宰府の村うちの古株の方から聞いた話。
「昭和30年代くらいまでは庭木は
山から下ろしてくるもの、
程度に考えられていたので、
当然シャクナゲは山に採りに行っていた。
その後に採ることが悪いことと言われるようになって
ちょっと面喰った感じだったが、行かなくなった。
宝満のシャクナゲはいきなり宰府に下ろすと、
気候の加減などで枯れてしまうものが多かった。
そのうちに知恵のあるものが、一旦山裾の北谷に下ろして
数年落ち着かせたやつを宰府に下ろしたところ
うまく育ったのでそうするようになった。
それが続くと山から下ろしたその足で、北谷の知り合の
ところに持ち込んで代わりになにか庭木をもらって帰る、
なんてことをするようにもなった。」
ちょっと前のむかしまでは里の人にとっては
山の恵みをもらってくる、程度の感覚で
宝満山中のシャクナゲを掘り取っていたようです。
いきなり盗人になってしまい驚いた、という話は
時代の雰囲気を知ると理解される話に聞こえました。
公平に考えて、公平に書く・・・日々勉強です。
ちなみに・・・実生のものは花粉の自然交雑の
結果が反映されてしまうので、コピーとしては
枝が下りて分株したものや挿し木のほうが
オリジナルに近いもの、とおっしゃった上で、
「宝満山中に自生していたシャクナゲはかえって
里にあるバイ。うちの実家にも俺が中学校の時に
岩の間から生えとったのば下ろしてきた株が
立派にあるバイ!」とのこと・・・う~ん。
しかし、明らかに宝満シャクナゲ会の活動初期の
山中のシャクナゲの様子はほとんど絶滅状態のようなので、
里人がちょっと失敬、という程度のことではなかったようです。
ちなみに・・・先ほどの思わず花盗人になってしまったOさん。
しっかり第3回の宝満シャクナゲ会の植樹に参加され
罪滅ぼしをお済ませになったようです。
「昭和30年代くらいまでは庭木は
山から下ろしてくるもの、
程度に考えられていたので、
当然シャクナゲは山に採りに行っていた。
その後に採ることが悪いことと言われるようになって
ちょっと面喰った感じだったが、行かなくなった。
宝満のシャクナゲはいきなり宰府に下ろすと、
気候の加減などで枯れてしまうものが多かった。
そのうちに知恵のあるものが、一旦山裾の北谷に下ろして
数年落ち着かせたやつを宰府に下ろしたところ
うまく育ったのでそうするようになった。
それが続くと山から下ろしたその足で、北谷の知り合の
ところに持ち込んで代わりになにか庭木をもらって帰る、
なんてことをするようにもなった。」
ちょっと前のむかしまでは里の人にとっては
山の恵みをもらってくる、程度の感覚で
宝満山中のシャクナゲを掘り取っていたようです。
いきなり盗人になってしまい驚いた、という話は
時代の雰囲気を知ると理解される話に聞こえました。
公平に考えて、公平に書く・・・日々勉強です。
ちなみに・・・実生のものは花粉の自然交雑の
結果が反映されてしまうので、コピーとしては
枝が下りて分株したものや挿し木のほうが
オリジナルに近いもの、とおっしゃった上で、
「宝満山中に自生していたシャクナゲはかえって
里にあるバイ。うちの実家にも俺が中学校の時に
岩の間から生えとったのば下ろしてきた株が
立派にあるバイ!」とのこと・・・う~ん。
しかし、明らかに宝満シャクナゲ会の活動初期の
山中のシャクナゲの様子はほとんど絶滅状態のようなので、
里人がちょっと失敬、という程度のことではなかったようです。
ちなみに・・・先ほどの思わず花盗人になってしまったOさん。
しっかり第3回の宝満シャクナゲ会の植樹に参加され
罪滅ぼしをお済ませになったようです。