渡辺松男研究37(2016年4月実施)
【垂直の金】『寒気氾濫』(1997年)124頁~
参加者:石井彩子、泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取 未放
300 秋桜の逆光の路へ行くひとよまぶしき路はにんげんを消す
(レポート)
(解釈)秋桜の背後から逆光線がさしている。その光の海に向かう一本の路があり、逆光はその路をもまぶしく照らしている。この路を進んで行っているにんげんは、進むにつれだんだんと、逆光のなかに入ってゆく。しまいにはこの「まぶしき路」は「にんげん」を消した。
(鑑賞)「逆光の路へ行く」の構図の表現に注目した。まず読者の目に、秋桜の背後から照らす逆光線を見せる。このとき発句でイメージした秋桜の花々は、陽光の海原に覆われて消える。次いで、そこへ向っている一本の路をみせ、最後に路を歩いて行く人を光の中に消すという、映画のシーンのような技巧に驚く。また、この作者の歌に、光の集まる場所を霊の集まる場所としてとらえる歌があったが、この一首はむしろ、この「まぶしさ」の答えをここでは出さず、なんだろう?と、読者の関心を喚起する、連作の始まりの一首になっているのではないだろうか。(真帆)
(当日発言)
★最初「ひと」と呼び、後で「にんげん」と置き換えています。異空間に入っていくような
イメージですね。人間は消えてしまったのですけれど、それは可視光線では見えない。
(石井)
★人間の存在って光と影があって出てくる。光だけになると存在感が消される。(鈴木)
★秋桜って逆光でなくてもはかない感じの花で、それを歌い出しに持ってこられたところが
お上手だなと思いました。(慧子)
★人間が秋桜の中に紛れていっちゃうという感じがします。(M・S)
★秋桜って何か宇宙のコスモスに通じるような気がするのですが。(石井)
★私ははじめ宇宙のコスモスとかカオスという言葉も連想しましたが、漢字だからやはり逆
光の中に咲く秋桜として解釈しました。(真帆)
★秋桜って聞くと秋の澄んだ空とその空気感を感覚的に思いますよね。人間も秋桜も映像化
しておいて消してしまう、見せ消(け)ちの手法ですね。(鹿取)
★後の方の歌を読んでいくと、このひかりはただごとならぬひかりなんだろうなって思いま
す。それ以上は曲解する気がして鑑賞はそこでとめましたが。まぶしき道って何か正しい
道のような気がしたんですね。正と負があるとしたら「正」のような。われこそは正しい
道を歩いていると言っているような人は人間らしさとか個性を消しているよと言っている
ような。しかし松男さんの歌ってそんなふうに読んじゃいけないなと思い直しました。
(真帆)
★真帆さんが今言ったようなことは、私も前回レポートしてそれを感じたんですよ。正しい
とかそういうことではなくて、まぶしい光のなかでというのは、この世の中で光り輝いて
いる人たちっていますよね、善悪ではなくて。そういう人たちって人間らしくないのでは
ないかと。人間って光と影と両方持っていて人間なんじゃないかと。それを一方だけ取り
だして光だけになると人間って消えちゃうよと、そういうことも言っているんじゃない
かと。しかし、秋桜とは何を意味するのかとか、そんなことは松男さんはしないと思い
ますよ。塚本邦雄なら何かを象徴させるって するかもしれないけど。(鈴木)
★前の章の職場のリアルな歌の続きとして読むと、眩しいを正しいとは思いませんが、不如
意な思いをして生きている人を応援している気分かなと。でも、深読みはしない方がい
い。(石井)
★秋桜って種がばーと散っていって別のところで群れて咲きますね。だから群れている人々
のことかともとれます。(真帆)
★いろんな読み方があっていいのでしょうが、私は「まぶしい」とか「ひかり」というもの
をそういう社会的な観点から読まない方がいいと思います。この歌、両側に秋桜が群生し
ている一本の路を人が歩いている、道の向こうにおそらく沈もうとする陽があって非常に
まぶしいので、人間 の姿がよく見えなくなる。そういう現象は別に不思議なことではな
くて、日常ふつうに経験する ことですよね。でも、こう表現されると何か存在の奥深い
ものを暗示されているような気がする。 その辺りをレポーターは「『まぶしさ』の答え
をここでは出さず」というように書いていらっし ゃるのだと思います。「光の集まる場
所を霊の集まる場所としてとらえる歌があった」とレポートにあるのは、私がとても気
になっている「まぶしさの中にかがやくまぶしさ」の歌がある「非常口」の一連だった
と思うのですが。「まぶしい」とか「ひかり」というのが松男さんの心を深いところとい
うか異次元に誘う特別のものなんだろうと思います。(鹿取)
ひとつ死のあるたび遠き一本の雪原の樹にあつまるひかり
非常口からわれ逃げしときまぶしさのなかにかがやくまぶしさのあり
2首とも(非常口)
【垂直の金】『寒気氾濫』(1997年)124頁~
参加者:石井彩子、泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取 未放
300 秋桜の逆光の路へ行くひとよまぶしき路はにんげんを消す
(レポート)
(解釈)秋桜の背後から逆光線がさしている。その光の海に向かう一本の路があり、逆光はその路をもまぶしく照らしている。この路を進んで行っているにんげんは、進むにつれだんだんと、逆光のなかに入ってゆく。しまいにはこの「まぶしき路」は「にんげん」を消した。
(鑑賞)「逆光の路へ行く」の構図の表現に注目した。まず読者の目に、秋桜の背後から照らす逆光線を見せる。このとき発句でイメージした秋桜の花々は、陽光の海原に覆われて消える。次いで、そこへ向っている一本の路をみせ、最後に路を歩いて行く人を光の中に消すという、映画のシーンのような技巧に驚く。また、この作者の歌に、光の集まる場所を霊の集まる場所としてとらえる歌があったが、この一首はむしろ、この「まぶしさ」の答えをここでは出さず、なんだろう?と、読者の関心を喚起する、連作の始まりの一首になっているのではないだろうか。(真帆)
(当日発言)
★最初「ひと」と呼び、後で「にんげん」と置き換えています。異空間に入っていくような
イメージですね。人間は消えてしまったのですけれど、それは可視光線では見えない。
(石井)
★人間の存在って光と影があって出てくる。光だけになると存在感が消される。(鈴木)
★秋桜って逆光でなくてもはかない感じの花で、それを歌い出しに持ってこられたところが
お上手だなと思いました。(慧子)
★人間が秋桜の中に紛れていっちゃうという感じがします。(M・S)
★秋桜って何か宇宙のコスモスに通じるような気がするのですが。(石井)
★私ははじめ宇宙のコスモスとかカオスという言葉も連想しましたが、漢字だからやはり逆
光の中に咲く秋桜として解釈しました。(真帆)
★秋桜って聞くと秋の澄んだ空とその空気感を感覚的に思いますよね。人間も秋桜も映像化
しておいて消してしまう、見せ消(け)ちの手法ですね。(鹿取)
★後の方の歌を読んでいくと、このひかりはただごとならぬひかりなんだろうなって思いま
す。それ以上は曲解する気がして鑑賞はそこでとめましたが。まぶしき道って何か正しい
道のような気がしたんですね。正と負があるとしたら「正」のような。われこそは正しい
道を歩いていると言っているような人は人間らしさとか個性を消しているよと言っている
ような。しかし松男さんの歌ってそんなふうに読んじゃいけないなと思い直しました。
(真帆)
★真帆さんが今言ったようなことは、私も前回レポートしてそれを感じたんですよ。正しい
とかそういうことではなくて、まぶしい光のなかでというのは、この世の中で光り輝いて
いる人たちっていますよね、善悪ではなくて。そういう人たちって人間らしくないのでは
ないかと。人間って光と影と両方持っていて人間なんじゃないかと。それを一方だけ取り
だして光だけになると人間って消えちゃうよと、そういうことも言っているんじゃない
かと。しかし、秋桜とは何を意味するのかとか、そんなことは松男さんはしないと思い
ますよ。塚本邦雄なら何かを象徴させるって するかもしれないけど。(鈴木)
★前の章の職場のリアルな歌の続きとして読むと、眩しいを正しいとは思いませんが、不如
意な思いをして生きている人を応援している気分かなと。でも、深読みはしない方がい
い。(石井)
★秋桜って種がばーと散っていって別のところで群れて咲きますね。だから群れている人々
のことかともとれます。(真帆)
★いろんな読み方があっていいのでしょうが、私は「まぶしい」とか「ひかり」というもの
をそういう社会的な観点から読まない方がいいと思います。この歌、両側に秋桜が群生し
ている一本の路を人が歩いている、道の向こうにおそらく沈もうとする陽があって非常に
まぶしいので、人間 の姿がよく見えなくなる。そういう現象は別に不思議なことではな
くて、日常ふつうに経験する ことですよね。でも、こう表現されると何か存在の奥深い
ものを暗示されているような気がする。 その辺りをレポーターは「『まぶしさ』の答え
をここでは出さず」というように書いていらっし ゃるのだと思います。「光の集まる場
所を霊の集まる場所としてとらえる歌があった」とレポートにあるのは、私がとても気
になっている「まぶしさの中にかがやくまぶしさ」の歌がある「非常口」の一連だった
と思うのですが。「まぶしい」とか「ひかり」というのが松男さんの心を深いところとい
うか異次元に誘う特別のものなんだろうと思います。(鹿取)
ひとつ死のあるたび遠き一本の雪原の樹にあつまるひかり
非常口からわれ逃げしときまぶしさのなかにかがやくまぶしさのあり
2首とも(非常口)