さと上の句で示す。これは社会の状態のようにも思うが、資本主義社会にエネルギーをもって生きる父の行動力、又事業への旺盛な意欲などを指していよう。ところで、くちびるは皮膚の中で質感が他と少し異なっていて、人間の内部と繋がる微妙な境。その微妙さにもかかわらず、ブレーキがないという。上の句の状態に対して、休息を必要とせず、畏れを知らないような父の物言いなのだろう。(慧子)


     
(当日意見)
★唇の質感が違うというところ、よく読んでいらっしゃると思いました。しかし、質感の違
 いというよりも父親というのは他動的にブレーキが無いようにされているというか、外的
 なものによってそうされているのかなと。漢字4つを使って資本回転に目が行くように作
 られている。そんなふうに現代の恐ろしさを詠まれたのかなと思いました。(A・K)
★他動的というところまでは読めなかったのですが、なるほどね。(鹿取)
★資本主義がごんごんというものすごい音を立てながら回り続けている、だから父の唇もブ
 レーキが無い。 (岡東)
★資本主義がいったん回り始めると後戻りはできない、前へ前へ行くしかない。そういうこ
 とをブレーキがきかないって言っているのだと思います。(T・S)
★このお父さんがどれほど実像に近いのか遠いのかわかりませんが、歌集の中の造形として
 は、資本主義にあんまり適応できない〈われ〉に比べて、このお父さんは比較的適応して
 いる。中小企業の工場主で、商工会議所の会長で、でも、内面は自分と同じようにわけの
 わからないドロドロを抱え持っている。そのお父さんの造形を私はとても魅力的だと思っ
 ています。上の句のとどまることを知らない資本主義の怖さというものは松男さんの実感
 なんだろうなと思います。そしてA・Kさんは他動的とおっしゃったんだけど、そういう
 資本主義に組み込まれて生き残るために
は乗っかっていくしかないお父さん、それに疑問を感じているのかいないのかはこの歌だ
けではわからないのですね。くちびるの肉感的なさまを慧子さんがおっしゃったけど、 喋
り続けている感じですね。工員を叱ったり、お客さんに調子を合わせたり、税理士やお偉い
さんにはちょっとへいこらしたり、とにかくしゃべり続けて、精力的に仕事をこなしている
父さん。そんなお父さんの象徴として唇はあると思っていましたが、皆さんのご意見もそれ
ぞれ面白いと思いまし た。(鹿取)
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清見糺の歌の鑑賞 215,216

2022-09-27 13:55:47 | 短歌の鑑賞
     ブログ版 清見糺の短歌鑑賞    
                  鎌倉なぎさの会  鹿取 未放


215 食道のカラーしゃしんをさししめし切りましょうかと医師は告(の)らす
                2003年5月作

    「かりん」2003年8月号・前月号鑑賞・中津昌子
 「深刻な場面をかるく歌いながら、そんな風に歌う姿勢そのものに気持ちを滲ませている。『切りましょうか』という医師のいいようには、手術など医者の側には日常のことというより、もう少し深い気持ちがこもっているように思われる。結局、病気はひとりで向きあわなければならない。その病者だけの、ぎりぎりの孤独が感じられると思う。『告らすも』という滑稽めかした言い方も、そこに繋がってこんな風にでもしてかわす他ないじゃないか、という声が聞こえるようだ。「しゃしん」とひらがなにひらいたのも、同じく重みを避ける配慮だと思うが、ここは漢字でよかったのではないか。かわす他ない気持ち、そこを見つめつづけると、どんな歌が生まれてくるのだろう。

 「告らすも」は、ことさらな敬語を使うことで、むしろ慇懃無礼というふうにも読める。医師の気持ちは中津さんの類推どおり心の深い部分から出たことばだったかもしれないが、作者はそれを理解した上でなお、「『切りましょうか』と簡単におっしゃいますが、私の体なんですよ。そう簡単にメスなど入れられたくないんですよ。」と抗いたい気分でもあったのだろう。「も」にもその気分が滲んでいる。

216 ラムズフェルドのごとき悪相しらじらとわが胃の腑への道せばむ見ゆ
                2003年5月作

 ラムズフェルドはタカ派で知られるアメリカの国防長官。ブッシュのもとで、穏健派の国務長官パウエルと常に競り合ってきた。2003年4はイラクのフセイン政権を転覆させた功績で71パーセントという高支持率を誇っていた。
 5月の作歌当時は頻繁にテレビ等で彼の顔写真が出て来たのであろう。その神経質で意地悪そうなラムズフェルドの人相と、自分の癌の映像の相似を言っている。ルゴールで染めると癌細胞だけが黒く染まらず、白っぽく見えるので「しらじら」と言っているのだが、ラムズフェルドの政治姿勢と癌細胞と、どちらに対しても、腹立たしく、いまいましい気分なのだろう。

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清見糺の歌の鑑賞 213,214

2022-09-26 18:08:41 | 短歌の鑑賞
     ブログ版 清見糺の短歌鑑賞    
                  鎌倉なぎさの会  鹿取 未放


213 エルヴィスのLPにまいききおえてびょういんへゆくまっさおなあさ
           2003年4月作

 LPを二枚も聴いてからでないと病院へ出かけて行けない、これを聴く間の葛藤をうたっているのだろう。211番歌(ひんぱんにおくびがこみあげくるからにクリニックにゆくびょういんぎらい)にあったように、クリニックは街の個人病院、「びょういん」は作者の気分では大病院もこと。ここではクリニックで胃カメラ検査を受けた所、食道癌と診断され大学病院への紹介状を渡されて、初めて大学病院を訪ねる日のことだろう。

214 ドクターのはなしききつつ死にいたるまでのじかんがのびちぢみせり
           2003年3月作
   「かりん」二〇〇三年七月号・前月号鑑賞・池谷しげみ
 「表面は坦々とというか、飄々とというか、まるで風にでも吹かれているかのよ うにさらさらした手触りだが『死にいたるまでのじかんがのびちぢみせり』はや はり重たい。決して楽観はできないという不安感を表に出すまいとするかのよう な、抑えた口調だ。……ひらがな表記の多い作品群だが、もう少し漢字を用いる ほうが自然に読めると思う。」

  私(鹿取)は、むしろ「のびちぢみ」というひらがな表記にこそ、時間が飴のよにのびたりちぢんだりする気味悪い感じが表われていて上手いと思う。さらに、ダリのひん曲がった時計の絵などを連想させつつ、作者は人生の残り時間を懸命に量っているのだ。ドクターの話にむしろ作者は緊張し、一喜一憂しているようだ。
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