かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 243

2023-01-26 09:51:48 | 短歌の鑑賞
  2023年度版渡辺松男研究2の31(2020年1月実施)
     Ⅳ〈夕日〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P156~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、
         渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:岡東和子    司会と記録:鹿取未放


243 きらりきらり黄菖蒲ゆるる放尿夢遠くより母と父が吾を呼ぶ

      (レポート)
 黄菖蒲が咲くのは五、六月。作者は子供の頃、暑くも寒くも無い行楽日和に、両親と出かけたのだろう。菖蒲の花を見に行ったのかもしれない。作者は菖蒲の近くの草むらで寝入ってしまい、放尿する夢を見た。作者を捜す母と父の声が聞こえて目が覚めたというところか。「きらりきらり」には黄菖蒲の色鮮やかな様子が描かれ、「ゆるる」にはその花が微風に揺れる様が見てとれる。ゆったりとした時が流れる田園風景を想像する。この歌が回想の歌だとすると、作者の物事の捉え方や自然への畏敬の念がはぐくまれた環境にも興味が湧いてくる。回想の歌ではなく、黄菖蒲が咲いているところで放尿する夢を見たのだとすると、下句とのつながりがわからなくなる。(岡東)


    (紙上参加)
 なつかしい。あたたかい夢の歌。はつ夏の光に包まれた黄菖蒲のそばで、たぶん子どもに還っているから、背の高い黄菖蒲は目の前あたりで咲いていて、そこでおしっこするのは気持ちよかっただろうし、そして若い父母に呼ばれたら安心感につつまれて幸せな気分になったでしょう。「きらりきらり」がいいですね。(菅原)


      (当日意見)
★松男さんの歌の上手なところは目に見えるようにつくってあるところで、ここも
 おしっこがきらりきらりと光る光景がよく見える。おねしょしているところかも
 しれないけど。黄菖蒲をすえておしっことまっすぐにつながっていくところがう
 まいなあと思います。ドラマも盛り込んであってシーンを見せてくれる。(泉)
★色が効いていますね。き、き、きって韻を踏んで、キは鋭い音だけどここでは黄
 色の鮮やかで明るいイメージを出している。年齢とかどこにも書いてないけど、
〈われ〉は子供でお父さんお母さんは若いってイメージですよね。(鹿取)
★排泄と食べることは生きることに欠かせないけど、父と母が出てきて生きること
 の根源を表している。(慧子)
★回想のうたではないとすると、どういうのですか。大人の自分がおしっこをして
 いる夢をみたんですか?(A・K)
★大人の〈われ〉が見た夢だけど、夢の中で〈われ〉は少年である。まあ、どこに
 も少年って書いてないけど黄菖蒲ゆるるでそういうイメージを抱かされる。日高
 さんの歌に、蝶の尿がきらめく歌がありましたね。(鹿取)


      (後日意見)
 鹿取の当日発言中の日高の蝶の歌は次のとおり。(鹿取)
   蝶は昼 草間の水をのみながらするどく光る尿を放てり
日高堯子『振りむく人』

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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 242

2023-01-25 11:58:50 | 短歌の鑑賞
  2023年度版渡辺松男研究2の31(2020年1月実施)
     Ⅳ〈夕日〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P156~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、
         渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:岡東和子    司会と記録:鹿取未放


242 まっさかさまにビルから落ちてゆくわたし 夢のさなかにのみ覚めている

     (レポート)
 崖の上の木の影が、さかさまに崖下の家に届こうとしている歌(191)を思い
起させる一首である。しかし、この歌で落ちていくのは「わたし」である。しかも、崖からではなくビルからなのだ。そして一文字空けて、下句がくる。夢はおぼろな状態で見ることが多いけれど、時として登場人物などがはっきりした夢を見ることがある。そのような時は、眠りから覚めた後も、夢と現実の区別をつけるのに時間がかかってしまう。この歌で空けてある一文字分は、「わたし」を覚醒させるためにあるともとれる。そうすると、下句は何を意味するのであろう。作者は、現実では無く夢のさなかにのみ覚めているというのだ。異空間に旅することができる人のみが、到達できる境地なのだろうか。(岡東)


       (紙上参加)
  わかる。夢というのは、時に凡々とした現実より、本当にリアルな実感を伴っていて、必死であがいたり、心臓バクバクになって、めざめるとほっとしたりする。フロイト的な感覚を表現したのか。作者はそこまで言っていないが、私は夢の中にこそ自分の本音の世界があると感じることがしばしばある。(菅原)


     (レポート)
★ものすごく体感的な歌だと思います。風切って落ちていくときのあの感じ、まざ
 まざと、ありありと夢って感じ取る、それを「夢のさなかにのみ覚めている」っ
 て言っている。肉体のピュアな感じ。(A・K)
★夢の中では落ちるときの感覚があるけど、現実ではその感覚が無いんです。子供
 の時海に落ちたことがあるけど、落ちるときの感覚はなかった。助けられてから
 気がついた。上の句はどうであろうと「夢のさなかにのみ覚めている」は真実だ
 と思います。(慧子)
★夢ではないですが、蝉丸神社の石段を転がり落ちた時は意識はきちんとありまし
 たね。下まで転げ落ちないようにどこかで立ち直らないといけないとか、サスペ
 ンスでは石段から転げ落ちて死ぬ場面が多いがそれは困るとか、落ちながらいろ
 いろ考えましたから。夢については、ビルから落ちる夢は見たこと無いけど、ビ
 ルから飛び立つとか空を飛ぶ夢はよく見ました。手をはためかせていないといけ
 なくて、空気の抵抗もあって、夢の中ではけっこう苦しくて、その体感なら今で
 も思い出せます。(鹿取)


     (後日意見)
 岡東さんのレポートの191番歌は次の一首目。(鹿取)
  崖上の冬木の影がさかしまに崖下の家へ届こうとする 『泡宇宙の蛙』
  伸びるだけわが影伸びてゆきたれば頭が夕の屋上より落つ『泡宇宙の蛙』
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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 241

2023-01-24 10:15:01 | 短歌の鑑賞
  2023年度版渡辺松男研究2の31(2020年1月実施)
     Ⅳ〈夕日〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P156~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、
         渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:岡東和子    司会と記録:鹿取未放


241 空よりも近きに明日のあるぶきみ団地のなかへ夕日が落ちぬ

         (レポート)
 空という空間と、明日という時間を比べる発想が面白い。作者にとっては、空間や時間のような領域を取り払ってしまう事が、簡単にできてしまうのだろう。作者は、団地を見渡せる高台のようなところに居るのかもしれない。その団地に夕日が落ちていくのを見ていると、日が暮れてまた明日が来ることを思ったのだろう。空よりも明日が近くにあるのだ。それが、上句の最後の「ぶきみ」につながったように思う。(岡東)


         (紙上参加)
 そうだ、そういわれればたしかに、ぶきみ。夕日は海や山際に落ちていくと、あの向こうに明日があるという感じがしてしみじみするが、団地の真ん中におちるというのはすぐそこに明日があるみたいで怖い。不気味という言葉をひらがなにすることで、鋭さよりも生々しい実感が伝わってきて、効いていると思う。(菅原)


(当日意見)
★「明日のある」の読みは「あした」ですか?(岡東)
★「ちかきにあしたの」だと8音になるので「あす」だと思います。なるほど、岡
 東さんのレポートだと団地を見渡せる高台にいる設定なのね。「団地のなかへ夕
 日が落ちぬ」が腑に落ちなかったけど、そういう視点ならわかります。(鹿取)
★時間というものはここでは永遠を示唆しているのでしょうか。永遠というものを
 考えたときの果てしの無い不気味さなのでしょうか。空間よりも時間が怖いとい
 うことでしょうか。よく分からないのですが。(A・K)
★私は子供の頃死ぬことが怖かったのですが、夫は宇宙が無限だと聞くと怖かった
 そうです。この歌も永遠の時間がはるか彼方にあるのではなくて、ここに地続き
 にあることの怖さなんじゃないでしょうか。(泉)
★大江健三郎もどこかで同じようなこと書いていましたね、授業で宇宙の永遠性を
 習って卒倒しそうになったって。でも宇宙論で言うと時間と空間というのはある
 ところでおなじものらしいです。(鹿取)
★カールブッセの詩みたいに山の向こうに明日があるとおもっていたのに、すぐそ
 こに団地に明日があった、その怖さ。(慧子)
★団地の中に夕日が落ちたから怖いんですか?それだとつまらない気がするけど。
 ぶきみって言葉選びが独特ですね。怖いとか恐怖じゃないんですよね。(A・K)
★○○が無いぶきみ、だと普通だけど、○○があるぶきみってすごいですよね。(泉)
★もう一つわかりきらないのですが、何かあるのでしょうねえ。「落ちぬ」って完
 了も少し違和感があるし。(鹿取)
★この一連、口、口、落ちる、落ちると続いているんですね。(A・K)
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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 240

2023-01-23 12:45:40 | 短歌の鑑賞
  2023年度版渡辺松男研究2の31(2020年1月実施)
     Ⅳ〈夕日〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P156~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、
         渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:岡東和子    司会と記録:鹿取未放


240 今日われは口から鳥を飛ばせしともうすこしで家族に告げそうになる

       (レポート)
 口から鳥を飛ばすとは、どういう事なのだろうか。マジックの一場面のようである。それとも何かの比喩なのだろうか。ここがまず解釈に苦しむ点である。そして、口から鳥を飛ばせたことを、もうすこしで家族に告げそうになったという。家族にしても、口から鳥を飛ばせたなんて告げられたらびっくりもするし、作者の心情を思いやって不安にもなるだろう。家族のそのような反応をおもんばかったゆえの「もうすこしで家族に告げそうになる」なのだろう。(岡東)


        (紙上参加)
 ステキ。すごいよ、ぼく、今日ね・・・」とか、こんなことを家族にいったら、「とうとうおかしくなった」などと思われるだろうから、ぎりぎりのところでこらえたけど、それほどにうれしかったんですね。ありえないようなことだけれど、あるかもしれないと思わせてくれて、読む方もうれしくなる歌。(菅原)

         (当日意見)  
★非常識なことを思わず言ってみたくなる事って理屈ではなくありますよね。でも
 言っちゃあいけないと思うとよけいに言いたくなる。「もう少しで」の口語がう
 まい。作者の切実な実感がこもっている。親しい関係でこういうことってあるな
 っと。(A・K)
★夢で妊娠をしてパンの子を産む歌がありましたね。この人は命を増やしたい人。
 女性性というか。だから、それを小鳥を飛ばしたというメルヘンチックな言い方
 で言ってみた。(慧子)
★なるほどねえ。モーセが海を割ったとかすごい奇跡じゃなくて、楽しいちょっ
 としたこと。家族をびっくりさせない為にそれを言うのは我慢した。(鹿取)
★口から鳥を飛ばすってどういう気分なんですか?(A・K)
★前後の歌の続きからいうと、解放とかそういう感じでしょうか。でも私は書いて
 あるとおりに読みたいので、ここも本当に口から鳥を飛ばしたのだと思ってます
 けど。マジックだと面白さが半減するような。(鹿取)
★「飛ばせし」は文法上は「飛ばしし」ではないですか。(慧子)
★そうか、過去の「き」は連用形接続だから「飛ばしし」が正しいですね。(鹿取)

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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 239

2023-01-22 10:44:51 | 短歌の鑑賞
  2023年度版渡辺松男研究2の31(2020年1月実施)
     Ⅳ〈夕日〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P156~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、
         渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:岡東和子    司会と記録:鹿取未放


239 見つめたる〈口〉という字のまんなかへあたまから吸いこまれ欠勤

       (レポート)
 池でボートに乗っているとき、水のなかをじっと見つめていると、水中に吸い込まれそうな感覚に陥ったことがある。その時の感覚を思い出した。さらに、「蛇に呑まれし鼠は蛇になりたれば夕べうつとりと空を見てゐる」(『飛天の道』馬場あき子)この歌も思い起こされた。〈口〉という字が蛇で、その中に呑まれた鼠が作者、蛇になった作者が夕空を見ていて欠勤してしまった、という場面を想像する。なんとも面白い歌であるが、最後の「欠勤」で現実に引き戻される。(岡東)


         (紙上参加)
 あはは、面白い、頭山みたい!そうだ、休め休め!と言いたくなる歌。シュールですね。
   (菅原)


         (当日意見)
★感覚としてよく分かる。(A・K)
★大好きな歌です。痛快な気分になる。(鹿取)
★口には嫌な上司の物言いも重なっているのかなあと。(慧子)
★口に〈 〉が付いているのでほんとうにそこが空いていて、掃除機かなんかで吸
 い込まれるような感じ。(泉)


         (後日意見)
 菅原さんのレポートにある「頭山」が分からなかったので本人にお尋ねしたら、落語で以下のようなお話しなのだそう。納得した。(鹿取)
  男の頭から桜の木が生えて、花見に人が集まる。うるさいので切って
  抜いてしまうと、その穴が池になり、魚が棲み、釣り人が集まる…。
  で、男は悲観してその頭の池に飛び込んで死んでしまいましたとさ。
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