かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 195 中国⑤

2023-02-23 11:31:32 | 短歌の鑑賞
2023年度版 馬場あき子の旅の歌26(2010年3月実施)
    【飛天の道】『飛天の道』(2000年刊)164頁~
     参加者:N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、
         渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放


195 蜃気楼の国のやうなる西域の飛天図を見れば夜ふけしづまる

    (まとめ)
 この歌は現地に行って飛天を見ての感慨か、蜃気楼の国のようだと考えていたその西域に正に自分が旅しようとして、あこがれの飛天図を写真か何かで眺めている図か、二通りに考えられる。四首め(富士よ富士しだいに小さく日本は沈みゆき濃きスモッグに満つ)に富士が出てくる構成から考えると、行く前のあこがれの気分と読んで欲しいという作者のメッセージかもしれない。
 蜃気楼の国のようだというのは、距離の遠さもさることながら何千年という時代的な距離感なのだろう。ぼんやりと見えるがすぐに消えてしまう蜃気楼のように、ほんとうに存在するのかも危ぶまれるような、それゆえ強い憧れをかきたてるそんな西域なのだろう。夜は更けて静かだが、〈われ〉はあこがれの飛天図を飽きもせずに見入っている。
 (鹿取)

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馬場あき子の外国詠 192、193、194

2023-02-22 14:49:11 | 短歌の鑑賞
  2023年度版 馬場あき子の旅の歌25(2010年1月実施)
  【向日葵の種子】『雪木』(1987年刊)127頁~
    参加者:K・I、N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、
       T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:N・I 司会とまとめ:鹿取 未放

※歌集には旅行詠「向日葵の種子」の一連に入っているが、次の三首は帰国後に材を 取った歌なので、三首まとめて鑑賞する。


192 大陸を見てきしまなこ遊べよとさやさやとせり木草のみどり

      (まとめ)
 大陸であまりにもたくさんのことを見てきて未だ整理できない心境にある。とりあえず目前のやさしい「木草のみどり」が、疲れたまなこを遊ばせなさいと呼びかけているようだ。大陸に比べたら何ともささやかな、しかし細やかな情景が目の前には広がっているのだ。良くも悪くもそれが日本という国である。(鹿取)


193 えご咲けり一切後悔せずといふ若き元気も遠くかへり来

    (まとめ)
 えごは白い清楚な花だが、語感がエゴにも通じる。一切後悔しないで思った通りに生きようという若さの持つ元気が、旅の心身の疲労の回復と共にふつふつと自分に蘇ってきた。「遠く」だからまだ本格的に戻ったわけではないが、元気のなかには中国の人々のおおらかさとか底力に触れて得たものも加味されているのかもしれない。(鹿取)


194 夏さやと来てゐる土に這ひ出でて若きみみずらつやめきをれり

      (まとめ)
 直前の歌(えご咲けり一切後悔せずといふ若き元気も遠くかへり来)の一切後悔しない若さの一例が若いみみずのつやめきに反映しているのだろうか。「夏さやと」というリズムを小刻みにした気持ちの良い出だしに、つやめくみみずを配するところが馬場流である。(鹿取)
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馬場あき子の外国詠 191 中国④

2023-02-21 14:41:10 | 短歌の鑑賞
  2023年度版 馬場あき子の旅の歌25(2010年1月実施)
  【向日葵の種子】『雪木』(1987年刊)127頁~
   参加者:K・I、N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、
       T・H、 渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:N・I 司会とまとめ:鹿取 未放

 
191 貧しからねど豊かならざる表情に水牛は耕し終へて我をみる

       (レポート)
 水牛は労働のために使われ又ある種の競技にも用いられます。畑を耕し終えた水牛の眼にある種の険しさを見たのでしょう。人間にも、また今の世相にも通じる含蓄の深い歌と思いました。
(N・I)


      (まとめ)
 動物側から「我をみる」という詠み方は馬場がよくする技法。何度かこの旅の歌シリーズにも例歌を挙げてきた。「貧しからねど豊かならざる表情」とはどういう感じなのだろうか。牛のことではないが、この中国旅行では「民衆は豊かならねどくつろぎて飲食に就く暗き灯のもと」のように歌われている。しかし牛には経済上の解釈はできないので(もちろん、その反映として心地よい牛舎や美味しい餌をもらえるということはあろうが)あくまでも内面の表情である。それも耕すという労働が終わってほっとしたひとときである、貧しくはないけれども豊かではない表情で我をみて、水牛は何を思っているのであろうか。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠 190 中国④

2023-02-20 10:01:05 | 短歌の鑑賞
  2023年度版 馬場あき子の旅の歌25(2010年1月実施)
  【向日葵の種子】『雪木』(1987年刊)127頁~
   参加者:K・I、N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、
      渡部慧子、鹿取未放
  レポーター:N・I 司会とまとめ:鹿取 未放

 
190 売られたる鶏は水見てゐたるかな二丁艫(ろ)に漕ぐ蘇州運河に

       (まとめ)
 下句と上句が倒置になっている。また終助詞「かな」は詠嘆で「水を見ていたことよ」の意味。 二丁艫だから艫が2本しかない小さな船、そこに売られた鶏たちが乗せられている。何羽とは書かれていないが、小さな船だから何羽くらいだろうか。たぶん脚でも縛って数珠繋ぎにされているのだろう。鶏たちはしょうことなしに運河の水を見ている。水は188番歌に「楊花散りて蘇州春逝く季に来つ濁れる運河一日下りて」とあったように濁っていて水中は見えない。拘束された鶏たちは直感的に自分の運命を把握しているのだろう。作者たちの乗る観光船と擦れ違ったときの属目だろうが、「水見てゐたるかな」に鶏の運命に対する鈍い痛みのようなものを感じている。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠 189 中国③

2023-02-19 09:24:13 | 短歌の鑑賞
  2023年度版 馬場あき子の旅の歌24(2009年12月実施)
    【向日葵の種子】『雪木』(1987年刊)124頁~
     参加者:K・I、N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、
         T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:T・S 司会とまとめ:鹿取 未放


189 石の船何に早きぞ朱の揀瓦積みてしづけき蘇州に下る

       (まとめ)
 石の船は現在では飾りのように運河に浮かべているらしいが、1983年当時の馬場の旅では煉瓦を積んで働いていたのだ。石の船のくせに早いので、「何に早きぞ」(どうしてこんなに早いのだろう)と驚いているのである。188番歌に「楊花散りて蘇州春逝く季に来つ濁れる運河一日下りて」とあるから、自分たちの乗る観光船からの眺めだろうか。併走したのか、もしかしたら追い抜かれたのかもしれない。快速で走る石の船に積んだ煉瓦の「朱」が鮮やかだ。(鹿取)
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