狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

My Testimony/僕の証<5-2/2>:僕はボロボロ……Isaiah 52:13~53:12、侮辱を負われた「イエス様の御姿」と迫害の中での信仰により「キリストの似姿」に変えられる事を想う

2019-01-31 19:05:34 | エッセイ・コラム
 ※ 本シリーズの記事は、昨年(2018年、平成30年)の内に投稿する予定であった為、本文中の「本年」とは2018年(平成30年)の事であり、訂正するには膨大な数に対応する為の手間と時間が必要となる為、敢えてそのままにしている事を御容赦願います。

 My Testimony & Witness
  僕の証<5>
    ~僕は「ボロボロ」……
     Isaiah 52:13~53:12
     イザヤが預言した人間マリアの処女懐胎を通したキリストの御降誕と、
       侮辱を負われた「イエス様の御姿」
     & 迫害の中での信仰により「キリストの似姿」に変えられる事を想う


 僕は、この度の「My Testimony/僕の証」シリーズの記事を書くに当たって、最初から「証」をするつもりで書いた訳では無かった。書いている途中で、キリスト者(クリスチャン)がプロテスタントの教会等で一般的に行っておられる「証」をしている事に気付いた。このタイミングで、「偶々」、「証」を行う事は、正に「不思議」であり、「意味深」であり、そしてその事が、「神様の思し召し」によって促されて行った様に思われてならないのである。
 尚、キリスト者としての「証」についての説明は、次である。
 
 以下、ウィキペディア「証 (キリスト教)」より、

 「証(あかし、testimony、witness)。キリスト教では、神様から頂いた恵みを人に伝えることを『証(あかし)をする』と言う。似た表現に、『分かち合う』という言葉があるが、これは少人数で深く話し合うような場合に使われる。大勢の人の前で、発表する場合は『分かち合い』ではなく『証』または『立証』というのが一般的。救世軍では『証言』(読み方は『あかし』)と表記する。
 神の恵みに感謝することはもとより、神を誉め讃える点がポイントである。まれに牧師や司祭による説教と同じく、高度な神学理論を用いたものとなることもある。プロテスタントにおいてはしばしば礼拝の中で時間を割いて信徒による立証が行われるが、牧師による説教が聖書の解き明かしであるのに対し、立証は自らの体験に基づいて神の恵みを参列者と共有することであるという相違がある。また、キリストを信じるに至っていない人に対して証をすることも大切なことだと考えられており、福音伝道の主要な手段の一つでもある。
 さらには、生活の多様な場面において信仰に基づいた選択および行動をとることも証と呼ばれる。クリスチャンは天国に迎え入れられることよりはむしろ、イエスが説教を通じて伝えたことを地上においてどのように生かしていくかということに主な関心を抱く。いわば、クリスチャンの生涯とはそれ自体が証である。」

 (以上、ウィキペディア「証 (キリスト教)」より)

 (「My Testimony/僕の証<5-1/2>」からの続き)……

  僕は現在、「ボロボロ」である。また、「ゴミ」や「M」等と思われても構わない。そして、見栄や体裁を繕うのでは無く、敢えて自分の能力の無さ、「弱さ」を素直に認め、それによって「イエス・キリストと繋がる強さ」を身に付けていきたい。
 そして例え迫害を受けようとも、その都度、イエス・キリストの受難を思い浮かべ、「神様であるイエス様でも『ボロボロ』になられたのだ」と励みにし、またそのイエス様の姿勢と態度を手本にして生きていきたい。
 更に、そうして僕が迫害を受ける中で、イエス様への信仰を基とした、御心に適った、悔い改めをして聖霊が宿った中で生きるならば、「イエス・キリストの『似姿』」、イエス様に似た姿へと変えて近付いていく事であろう。
 
 



 新約聖書・ローマ人への手紙8章26~30節
   御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。
  人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。
  神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
  なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。
  神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。

 The Epistle to the Romans 8:26~30
   In the same way, the Spirit also helps our weaknesses, for we don’t know how to pray as we ought. But the Spirit himself makes intercession for us with groanings which can’t be uttered.
  He who searches the hearts knows what is on the Spirit’s mind, because he makes intercession for the saints according to God.
  We know that all things work together for good for those who love God, for those who are called according to his purpose.
  For whom he foreknew, he also predestined to be conformed to the image of his Son, that he might be the firstborn among many brothers.
  Whom he predestined, those he also called. Whom he called, those he also justified. Whom he justified, those he also glorified.

 
 







 新約聖書・コロサイ人への手紙3章1~12節
  こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。
  あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。
  あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。
  私たちのいのちであるキリストが現われると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現われます。
   ですから、地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりを殺してしまいなさい。このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。
  このようなことのために、神の怒りが下るのです。
  あなたがたも、以前、そのようなものの中に生きていたときは、そのような歩み方をしていました。
  しかし今は、あなたがたも、すべてこれらのこと、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを、捨ててしまいなさい。
  互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、
  新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。
  そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。
   それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。

 コロサイ人への手紙3章17節
  あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。

 The New Testament・The Epistle to the Colossians 3:1~12
  If then you were raised together with Christ, seek the things that are above, where Christ is, seated on the right hand of God.
  Set your mind on the things that are above, not on the things that are on the earth.
  For you died, and your life is hidden with Christ in God.
  When Christ, our life, is revealed, then you will also be revealed with him in glory.
   Put to death therefore your members which are on the earth: sexual immorality, uncleanness, depraved passion, evil desire, and covetousness, which is idolatry.
  For these things’ sake the wrath of God comes on the children of disobedience.
  You also once walked in those, when you lived in them;
  but now you also put them all away: anger, wrath, malice, slander, and shameful speaking out of your mouth.
  Don’t lie to one another, seeing that you have put off the old man with his doings,
  and have put on the new man, who is being renewed in knowledge after the image of his Creator,
  where there can’t be Greek and Jew, circumcision and uncircumcision, barbarian, Scythian, bondservant, or free person; but Christ is all, and in all.
   Put on therefore, as God’s chosen ones, holy and beloved, a heart of compassion, kindness, lowliness, humility, and perseverance;

 The Epistle to the Colossians 3:17
  Whatever you do, in word or in deed, do all in the name of the Lord Jesus, giving thanks to God the Father, through him.


 
YouTube: PASSION OF THE CHRIST MOVIE (WHIPPING SCENE)

 次に掲げる旧約聖書「イザヤ書52章13節~53章12節」は、預言者イザヤによって預言された「イエス様の御姿」である。

 
 












 旧約聖書・イザヤ書52章13~15節  
  見よ。わたしのしもべは栄える。
  彼は高められ、上げられ、非常に高くなる。
  多くの者があなたを見て驚いたように、
  ――その顔だちは、
  そこなわれて人のようではなく、
  その姿も人の子らとは違っていた。――
  そのように、彼は多くの国々を驚かす。
  王たちは彼の前で口をつぐむ。
  彼らは、まだ告げられなかったことを見、
  まだ聞いたこともないことを悟るからだ。

 イザヤ書53章1~12節
  私たちの聞いたことを、だれが信じたか。
  主の御腕は、だれに現われたのか。
  彼は主の前に若枝のように芽生え、
  砂漠の地から出る根のように育った。
  彼には、私たちが見とれるような姿もなく、
  輝きもなく、
  私たちが慕うような見ばえもない。
  彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、
  悲しみの人で病を知っていた。
  人が顔をそむけるほどさげすまれ、
  私たちも彼を尊ばなかった。
  まことに、彼は私たちの病を負い、
  私たちの痛みをになった。
  だが、私たちは思った。
  彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
  しかし、彼は、
  私たちのそむきの罪のために刺し通され、
  私たちの咎のために砕かれた。
  彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
  彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
  私たちはみな、羊のようにさまよい、
  おのおの、自分かってな道に向かって行った。
  しかし、主は、私たちのすべての咎を
  彼に負わせた。
  彼は痛めつけられた。
  彼は苦しんだが、口を開かない。
  ほふり場に引かれて行く小羊のように、
  毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、
  彼は口を開かない。
  しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。
  彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。
  彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、
  生ける者の地から絶たれたことを。
  彼の墓は悪者どもとともに設けられ、
  彼は富む者とともに葬られた。
  彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。
  しかし、彼を砕いて、痛めることは
  主のみこころであった。
  もし彼が、自分のいのちを
  罪過のためのいけにえとするなら、
  彼は末長く、子孫を見ることができ、
  主のみこころは彼によって成し遂げられる。
  彼は、自分のいのちの
  激しい苦しみのあとを見て、満足する。
  わたしの正しいしもべは、
  その知識によって多くの人を義とし、
  彼らの咎を彼がになう。
  それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、
  彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。
  彼が自分のいのちを死に明け渡し、
  そむいた人たちとともに数えられたからである。
  彼は多くの人の罪を負い、
  そむいた人たちのためにとりなしをする。

 
 












 The Old Testament・The Book of Isaiah 52:13~15
  Behold, my servant will deal wisely.
  He will be exalted and lifted up,
  and will be very high.
  Just as many were astonished at you—
  his appearance was marred more than any man, and his form more than the sons of men—
  so he will cleanse many nations.
  Kings will shut their mouths at him;
  for they will see that which had not been told them,
  and they will understand that which they had not heard.

 The Book of Isaiah 53:1~12
  Who has believed our message?
  To whom has Yahweh’s arm been revealed?
  For he grew up before him as a tender plant,
  and as a root out of dry ground.
  He has no good looks or majesty.
  When we see him, there is no beauty that we should desire him.
  He was despised
  and rejected by men,
  a man of suffering
  and acquainted with disease.
  He was despised as one from whom men hide their face;
  and we didn’t respect him.
  Surely he has borne our sickness
  and carried our suffering;
  yet we considered him plagued,
  struck by God, and afflicted.
  But he was pierced for our transgressions.
  He was crushed for our iniquities.
  The punishment that brought our peace was on him;
  and by his wounds we are healed.
  All we like sheep have gone astray.
  Everyone has turned to his own way;
  and Yahweh has laid on him the iniquity of us all.
  He was oppressed,
  yet when he was afflicted he didn’t open his mouth.
  As a lamb that is led to the slaughter,
  and as a sheep that before its shearers is silent,
  so he didn’t open his mouth.
  He was taken away by oppression and judgment.
  As for his generation,
  who considered that he was cut off out of the land of the living
  and stricken for the disobedience of my people?
  They made his grave with the wicked,
  and with a rich man in his death,
  although he had done no violence,
  nor was any deceit in his mouth.
  Yet it pleased Yahweh to bruise him.
  He has caused him to suffer.
  When you make his soul an offering for sin,
  he will see his offspring.
  He will prolong his days
  and Yahweh’s pleasure will prosper in his hand.
  After the suffering of his soul,
  he will see the light and be satisfied.
  My righteous servant will justify many by the knowledge of himself;
  and he will bear their iniquities.
  Therefore I will give him a portion with the great.
  He will divide the plunder with the strong;
  because he poured out his soul to death
  and was counted with the transgressors;
  yet he bore the sins of many
  and made intercession for the transgressors.


 この預言の中で度々出て来る「彼」とは、イエス・キリストの事である。また、「だれ」、「わたしのしもべ」もイエス様の事である。そしてこの「わたし」とは、天の父なる神様の事である。父と子(イエス・キリスト)と聖霊の「三位一体」の創造主である唯一の神様であり、唯一の神様の内には複数の人格、位格が在るという「ペルソナ」を意味する。
 また、唯一の神様「ヤハウェ」のヘブル語表現としては、「アドナイ」((我が)主)、「エル」であるが、エルの複数形は「エロヒム」であり、その「三位一体」の事である。
 ヤハウェは、“I AM WHO I AM”(「私は在る、という者である」、出エジプト記3章14節)と述べる。「私は在る」とは、時間や空間を超えた永遠の時間の中に神様が存在する事を意味する。真に実在するのは唯一の神様のみであり、創造主は「自存的存在者」であるのに対し、被造物である人間は神様無しでは存在する事が出来ない「依存的存在者」である。

 
 



 新約聖書・マタイの福音書27章46節
  三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。 ・・・「TR」には「lima」の代わりに「lama」と書かれている。

 The New Testament・The Gospel of Matthew 27:46
  About the ninth hour Jesus cried with a loud voice, saying, “Eli, Eli, lima sabachthani?” That is, “My God, my God, why have you forsaken me?” ・・・※ “TR” reads “lama” instead of “lima”

     ※ ・(昼の)「三時」(15時)…直訳:「第九時」。

 ・「TR」:テクストゥス・レセプトゥス(Textus Receptus)…「『受け入れられたテキスト』の意味)は、デジデリウス・エラスムスとオランダの人文学者たちによって校訂され、1516年に印刷されたギリシア語新約聖書本文のこと。共認定本とも呼ばれる。出版された最初のギリシア語新約聖書でもある。後にウィリアム・ティンダルの英訳聖書、マルティン・ルターのドイツ語訳聖書(ルター聖書)など宗教改革期以降に作られた多くの翻訳聖書の底本として用いられ、正統的な新約ギリシア語本文としての権威を得た。が、近代になると、聖書学者たちはテクストゥス・レセプトゥスのもととなったギリシア語写本は東ローマ帝国からもたらされたビザンティン型に属するもの(小文字写本)で古くても12世紀以前にはさかのぼらないことを明らかにし、より古く、より良質な写本によって原文を確定しようとする本文批評学が確立した。その結果テクストゥス・レセプトゥスは今日では「(もはや)受け入れられないテキスト」となっている。」(ウィキペディア「テクストゥス・レセプトゥス」より)

 
 



 旧約聖書・出エジプト記3章14節
  神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある。』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた。』と。」

 The Old Testament・The Book of Exodus 3:14
  God said to Moses, “I AM WHO I AM,” and he said, “You shall tell the children of Israel this: ‘I AM has sent me to you.’ ”


 本ブログ過去の関連記事
  ・本ブログ ブックマーク:「My Testimony & Witness/僕の証 2018」 ・・・本ページ右サイド

  ・2012/12/02付:「世を軽んじ、全てを捨て、清貧・純潔・謙遜・愛・従順・・・『アシジの聖フランシスコ』を読んで」
  ・2013/02/10付:「『生命倫理』について・・・(5)『運命』を素直に受け入れ、大きく委ねる」
  ・2013/04/13付:「俗事における『無用性』は一時的なもの・・・信仰によって生き、永遠を求める」
  ・2014/06/29付:「『「普通がいい」という病・「自分を取りもどす」10講』を読んで・・・絶対的基準・規範も持たずにお互いの顔色・反応を確かめて『普通』と認め合っているに過ぎない世間の人達」
  ・2015/08/23付:「失敗、ユニーク、ユーモア・・・『道化師の孤独』を抱えた『聖なる無用性』:『寅さんとイエス』を読む」
  ・2016/05/08付:「聖霊存する不動の土台が築かれた心により失敗・ユニークが才能・特性に変貌する・・・『聖書力』を読む」
  ・2017/05/05付:「『ひきこもり』は良い事である・・・精神的修練と自立、心の成熟、自己点検、内省、瞑想、普通であろうとする間違い、アイデンティティにこそ値打ち、自分と公義とのバランス、そして根本規範」
  ・2018/03/19付:「僕の先月の追記:I am“out-low”, servant, and no ability神様の恵みで益とされるPeople are made as good by the grace of God」

 引用文献
  ・新改訳聖書(発行:日本聖書刊行会)
  ・新改訳新約聖書(1965年版)(発行:日本聖書刊行会)
  ・World English Bible(eBible.org)

 参考文献
  ・ウィキペディア:「ネストレ・アーラント」
  ・Wikipedia:「United Bible Societies」
  ・ウィキペディア:「テクストゥス・レセプトゥス」

 「 My Testimony/僕の証<5> 」<1/2> ~ <2/2> ↓
  【1】 【2】

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My Testimony/僕の証<5-1/2>:僕はボロボロ……イザヤの預言、人間マリアの処女懐胎を通したキリストの御降誕と侮辱を負われた「イエス様の御姿」& 迫害の中の信仰で「キリストの似姿」を得る

2019-01-31 18:49:57 | エッセイ・コラム
 ※ 本シリーズの記事は、昨年(2018年、平成30年)の内に投稿する予定であった為、本文中の「本年」とは2018年(平成30年)の事であり、訂正するには膨大な数に対応する為の手間と時間が必要となる為、敢えてそのままにしている事を御容赦願います。

 My Testimony & Witness
  僕の証<5>
    ~僕は「ボロボロ」……
     Isaiah 52:13~53:12
     イザヤが預言した人間マリアの処女懐胎を通したキリストの御降誕と、
       侮辱を負われた「イエス様の御姿」
     & 迫害の中での信仰により「キリストの似姿」に変えられる事を想う


 僕は、この度の「My Testimony/僕の証」シリーズの記事を書くに当たって、最初から「証」をするつもりで書いた訳では無かった。書いている途中で、キリスト者(クリスチャン)がプロテスタントの教会等で一般的に行っておられる「証」をしている事に気付いた。このタイミングで、「偶々」、「証」を行う事は、正に「不思議」であり、「意味深」であり、そしてその事が、「神様の思し召し」によって促されて行った様に思われてならないのである。
 尚、キリスト者としての「証」についての説明は、次である。
 
 以下、ウィキペディア「証 (キリスト教)」より、

 「証(あかし、testimony、witness)。キリスト教では、神様から頂いた恵みを人に伝えることを『証(あかし)をする』と言う。似た表現に、『分かち合う』という言葉があるが、これは少人数で深く話し合うような場合に使われる。大勢の人の前で、発表する場合は『分かち合い』ではなく『証』または『立証』というのが一般的。救世軍では『証言』(読み方は『あかし』)と表記する。
 神の恵みに感謝することはもとより、神を誉め讃える点がポイントである。まれに牧師や司祭による説教と同じく、高度な神学理論を用いたものとなることもある。プロテスタントにおいてはしばしば礼拝の中で時間を割いて信徒による立証が行われるが、牧師による説教が聖書の解き明かしであるのに対し、立証は自らの体験に基づいて神の恵みを参列者と共有することであるという相違がある。また、キリストを信じるに至っていない人に対して証をすることも大切なことだと考えられており、福音伝道の主要な手段の一つでもある。
 さらには、生活の多様な場面において信仰に基づいた選択および行動をとることも証と呼ばれる。クリスチャンは天国に迎え入れられることよりはむしろ、イエスが説教を通じて伝えたことを地上においてどのように生かしていくかということに主な関心を抱く。いわば、クリスチャンの生涯とはそれ自体が証である。」

 (以上、ウィキペディア「証 (キリスト教)」より)

 
 



 新約聖書・ヘブル人への手紙13章12~14節
  ですから、イエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました。
  ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。
  私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。

 The New Testament・The Epistle to the Hebrews 13:12~14
  Therefore Jesus also, that he might sanctify the people through his own blood, suffered outside of the gate.
  Let’s therefore go out to him outside of the camp, bearing his reproach.
  For we don’t have here an enduring city, but we seek that which is to come.

 
 



 新約聖書・ローマ人への手紙8章28~30節
  神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
  なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。
  神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。

 The Epistle to the Romans 8:28~30
  We know that all things work together for good for those who love God, for those who are called according to his purpose.
  For whom he foreknew, he also predestined to be conformed to the image of his Son, that he might be the firstborn among many brothers.
  Whom he predestined, those he also called. Whom he called, those he also justified. Whom he justified, those he also glorified.

 
 



 新約聖書・コロサイ人への手紙3章9~12節
  互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、
  新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。
  そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。
   それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。

 The New Testament・The Epistle to the Colossians 3:9~12
  Don’t lie to one another, seeing that you have put off the old man with his doings,
  and have put on the new man, who is being renewed in knowledge after the image of his Creator,
  where there can’t be Greek and Jew, circumcision and uncircumcision, barbarian, Scythian, bondservant, or free person; but Christ is all, and in all.
   Put on therefore, as God’s chosen ones, holy and beloved, a heart of compassion, kindness, lowliness, humility, and perseverance;


 
YouTube: The Passion of the Christ - Worthy Is The Lamb

 この2004年に公開されたアメリカ映画「パッション」(原題:The Passion of the Christ)は、イエス・キリストの受難と磔刑を描いているものであるが、その描かれている姿が凄惨であり、且つ、当時のユダヤのサンヘドリン(最高法院)等の指導者達やそれらに煽られた世間一般のユダヤ人達がイエス様を処刑に追い込んだ事実を含めて、ほぼ「“新約”聖書」に忠実に再現した事から、新約聖書を否定しイエス様をキリストとして認めていないユダヤ教関連組織やユダヤ人権団体等のユダヤ団体から、「反ユダヤ」等と批判が起こる大反響を、世界中に呼び起こした。またその中で、公開当時、ユダヤに支配されている欧米メディアや、同じくユダヤに迎合しているドイツの司教団等からも、多くのクレームを浴びた。更に、バチカンもユダヤから圧力を掛けられて、「発言撤回」に応じた。
 その映画を監督したメル・ギブソン氏は、現在も米映画界ハリウッドから干されたままでいる。同じくユダヤの支配下に在るハリウッドは、「反ユダヤ主義」というレッテルを貼られたメル・ギブソン氏を、除け者にし続けている。

 今から約2,000年前、イエス・キリストが天の御国から此の世に御降誕された。そして30歳の時、バプテスマのヨハネから洗礼を受け、荒野で悪魔の誘惑に勝利し、バプテスマのヨハネが捕らえられた後、公への伝道を行われた「公生涯」を始められた。「3年半」のその宣教の御公務の後、33歳半の時、完全な無実でありながら十字架の磔刑に遭われ、全ての人の罪の身代わりとなる犠牲になられて此の世での死に葬られた。その死から数えて3日目に、イエス・キリストは蘇って「復活」され、天に昇られた。

 ※但し、イエス・キリストはB.C.4年(秋?、少なくとも冬の12月25日では無い)~A.D.30年4月(グレゴリオ暦、ユダヤ暦では「最初の月」(旧約聖書・出エジプト記12章2節)、「アビブの月」(出エジプト記13章4節))に在世されたので、西暦0年は存在しない為、正確には数えで33年半であり、丸32年半ではないだろうか?。しかし、聖書の中でのキーとなる年月「3年半」が「公生涯」として間違いないとすると、「教えを始められたとき、イエスはおよそ三十歳」(ルカの福音書3章23節)であるからやはり33歳と半ばで受難に遭われたのであろうか?。
 
 



 旧約聖書・イザヤ書40章3節
   荒野に呼ばわる者の声がする。
   「主の道を整えよ。
   荒地で、私たちの神のために、
   大路を平らにせよ。

 The Old Testament・The Book of Isaiah 40:3
   The voice of one who calls out,
   “Prepare the way of Yahweh in the wilderness!
   Make a level highway in the desert for our God.

 
 



 新約聖書・マタイの福音書3章1~3節
  そのころ、バプテスマのヨハネが現われ、ユダヤの荒野で教えを宣べて、言った。
  「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」
  この人は預言者イザヤによって、
   「荒野で叫ぶ者の声がする。
   『主の道を用意し、
   主の通られる道をまっすぐにせよ。』」
  と言われたその人である。

 The New Testament・The Gospel of Matthew 3:1~3
  In those days, John the Baptizer came, preaching in the wilderness of Judea, saying,
  “Repent, for the Kingdom of Heaven is at hand!”
  For this is he who was spoken of by Isaiah the prophet, saying,
   “The voice of one crying in the wilderness,
   make the way of the Lord ready!
   Make his paths straight!”

 
 



 マタイの福音書3章5~9節
  さて、エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域の人々がヨハネのところへ出て行き、
  自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた。
  しかし、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けに来るのを見たとき、ヨハネは彼らに言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。
  それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。
  『われわれの先祖はアブラハムだ。』と心の中で言うような考えではいけません。あなたがたに言っておくが、神は、この石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。

 The Gospel of Matthew 3:5~9
  Then people from Jerusalem, all of Judea, and all the region around the Jordan went out to him.
  They were baptized by him in the Jordan, confessing their sins.
  But when he saw many of the Pharisees and Sadducees coming for his baptism, he said to them, “You offspring of vipers, who warned you to flee from the wrath to come?
  Therefore produce fruit worthy of repentance!
  Don’t think to yourselves, ‘We have Abraham for our father,’ for I tell you that God is able to raise up children to Abraham from these stones.

 
 



 マタイの福音書3章13~17節
   さて、イエスは、ヨハネからバプテスマを受けるために、ガリラヤからヨルダンにお着きになり、ヨハネのところに来られた。
  しかし、ヨハネはイエスにそうさせまいとして、言った。「私こそ、あなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたが、私のところにおいでになるのですか。」
  ところが、イエスは答えて言われた。「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです。」そこで、ヨハネは承知した。
  こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。
  また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」

 The Gospel of Matthew 3:13~17
   Then Jesus came from Galilee to the Jordan to John, to be baptized by him.
  But John would have hindered him, saying, “I need to be baptized by you, and you come to me?”
  But Jesus, answering, said to him, “Allow it now, for this is the fitting way for us to fulfill all righteousness.” Then he allowed him.
  Jesus, when he was baptized, went up directly from the water: and behold, the heavens were opened to him. He saw the Spirit of God descending as a dove, and coming on him.
  Behold, a voice out of the heavens said, “This is my beloved Son, with whom I am well pleased.”

 
 



 新約聖書・マルコの福音書1章12~15節
   そしてすぐ、御霊はイエスを荒野に追いやられた。
  イエスは四十日間荒野にいて、サタンの誘惑を受けられた。野の獣とともにおられたが、御使いたちがイエスに仕えていた。
   ヨハネが捕えられて後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べて言われた。
  「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」

 The New Testament・The Gospel of Mark 1:12~15
   Immediately the Spirit drove him out into the wilderness.
  He was there in the wilderness forty days, tempted by Satan. He was with the wild animals; and the angels were serving him.
   Now after John was taken into custody, Jesus came into Galilee, preaching the Good News of God’s Kingdom,
  and saying, “The time is fulfilled, and God’s Kingdom is at hand! Repent, and believe in the Good News.”

 
 








 新約聖書・ルカの福音書3章23~38節
   教えを始められたとき、イエスはおよそ三十歳で、人々からヨセフの子と思われていた。このヨセフは、ヘリの子、順次さかのぼって、
  マタテの子、レビの子、メルキの子、ヤンナイの子、ヨセフの子、
  マタテヤの子、アモスの子、ナホムの子、エスリの子、ナンガイの子、
  マハテの子、マタテヤの子、シメイの子、ヨセクの子、ヨダの子、
  ヨハナンの子、レサの子、ゾロバベルの子、サラテルの子、ネリの子、
  メルキの子、アデイの子、コサムの子、エルマダムの子、エルの子、
  ヨシュアの子、エリエゼルの子、ヨリムの子、マタテの子、レビの子、
  シメオンの子、ユダの子、ヨセフの子、ヨナムの子、エリヤキムの子、
  メレヤの子、メナの子、マタタの子、ナタンの子、ダビデの子、
  エッサイの子、オベデの子、ボアズの子、サラの子、ナアソンの子、
  アミナダブの子、アデミンの子、アルニの子、エスロンの子、パレスの子、ユダの子、  ・・・※ 「NU」には、アラム(Aram)の代わりにアデミン、アルニと書いてある。
  ヤコブの子、イサクの子、アブラハムの子、テラの子、ナホルの子、
  セルグの子、レウの子、ペレグの子、エベルの子、サラの子、
  カイナンの子、アルパクサデの子、セムの子、ノアの子、ラメクの子、
  メトセラの子、エノクの子、ヤレデの子、マハラレルの子、カイナンの子、
  エノスの子、セツの子、アダムの子、このアダムは神の子である。

 The New Testament・The Gospel of Luke 3:23~38
   Jesus himself, when he began to teach, was about thirty years old, being the son (as was supposed) of Joseph, the son of Heli,
  the son of Matthat, the son of Levi, the son of Melchi, the son of Jannai, the son of Joseph,
  the son of Mattathias, the son of Amos, the son of Nahum, the son of Esli, the son of Naggai,
  the son of Maath, the son of Mattathias, the son of Semein, the son of Joseph, the son of Judah,
  the son of Joanan, the son of Rhesa, the son of Zerubbabel, the son of Shealtiel, the son of Neri,
  the son of Melchi, the son of Addi, the son of Cosam, the son of Elmodam, the son of Er,
  the son of Jose, the son of Eliezer, the son of Jorim, the son of Matthat, the son of Levi,
  the son of Simeon, the son of Judah, the son of Joseph, the son of Jonan, the son of Eliakim,
  the son of Melea, the son of Menan, the son of Mattatha, the son of Nathan, the son of David,
  the son of Jesse, the son of Obed, the son of Boaz, the son of Salmon, the son of Nahshon,
  the son of Amminadab, the son of Aram, the son of Hezron, the son of Perez, the son of Judah,  ・・・※ “NU” reads “Admin, the son of Arni” instead of “Aram”
  the son of Jacob, the son of Isaac, the son of Abraham, the son of Terah, the son of Nahor,
  the son of Serug, the son of Reu, the son of Peleg, the son of Eber, the son of Shelah,
  the son of Cainan, the son of Arphaxad, the son of Shem, the son of Noah, the son of Lamech,
  the son of Methuselah, the son of Enoch, the son of Jared, the son of Mahalaleel, the son of Cainan,
  the son of Enos, the son of Seth, the son of Adam, the son of God.

     ※ 「NU」:Nestle-Aland UBS

 ・「NA」:ネストレ・アーラント(Nestle-Aland)…「現代の聖書学の最高水準を示すギリシア語新約聖書テキスト。正式名称は『ギリシア語新約聖書』を意味するラテン語の『Novum Testamentum Graece』(ノーヴム・テスタメントゥム・グラエケ)である。ドイツの聖書学者エベルハルト・ネストレ, 1851年-1913年)が校訂し、同じくドイツの聖書学者クルト・アーラント, 1915年-1994年)が再校訂 …(中略)… 現在の学問水準から考えうる最高のテキストであるといっても過言でなく、現代日本語訳の『新共同訳聖書』や『新改訳聖書』など、ほとんどの新約聖書の翻訳元となっている。」(ウィキペディア「ネストレ・アーラント」より)
 ・「UBS」:米国聖書協会(The United Bible Societies)…日本聖書協会(Japan Bible Society)をはじめ、ドイツ、ギリシャ、ロシア、ウクライナ、韓国、インド、インドネシア、フィリピン、南アフリカ、コロンビア、ハンガリー、オランダ、スロベニア、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、英国外国、スコットランド等の聖書協会(Bible Society)を含む「146の会員協会があり、200以上の国や地域で活動しています。」(Wikipedia「United Bible Societies」より)
 ・「新共同訳聖書」…日本聖書協会
 ・「新改訳聖書」…いのちのことば社、新日本聖書刊行会(旧・日本聖書刊行会)

 
 



 マルコの福音書6章3~6節
  この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか。」こうして彼らはイエスにつまずいた。
  イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。」
  それで、そこでは何一つ力あるわざを行なうことができず、少数の病人に手を置いていやされただけであった。
  イエスは彼らの不信仰に驚かれた。
   それからイエスは、近くの村々を教えて回られた。

 The Gospel of Mark 6:3~6
  Isn’t this the carpenter, the son of Mary, and brother of James, Joses, Judah, and Simon? Aren’t his sisters here with us?” So they were offended at him.
  Jesus said to them, “A prophet is not without honor, except in his own country, and among his own relatives, and in his own house.”
  He could do no mighty work there, except that he laid his hands on a few sick people and healed them.
  He marveled because of their unbelief.
   He went around the villages teaching.


 イエス・キリストの御降誕より700年前(~800年前)に「バプテスマのヨハネ」の事を預言した大預言者イザヤは、イエス様が人間の女性の身体を通して、しかも「処女懐胎」を通して、100%神様でありながらも100%人間の姿形を取られて、此の世に御降誕される事も預言した。
 全知全能の絶対者、創造主に不可能な事は無く、人間の能力では不可能な事、「奇しい(くすしい)」事、「不思議」な事も、成し遂げられる。
 
 



 旧約聖書・イザヤ書7章14~16節
  それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。
  この子は、悪を退け、善を選ぶことを知るころまで、凝乳と蜂蜜を食べる。
  それは、まだその子が、悪を退け、善を選ぶことも知らないうちに、あなたが恐れているふたりの王の土地は、捨てられるからだ。

 The Old Testament・The Book of Isaiah 7:14~16
  Therefore the Lord himself will give you a sign. Behold, the virgin will conceive, and bear a son, and shall call his name Immanuel.
  He shall eat butter and honey when he knows to refuse the evil and choose the good.
  For before the child knows to refuse the evil and choose the good, the land whose two kings you abhor shall be forsaken.

 
 



 新約聖書・マタイの福音書1章23節
  「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)
 
 The New Testament・The Gospel of Matthew 1:23
  “Behold, the virgin shall be with child, and shall give birth to a son. They shall call his name Immanuel;” which is, being interpreted, “God with us.”


 そして、イエス様は今後、「此の世の終末」に於いて「再臨」される事が聖書に於いて預言されているのであるが、約2,000年前の前回に御降臨された時、此の世に於ける「公生涯」を送られた終わりに於いて、天の父なる神様の御計画として、キリスト(メシア、救世主)として、子なるイエス様は受難を受け入れられ犠牲になられた。
 ユダヤの最高法院サンヘドリンに於ける尋問と裁き、ローマ帝国ユダヤ属州の総督ポンティオ・ピラトと共にユダヤの指導者達に煽動されたユダヤの世間一般大衆達からの侮辱と裁き、そして十字架上での残虐苛酷な磔刑にて死に葬られた事も、イザヤは預言した。

 僕は、現在「ボロボロ」である。元々から地位や名誉、肩書、学歴、人脈等は持っていなかったが、ここまで失敗を重ね、トラブルを重ね、財産も捨て、欲望も捨て、レジャーも捨て、結婚や恋愛願望も捨て、繋がり願望も捨て、一時目指した医療系も捨て、少なくとも世間一般と比べると、知識や教養はともかくとして、それらを所有する事から距離を置いている様に思う。「目標」と言えば聞こえは良いが、その実、その基盤になっているのは、大抵の場合、自分の欲望でしかない。神様の御計画と自分の目標の方向が正反対であれば、一生かけても達成する事は有り得ず、「絶望」に至るのみである。
 そして、その様な現状を見た、理解に乏しい周囲の人達の中には、「貧しい」、「寂しい」、「みすぼらしい」、「可哀想(かわいそう)」、「不憫だ」等と思っている人が少なく無い。
 僕自身は、「孤独」である事を寂しいとは全く思わない。英語で言えば、「単独、独力、独立」を意味する“alone”であり、心細さや寂しさを意味する“lonely“では無い。よって僕にとってみれば、「可哀想」等と言いながら単なる介入、干渉行為でしかない「有り難迷惑」や「余計なお節介」は、ストーカー行為に相当するとしてしか思わない。
 そして実際、僕はその様なストーカー行為を受けているのであるが、その原因となっているのがプライバシーの侵害である。そのプライバシー侵害の被害を原因として、悪口、誹謗中傷、バッシング、ハラスメント、いじめ等を受ける事に繋がっている。よって、プライバシーの侵害という根本原因が失くならない限りは、幾ら対症療法をしても状況が変わる事は無く、生涯、それらを背負って生きていかなければならない。
 この僕が受け続けている事と同じ事を、今から約3,000年前のユダヤの王ダビデも、「姦淫の罪」を犯した後、生涯背負ったのである。ダビデも、生涯、ストーカーとプライバシー侵害の被害に悩まされ、その分、常に、神様にお祈りをして救いを願った。
 そして、僕の周囲に居る人達、世間の人達の中には、「ボロボロ」とか言ったり、無用性を意味する「ゴミ」、サゾ(S)の反対のマゾの意味で「M」、そして「人前で、こっけいな振る舞いをする人。笑いものになるだけの人。」(goo辞書(デジタル大辞泉(小学館))より)という意味で「ピエロ」等と言って茶化したり、嘲笑し、侮辱し、差別し、迫害している。

 僕の洗礼名は、「アッシジのフランチェスコ」である。修道士アッシジのフランチェスコは、「神様の道化師」と呼ばれた様に、「人を笑わせるようなこっけいな身ぶりや言葉。また、それをする人。おどけ。」(goo辞書(デジタル大辞泉(小学館))「道化」より)を表現された方である。しかし、その様な見え方は、理解に乏しい者達の捉え方である。実際は、後の天の御国での命を重視して、此の世に於ける生を軽んじ、それ故に知識を持つ事をも否定する程に此の世で所有する事を拒否して全てを捨て、自分を「無」にして全てを神様の為に捧げる「犠牲」になられ、「清貧」、「純潔」、「謙遜」、「愛」、「神様に従順」を体現されたのである。此の世に従順では無く、人に従順では無く、飽くまでも「神様に従順」なのである。よって、人からの承認や報奨、褒め言葉等を必要とはしないのである。そしてアッシジのフランチェスコは、その「ボロボロ」の姿と行いから、当時既に腐敗し権力も肥大していたカトリック界に改革の必要性の気付きを与えた。「アッシジのフランチェスコ」が僕の洗礼名となっているのは、とても意味が深い様に思う。
 また、「アッシジのフランチェスコ」と同様な日本の人物として、僧侶「良寛」が居られる。歌人、漢詩人、書家として多くの作品を後世に遺され、現在に至ってはその評価も高い。その遺されたものからも解る様に、世俗に於ける様々な所有物が実は「空」であるのに対し、所有しない方が却って精神的に、また心が豊かになる事を示している。また、「色即是空」、様々なものはいずれ消えて無くなる、また死によって手放す事になるので、それらに執着する事の愚かさをも示された。良寛もアッシジのフランチェスコが灰を被って修行した事と同様に、ボロを纏い、地位も身分もお寺も全て捨て、山奥の粗末で質素な草庵に隠遁生活した。反応や動作が鈍く、口が重く、また世間ずれし、何時も子供達と遊んでばかりいた事から、「薄鈍(うすのろ)」とか「愚鈍」、「無用」等と、当時は陰口を叩かれていた。しかし、「無い」事によって、そのストレスが溜まる事の無い、世間一般とは反対のスローライフは、豊かであった。
 旧約聖書「ヨブ記」のヨブは、神様に対して全く正しい生活を送っていたにも関わらず、サタン(悪魔)がヨブを打とうとしている事を天の神様が承諾した事から、サタンに取り付かれて癩病(らい病)に罹った。その様な身に置かれる中で、また訪問者からの言葉によって、神様への全き心が揺さぶられ、次第に神様に文句を言う程に心がぐらつくが、その試練と神様の御心を神様に対する素直な心で全面的に受け入れた後、神様によって身体は回復され、生活も再興された。

 アッシジのフランチェスコにしても、良寛にしても、またヨブにしても、その他、世間から逃れて山奥へ逃げた隠遁者達に対して、当時は偏見の目で見られ、差別され、迫害の対象になっていたものの、後世になってから評価されたりファンが増えたりしている。その事は、イエス・キリストの昇天後、原始キリスト教界を背負って先導し、新約聖書の大部分を書いてそれらを遺された、使徒パウロにも当てはまる。
 大抵の人々は、年を重ねると欲望が減っていくものである。「終活」や「断捨離」等と、所有するものを捨てていくものである。それは、諦観の念もあろうが、俗世間の虚しさに気付く事による者もあろう。欲望の対象となるものの全てが、実は「空っぽ」である事を理解するから、それら無駄なものは所有しない、意味の無い事は行わないと、悟るのである。そして、その所有を手放した時、心は自由になる。また、心を此の世、俗世間から距離を取る事と共に、神様への信仰を据える事によっても、心が解放される。

 僕は現在、「ボロボロ」である。また、「ゴミ」や「M」等と思われても構わない。そして、見栄や体裁を繕うのでは無く、敢えて自分の能力の無さ、「弱さ」を素直に認め、それによって「イエス・キリストと繋がる強さ」を身に付けていきたい。
 そして例え迫害を受けようとも、その都度、イエス・キリストの受難を思い浮かべ、「神様であるイエス様でも『ボロボロ』になられたのだ」と励みにし、またそのイエス様の姿勢と態度を手本にして生きていきたい。
 更に、そうして僕が迫害を受ける中で、イエス様への信仰を基とした、御心に適った、悔い改めをして聖霊が宿った中で生きるならば、「イエス・キリストの『似姿』」、イエス様に似た姿へと変えて近付いていく事であろう。
 ……(「My Testimony/僕の証<5-2/2>」へ続く)

 「 My Testimony/僕の証<5> 」<1/2> ~ <2/2> ↓
  【1】 【2】

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My Testimony/僕の証<4>:神様への甘え、主の価値観、キリストの辱めを身に負う、インフルエンサーの隠遁者、世間の無神論者・ダーウィンの進化論・リベラリズム・マスコミ・タルムードの傲慢

2019-01-31 16:25:35 | エッセイ・コラム
 ※ 本シリーズの記事は、昨年(2018年、平成30年)の内に投稿する予定であった為、本文中の「本年」とは2018年(平成30年)の事であり、訂正するには膨大な数に対応する為の手間と時間が必要となる為、敢えてそのままにしている事を御容赦願います。

 My Testimony & Witness
  僕の証<4>
    ~神様への甘え、主の価値観、キリストの辱めを身に負う、
     「インフルエンサー」としての隠遁者、
     世間の「無神論者」「ダーウィンの進化論」「リベラリズム」「マスコミ」「タルムーディック・ユダヤ教」の「傲慢」


 僕は、この度の「My Testimony/僕の証」シリーズの記事を書くに当たって、最初から「証」をするつもりで書いた訳では無かった。書いている途中で、キリスト者(クリスチャン)がプロテスタントの教会等で一般的に行っておられる「証」をしている事に気付いた。このタイミングで、「偶々」、「証」を行う事は、正に「不思議」であり、「意味深」であり、そしてその事が、「神様の思し召し」によって促されて行った様に思われてならないのである。
 尚、キリスト者としての「証」についての説明は、次である。
 
 以下、ウィキペディア「証 (キリスト教)」より、

 「証(あかし、testimony、witness)。キリスト教では、神様から頂いた恵みを人に伝えることを『証(あかし)をする』と言う。似た表現に、『分かち合う』という言葉があるが、これは少人数で深く話し合うような場合に使われる。大勢の人の前で、発表する場合は『分かち合い』ではなく『証』または『立証』というのが一般的。救世軍では『証言』(読み方は『あかし』)と表記する。
 神の恵みに感謝することはもとより、神を誉め讃える点がポイントである。まれに牧師や司祭による説教と同じく、高度な神学理論を用いたものとなることもある。プロテスタントにおいてはしばしば礼拝の中で時間を割いて信徒による立証が行われるが、牧師による説教が聖書の解き明かしであるのに対し、立証は自らの体験に基づいて神の恵みを参列者と共有することであるという相違がある。また、キリストを信じるに至っていない人に対して証をすることも大切なことだと考えられており、福音伝道の主要な手段の一つでもある。
 さらには、生活の多様な場面において信仰に基づいた選択および行動をとることも証と呼ばれる。クリスチャンは天国に迎え入れられることよりはむしろ、イエスが説教を通じて伝えたことを地上においてどのように生かしていくかということに主な関心を抱く。いわば、クリスチャンの生涯とはそれ自体が証である。」

 (以上、ウィキペディア「証 (キリスト教)」より)

 
 



 旧約聖書・詩篇16章1~2節
  神よ。私をお守りください。
  私は、あなたに身を避けます。
  私は、主に申し上げました。
  「あなたこそ、私の主。
  私の幸いは、あなたのほかにはありません。」

 The Old Testament・The Book of Psalms 16:1~2
  Preserve me, God,
  for I take refuge in you.
  My soul, you have said to Yahweh,
  “You are my Lord.
  Apart from you I have no good thing.”


 僕は、もっと神様に甘えた方が良いのではないのか……。

 僕は、今まで、特に社会に出てから暫くして以降は、自信を持ち、「独立自尊」の精神、つまり、自立・独立精神と自尊心を持ち、プライド(誇り)が強かった。例え、周囲、世間から可笑しく見られようとも、奇異の目で見られようとも、奇妙と見られようとも、また「不思議」に見られようとも、その「世間の目」に多少はその時々に於いて揺るがされる事はあろうとも、基本的にそれらが僕自身の「基軸」となって、約30年程の間、友達が全く居なかったにも関わらず、ここまで死なずに生きて来た。
 そして今に至っては、僕自身が自分自身をマイノリティである事を素直に認め、周囲、世間一般とは非常に異なり、違い、変わっている事を素直に受け入れている。そして、それらが悪い事とは全く思わず、それらの事、僕自身のアイデンティティ(独自性)、パーソナリティ(個性)にこそ値打ちが有り、誇りを感じ、その「価値」を大事に守っていこうとさえ思っている。
 振り返ると、高校時代までは、神様への信仰心からは離れて大きく逸れ出していたので心は実は悪化していたのであるが、表面的に極端にグレる事が示されず、傍から見ると真面目に見られていたものと思う。勿論、高校3年時に学校をしょっちゅうサボったり、大きく遅刻する状態となっていた事は、表面的にも真面目では失くなっていた。そして、単位制の高校であった事もあって、単位が取れずに卒業出来ず、そのまま中退した。その後、一日も早く一人暮らしをして独り立ちしたいと思う中、社会の事がまるで解らず、20歳前後には家出の経験も有る中で、「自分探し」をした後、親父(実父)と同じ鉄工の仕事を選択し、「自己実現」していった。また見習いに入った頃は、将来、独立して商売したいという「目標」も持っていた。
 しかし、仕事の上での成長や実績、新築マンション購入等と「自己実現化」していく中で、自分自身の「孤独」を感じる等、「虚しさ」を感じる様になった。
 また、独りで行う事がレベルが高いと感じ、そして、奇しくも、正に「不思議」にも、全く偶然な出来事として、2003年1月末、33歳8ヶ月の時、つまり、イエス・キリストが此の世に於いて十字架上で磔刑に遭われて全ての人の為に犠牲になられた時の年齢、33歳半とほぼ同じ歳で、仕事上で大きな怪我をした。普段、集中して気を入れて行っていれば起こる様な事故では無く、品物の大きさも然程大きくは無かった。心臓に近い部分の大動脈が3層有る内の内膜1枚が辛うじて繋がって残っていただけで、しかもその膜が風船の様に膨らみ、いつ破れてもおかしくない状況であった。もし破れていたならば、僕はその時、大動脈破裂による大出血で死んでいた。

 ※但し、イエス・キリストはB.C.4年(秋?、少なくとも冬の12月25日では無い)~A.D.30年4月(グレゴリオ暦、ユダヤ暦では「最初の月」(旧約聖書・出エジプト記12章2節)、「アビブの月」(出エジプト記13章4節))に在世されたので、西暦0年は存在しない為、正確には数えで33年半であり、丸32年半ではないだろうか?。

 その年齢のタイミングで偶然に起こったその出来事は、多分、神様が僕の信仰心のリバイバル(再興)を御計画されてのものであった様に思う。その年齢で、僕自身が意図的に痛い思いをする為に怪我をした訳が無く、また「虚しさ」を感じていたからと言って自殺する為にその事を自分の意志で行った訳でも無い。飽くまでも、「偶然」に起こった出来事である。「偶然」の出来事は、「神様の計らい」である。そしてその事をきっかけとして、先ず、再び神様の方へと向きを変え出し始めた。
 元々は、8歳でカトリックで受洗していたのであるが、その当時に住んでいた近くのプロテスタント(日本同盟基督教団)の教会に少し通った。そこで購入した「新改訳聖書」は、現在、僕の愛読書となっている。プロテスタント教会は、小中学校の同級生に牧師の息子が居た為に、夏休みの教会のキャンプに連れて行ってもらったりした事から、子供の頃から馴染みが有った。
 プロテスタントでは、人間であるマリアを崇拝しない事や、同じく人間でしかない牧師(カトリックでは神父)に対して罪を告白すると罪が赦されるという告解(ゆるしの秘跡)を行わない。元々、プロテスタント教会は、カトリックに対し「プロテスト」(抗議)する為に生まれたものである。よって、より聖書に近づいた教会であると言える。
 しかし当時の僕は、内面が変わりだしたとしても、未だまだ中途半端であった。「虚しさ」、「空虚感」を神様によって埋めてもらおうとするのでは無く、人によって埋めてもらおうとしていた。結婚願望や、その後に医療系の専門学校に通っていた頃、特に通いだした当初は、多くの人と繋がる事を求めていた。そして、周囲や世間、空気に合わせようと努め、世間一般から好かれたい、認められたい、と願い努めていた。しかしそれらによって、僕自身の元々持っていたアイデンティティや個性が中途半端になってしまい、僕が僕では無くなってしまい、自分らしさが失われてしまっていた。
 よって、その当時の僕を今現在の僕が客観的に見ると、間違っていた事が解る。また同時に、僕がその系列の学校を目指していた当時、前述の旧住所近くのプロテスタント教会の牧師が言っていた、「また戻る」という言葉を思い出す。職業の種類を変えたからといって、神様の捉え方や判断は変わらない。それまで続けて来た鉄工の仕事をしながらでも、神様の御心に適う事が出来るのである。
 そして結局、現在に至るまで未婚のままであるし、友達も居ないままである。そして、「過去のレッテル」を貼られたままであり、嫌われ、差別され、偏見を持たれている事は、以前からと同様に変わらない。僕の内面が変わって来たとしても、周囲の反応は変わらないのである。確かに内面が変わったとしても、外見上として、外で、パフォーマンスをするが如くに、行動で示していない事も理解されない原因であろうとも思う。しかし行動には、瞑想の様に、黙想し、隠れて「神様へのお祈り」をし、フリー・ライターの様に引きこもって書き物をする事をはじめとして、色々と種類が有る。そして、何も人に見せびらかしてする事が正しい訳でも無く、それにより人々からの報酬、周囲の承認、世間の褒め言葉を貰おうとする事は「偽善」であり、人の目に触れない様にして行う「陰徳」こそが神様に報いて下さるのである。

 
 



 

 新約聖書・マタイの福音書6章1~8節
  人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。
   だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
  あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。
  あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
   また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
  あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
  また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。
  だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。

 The New Testament・The Gospel of Matthew 6:1~8
  “Be careful that you don’t do your charitable giving before men, to be seen by them, or else you have no reward from your Father who is in heaven.
   Therefore, when you do merciful deeds, don’t sound a trumpet before yourself, as the hypocrites do in the synagogues and in the streets, that they may get glory from men. Most certainly I tell you, they have received their reward.
  But when you do merciful deeds, don’t let your left hand know what your right hand does,
  so that your merciful deeds may be in secret, then your Father who sees in secret will reward you openly.
   “When you pray, you shall not be as the hypocrites, for they love to stand and pray in the synagogues and in the corners of the streets, that they may be seen by men. Most certainly, I tell you, they have received their reward.
  But you, when you pray, enter into your inner room, and having shut your door, pray to your Father who is in secret; and your Father who sees in secret will reward you openly.
  In praying, don’t use vain repetitions as the Gentiles do; for they think that they will be heard for their much speaking.
  Therefore don’t be like them, for your Father knows what things you need before you ask him.


 僕は今に至っては、「結婚しない」、「恋愛しない」、「友達は作らない」、「孤独を貫く」、そしてついでに「飯の種」、生きていく「手段」としての仕事として「医療・介護の仕事は行わない」とも掲げている。仕事の種類で値打ちが決まるのでは無い。職種それぞれに、貴賤の違いは無い。僕が過去、医療系の専門学校に通ったからと言って、失敗は失敗として、既に僕自身の中では「終わった事」なのである。しかし世間の多くの人々は、普段は「前向きに」等と言っておきながら、そういう事については「後ろ向きになれ」等と矛盾した事を言っている様なものである。
 「人の欲望」に報いたからといって、その人々が飯を食わしてくれるのか?。面倒を見てくれるのか?。独立意識の強い僕は、そんな「人の欲望」には従わず、「人の欲望」の奴隷にはならない。
 また、僕にとって外の仕事は「飯の種」としての「手段」としてしか捉えておらず、人生の上での「目的」とは異なる。僕の「目的」は、別に在る。
 此の世で生きていく上での「目的」は、一言で言うと、神様の御心に適った生き方をする事である。つまり、神様の御計画通りに、運命、宿命に従って生きていく事である。よって、周囲、世間、人々の欲望や希望に従う事では無く、人々に好かれようとする事でも無い。例え世間から除け者にされようとも、いじめられようとも、迫害を受けようとも、「居れない」様にハラスメントを受けようとも、本当の事、真実を述べていく事、神様の御言葉や御心を伝える事は、その「目的」に適ったものである。キリスト者は、此の世に国籍を持つのでは無く、後の天に国籍が在るのであるから、此の世に「居れない」でも構わないではないか。
 また、自分の個性、アイデンティティを「タラント」(才能)として活かす事が、「使命」を果たす事となる。よって、周囲と違っているから恥ずかしいと言って隠してしまうのでは無く、その違いを持って「目的」を行う事が、神様から与えられた「自分の務め」を行う事となる。そして、「過去のレッテル」や失敗、トラブル、トラウマ、障害、病気、怪我等の「試練」を、「自分の十字架」として忍耐、我慢するよりも、一歩進んだ「神様からの恵み」と捉える事が出来る様になる。

 
 



 新約聖書・ローマ人への手紙12章2節
  この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

 The New Testament・The Epistle to the Romans 12:2
  Don’t be conformed to this world, but be transformed by the renewing of your mind, so that you may prove what is the good, well-pleasing, and perfect will of God.

 
 



 新約聖書・ピリピ人への手紙3章18~21節
  というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。
  彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。
  けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
  キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

 The New Testament・Epistle to the Philippians3:18~21
  For many walk, of whom I told you often, and now tell you even weeping, as the enemies of the cross of Christ,
  whose end is destruction, whose god is the belly, and whose glory is in their shame, who think about earthly things.
  For our citizenship is in heaven, from where we also wait for a Savior, the Lord Jesus Christ,
  who will change the body of our humiliation to be conformed to the body of his glory, according to the working by which he is able even to subject all things to himself.

 
 



 新約聖書・テモテへの手紙 第二4章5~7節
 しかし、あなたは、どのようなばあいにも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。
 私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。
 私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。

 The New Testament・The Second Epistle to Timothy 4:5~7
  But you be sober in all things, suffer hardship, do the work of an evangelist, and fulfill your ministry.
  For I am already being offered, and the time of my departure has come.
  I have fought the good fight. I have finished the course. I have kept the faith.

 
 



 新約聖書・マタイの福音書5章10~12節
   義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
  わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。
  喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。
 
 The New Testament・The Gospel of Matthew 5:10~12
   Blessed are those who have been persecuted for righteousness’ sake, for theirs is the Kingdom of Heaven.
  “Blessed are you when people reproach you, persecute you, and say all kinds of evil against you falsely, for my sake.
  Rejoice, and be exceedingly glad, for great is your reward in heaven. For that is how they persecuted the prophets who were before you.


 そういう事から、今に至って、僕は敢えて世間からはみ出したいと思い、隠遁生活したいとも思い、「飯の種」以外は引きこもる様にもなっている。僕自身に今や大した欲望も無く、休日に世間一般の人達が外でレジャーに勤しむ姿は、僕にとっては却って虚しく見え、意味が無い様に見える。そして、僕は世俗を嫌う事で、出来るだけその中に入らず、混じらず、外から客観的に見る。
 僕の洗礼名は、「神様の道化師」とも呼ばれた「アッシジのフランチェスコ」である。僕の現在の「ボロボロ」な姿と共通して、とても意味が深く感じる。アッシジのフランチェスコは「世を軽んじ、全てを捨て、清貧・純潔・謙遜・愛・従順」(「世を軽んじ、全てを捨て、清貧・純潔・謙遜・愛・従順・・・『アシジの聖フランシスコ』を読んで」 、2012年12月2日付の本ブログ記事)を体現した方であり、心が「純粋無垢」となり、全てを捨ててからは神様の為に捧げた方である。アッシジのフランチェスコが灰を被り、ボロを纏い、「隠遁」した事と同じく、日本の「良寛」も同様にして、全てを捨て、孤独に、山奥に「隠遁」した。更に、鴨長明は「方丈記」を、吉田兼好は「徒然草」を、同様に山奥での「隠遁」生活に於いて著し、山から世俗の町並みを見下ろしながら、世間を客観的に観察し、此の世の「無常」を想い、世を軽視して、批評、批判した。

 2018年10月16日付、神戸新聞夕刊「紹圭さんの作務日記 7 時代の変化は袂の中に」(著者:浄土真宗本願寺派光明寺の僧侶・松本紹圭氏)より、
  「出家は世捨て人とは違います。『出家とはなにか』(佐々木閑著)にもあるように、出家とは、ただ既存の社会の外に出るのではありません。俗世間の価値観を拒否した人たちが社会と緊密な関係を保ちながら外におり、なおかつ社会にもインパクトを与えてこそ、出家なのです。」

 仏教界の「出家」と同様、西方教会のカトリックや東方教会の正教会の「修道」生活も「隠遁」生活であり、前述の方々をはじめ、その他、仙人等の山奥に逃れた「隠遁者」達は、後々に語り継がれると共に文学や文化、芸術等をはじめとして後世に遺し、「インフルエンサー」(influencer)として、現代に於いてもその影響力を発揮している。
 また、その様な「修行」やイエス・キリストへの信仰心によって「純化」され清浄された心、座禅によって生まれる「無心」、それら「純粋無垢」な心が得られた後、自分自身と欲望に満ちた世間とのずれ・食い違いを感じる事となる。そして、純粋な心を世俗の塵で汚したくない、世俗の誘惑や挑発、攻撃によって心を傷つけたくない、隠遁生活を続けて純粋になった心を守りたいとも、僕の場合は思ったりする。

 しかしそうは言っても、「飯の種」、生活の糧を得る為にも、全く世間の中に出ない訳にもいかない。その上で、僕には元々、地位や名誉、学歴、肩書等は無いものの、その他、見栄や体裁、実績、財産、所有、能力、学力、体力、ファッション等と、自分を強く見せる「此の世の装飾」を手放し、自分の素の姿、個性やアイデンティティを活かし、欠点や短所、失敗をも曝け出し、自分の弱さを認めて神様の力が必要な事を認め、イエス・キリストに祈り願う事が必要である様に思う。そして僕自身の素の姿、多くの失敗やトラブル、迫害等で「ボロボロ」の姿になっている事を素直に認め、僕のその姿を、イエス・キリストが此の世に於ける死の直前、ユダヤの最高法院サンヘドリンにて裁かれ、ローマ帝国ユダヤ属州の総督ポンテオ・ピラトと、且つユダヤの指導者達に煽られたユダヤの世間の人達の下で十字架に掛けられる磔刑に遭い死に葬られた一連の姿を重ね合わせ、そのイエス・キリストの御姿と受難を思い浮かべながら生きていき、イエス・キリストは神様であるにも関わらず、あの様にボロボロにされ、除け者にされ、いじめられたにも関わらず、口を開かず天命のままに僕たちの為に犠牲になられた事を想い浮かべながら、「キリストの辱めを身に負う」覚悟が必要であろう。そして、「弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじ」た時、「イエス・キリストに在る強さ」を獲得出来るものと思われる。
 
 



 新約聖書・ヨハネの黙示録3章12節
  勝利を得る者を、わたしの神の聖所の柱としよう。彼はもはや決して外に出て行くことはない。わたしは彼の上にわたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、わたしの神のもとを出て天から下って来る新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを書きしるす。

 The New Testament・The Revelation of John 3:12
  He who overcomes, I will make him a pillar in the temple of my God, and he will go out from there no more. I will write on him the name of my God and the name of the city of my God, the new Jerusalem, which comes down out of heaven from my God, and my own new name.

 
 



 新約聖書・ヘブル人への手紙13章12~14節
  ですから、イエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました。
  ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。
  私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。

 The New Testament・The Epistle to the Hebrews 13:12~14
  Therefore Jesus also, that he might sanctify the people through his own blood, suffered outside of the gate.
  Let’s therefore go out to him outside of the camp, bearing his reproach.
  For we don’t have here an enduring city, but we seek that which is to come.

 
 



 新約聖書・コリント人への手紙 第二12章9~10節
  しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
  ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

 The New Testament・The Second Epistle to the Corinthians 12:9~10
  He has said to me, “My grace is sufficient for you, for my power is made perfect in weakness.” Most gladly therefore I will rather glory in my weaknesses, that the power of Christ may rest on me.
  Therefore I take pleasure in weaknesses, in injuries, in necessities, in persecutions, and in distresses, for Christ’s sake. For when I am weak, then am I strong.


 そして、「イエス・キリストに繋がった強さ」を獲得したならば、キリスト者としての対応と対策、「火の付き方」として、挑発に対する怒り、反論、弁明の仕方として、柔和と忍耐を持って、神様からの試練と捉えて、練られて磨かれ、より成熟していく事を信じながら、次の聖句の通りに行う必要があろう。

 
 



 新約聖書・ペテロの手紙 第一3章13~18節
   もし、あなたがたが善に熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。
  いや、たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。
  むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。
  ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの正しい生き方をののしる人たちが、あなたがたをそしったことで恥じ入るでしょう。
  もし、神のみこころなら、善を行なって苦しみを受けるのが、悪を行なって苦しみを受けるよりよいのです。
  キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。

 The New Testament・The First Epistle of Peter 3:13~18
   Now who will harm you if you become imitators of that which is good?
  But even if you should suffer for righteousness’ sake, you are blessed. “Don’t fear what they fear, neither be troubled.”
  But sanctify the Lord God in your hearts. Always be ready to give an answer to everyone who asks you a reason concerning the hope that is in you, with humility and fear,
  having a good conscience. Thus, while you are spoken against as evildoers, they may be disappointed who curse your good way of life in Christ.
  For it is better, if it is God’s will, that you suffer for doing well than for doing evil.
  Because Christ also suffered for sins once, the righteous for the unrighteous, that he might bring you to God, being put to death in the flesh, but made alive in the Spirit,


 イエス・キリストと同じく、またイエス様を手本として、例え自分が悪くなくとも、自分を犠牲にする覚悟も必要であろう。昔の日本の武士や、アジア諸国を解放した大東亜戦争後のアメリカとの太平洋戦争で敗れた後、東京裁判(極東国際軍事裁判)で本当は「無罪」であるにも関わらず戦勝国から有罪判決を受けた旧日本軍の指導者の方々、その他、責任をとって自害等された方々も、同様に理不尽で有りながらも犠牲になられたのである。

 
 



 新約聖書・コリント人への手紙 第一15章58節
  ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。

 The New Testament・The First Epistle to the Corinthians 15:58
  Therefore, my beloved brothers, be steadfast, immovable, always abounding in the Lord’s work, because you know that your labor is not in vain in the Lord.


 主の内(家)に在るならば(主に繋がっているならば)、何事も無駄にはならず、有益な事となる。「主のわざ」とは、イエス・キリストへの信仰心を持った上で、個性、アイデンティティとして与えられているタラントを活かす事、「神様からの恵み」を活かす事によって伴うものである。特に、神様に委ね切って行われる事、信仰生活の中に於いて偶然に起こる事、自分の意志で行った事では無く「神実現」して頂いた事、奇しい(くすしい)「不思議」な事等は、正に、人間の能力で行われた事では無く、「主のわざ」で行われた事である。

 そして、かつての僕は、他人を信じる「他信」では無く自分を信じる「自信」を強く持っていたものの、それを上回る、神様を信じる「神信」が必要であり、大事である事を悟っている。
 また同時に、他人によって解決してもらう「他己実現」を否定し、自分で達成しようと努めて出来るだけ「自己実現」を行おうとして来たが、より成熟する事で、自分の弱さを悟る事によって神様に成し遂げてもらおうとする「神実現」を必要とする。
 更に、他人の顔色や反応に合わせる「他人第一」を拒否し、僕自身の意志を尊重する「自分第一」で行う事を良しとして来たが(但し、エゴイズムや迷惑をかける事、余計なお節介、介入・干渉は、僕の場合には余り含まない)、今や、神様の御心に適う様に願い「神第一」を祈る。
 そして、世間の目や批評、世論、悪口、バッシングといった「他人の価値観」を疑いながらそれに惑わされず、僕自身で捉え考えて判断する結果としての「自分の価値観」を守り大事にして来たが、聖書の御言葉から読み取れる「神様の価値観」を全面的に受け入れる必要性を感じている。

 しかし、前述通り此の世に生きなければならず、創造主である唯一の神様によって僕は此の世に生かされているのであって、その生きる事から逃げる訳にはいかない。その「生きる」という事も与えられた「使命」である。天の神様を絶対者として仰ぎながらも此の世の世俗の中で生活しなければならないのであるから、一見すると矛盾する様な事柄に遭遇する事が多々在る。よって、「唯一の創造主に従いながら、此の世に在っては『独立自尊』の精神を」(本ブログ2013年4月8日付記事)持つ事を、僕はポリシーとして持ち生きていく。
 成長、成熟していく上で、「自分」で留まってしまえば「傲慢」となる。「他人」では無く「自分」に基準を置く事は、「自立」や「自律」が出来るという意味に於いては基本的に良い事であるが、明確な規範・規準を持たず、それが偏り、節度を無くしてしまえば、単なるエゴ、利己主義となってしまう。その様な場合は得てして、法律や規則、そして世間の目といった、自分の外のもの、人の作ったものを歯止めにしている。しかし、世間は全く当てにならない事は勿論の事、それらの様なものは完璧では無い。勿論、現在の日本国憲法も欠陥だらけであるので、見直し、検証し、改正しなければならない。また、神様、創造主なんて居ないと言う「無神論者」達は、「人間第一」である為、「傲慢」である。自らの身体も心も生命も、そして自然界も宇宙も、全てが全知全能の創造主である唯一の神様によって創られたと考え信じるならば、人は自ずと謙遜、謙虚となる。
 また「自分」で成長が止まると、自分の希望や欲望ばかりを願う様にもなる。日本人は無神論者が多く、初詣をはじめとした神社への参拝に於いては「何々が叶いますように」といったお願い事をしている。これは裏を返すと、自分の欲望を神として拝んでいるだけなのである。この事は前に掲げた聖句、

 「多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。 彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。 けれども、私たちの国籍は天にあります。」
  (ピリピ人への手紙3章18~20節)

 に当てはまる事である。要するに、「自分」で成熟する事が止まってしまうと、「自分が神様」となってしまうのである。自分の思い、自分の考え、自分の判断、自分の価値観、自分の好き嫌いによって、人を裁いているのである。しかし本当は、人を裁く事が出来るのは、神様しかいないのである。

 
 



 旧約聖書・箴言29章25~26節
  人を恐れるとわなにかかる。
  しかし主に信頼する者は守られる。
  支配者の顔色をうかがう者は多い。
  しかし人をさばくのは主である。

 The Old Testament・The Book of Proverbs 29:25~26
  The fear of man proves to be a snare,
  but whoever puts his trust in Yahweh is kept safe.
  Many seek the ruler’s favor,
  but a man’s justice comes from Yahweh.


 「人を恐れる」とは、周囲の目や顔色を気にしたり、世間の陰口、悪口を恐れる事である。その世間を恐れる事によって、世間に取り入れられようとし、迎合し、媚びへつらい、雑音に屈してその相手の欲望を受け入れ、承認欲求が高まってしまい、結局は、「偽善」を行ってしまう「わな」に陥ってしまう事を言っているのである。そして、次の「支配者」とは、恐れの対象としている世間の事である。世間の多くの人達にとって「支配者」とは、周囲の世間の人達の事であり、その世間の「空気」や「ブーム」、「世論」を形成し、煽り、洗脳している「マスコミ」の事でもある。しかし、飽くまでも人を裁く事が出来るのは唯一の主、神様しかおらず、例え人からの間違った裁きによって迫害を受けようとも、その主に甘えて頼るならば、守られるのである。また、人から嫌われようが、此の世に「居れない」状況であろうが、神様に素直になって主に好かれ、後の天に「居れる」事が出来れば良いのである。

 また日本人の「無神論者」達と同様に、「ユダヤ教」はその名前の通り、ユダヤ人自身を神様として拝んでいるのである。それ故に、「神の選民」だと自惚れると共に「ユダヤ第一」を掲げ、ユダヤ人自身の欲望を願っているばかりなのである。「ユダヤ教」に対しては、イエス・キリストが糾弾し、使徒パウロや改革者マルティン・ルターが改宗や悔い改めを説いた程に、今から約2,600年前の「バビロン捕囚」以降、「バビロニア・タルムード」を規範とし、旧約聖書は殆ど読まないのである。その「バビロニア・タルムード」に書かれてある事は、「ユダヤ人だけが人間であり、異民族は皆獣であるからどの様に扱っても良い」という様な、正に「選民思想」による傲慢そのものなのである。バビロン捕囚時の絶望感と、選民思想を持つが故の誇り高さからの反発心から、その奴隷の身分に置かれていた間に書かれたのである。よって、「バビロニア・タルムード」は当時のユダヤの指導者たち人間の感情からの言葉であって、神様から預かった言葉では無い。

 更に、「選民思想」に通じる「優生学」としての、人間チャールズ・ダーウィンが考え出した「進化論」も、「傲慢」である。今からたった150年程前に、ダーウィンによって「進化論」について書かれて出版された「種の起源」。そして、ダーウィンの従兄であるフランシス・ゴルトンが、その進化論に影響を受けて「優生学」を発表した。「進化論」は「科学」の顔をして装っているものの、その実「出鱈目」であり、「滅茶苦茶」な「屁理屈」であり、聖書を冒涜したものである。学校の教科書にも掲載されているが、その反対を正確に理論付け、「分離の法則、独立の法則、優性の法則」を示し「遺伝学」に貢献した「メンデルの法則」も、両論併記として掲載されている。子供たちは学校の試験で点数を稼ぐ必要が有る為に、「進化論」の様な無駄な知識も記憶しなければならなくなっている。この事も、「学校教育」で行われている「洗脳」の内の一つである。同様に、日本の「マスコミ」の代表「NHK」(日本放送協会)も、大河ドラマの直前の最も注目の集まりそうな時間帯の番組として、日曜日午後7時半から「ダーウィンが来た! 〜生きもの新伝説〜」というタイトルを付けて「洗脳」している。
 「進化論」も、それから派生した「優生学」も、共に、ユダヤ、イルミナティ、フリーメーソンによる「世界共産化グローバリズム」の一環で行われている「教育」であり、極僅かな支配層のみを「人間」として、残りの世界中の世間一般大衆を「獣(ゴイム)」としようとする政策なのである。ジョージ・オーウェルが著した「動物農場」は、かつてのその雛形、旧ソビエト連邦をモデルとすると共に、現在進められている「世界共産化グローバリズム」の様子が描かれている。 「進化論」も「優生学」も、共に聖書を否定したサタニズム(悪魔主義)の思想から作られた「屁理屈」なのであり、ダーウィンは「無神論者」であり、進歩主義であり、急進的リベラリズム、サタニスト(悪魔主義者)である「傲慢」者である。

 
 



 旧約聖書・創世記1章24~28節
  ついで神は、「地は、その種類にしたがって、生き物、家畜や、はうもの、その種類にしたがって野の獣を生ぜよ」と仰せられた。するとそのようになった。
  神は、その種類にしたがって野の獣、その種類にしたがって家畜、その種類にしたがって地のすべてのはうものを造られた。神は見て、それをよしとされた。
  そして神は、「われわれに似る様に、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。
  神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
  神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」

 The Old Testament・The Book of Genesis 1:24~28
  God said, “Let the earth produce living creatures after their kind, livestock, creeping things, and animals of the earth after their kind;” and it was so.
  God made the animals of the earth after their kind, and the livestock after their kind, and everything that creeps on the ground after its kind. God saw that it was good.
  God said, “Let’s make man in our image, after our likeness. Let them have dominion over the fish of the sea, and over the birds of the sky, and over the livestock, and over all the earth, and over every creeping thing that creeps on the earth.”
  God created man in his own image. In God’s image he created him; male and female he created them.
  God blessed them. God said to them, “Be fruitful, multiply, fill the earth, and subdue it. Have dominion over the fish of the sea, over the birds of the sky, and over every living thing that moves on the earth.”


 その様に、旧約聖書の第一の書、「創世記」の冒頭には、「その種類にしたがって」と、執拗にも述べている。それは、後に「サタニズム」や進歩主義、リベラリズムによって「進化論」が生み出される事を予測して、重要な事であるからという事から念を押している様に思える。
 「権利」と同時に「義務」が存在すべきであり、「自由」には「責任」が伴って然るべきである。「責任」を伴わない「自由」は放埒、放縦であり、秩序や道徳は乱れ、此の世の退廃化はより一層進んでいく。「リベラリズム」(自由主義)の名の下、聖書の御言葉をはじめとして、真実や正しい事が破壊されていき、本当の歴史や伝統、文化も排されてしまう。漸進的な「保守」に反する急進的な「進歩主義」、「リベラリズム」は、全てをお創りになられた創造主である唯一の神様の創造物をも否定する「傲慢」主義である。自由の履き違えは、「傲慢」である。

 神様、イエス・キリストに甘える事によって、「傲慢」とはならず、「謙遜」、「謙虚」となる。自力で解決してしまうと、自分の能力に酔いしれ、自惚れて、「傲慢」となる。また、自力で何でも達成してしまうと、神様を不要と考える「無神論者」に陥ってしまう。振り返ると、僕にもその辺り当てはまる事が多々有る。
 「飯の種」を得るため、「手段」として、自分に与えられたタラントを活かしつつ、多少の折り合いを付けて生きざるを得ないが、出来るだけ精神面の独立を維持すると共に、神様への依存、甘えとなる信仰心をも持ち続けて行きたい。その「神様への甘え」を「抑止力」として、大して自分の能力を持ち合わせていないので、失敗しない様に神様の力で補い支えて下さい、と祈り続けたい。その祈りによって、僕の個性やアイデンティティ、タラントだけでは無く、欠点や短所をも益とされるのであろう。また同時に、自分の弱さを素直に認める事によって、「イエス・キリストと繋がる強さ」を頂く。
 そして「僕」は、「神様の僕(しもべ)」である事を誓いながら……。

 
 



 詩篇18章2~3節
  主はわが巌、わがとりで、わが救い主、
  身を避けるわが岩、わが神。
  わが盾、わが救いの角、わがやぐら。
  ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、
  私は、敵から救われる。

 The Book of Psalms 18:2~3
  Yahweh is my rock, my fortress, and my deliverer;
  my God, my rock, in whom I take refuge;
  my shield, and the horn of my salvation, my high tower.
  I call on Yahweh, who is worthy to be praised;
  and I am saved from my enemies.


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  ・2013/08/30付:「『自己実現』と『神実現』の違いについての私の独り言・・・過去を振り返り、『悔い改め』と確認をする」
  ・2015/02/22付:「NHKはイルミナティ・フリーメーソンが用いるサタニズムの進化論を洗脳 & タルムードの『ゴイム』」
  ・2016/12/25付:「聖書を冒涜する『進化論』は、タルム―ディックユダヤ・イルミナティ・フリーメーソンの悪魔主義である・・・聖書が真実。宗教組織・偽預言者・無神論者・科学至上主義・人間至上主義・人間第一主義による幻惑」
  ・2017/04/22付:「『日本を滅ぼす〈世間の良識〉』を読む・・・無神論、国民主権、付和雷同、空気の全体主義、煽動、洗脳、他信、感情的、一時的、目先、幻想、平和ボケ、依存症、虚偽、矛盾、マスコミ……」
  ・2017/04/23付:「自分独り『個』を悟り、運命に委ね、世間と闘った『隠者』たち・・・『「世間」とは何か』を読む」
  ・2017/04/23付:「世間・空気に依存せず、『成るように成る』と運命に委ね、マイペース、へそ曲がり、リラックス・・・『脱世間のすすめ』を読む」
  ・2018/01/09付:「十日戎に見る日本人・・・地上での幸福のみを願う自分の欲望を神とした祈り、渇く水を追い求める人々、敬虔な信者は自分の事を願わず神に感謝し神を賛美、人それぞれのタラントに応じた務め」
  ・2018/03/19付:「僕の先月の追記:I am“out-low”, servant, and no ability神様の恵みで益とされるPeople are made as good by the grace of God」
  ・本ブログ・カテゴリー:「世間・空気」 …本ページ右サイド

 引用文献
  ・新改訳聖書(発行:日本聖書刊行会)
  ・新改訳新約聖書(1965年版)(発行:日本聖書刊行会)
  ・World English Bible(eBible.org)

 参考文献
  ・2018/10/16付・神戸新聞夕刊:「紹圭さんの作務日記 7 時代の変化は袂の中に」

 参考・関連動画




YouTube: クリスチャンの価値 進藤龍也牧師@罪友教会(2018/09/30)

YouTube: 聖書の預言No.56(吹替)『黙示録⑨』ークリスチャンの胸に火をつけるー 講師ソン・ケムン牧師





YouTube: 日本CGNTV `本の旅` 448編 - キリストのうちにある生活 (高橋 秀典) -

YouTube: 日本CGNTV `ゴスペルステーション 第18回 - 教会と日常生活とのギャップに悩んだことはありますか? `

 
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My Testimony/僕の証<3>:Job & David & I/僕と共通するサタンに付かれた「ヨブ」とプラバシー侵害・ストーカー行為に生涯悩まされ続けた「ダビデ」& ダビデによる「呪いの詩篇」

2019-01-31 15:33:33 | エッセイ・コラム
 ※ 本シリーズの記事は、昨年(2018年、平成30年)の内に投稿する予定であった為、本文中の「本年」とは2018年(平成30年)の事であり、訂正するには膨大な数に対応する為の手間と時間が必要となる為、敢えてそのままにしている事を御容赦願います。

 My Testimony & Witness
  僕の証<3>
    ~Job & David & I
      僕と共通するサタンに付かれた「ヨブ」と
       プラバシー侵害・ストーカー行為に生涯悩まされ続けた「ダビデ」
        & ダビデによる「呪いの詩篇」


 僕は、この度の「My Testimony/僕の証」シリーズの記事を書くに当たって、最初から「証」をするつもりで書いた訳では無かった。書いている途中で、キリスト者(クリスチャン)がプロテスタントの教会等で一般的に行っておられる「証」をしている事に気付いた。このタイミングで、「偶々」、「証」を行う事は、正に「不思議」であり、「意味深」であり、そしてその事が、「神様の思し召し」によって促されて行った様に思われてならないのである。
 尚、キリスト者としての「証」についての説明は、次である。
 
 以下、ウィキペディア「証 (キリスト教)」より、

 「証(あかし、testimony、witness)。キリスト教では、神様から頂いた恵みを人に伝えることを『証(あかし)をする』と言う。似た表現に、『分かち合う』という言葉があるが、これは少人数で深く話し合うような場合に使われる。大勢の人の前で、発表する場合は『分かち合い』ではなく『証』または『立証』というのが一般的。救世軍では『証言』(読み方は『あかし』)と表記する。
 神の恵みに感謝することはもとより、神を誉め讃える点がポイントである。まれに牧師や司祭による説教と同じく、高度な神学理論を用いたものとなることもある。プロテスタントにおいてはしばしば礼拝の中で時間を割いて信徒による立証が行われるが、牧師による説教が聖書の解き明かしであるのに対し、立証は自らの体験に基づいて神の恵みを参列者と共有することであるという相違がある。また、キリストを信じるに至っていない人に対して証をすることも大切なことだと考えられており、福音伝道の主要な手段の一つでもある。
 さらには、生活の多様な場面において信仰に基づいた選択および行動をとることも証と呼ばれる。クリスチャンは天国に迎え入れられることよりはむしろ、イエスが説教を通じて伝えたことを地上においてどのように生かしていくかということに主な関心を抱く。いわば、クリスチャンの生涯とはそれ自体が証である。」

 (以上、ウィキペディア「証 (キリスト教)」より)

 
 「マスコミ」をはじめ、「貪欲」の世間に対して言う。僕は、セックス等のような、しょうもない(くだらない)事を見せるつもりは、今後、全く無いので、悪しからず。

 本ブログの本シリーズ「My Testimony/僕の証」の別記事、<1>と<2>に於いて、現在の僕自身に当てはまる様に感じるものとして、「無限の螺旋」状態の中で「アウフヘーベン」しながらレベルが高まり成長、成熟している事を挙げた。それらの記事は、次である。

  ・2019/01/31付:『My Testimony/僕の証<1-1/2>:しんどい49歳のゆらぎ世代に在る僕の失敗トラブル続き、一瞬の此の世に居れない事を甘受し後の永遠の命を重視/Eternal Life in Heaven』
  ・2019/01/31付:『My Testimony/僕の証<1-2/2>:無限の螺旋の次元上昇で得る純粋無垢の為の処世術「イエス・キリストと繋がる真の強さ」、純潔/True Strength with Christ, Pure』
  ・2019/01/31付:『My Testimony/僕の証<2-1/2>:僕の成熟過程「試練の時期」の「敏感期」と「アセンション」に伴う「強迫性神経症」と「HSP」、エビデンス無き精神科医療、予防医療で作られる「医原病」』
  ・2019/01/31付:『My Testimony/僕の証<2-2/2>:僕の成熟過程「試練の時期」の「敏感期」と「アセンション」に伴う「強迫性神経症」と「HSP」、世間の精神面での「空気感染」、「毒」でしかない薬とワクチン』

 その間に揺らがされる試練の時期、磨き改革して今後の方向性を決める重要な時としての「敏感期」に入っている事、「天変地異」が起こる自然界の「アセンション」(次元の上昇)が重なり、またそれから影響を受けている可能性が有り、それに伴い生じたものとして「強迫性障害」(強迫神経症)や「ハイリーセンシティブ・パーソン」(HSP)の症状が出ている事を挙げた。その「アセンション」等は全て、創造主が行われている事である。世界全体、此の世の「終末期」を迎えている現在、これらの事から「終末」が見えて来ると同時に、それら一つひとつに非常に大きな意味を持つ事が解る。自然災害や戦争等の人為的災害が起こる故にいつ此の世が終わっても可笑しくない現在、此の世での死の前に準備しておくべき「心のプレパレーション(preparation)」である「悔い改め」が必要であり、「イエス・キリストと繋がる強さ」を持つ必要が有る。

 
 



 新約聖書・マタイの福音書4章17節
   この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」

 The New Testament・The Gospel of Matthew 4:17
   From that time, Jesus began to preach, and to say, “Repent! For the Kingdom of Heaven is at hand.”

 
 



 旧約聖書・出エジプト記4章10~12節
   モーセは主に申し上げた。「ああ主よ。私はことばの人ではありません。以前からそうでしたし、あなたがしもべに語られてからもそうです。私は口が重く、舌が重いのです。」
  主は彼に仰せられた。「だれが人に口をつけたのか。だれがおしにしたり、耳しいにしたり、あるいは、目をあけたり、盲目にしたりするのか。それはこのわたし、主ではないか。
  さあ行け。わたしがあなたの口とともにあって、あなたの言うべきことを教えよう。」

 The Old Testament・The Book of Exodus 4:10~12
   Moses said to Yahweh, “O Lord, I am not eloquent, neither before now, nor since you have spoken to your servant; for I am slow of speech, and of a slow tongue.”
  Yahweh said to him, “Who made man’s mouth? Or who makes one mute, or deaf, or seeing, or blind? Isn’t it I, Yahweh?
  Now therefore go, and I will be with your mouth, and teach you what you shall speak.”

 
 



 旧約聖書・イザヤ書35章5~6節
   「そのとき、盲人の目は開かれ、
   耳しいた者の耳はあけられる。
   そのとき、足のなえは鹿のようにとびはね、
   おしの舌は喜び歌う。
   荒野に水がわき出し、
   荒地に川が流れるからだ。

 The Old Testament・The Book of Isaiah 35:5~6
   Then the eyes of the blind will be opened,
   and the ears of the deaf will be unstopped.
   Then the lame man will leap like a deer,
   and the tongue of the mute will sing;
   for waters will break out in the wilderness,
   and streams in the desert.

 
 僕は、以前は非常に「寡黙」で且つ「口下手」であったし、また政治や社会問題、国際問題等に殆ど興味が無かった。しかし最近、それらが変わったのである。

 それらの事と同様に、聖書を通読すると、自分に当てはまる聖句を所々に発見する事が出来る。以下は、そのほんの一例である。しかし断っておくが、例え「不思議」であろうとも、僕は「単なる人間」であり、それ故に失敗やトラブルを数々起こして来た弱さを持つ。決して、預言者や宇宙人等では無い。例え「不思議」な事が僕の身に、或いは僕の周辺で起ころうとも、それらは僕が行っているのでは無く、創造主である唯一の神様が行っているか、或いは、旧約聖書「ヨブ記」に記されている様にサタン(悪魔)が行っている事である。悪口等の雑音や挑発、偽旗工作(False Flag)を行っているのは正に後者の方、サタンの仕業、陰謀である。それによって邪魔、妨害をし、周囲とのトラブル、争い、亀裂、分断を生じさせようとしている事は解っている。一方、前者の例として、マリアがイエス・キリストを処女にしてお産みになられた事が、全知全能の神様によってその事が成し遂げられ、そのマリアが「単なる人間」である事からも解る事である。創造主に不可能な事は無く、自然、宇宙、人間の作る科学等の全てを超越し、人間にとっては不可能で不思議な事も成し遂げられるのである。


 



 新約聖書・ヤコブの手紙1章19節
   愛する兄弟たち。あなたがたはそのことを知っているのです。しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。

 The Epistle of James 1:19
   So, then, my beloved brothers, let every man be swift to hear, slow to speak, and slow to anger;

 
 



 旧約聖書・詩篇35章15~16節
  だが、彼らは私がつまずくと喜び、相つどい、
  私の知らない攻撃者どもが、
  共に私を目ざして集まり、
  休みなく私を中傷した。
  私の回りの、あざけり、ののしる者どもは
  私に向かって歯ぎしりした

 The Old Testament・The Book of Psalms 35:15~16
  But in my adversity, they rejoiced, and gathered themselves together.
  The attackers gathered themselves together against me, and I didn’t know it.
  They tore at me, and didn’t cease.
  Like the profane mockers in feasts,
  they gnashed their teeth at me.

 
 



 詩篇35章19~22節
  偽り者の、私の敵を、
  私のことで喜ばせないでください。
  ゆえもなく私を憎む人々が
  目くばせしないようにしてください。
  彼らは平和を語らず、
  地の平穏な人々に、欺きごとをたくらむからです。
  彼らは私に向かって、大きく口を開き、
  「あはは、あはは。この目で見たぞ。」と言います。
  主よ。あなたはそれをご覧になったのです。
  黙っていないでください。
  わが主よ。私から遠く離れないでください。

 The Book of Psalms 35:19~22
  Don’t let those who are my enemies wrongfully rejoice over me;
  neither let those who hate me without a cause wink their eyes.
  For they don’t speak peace,
  but they devise deceitful words against those who are quiet in the land.
  Yes, they opened their mouth wide against me.
  They said, “Aha! Aha! Our eye has seen it!”
  You have seen it, Yahweh. Don’t keep silent.
  Lord, don’t be far from me.

 
 



 旧約聖書・イザヤ書30章10節
   彼らは予見者に「見るな。」と言い、
   先見者にはこう言う。
   「私たちに正しいことを預言するな。
   私たちの気に入ることを語り、
   偽りの預言をせよ。

 The Old Testament・The Book of Isaiah 30:10
   who tell the seers, “Don’t see!”
   and the prophets,
   “Don’t prophesy to us right things.
   Tell us pleasant things.
   Prophesy deceits.

 
 



 旧約聖書・ヨブ記30章1節
  しかし今は、私よりも若い者たちが、
  私をあざ笑う。
  彼らの父は、私が軽く見て、
  私の群れの番犬とともにいさせたものだ。

 The Old Testament・The Book of Job 30:1
  “But now those who are younger than I have me in derision,
  whose fathers I considered unworthy to put with my sheep dogs.


日々、プライバシーの侵害が存在し、それを原因とするストーカー被害を受け続ける僕自身は、正直に言うと「しんどい」し、疲れる。その様な状態と同様に、古代ユダヤの王ダビデも、周囲を取り囲む敵によるストーカー行為に、生涯悩まされ続けた。そしてダビデも、「姦淫の罪」を犯した後、プライバシー侵害の被害等の神様からの天罰を受ける事となった。
 
 



 旧約聖書・サムエル記 第二12章7~14節
   ナタンはダビデに言った。「あなたがその男です。イスラエルの神、主はこう仰せられる。『わたしはあなたに油をそそいで、イスラエルの王とし、サウルの手からあなたを救い出した。
  さらに、あなたの主人の家を与え、あなたの主人の妻たちをあなたのふところに渡し、イスラエルとユダの家も与えた。それでも少ないというのなら、わたしはあなたにもっと多くのものを増し加えたであろう。
  それなのに、どうしてあなたは主のことばをさげすみ、わたしの目の前に悪を行なったのか。あなたはヘテ人ウリヤを剣で打ち、その妻を自分の妻にした。あなたが彼をアモン人の剣で切り殺したのだ。
  今や剣は、いつまでもあなたの家から離れない。あなたがわたしをさげすみ、ヘテ人ウリヤの妻を取り、自分の妻にしたからである。』
  主はこう仰せられる。『聞け。わたしはあなたの家の中から、あなたの上にわざわいを引き起こす。あなたの妻たちをあなたの目の前で取り上げ、あなたの友に与えよう。その人は、白昼公然と、あなたの妻たちと寝るようになる。
  あなたは隠れて、それをしたが、わたしはイスラエル全部の前で、太陽の前で、このことを行なおう。』」
  ダビデはナタンに言った。「私は主に対して罪を犯した。」ナタンはダビデに言った。「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない。
  しかし、あなたはこのことによって、主の敵に大いに侮りの心を起こさせたので、あなたに生まれる子は必ず死ぬ。」

 The Old Testament・The Second Book of Samuel 12:7~14
   Nathan said to David, “You are the man. This is what Yahweh, the God of Israel, says: ‘I anointed you king over Israel, and I delivered you out of the hand of Saul.
  I gave you your master’s house, and your master’s wives into your bosom, and gave you the house of Israel and of Judah; and if that would have been too little, I would have added to you many more such things.
  Why have you despised Yahweh’s word, to do that which is evil in his sight? You have struck Uriah the Hittite with the sword, and have taken his wife to be your wife, and have slain him with the sword of the children of Ammon.
  Now therefore the sword will never depart from your house, because you have despised me, and have taken Uriah the Hittite’s wife to be your wife.’
  “This is what Yahweh says: ‘Behold, I will raise up evil against you out of your own house; and I will take your wives before your eyes, and give them to your neighbor, and he will lie with your wives in the sight of this sun.
  For you did this secretly, but I will do this thing before all Israel, and before the sun.’ ”
  David said to Nathan, “I have sinned against Yahweh.” Nathan said to David, “Yahweh also has put away your sin. You will not die.
  However, because by this deed you have given great occasion to Yahweh’s enemies to blaspheme, the child also who is born to you will surely die.”


 そして、僕と同様に、プライバシー侵害とストーカー行為の被害を受け続けるダビデ王は、次の俗に「呪いの詩篇」と呼ばれる「聖句」で、神様にお祈りして願った。

 
 








 詩篇5章8~11節
  主よ。私を待ち伏せている者がおりますから、
  あなたの義によって私を導いてください。
  私の前に、あなたの道をまっすぐにしてください。
  彼らの口には真実がなく、
  その心には破滅があるのです。
  彼らののどは、開いた墓で、
  彼らはその舌でへつらいを言うのです。
  神よ。彼らを罪に定めてください。
  彼らがおのれのはかりごとで倒れますように。
  彼らのはなはだしいそむきのゆえに
  彼らを追い散らしてください。
  彼らはあなたに逆らうからです。
  こうして、あなたに身を避ける者がみな喜び、
  とこしえまでも喜び歌いますように。
  あなたが彼らをかばってくださり、
  御名を愛する者たちが
  あなたを誇りますように。

 The Book of Psalms 5:8~11
  Lead me, Yahweh, in your righteousness because of my enemies.
  Make your way straight before my face.
  For there is no faithfulness in their mouth.
  Their heart is destruction.
  Their throat is an open tomb.
  They flatter with their tongue.
  Hold them guilty, God.
  Let them fall by their own counsels.
  Thrust them out in the multitude of their transgressions,
  for they have rebelled against you.
  But let all those who take refuge in you rejoice.
  Let them always shout for joy, because you defend them.
  Let them also who love your name be joyful in you.


 僕も、日々、足を引っ張り邪魔をしている周囲のストーカー達に対し、次の様に言う。

  「主イエス・キリストの御名により命じる。妨げる者よ私から去れ!」

 引用文献
  ・新改訳聖書(発行:日本聖書刊行会)
  ・新改訳新約聖書(1965年版)(発行:日本聖書刊行会)
  ・World English Bible(eBible.org)

 本ブログ過去の関連記事
  ・本ブログ ブックマーク:「My Testimony & Witness/僕の証 2018」 ・・・本ページ右サイド
  
  ・2016/04/10付:「プライバシー侵害とストーカー行為は孤独・独立精神・自尊心を持つ権利を蹂躙しようとするものである」
  ・2018/03/19付:「僕の先月の追記:I am“out-low”, servant, and no ability神様の恵みで益とされるPeople are made as good by the grace of God」
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My Testimony/僕の証<2-2/2>:僕の成熟過程「試練の時期」の「敏感期」と「アセンション」に伴う「強迫性神経症」と「HSP」、世間の精神面での「空気感染」、「毒」でしかない薬とワクチン

2019-01-31 13:50:04 | エッセイ・コラム
 ※ 本シリーズの記事は、昨年(2018年、平成30年)の内に投稿する予定であった為、本文中の「本年」とは2018年(平成30年)の事であり、訂正するには膨大な数に対応する為の手間と時間が必要となる為、敢えてそのままにしている事を御容赦願います。

 My Testimony & Witness
  僕の証<2>
    ~僕の成熟過程「試練の時期」の「敏感期」と「アセンション(次元上昇)」に伴う「強迫性神経症」と「HSP」(ハイリー・センシティブ・パーソン)
     エビデンスの無い精神科医療
     「毒」でしかない薬とワクチン
     予防医療の名目下で作られる「医原病」で死亡率上昇の皮肉・逆効果
     世間の精神面での「空気感染」


 僕は、この度の「My Testimony/僕の証」シリーズの記事を書くに当たって、最初から「証」をするつもりで書いた訳では無かった。書いている途中で、キリスト者(クリスチャン)がプロテスタントの教会等で一般的に行っておられる「証」をしている事に気付いた。このタイミングで、「偶々」、「証」を行う事は、正に「不思議」であり、「意味深」であり、そしてその事が、「神様の思し召し」によって促されて行った様に思われてならないのである。
 尚、キリスト者としての「証」についての説明は、次である。
 
 以下、ウィキペディア「証 (キリスト教)」より、

 「証(あかし、testimony、witness)。キリスト教では、神様から頂いた恵みを人に伝えることを『証(あかし)をする』と言う。似た表現に、『分かち合う』という言葉があるが、これは少人数で深く話し合うような場合に使われる。大勢の人の前で、発表する場合は『分かち合い』ではなく『証』または『立証』というのが一般的。救世軍では『証言』(読み方は『あかし』)と表記する。
 神の恵みに感謝することはもとより、神を誉め讃える点がポイントである。まれに牧師や司祭による説教と同じく、高度な神学理論を用いたものとなることもある。プロテスタントにおいてはしばしば礼拝の中で時間を割いて信徒による立証が行われるが、牧師による説教が聖書の解き明かしであるのに対し、立証は自らの体験に基づいて神の恵みを参列者と共有することであるという相違がある。また、キリストを信じるに至っていない人に対して証をすることも大切なことだと考えられており、福音伝道の主要な手段の一つでもある。
 さらには、生活の多様な場面において信仰に基づいた選択および行動をとることも証と呼ばれる。クリスチャンは天国に迎え入れられることよりはむしろ、イエスが説教を通じて伝えたことを地上においてどのように生かしていくかということに主な関心を抱く。いわば、クリスチャンの生涯とはそれ自体が証である。」

 (以上、ウィキペディア「証 (キリスト教)」より)

 (「My Testimony/僕の証<2-1/2>」からの続き)……

 




出典(経由):2015年3月4日更新・NAVERまとめ「ジョーク?笑えない・・・NHK【おかあさんといっしょ】一緒ではない格差!」
(原典:2009年10月4日更新・最高峰への進学指導PrePass「アウフヘーベン」

 人間の成長・成熟過程・段階が「無限の螺旋」の様な状態であり、その中で「アウフヘーベン」(止揚、揚棄)し「次元の上昇」が行われていく。その事を「他己実現」で行ってもらうのか、それとも「自己実現」で達成していくのか、もしくは「神実現」で成し遂げてもらうのか。
 6年前の「アセンション」の情報を思い、現在の僕自身の状態、症状を見る時、それらが重なって見えて来る。そして、6年前の「アセンション」は現実に起こっている事ではないのか?、やはり地球が「フォトンベルト」に入っているのではないのか?、とも思えてくる。
 僕は現在、「無限のスパイラル」の成熟過程の中での「敏感期」であり、「強迫性神経症」や「HSP」が自分の内面で素直に認められて強調されている。太陽の黒点に於けるフレア(爆発)による太陽風や磁気嵐、或いは黒点が少ないか全く無い中で地球の磁気バリアが弱まり宇宙線が大量に降り注ぐ等の状況下、敏感な人は鬱、または躁、もしくは身体がだるい、頭が重い等の体調不良の変化が起こると言われる。「敏感期」に在る僕は実際、その「天変地異」の影響を受けている可能性が有る。
 また、太陽からの宇宙線や医療機関で用いられるX線やγ線等の周波数が高くエネルギーが強い放射線だけでは無く、それらよりは周波数が低くエネルギーが弱いものの、スマートフォンやWiFi、高圧線等、様々な家電製品や生活環境から発せられている電磁波は身体に悪影響が有り、中でも特に「電磁波過敏症」の方々は不調を訴えておられる。他にも、「化学物質過敏症」、「シックハウス症候群」等も同様であり、ついでに挙げれば「過敏性腸症候群」も精神面と関係するもので同様である。更に、朝起き難い「起立性調節障害」も、それらの様な自然界や生活環境からの影響を受ける事等、様々な要因が絡む「自律神経失調症」の内の一つである。
 そして、ここの所、職場が長続きしなく、数ヶ月で転々とする様になってしまい、そのサイクルが速くなっている事が、先程挙げた「タイムウェーブ・ゼロ」の影響下に在るのかもしれない。


 次に、2018年10月2日付、TOCANA「【速報】太陽が153日も活動していないことが判明! 氷河期突入の可能性は97%、33年間も地球冷却で人類滅亡へ!」より、
 「今年に入り、太陽活動が急激に停滞していることが明らかになった。このままいくと氷河期に突入する可能性もあるという。
 太陽は11年ごとに活動が活発化する極大期と減退する極小期を繰り返している。太陽黒点の減少が極小期突入のサインとなるが、英紙『Express』(9月24日付)によると、なんと今年は153日も太陽黒点が観測されない日があるというのだ!
最後に極小期が訪れたのは2009年。それから11年後の2020年が極小期になるはずだったが、予定が前倒しになったかもしれない。……」
 「そして、今後地球が小氷期に突入する確率は極めて高いことも分かっているのだ。英ノーザンブリア大学のバレンティーナ・ザーコバ教授らの研究によると、2030年までに太陽の活動が現在の60%まで低下し、97%(!)の確率で小氷期がやって来るという。そしてこの小氷期は33年間も続くというから驚きだ。
 今年は太陽黒点が観測されてない日が153日あったと先述したが、黒点ゼロ日は2016年はわずか32日、2015年は皆無だった。昨年は黒点ゼロ日が15日連続で観測され、ニュースにもなったが、それでも年間を通した黒点ゼロ日はたった69日。今年に入り、圧倒的なスピードで太陽活動は減退していることが分かる。……」
 (以上、2018年10月2日付、TOCANA「【速報】太陽が153日も活動していないことが判明! 氷河期突入の可能性は97%、33年間も地球冷却で人類滅亡へ!」より)

 通常は黒点数の変動等の太陽活動周期が11年であり、2000年の太陽活動がピークであった年より11年周期の2011年時には、黒点数が無しか余り増えず大陽活動が弱いままであった。その2年後、13年周期に当たる2013年には、極大期に相当する様にXクラスの大規模な太陽フレアが何回も発生する等して太陽が活発化していた。過去には、マウンダー極小期(1645年~1715年)やダルトン極小期(1790~1820年)等の小氷河期も、13年周期の後に起こった。
 「地球温暖化」とグローバリズムの一環で宣伝されており、その原因がCO2ともされている。しかし実際は、今後「地球寒冷化」となり、その原因も、CO2も多少原因となっているのかもしれないものの、本当の原因は、前述の通り太陽の異変が原因である。
 
 その影響としての「アセンション」ではないかと思える事が僕自身に有る。7年前(2011年)までは、政治や社会問題等の時事問題について、殆ど興味が無かった。それ故、それまではNHKをはじめとした地上波のテレビを見る事が多く、インターネットのYouTubeを見る事は少なかった。インターネットを始めたのも、2008年からと遅かった。それが2012年にガラッと変わってしまったのだから、自分でも不思議に感じている。そしてそれと同時に、口数も増えていった。今でこそ「マシンガン・トーク」の如く歯止が無い程に喋り続ける様に成っているが、7年前までは本当に「寡黙」、特に若い頃の鉄工職人として活躍していた頃や、10~13年前の医療系専門学校に通っていた頃は、正に「無口」であった。また、本ブログを始めたのも、2012年も末の11月20日、丁度フォトンベルトの影響の有るピークとされていた1ヶ月前であった。前記イザヤ書30章、35章、41章、43章には、此の世、地球に「天変地異」や「地殻変動」が今後起こる事の預言が記されている。その中の、「そのとき、盲人の目は開かれ、……おしの舌は喜び歌う」(イザヤ書35章5~6節)とは、正に僕自身にも当てはまる。また、「多くの者は、身を清め、白くし、こうして練られる。悪者どもは悪を行ない、ひとりも悟る者がいない。しかし、思慮深い人々は悟る。」(ダニエル書12章10節)とも在り、何かと揺らがされる「試練の時期」である「敏感期」に在る僕に当てはまる様に思う。

 また他にも、アフリカの大地が裂けだしている事や、サウジアラビア南西部「アシール」地方に降雪や草原の拡大が伝えられている。
 現在の「フェイク・イスラエル」が存在するパレスチナ人達の土地は、イエス・キリストが此の世にお生まれになられた「シオンの娘」、「エルサレムの娘」(イザヤ書37章22節)である。その一方で、ダビデ王やソロモン王の頃の古代ユダヤ人達の時代に神殿が存在した本当の「約束の地」は、アラビア半島の「アシール」である。標高1,700~3,200mの山脈を持つアシール地方は、アラビア半島の中で最も降水量の多い地方であり、地下水を一定量に保ち、降雪が有り、川が流れ、オアシス地帯も存在する。樹木が茂ると共に、段々畑の耕作地で果樹や木の実、穀類、野菜の栽培、周辺の牧草地で牧畜が行われており、鉱物資源も採掘されている。アシール地方は酷暑の沿岸地帯、温暖な丘陵地帯、乾燥した内陸砂漠地帯と地域の気候に違いが在り、その様に多様なものとなっている。(参考:「聖書アラビア起源説」(カマール・サリービー氏著、広河隆一氏・矢島三枝子氏共同訳、草思社出版)
 今後、「天変地異」によって、アラビア半島「アシール」に於ける本当のエルサレム遺跡の出現や、日本に於ける阿波・徳島の「邪馬臺国(やまとこく)」遺跡や「契約の箱」の出現が起きる可能性が有る。

 
 



 イザヤ書37章22節
  主が彼について語られたことばは次のとおりである。
   処女であるシオンの娘は
   あなたをさげすみ、あなたをあぜける。
   エルサレムの娘は、
   あなたのうしろで、頭を振る。

 The Book of Isaiah 37:22
  this is the word which Yahweh has spoken concerning him.
   The virgin daughter of Zion has despised you and ridiculed you.
   The daughter of Jerusalem has shaken her head at you.


 「天変地異」や「異常気象」、「地殻変動」と、それらに伴う「アウフヘーベン」、「アセンション」(次元の上昇)は、「主の手がこのことをし、イスラエルの聖なる者がこれを創造したことを」(イザヤ書41章20節、※注:この中で言うイスラエルは偽物の現イスラエルの事では無い)と在る様に、創造主が行っている事である。そして、僕自身への影響も勿論、神様の仕業、「神様からの恵み」である。
 それ故、一見すると可笑しく見え、気狂いや病気の症状に思える事も(実際その様に思ったり怖いと思っている人達は多いと思う)、「神様からの恵み」としての「アセンション」の中で生じたものに過ぎない事が解る。実際、「敏感」であるが故にデメリットは多いかもしれないが、逆にそれによって得るものは沢山有る。
 
 「強迫性障害」とは「強迫症」の診断名も在り、以前は「強迫神経症」の診断名で、精神障害の一種とされ、不安障害に分類されている。同じ行為を繰り返してしまう「強迫行為」と、同じ思考を繰り返してしまう「強迫観念」から成立し、原因は不明である。
 「強迫症状とは強迫性障害の症状で、強迫観念と強迫行為からなる。両方が存在しない場合は強迫性障害とは診断されない。強迫症状はストレスにより悪化する傾向にある。」(ウィキペディア「強迫性障害」より)
 僕に特に当てはまる症状としては、「不潔恐怖・洗浄強迫」、「確認行為」、次に当てはまるものとしては「加害恐怖」、「被害恐怖」、多少当てはまるものとしては「不完全恐怖」が在る。それ以外で僕にはあまり当てはまらないものとして、「自殺恐怖」、「疾病恐怖」、「縁起恐怖」、「保存強迫(強迫的ホーディング)」、「数唱強迫」、「恐怖強迫」、「性的な強迫観念」が存在する。
 僕は「潔癖症」であるが、その「不潔恐怖」を発端として起こり出したと言える。その「不潔恐怖」が最初に出だしたのは、高校を卒業せずに中退した時の前後である。それまで友達の様にして接していた同級生の連中が、正反対に態度を翻すが如く裏切り、それどころか敵の様に、或いは敵になった経験をした事から、人間不信に陥ると共に、それら周囲の人間が汚く感じて、手を洗う行為へと繋がった。

 
 



 マタイの福音書10章14節
  もしだれも、あなたがたを受け入れず、あなたがたのことばに耳を傾けないなら、その家またはその町を出て行くときに、あなたがたの足のちりを払い落としなさい。

 The Gospel of Matthew 10:14
  Whoever doesn’t receive you or hear your words, as you go out of that house or that city, shake the dust off your feet.


 僕の場合に偶に出る「症状」として、怒ったり、長時間に渡って喋り続ける事が挙げられる。ずっと、その様な「症状」が出ている訳では無い。そして、その様な「症状」が出た後、「しんどい」と、疲れてしまう。「マシンガン・トーク」の「症状」は、「パニック」状態として出ているとも言える。
 形式としては「回避」が在り、「強迫観念や強迫行為は患者を疲弊させるため、患者は強迫症状を引き起こすような状況を避けようとして、生活の幅を狭めることがある。これを回避と呼ぶ。重症になると家に引きこもったり、ごく狭い範囲でしか生活しなくなることがある。回避は強迫行為同様に患者の社会生活を阻害し、仕事や学業を続けることを困難にしてしまう。」(ウィキペディア「強迫性障害」より)
 この「回避」は僕自身に当てはまり、「しんどい」ので長期休暇を取り始めた事や、それにより仕事を続けなかったり職場を転々とした事、そして世間の中での悪口やバッシング、ストーカー的被害を避ける為にも街中を出歩かなくなった事は、大体その通りである。3年前(2015年)の淡路花博の時に、サングラスを掛けていてもバレてしまうという経験も有った。但し、生活の幅を狭め、家に引きこもり、狭い生活範囲にしている事は、単なる「回避」では無く、欲望が殆ど失くなった事や、逆に諦観の念や悟りを多く抱く様になって来た事、そして目的が明確化して来たからである。その目的の為に、その様にして書き物や読書、研究、キュレーション、データ・マイニング等を行っているのである。そして、その目的の効率化を上げる為にも、時間やエネルギー、金銭の無駄遣いをしない為にも、その様にしているのである。また、無駄な争い、戦いは、それらを消耗してしまう。怒りを発するのは、本当に必要な事、必要な時だけで良い。「武士道」の「敢為堅忍」と「勇」のセットも必要である。聖書は「この世と調子を合わせてはいけません」(ローマ人への手紙12章2節)、「人の語ることばにいちいち心を留めてはならない」(伝道者の書7章21節)と諭すと同時に、「多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいる」、「彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです」(ピリピ人への手紙3章18~19節)と、世間の多くを批判しているのである。

 
 



 新約聖書・マルコの福音書1章45節
  ところが、彼は出て行って、この出来事をふれ回り、言い広め始めた。そのためイエスは表立って町の中にはいることができず、町はずれの寂しい所におられた。しかし、人々は、あらゆる所からイエスのもとにやって来た。

 The New Testament・The Gospel of Mark 1:45
  But he went out, and began to proclaim it much, and to spread about the matter, so that Jesus could no more openly enter into a city, but was outside in desert places. People came to him from everywhere.

 
 



 旧約聖書・詩篇4章1節
  私が呼ぶとき、答えてください。
  私の義なる神。
  あなたは、私の苦しみのときに
  ゆとりを与えてくださいました。
  私をあわれみ、私の祈りを聞いてください。

 The Old Testament・The Book of Psalms 4:1
  Answer me when I call,
  God of my righteousness.
  Give me relief from my distress.
  Have mercy on me, and hear my prayer.

 
 



 新約聖書・ローマ人への手紙12章2節
  この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

 The New Testament・The Epistle to the Romans 12:2
  Don’t be conformed to this world, but be transformed by the renewing of your mind, so that you may prove what is the good, well-pleasing, and perfect will of God.

 
 



 旧約聖書・伝道者の書7章21節
   人の語ることばにいちいち心を留めてはならない。あなたのしもべがあなたをのろうのを聞かないためだ。

 The Old Testament・Ecclesiastes 7:21
   Also don’t take heed to all words that are spoken, lest you hear your servant curse you;

 
 



 新約聖書・ピリピ人への手紙3章18~21節
  というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。
  彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。
  けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
  キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

 The New Testament・Epistle to the Philippians3:18~21
  For many walk, of whom I told you often, and now tell you even weeping, as the enemies of the cross of Christ,
  whose end is destruction, whose god is the belly, and whose glory is in their shame, who think about earthly things.
  For our citizenship is in heaven, from where we also wait for a Savior, the Lord Jesus Christ,
  who will change the body of our humiliation to be conformed to the body of his glory, according to the working by which he is able even to subject all things to himself.


 また、他の形式として「巻き込み」が在る。これは、僕の「マシンガン・トーク」が当てはまり、「強迫行為が自分自身の行為で収まらず、家族や親しい友人に懇願したり強要したりする場合がある。これを巻き込み、または巻き込み型という。これにより、患者のみならず周囲も強迫症状の対応に疲れきってしまうことがある。」(ウィキペディア「強迫性障害」より)
 それら以外に「感染(伝染)」という形式も在る。物理的には有り得ないものの、「精神的な感染」は在る。日本の世間の人達に多い、周りの顔色、反応に影響されたり、付和雷同し、同調し、マスコミやそれが作ったブームに乗り易く洗脳され易い性質故に起こる「空気感染」である。一人が笑うと皆笑う、マスコミが煽ると皆煽るという、釣られて影響される現象は、正に「空気感染」しているのである。僕は、その様な「空気」には合わさず反対方向を向いているので、これは当てはまらない。
 原因不明であるものの、「元々真面目、几帳面などの性格(強迫性格)の人に多い傾向がある」(ウィキペディア「強迫性障害」より)事は、僕に当てはまる。また、「ストレスフルな出来事のあとで発症することもある」(ウィキペディア「強迫性障害」より)。
 僕の場合に考えられる原因としては、プライバシーの侵害の被害(監視圧力、干渉・介入被害)、ストーカー被害(行動の自由の妨害)、サタンの背後霊からの雑音・挑発・偽旗、周囲やマスコミからの雑音・挑発・煽り、そして過去、今までに犯して来た罪なる経験や前述に挙げた事をはじめとした被害の経験が挙げられる。
 ウィキペディア「強迫性障害」には治療法も載せているが、その中で精神療法はまだ良いとしても、漢方薬はまだましとしても、薬物療法や脳外科手術、脳深部刺激療法は「暴挙」、「無茶苦茶」である。エビデンス(科学的根拠)も無いのに、明確な定義も無いにも関わらず、外科手術や電極を身体に挿入しての電気刺激等は正に「出鱈目」で節度を超えた行為である。また、薬物療法に於いては、「現在の日本では、選択的セロトニン再取り込み阻害薬 (SSRI) である塩酸パロキセチン、マレイン酸フルボキサミン、塩酸セルトラリンもしくは三環系抗うつ薬である塩酸クロミプラミンなどが用いられ」、また「精神療法が効果を示さない場合はSSRIが選択肢ではあるが、自殺リスク増加が指摘されているため副作用を注意深く観察すべきであるとしている。」(ウィキペディア「強迫性障害」より)と在り、前述の通り、薬は危険である。
 この「強迫性障害」は、その当てはまる範囲や割合、程度、頻度、度合いから、人それぞれ重症~軽症までの違いが存在する。僕は極軽症ではあるものの、現在は自分の内面で素直に認める。そして勿論、病院に依存しておらず、するつもりも全く無い。本ブログの本シリーズの別記事、2019年1月31日付「My Testimony/僕の証<1-1/2>:しんどい49歳のゆらぎ世代に在る僕の失敗トラブル続き、一瞬の此の世に居れない事を甘受し後の永遠の命を重視/Eternal Life in Heaven」と、同日付『My Testimony/僕の証<1-2/2>:無限の螺旋の次元上昇で得る純粋無垢の為の処世術「イエス・キリストと繋がる真の強さ」、純潔/True Strength with Christ, Pure』に、自分独りでの対策法や、その中でも最も大事な「イエス・キリストと繋がった強さ」を持つ必要が有る事を述べた。
 因みに強迫性障害の有名人として、ハワード・ヒューズ氏(米国の実業家)、デビッド・ベッカム氏(サッカー・イングランド代表)、エリック・サティ氏(フランスの作曲家)、ニコラ・テスラ氏(発明家、人工地震兵器「HAARP」の基を発明)、更に本年8月に警官に射殺されたヴァネッサ・マルケス氏(49、米国医療ドラマ『ER緊急救命室』で看護師ウェンディ・ゴールドマン役)らがおられる。
 更に、似たような症状としての「パニック障害」の経験がある有名人・タレントを特集した文献記事はこちら。

 関連文献
  ・2018/08/30付・KIRARI:「パニック障害芸能人・有名人衝撃ランキング27選!芸能人に多い?」
  ・2018/12/03付・障害者.com:「芸能人に多いパニック障害~いじめ、プレッシャーなどのストレスが原因で発症」

 「ずっと心の病を抱え、苦しんできたヴァネッサ。『ER』関係者は彼女の告発内容を否定しているものの、もし彼女が人種差別やセクハラを受けたと感じ、悩み、精神状態が悪化したのならば、この結末は悲し過ぎるだろう。ヴァネッサが今、安らかな眠りに就いていていることを祈るのみである。」(2018年9月3日付、niftyニュース(サイゾーウーマン)「精神障害が根本的な原因か……『ER』出演女優が警官に射殺される」より)

 僕も日々、ストーカー的な被害に遭いながら、時々、精神的に疲れた時、睡眠を取っている時が一番幸せであるとか、(睡眠を取っている時の延長の様にして)死んでいった方がこうして生きているよりも楽だろうなぁとか、15年半程前の大怪我の時に死んでいた方が楽だったのではないか、と思う事がある。睡眠時や此の世での生命の終わりによって心が安らぐというのは、僕には理解出来る。
 またクリスチャン、特にイエス・キリストの昇天直後、原始キリスト教会を担ったパウロをはじめとした伝道者達が、非キリスト者達から迫害を受け、且つ殺されながらも、また「この世に居れない」状態が続き、此の世での生命が短くなろうとも、後の「天での永遠の命」を受けて「天に居れる」事が出来る事を在世時には希望に抱き、そして実際、イエス・キリストと繋がった方々は、此の世での死後には神様の傍で本当の安らぎを得る事が出来ている。
 此の世での「一瞬の命」で「居れない」としても、「悔い改める」事によって、且つイエス・キリストへの信仰を持つ事によって、後の天で「永遠の命」を受けて「居れる」事が出来れば良いのである。イエス・キリストやパウロが犠牲になられた事と同じくして、大東亜戦争中の日本の「特攻隊」の方々や、当時から現在まで続く日本の有様に「絶望」した三島由紀夫氏は、公義の為に自分の命を犠牲にした為に此の世での生命は短かったが、その代わり、後の天での「永遠の命」を受けられたのである。
 但し、僕の場合には、生かされた事に意味、及び運命、使命を感じ、それを活かし、実行し、残していかなくてはならないものとも、勿論思っている。また、此の世での命は創造主から託されたもので、僕の命の所有者は僕の命を創られた創造主であり、その創造主の所有物である僕の命を、尊厳死や安楽死をも含めて僕自身が勝手に殺める等の生命操作を行ってはならないと明確に理解している事は勿論の事である。
 
 



 新約聖書・ヨハネの福音書12章24・25節
  まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
  自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。

 The New Testament・The Gospel of John 12:24~25
  Most certainly I tell you, unless a grain of wheat falls into the earth and dies, it remains by itself alone. But if it dies, it bears much fruit.
  He who loves his life will lose it. He who hates his life in this world will keep it to eternal life.

 
 



 新約聖書・マタイの福音書5章10~12節
   義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
  わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。
  喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。
 
 The New Testament・The Gospel of Matthew 5:10~12
   Blessed are those who have been persecuted for righteousness’ sake, for theirs is the Kingdom of Heaven.
  “Blessed are you when people reproach you, persecute you, and say all kinds of evil against you falsely, for my sake.
  Rejoice, and be exceedingly glad, for great is your reward in heaven. For that is how they persecuted the prophets who were before you.


 僕が、「強迫性障害」と共にもう一つ当てはまるものとしての、「ハイリー・センシティブ・パーソン」(Highly sensitive person, HSP)。感受性が一般の人達よりも高く、現在「敏感期」に在る僕にも言えるが、元々からセンス、素質として持っていたものを、神様による「アセンション」によって高められた可能性が有る。

 以下、ウィキペディア「ハイリー・センシティブ・パーソン」より、
 「生得的な特性として、高度な感覚処理感受性を持つ人のこと。共通して見られる特徴として、大きな音、眩しい光・蛍光灯、強い匂いのような刺激に対して敏感であることが挙げられる。HSPはしばしば、豊かで複雑な内的生活を送っているという自覚をもっている。物事に対して容易に驚き、短い時間にたくさんのことを成し遂げるよう要求されると混乱するという性質を持つ。」
 「HSPの属性は、「DOES」という頭文字で覚えることができる。
   ・処理の深さ(Depth of processing)
   ・(他の人と比較して容易に起きる)過度な興奮(Over aroused)
   ・感情的反応性・高度な共感性(Emotional reactivity and high empathy)
   ・些細な刺激に対する感受性(Sensitivity to subtle stimuli)」
 「HSPは些細で細かい部分に注目し、それについて長時間考えを巡らせるが、学習課題に対する理解を示すまでには時間がかかる。」
 「HSPはしばしば、一般的な見解とは異なる洞察を抱くが、……」
 「HSPは素晴らしい働き手になりうる。細部をよく見ており、思慮に富み、また忠実であるからだ。HSPが一番活躍するのは、静かで落ち着いた環境が整っているときであることが多い。HSPは監視されていると力を発揮できないため、昇進から漏れることもある。HSPは社交性が乏しい傾向にあり、自分ひとりで処理できる経験を好む傾向にある。無意識的あるいは半無意識的に環境内の些細な事柄を処理できる能力から、しばしばHSPは『ギフテッド』(※ 下参照)や『第六感』を持っているように見えることもある。」
 (以上、ウィキペディア「ハイリー・センシティブ・パーソン」より)

   ※ ギフテッド(gifted)・・・「生まれつきの才能があること。すぐれた知能をもつこと。『ギフテッド・チャイルド(天才児)』」。(goo辞書(デジタル大辞泉(小学館))より)

 次に、2017年6月7日付、Huffington Post日本「罪悪感を感じ、落ち込みやすい。やけに生きづらいあなた 。HSP(とても敏感な人)診断してみませんか。」より、「HSP(とても敏感な人)チェックリスト」を借用する。


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 HSP(とても敏感な人)チェックリスト

 あなたはどれぐらい感受性が強いでしょう?あなたには5つの選択肢があります。数字を1つ入れましょう、それぞれの質問の後に、数字を1つ入れましょう。

  0 点:当てはまらない
  1 点:ほとんど当てはまらない
  2 点:少し当てはまる
  3 点:ほぼ当てはまる
  4 点:完全に当てはまる

 (グループ A)
  1 美しい音楽を聴くと、興奮する
  2 どんな失敗が起こりうるか予測して対応策を考えることに、多くの労力を費やしている
  3 新たな可能性や選択肢に気付くのが得意
  4 すぐにインスピレーションを得て、よいアイデアをたくさん思いつく
  5 この世には私たちが耳で聞き、目で見るよりもたくさんのものがあると知っている
  6 痛みを感じやすい
  7 ほかの人にとっては大したことのないことにさえ、打ちのめされてしまうことある
  8 毎日、1人でいる時間が必要だ
  9 1人になって休憩する時間がないまま、他人とずっと2、3時間以上も一緒にいなくてはならないと、疲れ果ててしまうことがよくある
  10 緊迫した空気が流れていると、身を隠したくなる
  11 たとえ自分に向けられていなくても、誰かの怒りを感じるとストレスになる
  12 ほかの人の痛みが、自分の神経の奥深くに入り込んでくる
  13 不快な驚きや過ちを避けるために、色々と手を尽くす
  14 創造力がある
  15 時々、芸術作品を観ていて、喜びで胸がいっぱいになることがある
  16 自分の印象では一度に受けることのできる印象の範囲が、ほかの大半の人に比べて狭い。一度に複数のことをしているときには、他の人と比べて、わずかな刺激でも反応しやすくなってしまうのだと思う。たとえば、ネットで情報を検索しているときに、同時に会話に参加するのはストレスになる
  17 遊園地・ショッピングセンター・スポーツイベントといった非常に刺激の多いところに行くのが好きじゃない
  18 テレビなどで暴力シーンを観ると、その後何日間も影響されてしまう
  19 ほかの人よりも、考えることに時間を使う
  20 動物や植物の状態を感知するのが得意
  21 美しい自然を見ると、心のなかが歓喜の声でいっぱいになる
  22 他者にアンテナを張り、その人がどんな気持ちでいるか感じるのが上手い
  23 私はすぐに罪悪感を抱きやすい
  24 仕事中に誰かに監督されていると、ストレスを感じる
  25 真実が何かを見抜くことができ、ほかの人の欺瞞にもすぐ気付く
  26 すぐにびっくりしてしまう
  27 強いつながりを持ち、深く交流できる
  28 ほかの人たちが不快に思わないような音も、ひどくイラ立たしく思えることがある
  29 勘がよい
  30 1人の時間を楽しめる
  31 流れに任せて即座に行動することはめったになく、たいていの場合、よく考える
  32 大きな音・強烈なにおい・鋭い光をひどく不快に思うことがある
  33 ほかの人たちよりも、穏やかに落ち着いたところで休む必要がある
  34 お腹が空いたり、寒いと感じたりしたとき、そのことがなかなか頭から離れない
  35 涙もろい

 (グループB)
  36 事前準備なしに、新しい体験に飛び込むのが好きだ
  37 相手の裏をかいて、自分のやりたいようにできると、誇らしい気分になる
  38 社交の場で疲れることはない。雰囲気がよければ、席を外して1人になって休憩をとらずに、朝から晩まで楽しめる
  39 サバイバルなキャンプが好き
  40 プレッシャーを感じながら働くのが好き
  41 うまくいっていない人は、その人自身に責任がある場合が多いと思う
  42 自分のまわりで何が起きていようと影響されることなく、エネルギッシュでいられる
  43 パーティーでは、いつも自分は最後の方に帰る
  44 心配しすぎることはめったになく、いつも冷静に対処できる
  45 週末は、友人たちとコテージなどで過ごすのが好きで、途中、輪から抜けて1人になる時間は特に必要ない
  46 友人や知り合いが突然やって来る、サプライズ訪問が大好きだ
  47 あまり寝なくても大丈夫だ
  48 花火や爆竹が好きだ

 (計算方法)
  グループAの合計点数-グループBの合計点数=あなたのHSP度

 (診断)
  値が60 以上なら、HSPである可能性があります。
  この値はマイナス52 〜プラス140 の間の数字になるはずです。数字が大きければ大きいほど、敏感ということです。
  (注)
   テストは常に完全ではないと思っておいて下さい。テストがその人の性質をすべて十分に表すわけではありません。包括しきれていない面がたくさんあるはずです。
   またテストを受けた日の気分によって結果は変わってきます。このテストにより、あなたの敏感さについてヒントを得ても、それ以上には受け止めないでください。

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 (以上、2017年6月7日付、Huffington Post日本「罪悪感を感じ、落ち込みやすい。やけに生きづらいあなた 。HSP(とても敏感な人)診断してみませんか。」より)

 僕の場合、本年9月末の時点で上記のチェック・リストにて自己採点をしてみたところ、グループAが99点、グループBが13点で、差し引き86点となり、HSPである可能性が有るという事になる。

 しかし、敏感で感受性が高く、感情的な反応性が高く、過度な興奮を示すHSPは、パニックにも陥り易いと言える。僕は今までは、聞こえていても情報処理していらないものは捨てる聞き流しをしたり、空気を察知し読んでいても敢えてその空気に合わさない「鈍感力」をも併せ持っていた分、自分の内でバランスが取れていた様に思う。しかし最近、ここ直近に於いては、「無限の螺旋」での「次元の上昇」(アセンション)の過程で「純粋無垢」な心となる事から「敏感」となっている為に、そのバランスが少し崩れていた様に思う。今後は、信仰によって「イエス・キリストと繋がる強さ」を心の礎とし、且つ心のアダプター、殻、盾として持ち、イエス・キリストによる「抑止力」によって煽られた心の波風を抑え、安定した、泰然自若、確乎不動な心としていきたい。よって、僕の場合の「強迫神経症」や「HSP」はアセンションの為のステップであり、一過性であるとも言える。そして、「無限のスパイラル」によって、全てを「好循環」としていきたい。

 次に、「強迫性障害」や「HSP」であられるライターの書かれた関連文献を記す。

  ・2018/09/01付・障害者ドットコム:「HSPと発達障害は併発するの?〜HSPと、ともに。<vol.17>」
  ・2018/09/15付・Huffington Post日本:「娘はかわいいし、幸せ。なのに苦しい。 産後うつと強迫性障害に苦しんだ2年半の記録」
  ・2018/09/18付・障害者ドットコム:「私の強迫性障害が少し良くなるまでの実体験・要因」
  ・2018/09/21付・障害者ドットコム:「強迫性障害について~自分との戦い」

 鈍感な世界に生きる 敏感な人たち
「鈍感な世界に生きる 敏感な人たち」
(著者:イルセ・サン氏、翻訳者:枇谷玲子氏、出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン、出版日:2016/10/22)

 本ブログ過去の関連記事
  ・本ブログ ブックマーク:「My Testimony & Witness/僕の証 2018」 ・・・本ページ右サイド

  ・2012/11/22付:「ワクチン接種による感染」
  ・2012/11/27付:「真実・予見・発明に対する嘲笑・・・ 『カサンドラのジレンマ ~地球の危機、希望の歌』を読んで」
  ・2012/12/05付:「惑星ニビル・・・創世記・ノアの箱舟、出エジプト記」
  ・2012/12/13付:「要『備蓄』・『悔い改め』・・・あと1週間での到来『惑星ニビル』『フォトンベルト』」
  ・2013/04/01付:「ワクチン・薬は自分で勉強し、嫌なら拒否・・・専門家・権威の言葉を鵜呑みにしない事、自然免疫力の大事さ」
  ・2013/04/24付:「テロの種類も様々②・・・隕石、宇宙兵器、UFO」
  ・2013/08/31付:「今夏の猛暑は『地球寒冷化』の前兆か?・・・10年後辺りに小氷河期の可能性」
  ・2013/11/11付:「敏感で太い『鈍感力』と、『alone』と『maverick』の『孤独力』による『心の安定』・・・『人間関係は浅くていい。』を読んで」
  ・2014/07/06付:「子宮頸がんの根本的予防は結婚するまで『純潔』を守ること」
  ・2015/11/22付:「医療従事者はヒマな者が多い・・・仕事を作る為のマッチポンプ式ビジネス『予防医療』による『医原病』」
  ・2017/01/30付:「徳島・阿波に存在した邪馬臺国(=やまと国、俗称:邪馬台国)は後に奈良・大和国へ移った・・・『一次資料』に忠実な古代史や近現代史の検証により真実が見えてくる。そして主キリストについての一次資料は『聖書』」
  ・2017/02/06付:「太陽の異変による地震、竜巻、スーパー台風、噴火、隕石落下、インフラの混乱・壊滅…… ・・・憲法改正に於ける『緊急事態条項』の追加規定による総合的な安全保障の向上」
  ・2017/04/14付:「一次資料『古代ヘブライ語聖書原文』はアラビア半島にエルサレムを定める・・・シオニスト・現イスラエル国の論拠崩壊」
  ・2017/11/29付:「『チバ二アン』から思う天変地異の聖書預言とかごめの歌・・・核ミサイル攻撃、原子力発電所テロ攻撃、EMP、サイバー攻撃、太陽フレア、隕石落下、火山噴火、人工地震HAARP、そして『ポールシフト』」
  ・2018/01/09付:「十日戎に見る日本人・・・地上での幸福のみを願う自分の欲望を神とした祈り、渇く水を追い求める人々、敬虔な信者は自分の事を願わず神に感謝し神を賛美、人それぞれのタラントに応じた務め」
  ・2018/02/27付:「アメリカCNN『インフル予防接種、効果は36%止まり 米当局』:CNNと朝日新聞とユダヤの繋がり、『是々非々』に反するヒトまとめ・一様・固定観念・名前で判断する事の愚昧さ」
  ・2018/03/19付:「僕の先月の追記:I am“out-low”, servant, and no ability神様の恵みで益とされるPeople are made as good by the grace of God」
  ・2019/01/31付:「My Testimony/僕の証<1-1/2>:しんどい49歳のゆらぎ世代に在る僕の失敗トラブル続き、一瞬の此の世に居れない事を甘受し後の永遠の命を重視/Eternal Life in Heaven」
  ・2019/01/31付:『My Testimony/僕の証<1-2/2>:無限の螺旋の次元上昇で得る純粋無垢の為の処世術「イエス・キリストと繋がる真の強さ」、純潔/True Strength with Christ, Pure』
  ・本ブログ・カテゴリー:「予防医療の危険性と生命倫理」 ・・・本ページ右サイド

 引用文献
  ・新改訳聖書(発行:日本聖書刊行会)
  ・新改訳新約聖書(1965年版)(発行:日本聖書刊行会)
  ・World English Bible(eBible.org)

 参考文献
  ・2017/06/07付・Huffington Post日本:「罪悪感を感じ、落ち込みやすい。やけに生きづらいあなた 。HSP(とても敏感な人)診断してみませんか。」
  ・2018/09/03付・niftyニュース(サイゾーウーマン):「精神障害が根本的な原因か……『ER』出演女優が警官に射殺される」
  ・2018/10/02日付・TOCANA:「【速報】太陽が153日も活動していないことが判明! 氷河期突入の可能性は97%、33年間も地球冷却で人類滅亡へ!」
  ・ウィキペディア:「証 (キリスト教)」
  ・ウィキペディア:「強迫性障害」
  ・ウィキペディア:「ハイリー・センシティブ・パーソン」
  ・「『普通がいい』という病 『自分を取りもどす』10講」(著者:泉谷閑示氏、出版社:講談社、出版日:2006/10/20)
  ・「聖書アラビア起源説」(著者:カマール・サリービー氏、訳者:広河隆一氏、矢島三枝子氏、出版社:草思社、出版日:1988/12/24)

 関連文献
  ・2018/05/28付・TOCANA:「【ガチ】アフリカ大陸が2つに割れはじめていることが判明!巨大な地割れで地震も誘発…完全分裂はいつ?」


 「 My Testimony/僕の証<2> 」<1/2> ~ <2/2> ↓
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My Testimony/僕の証<2-1/2>:僕の成熟過程「試練の時期」の「敏感期」と「アセンション」に伴う「強迫性神経症」と「HSP」、エビデンス無き精神科医療、予防医療で作られる「医原病」

2019-01-31 12:27:42 | エッセイ・コラム
 ※ 本シリーズの記事は、昨年(2018年、平成30年)の内に投稿する予定であった為、本文中の「本年」とは2018年(平成30年)の事であり、訂正するには膨大な数に対応する為の手間と時間が必要となる為、敢えてそのままにしている事を御容赦願います。

 My Testimony & Witness
  僕の証<2>
    ~僕の成熟過程「試練の時期」の「敏感期」と「アセンション(次元上昇)」に伴う「強迫性神経症」と「HSP」(ハイリー・センシティブ・パーソン)
     エビデンスの無い精神科医療
     「毒」でしかない薬とワクチン
     予防医療の名目下で作られる「医原病」で死亡率上昇の皮肉・逆効果
     世間の精神面での「空気感染」


 僕は、この度の「My Testimony/僕の証」シリーズの記事を書くに当たって、最初から「証」をするつもりで書いた訳では無かった。書いている途中で、キリスト者(クリスチャン)がプロテスタントの教会等で一般的に行っておられる「証」をしている事に気付いた。このタイミングで、「偶々」、「証」を行う事は、正に「不思議」であり、「意味深」であり、そしてその事が、「神様の思し召し」によって促されて行った様に思われてならないのである。
 尚、キリスト者としての「証」についての説明は、次である。
 
 以下、ウィキペディア「証 (キリスト教)」より、

 「証(あかし、testimony、witness)。キリスト教では、神様から頂いた恵みを人に伝えることを『証(あかし)をする』と言う。似た表現に、『分かち合う』という言葉があるが、これは少人数で深く話し合うような場合に使われる。大勢の人の前で、発表する場合は『分かち合い』ではなく『証』または『立証』というのが一般的。救世軍では『証言』(読み方は『あかし』)と表記する。
 神の恵みに感謝することはもとより、神を誉め讃える点がポイントである。まれに牧師や司祭による説教と同じく、高度な神学理論を用いたものとなることもある。プロテスタントにおいてはしばしば礼拝の中で時間を割いて信徒による立証が行われるが、牧師による説教が聖書の解き明かしであるのに対し、立証は自らの体験に基づいて神の恵みを参列者と共有することであるという相違がある。また、キリストを信じるに至っていない人に対して証をすることも大切なことだと考えられており、福音伝道の主要な手段の一つでもある。
 さらには、生活の多様な場面において信仰に基づいた選択および行動をとることも証と呼ばれる。クリスチャンは天国に迎え入れられることよりはむしろ、イエスが説教を通じて伝えたことを地上においてどのように生かしていくかということに主な関心を抱く。いわば、クリスチャンの生涯とはそれ自体が証である。」

 (以上、ウィキペディア「証 (キリスト教)」より)

 
 



 新約聖書・ヤコブの手紙1章12~16節
   試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。
  だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。
  人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。
  欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。
  愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。

 The New Testament・The Epistle of James 1:12~16
   Blessed is a person who endures temptation, for when he has been approved, he will receive the crown of life, which the Lord promised to those who love him.
  Let no man say when he is tempted, “I am tempted by God,” for God can’t be tempted by evil, and he himself tempts no one.
  But each one is tempted when he is drawn away by his own lust and enticed.
  Then the lust, when it has conceived, bears sin. The sin, when it is full grown, produces death.
  Don’t be deceived, my beloved brothers.







 出典:「pngtree」

 本ブログの2019年1月31付記事、『My Testimony/僕の証<1-1/2>:しんどい49歳のゆらぎ世代に在る僕の失敗トラブル続き、一瞬の此の世に居れない事を甘受し後の永遠の命を重視/Eternal Life in Heaven』『My Testimony/僕の証<1-2/2>:無限の螺旋の次元上昇で得る純粋無垢の為の処世術「イエス・キリストと繋がる真の強さ」、純潔/True Strength with Christ, Pure』に、人間の成長過程、成熟段階に於ける事を述べた。
 主体性を持たない「0人称」、→自分で捉え、考え、判断し、行動する「1人称」、→そして自分の意志をも超えた超自然的な存在、神様に委ねる「超越的0人称」(参考:泉谷閑示氏著「『普通がいい』という病」(講談社出版))へと成長する事。
 また、他人を信じる「他信」、→自分を信じる「自信」、→そして神様を信仰する「神信」へとレベル・アップする事。
 更に、他者に依存する「他己実現」、→自分の努力で達成する「自己実現」、→そして神様に成し遂げてもらう様に祈り願う「神実現」へと次元が上昇する事を述べた。
 ここでもう一つ、空気に迎合し他者の顔色・反応を判断基準にする「他者第一」、→自分の考えや判断を基準とする「自分第一」、→そして神様の御心に適う事を絶対とする「神第一」へと成熟する事も付け加えておく。

 その成長過程、成熟段階の間に、折角、内省、「悔い改め」をしても、傍から見ると、一見すると、失敗やトラブルの繰り返しで「元の木阿弥」の様に見える様な状態が出現し、しかしその間にも上昇・成熟が続いている「無限の螺旋」の状態である事を述べた。そして、今から約1千年前の支那(中国)北宋時代の「十牛図」にも表されているその「無限の螺旋」の中で、座禅に於いて得られる「空」や「無」の心の状態、隠遁生活や引きこもり、自分を見直し、内観、黙想、瞑想したり、神様への祈りと「悔い改め」によって得られる、幼児期の様な「清純無垢」な心に戻る時、人は「敏感期」に入る。幼児を含め、また現在「ゆらぎ世代」の49歳の僕自身も含めた敏感期に存在している人は吸収期、充実期に在り、今後の自分の方向性を決定付ける重要な時期である。この敏感期の過ごし方、生き方如何によって、今後の人生の意味合いは大きく異なって来る。
 この「敏感期」は、とても傷付き易くもある。この「試練の時期」の乗り越え方も重要となる。僕自身としてこの「敏感期」の乗り越え方は、同じく前述の本ブログの他記事で述べているが、僕自身が公言している様に、クリスチャンとして、完璧では無いものの、最も必要で大事な方法は、心に「イエス・キリストに繋がった強さ」を持つ事である。


 僕自身、現在「敏感期」に在る。本年5月までの半年以上にも及ぶ長期休暇の下、心は「清純無垢」となっていた。そしてそれと同時に「敏感期」に入っていた。やがて書き物に集中している間にお金が無くなってしまい、「飯の種」の職に就かなければならなくなった。今後の書き物の為に割く時間の無い生活パターンを予想し、今後引き続き物書きをやっていけるのかと不安を感じ、それと共に僕の要領の悪さ、手際の悪さ、完璧主義等もあって情報を処理出来ずキュレーション、データ・マイニング出来なく溜まり続ける事から生じるもどかしさや焦燥感から、パニック状態の様に陥った。
 以前から僕自身に多少当てはまると思い気付いていた、「強迫性障害」(強迫性神経症)と「HSP」(ハイリー・センシティブ・パーソン)。これらは一応、精神疾患に当てはまるものらしい。但し、精神疾患と定義するものは無い。精神科の医者は、X線撮影による骨折や血管造影による動脈瘤や血管狭窄等を診断のエビデンス(evidence、科学的根拠)とする訳でも無く、確たる定義無く各々の医者の判断で診断しているに過ぎないので、僕はそんなものは全く当てにはしていない。それにも増して、精神科の医者達は、鬱病をはじめとした様々な精神病という「レッテル」を貼り付けて、毒に過ぎない薬を処方している。インフルエンザの治療薬「タミフル」や「リレンザ」、「イナビル」(ラニナミビル)の使用で、精神面に副作用が生じ、子供が飛び降りて死亡する事故が多発している事と同じく、精神科で使用する薬はズバリ、精神に作用するので極めて危険である。

 予防という名目の下、ワクチンに保存料としてチメロサールという「水銀」の添加、補助剤としてアジュバントの「避妊剤」の添加等と、様々な「毒」が添加物として入れられている。「水銀」は、「水俣病」で示された様に、特に抵抗力の弱い幼児や子供の脳のニューロン(神経細胞)を縮めて精神疾患をもたらすものである。また、歯科医院で詰めたり被せたりして歯の修復の為に用いられているアマルガムも、水銀である。そのせいもあってか、最近は教室内や電車、病院内で歩き回ったりして落ち着きを知らず、人への大声での悪口が止まらない様な発達障害の人達が多い様に思える。インフルエンザのウイルスの型は非常に多く、予め流行する型を推測して作られ身体に入れる抗体の型に当たる確率は3割も有るのかどうか非常に疑問である。その殆どが実際に流行るインフルエンザの方に合致せず、無駄であるどころか、身体に不要な「毒」を入れて却って「医原病」を作っているだけである。また、喉で止めるにも関わらず、血液中に抗体を打って意味が無い。子宮頸癌ワクチンでは、ペットに使う避妊剤が添加されているだけではなく、未成年で且つ結婚前に於けるセックスを促す不道徳をも勧奨している退廃が見て取れる。
 同じく予防という名目の下で、健康診断、職場検診、人間ドック、脳ドック、癌検診等が流行っている。しかし皮肉な事に、却って癌をはじめとして死亡率は上昇する「逆効果」が生じているのである。レントゲン撮影、特にCT撮影(コンピューター断層撮影)では、莫大な量の放射線を被爆させ、それにより発癌を促している。その他、その殆ど、9割半程が意味が無く、効果が無く、「毒」でしかない抗癌剤も含め、過剰な医療、不要な医療が多く、医療費は膨らみ続け、国民皆保険制度の下で社会補償の財源が問題となっている。製薬会社がデータを意図的に改変して作った説明書やパンフレット、製薬会社の御用学者や教授、医者達の講演会や名義貸し、利権関係で繋がるマスコミの情報隠蔽やフェイク・ニュース、忙しい臨床で勤務する医者達は英語の原論文を読む暇も無く、製薬会社に雇われた翻訳者が訳した論文や前記パンフレットや講演会を鵜呑みにして洗脳されている。
 
 話は戻り、僕自身が現在、「ゆらぎ世代」に在りながら「敏感期」に入っている事によって、つい最近に僕自身の内で強調される様な形で感じ、そして素直に僕自身の内で素直に認めた「強迫性神経症」と「HSP」。しかし勿論、それらに当てはまるとしても軽症であり、偶に出たりする症状が有る程度であり、決して気狂いでは無く、生活に大きな支障が出ている訳では無い。確かに、ここ最近の長期休暇や職場を転々として来た事がそれらが遠因となっているとすれば、収入の大幅な減額に繋がるという支障が出ていると言えなくもない。但し、特に僕の直近の長期休暇の場合、ただ「しんどい」から休んでいた訳では無く、書き物に集中していたのであり、またそれが、単に僕の思い込みかもしれないが、否そうではなく、僕は確乎として信じているが、それをする事を使命に感じながら行っていたのであり、収入が無くなり切羽詰まる事を覚悟した上での行いであった。
 今回の長期休暇だけでは無く、6年前(2012年)にも長期休暇を取った。その時も、当時43歳にして、クリスチャンでありながら初めて自分で自宅で聖書を開いて「通読」し始めた事や、「悔い改め」をし、遺書、遺言書の意味も含めた非常時や災害時の為の「もしもノート」を記載して作成し、非常時用の備蓄等の防災・減災対策、実父の墓の建立等を行った。引きこもっている事や外でお金に生る仕事を行っていない事から世間一般や傍から見て良く思われないかもしれないが、僕自身はとても意味があり充実していたと自負している。

 
 



 新約聖書・マタイの福音書4章17節
   この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」

 The New Testament・The Gospel of Matthew 4:17
   From that time, Jesus began to preach, and to say, “Repent! For the Kingdom of Heaven is at hand.”


 当時、地球がフォトンベルトに突入して今後2,000年かけて通過し、多くの隕石が落下し、一旦世界が終わるとも言われていた。これは、新約聖書「ヨハネの黙示録」をはじめとする聖書預言を基準にしている世界中の人達が、その預言の中で語られている「此の世の終末」に相当する情報として知られていた事であった。その為、その情報の中でピークとされていた2012年12月21日~2013年2月14日の翌日の2月15日にロシアのチェリャビンスク州の直径17mともされる隕石落下は、世界中に衝撃的なニュースとして報じられた。地球への隕石飛来は年間数百個にも昇るにも関わらず、しかしその多くが大気圏突入時に消失したり細かい塵の様になってしまったりするので、その大きさを保ったまま落下して来た珍しさもあったのであろうが、そのニュースは、当時、それまで情報を隠蔽していた日本のマスコミでさえトップ・ニュースで大きく報じ、テレビのワイドショーも大騒ぎした。褐色矮星で普通の望遠鏡では見る事が出来ず、3,661年周期で地球に近付いてくる「惑星ニビル」は、火星と木星の間に存在する小惑星群に突入し、それらと衝突して跳ね返った小惑星が「雹が降る」様に(旧約聖書・出エジプト記9章22~26節)、或いは「血の混じった雹と火」、「火の燃えている大きな山のようなものが、海に投げ込まれた」、「たいまつのように燃えている大きな星が天から落ちて来て」、「この星の名は苦よもぎと呼ばれ、川の水の三分の一は苦よもぎのようになった」(新約聖書・ヨハネの黙示録8章7~12節、「苦よもぎ」=チェルノブイリ)様にして、隕石として地球に降り注ぐと言われた。3,661年前と言えば、丁度、旧約聖書「出エジプト記」の頃で、そのニビルによってエジプト文明が破壊された可能性も有る。他にも、同じく旧約聖書「創世記」の「ノアの方舟」の大洪水も、同様の可能性が有る。

 
 



 旧約聖書・出エジプト記9章22~26節
   そこで主はモーセに仰せられた。「あなたの手を天に向けて差し伸ばせ。そうすれば、エジプト全土にわたって、人、獣、またエジプトの地のすべての野の草の上に雹が降る。」
  モーセが杖を天に向けて差し伸ばすと、主は雷と雹を送り、火が地に向かって走った。主はエジプトの国に雹を降らせた。
  雹が降り、雹のただ中を火がひらめき渡った。建国以来エジプトの国中どこにもそのようなことのなかった、きわめて激しいものであった。
  雹はエジプト全土にわたって、人をはじめ獣に至るまで、野にいるすべてのものを打ち、また野の草をみな打った。野の木もことごとく打ち砕いた。
  ただ、イスラエル人が住むゴシェンの地には、雹は降らなかった。

 The Old Testament・The Book of Exodus 9:22~26
   Yahweh said to Moses, “Stretch out your hand toward the sky, that there may be hail in all the land of Egypt, on man, and on animal, and on every herb of the field, throughout the land of Egypt.”
  Moses stretched out his rod toward the heavens, and Yahweh sent thunder and hail; and lightning flashed down to the earth. Yahweh rained hail on the land of Egypt.
  So there was very severe hail, and lightning mixed with the hail, such as had not been in all the land of Egypt since it became a nation.
  The hail struck throughout all the land of Egypt all that was in the field, both man and animal; and the hail struck every herb of the field, and broke every tree of the field.
  Only in the land of Goshen, where the children of Israel were, there was no hail.

 
 



 新約聖書・ヨハネの黙示録8章7~12節
   第一の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、血の混じった雹と火とが現われ、地上に投げられた。そして地上の三分の一が焼け、木の三分の一も焼け、青草が全部焼けてしまった。
   第二の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、火の燃えている大きな山のようなものが、海に投げ込まれた。そして海の三分の一が血となった。
  すると、海の中にいた、いのちのあるものの三分の一が死に、舟の三分の一も打ちこわされた。
   第三の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃えている大きな星が天から落ちて来て、川々の三分の一とその水源に落ちた。
  この星の名は苦よもぎと呼ばれ、川の水の三分の一は苦よもぎのようになった。水が苦くなったので、その水のために多くの人が死んだ。
   第四の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、太陽の三分の一と、月の三分の一と、星の三分の一とが打たれたので、三分の一は暗くなり、昼の三分の一は光を失い、また夜も同様であった。

 The New Testament・The Revelation of John 8:7~12
   The first sounded, and there followed hail and fire, mixed with blood, and they were thrown to the earth. One third of the earth was burned up, and one third of the trees were burned up, and all green grass was burned up.
   The second angel sounded, and something like a great burning mountain was thrown into the sea. One third of the sea became blood,
  and one third of the living creatures which were in the sea died. One third of the ships were destroyed.
   The third angel sounded, and a great star fell from the sky, burning like a torch, and it fell on one third of the rivers, and on the springs of the waters.
  The name of the star is called “Wormwood.” One third of the waters became wormwood. Many people died from the waters, because they were made bitter.
   The fourth angel sounded, and one third of the sun was struck, and one third of the moon, and one third of the stars; so that one third of them would be darkened, and the day wouldn’t shine for one third of it, and the night in the same way.


 
YouTube: [ 宇野 正美 ] 恐怖の惑星二ビルの接近・No.2

 また当時、同時に、メキシコ南東部、グアテマラ、ベリーズ等で栄えた文明で使用され、その高度で正確な天文学を基としているマヤ暦が終わる2012年冬至から、「アセンション」が始まるとも言われていた。「アセンション」という言葉、頭文字が小文字の“ascension”の場合は「上昇」、頭文字が大文字の“Ascension”の場合は「イエス・キリストの昇天」(goo辞書より)という意味となる。そして、その「アセンション」によって、「次元上昇」すると言われていた。
 聖書の預言も併せて、今後の「天変地異」となる、「異常気象」や「地殻変動」を予測する時、現在既に起こっている太陽が4極構造となる異変による「地球寒冷化」、地球の回転軸の傾きが変わる「ポールシフト」、最近の時事問題や世界の移り変わり、情報の流れの速さからも見て取れる様に時間が「0」に近付く「タイム・ウェーブ・ゼロ」等が思い浮かぶ。その時、既にコンピュータに支配され、それどころか今後AI(artificial intelligence:人工知能)に支配されてしまう地球人達は、そのコンピューターやAIが荒れ狂う中で、インフラ破壊に留まらず核兵器が飛び交う中で「終末」を迎えるのかもしれない。

 
 



 旧約聖書・イザヤ書30章25節
   「大いなる虐殺の日、やぐらの倒れる日に、すべての高い山、すべてのそびえる丘の上にも、水の流れる運河ができる。」

 The Old Testament・The Book of Isaiah 30:25
   There will be brooks and streams of water on every lofty mountain and on every high hill in the day of the great slaughter, when the towers fall.

 
 



 イザヤ書35章1~2節
   「荒野と砂漠は楽しみ、荒地は喜び、
   サフランのように花を咲かせる。
   盛んに花を咲かせ、喜び喜んで歌う。
   レバノンの栄光と、
   カルメルやシャロンの威光をこれに賜るので、
   彼らは主の栄光、私たちの神の威光を見る。」

 The Book of Isaiah 35:1~2
   The wilderness and the dry land will be glad.
   The desert will rejoice and blossom like a rose.
   It will blossom abundantly,
   and rejoice even with joy and singing.
   Lebanon’s glory will be given to it,
   the excellence of Carmel and Sharon.
   They will see Yahweh’s glory,
   the excellence of our God.

 
 









 イザヤ書35章5~8節
   「そのとき、盲人の目は開かれ、
   耳しいた者の耳はあけられる。
   そのとき、足のなえは鹿のようにとびはね、
   おしの舌は喜び歌う。
   荒野に水がわき出し、
   荒地に川が流れるからだ。
   焼けた地は沢となり
   潤いのない地は水のわく所となり、
   ジャッカルの伏したねぐらは、
   葦やパピルスの茂みとなる。
   そこに大路があり、
   その道は聖なる道と呼ばれる。
   汚れた者はそこを通れない。
   これは、贖われた者たちのもの。
   旅人も愚か者も、これに迷い込むことはない。」

 The Book of Isaiah 35:5~8
   Then the eyes of the blind will be opened,
   and the ears of the deaf will be unstopped.
   Then the lame man will leap like a deer,
   and the tongue of the mute will sing;
   for waters will break out in the wilderness,
   and streams in the desert.
   The burning sand will become a pool,
   and the thirsty ground springs of water.
   Grass with reeds and rushes will be in the habitation of jackals, where they lay.
   A highway will be there, a road,
   and it will be called “The Holy Way”.
   The unclean shall not pass over it,
   but it will be for those who walk in the Way.
   Wicked fools shall not go there.

 
 





 イザヤ書41章18~20節
   「わたしは、裸の丘に川を開き、
   平地に泉をわかせる。
   荒野を水のある沢とし、
   砂漠の地を水の源とする。
   わたしは荒野の中に杉や、アカシヤ、
   ミルトス、オリーブの木を植え、
   荒地にもみの木、
   すずかけ、檜も共に植える。
   主の手がこのことをし、
   イスラエルの聖なる者がこれを創造したことを、
   彼らが見て知り、
   心に留めて、共に悟るためである。」

 The Book of Isaiah 41:18~20
   I will open rivers on the bare heights,
   and springs in the middle of the valleys.
   I will make the wilderness a pool of water,
   and the dry land springs of water.
   I will put cedar, acacia, myrtle, and oil trees in the wilderness.
   I will set cypress trees, pine, and box trees together in the desert;
   that they may see, know, consider, and understand together,
   that Yahweh’s hand has done this,
   and the Holy One of Israel has created it.

 
 





 イザヤ書43章19~21節
   「見よ。わたしは新しい事をする。
   今、もうそれが起ころうとしている。
   あなたがたは、それを知らないのか。
   確かに、わたしは荒野に道を、
   荒地に川を設ける。
   野の獣、ジャッカルや、だちょうも、
   わたしをあがめる。
   わたしが荒野に水をわき出させ、
   荒地に川を流し、
   わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ。
   わたしのために造ったこの民は
   わたしの栄誉を宣べ伝えよう。」

 The Book of Isaiah 43:19~21
   Behold, I will do a new thing.
   It springs out now.
   Don’t you know it?
   I will even make a way in the wilderness,
   and rivers in the desert.
   The animals of the field, the jackals and the ostriches, shall honor me,
   because I give water in the wilderness and rivers in the desert,
   to give drink to my people, my chosen,
   the people which I formed for myself,
   that they might declare my praise.

 
 








 旧約聖書・ダニエル書12章1~13節
  その時、あなたの国の人々を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来、その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかし、その時、あなたの民で、あの書にしるされている者はすべて救われる。
  地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。
  思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。
  ダニエルよ。あなたは終わりの時まで、このことばを秘めておき、この書を封じておけ。多くの者は知識を増そうと探り回ろう。」
   私、ダニエルが見ていると、見よ、ふたりの人が立っていて、ひとりは川のこちら岸に、ほかのひとりは川の向こう岸にいた。
  それで私は、川の水の上にいる、あの亜麻布の衣を着た人に言った。「この不思議なことは、いつになって終わるのですか。」
  すると私は、川の水の上にいる、あの亜麻布の衣を着た人が語るのを聞いた。彼は、その右手と左手を天に向けて上げ、永遠に生きる方をさして誓って言った。「それは、ひと時とふた時と半時である。聖なる民の勢力を打ち砕くことが終わったとき、これらすべてのことが成就する。」
  私はこれを聞いたが、悟ることができなかった。そこで、私は尋ねた。「わが主よ。この終わりは、どうなるのでしょう。」
  彼は言った。「ダニエルよ。行け。このことばは、終わりの時まで、秘められ、封じられているからだ。
  多くの者は、身を清め、白くし、こうして練られる。悪者どもは悪を行ない、ひとりも悟る者がいない。しかし、思慮深い人々は悟る。
  常供のささげ物が取り除かれ、荒らす忌むべきものが据えられる時から千二百九十日がある。
  幸いなことよ。忍んで待ち、千三百三十五日に達する者は。
  あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地に立つ。」

 The Old Testament・The Book of Daniel 12:1~13
  “At that time Michael will stand up, the great prince who stands for the children of your people; and there will be a time of trouble, such as never was since there was a nation even to that same time. At that time your people will be delivered, everyone who is found written in the book.
  Many of those who sleep in the dust of the earth will awake, some to everlasting life, and some to shame and everlasting contempt.
  Those who are wise will shine as the brightness of the expanse. Those who turn many to righteousness will shine as the stars forever and ever.
  But you, Daniel, shut up the words, and seal the book, even to the time of the end. Many will run back and forth, and knowledge will be increased.”
   Then I, Daniel, looked, and behold, two others stood, one on the river bank on this side, and the other on the river bank on that side.
  One said to the man clothed in linen, who was above the waters of the river, “How long will it be to the end of these wonders?”
  I heard the man clothed in linen, who was above the waters of the river, when he held up his right hand and his left hand to heaven, and swore by him who lives forever that it will be for a time, times, and a half; and when they have finished breaking in pieces the power of the holy people, all these things will be finished.
  I heard, but I didn’t understand. Then I said, “My lord, what will be the outcome of these things?”
  He said, “Go your way, Daniel; for the words are shut up and sealed until the time of the end.
  Many will purify themselves, and make themselves white, and be refined; but the wicked will do wickedly; and none of the wicked will understand; but those who are wise will understand.
  “From the time that the continual burnt offering is taken away, and the abomination that makes desolate set up, there will be one thousand two hundred ninety days.
  Blessed is he who waits, and comes to the one thousand three hundred thirty-five days.
  “But go your way until the end; for you will rest, and will stand in your inheritance at the end of the days.”

 
 



 新約聖書・マタイの福音書24章15~16節
   それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)
  そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。

 The New Testament・The Gospel of Matthew 24:15~16
   “When, therefore, you see the abomination of desolation,which was spoken of through Daniel the prophet, standing in the holy place (let the reader understand),
  then let those who are in Judea flee to the mountains.

 人間の成長・成熟過程・段階が「無限の螺旋」の様な状態であり、その中で「アウフヘーベン」(止揚、揚棄)し「次元の上昇」が行われていく。その事を「他己実現」で行ってもらうのか、それとも「自己実現」で達成していくのか、もしくは「神実現」で成し遂げてもらうのか。
 6年前の「アセンション」の情報を思い、現在の僕自身の状態、症状を見る時、それらが……(「My Testimony/僕の証<2-2/2>」へ続く)

 「 My Testimony/僕の証<2> 」<1/2> ~ <2/2> ↓
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My Testimony/僕の証<1-2/2>:無限の螺旋の次元上昇で得る純粋無垢の為の処世術「イエス・キリストと繋がる真の強さ」、純潔/True Strength with Christ, Pure

2019-01-31 10:17:14 | エッセイ・コラム
 ※ 本シリーズの記事は、昨年(2018年、平成30年)の内に投稿する予定であった為、本文中の「本年」とは2018年(平成30年)の事であり、訂正するには膨大な数に対応する為の手間と時間が必要となる為、敢えてそのままにしている事を御容赦願います。

 My Testimony & Witness
  僕の証<1>
    ~「しんどい」49歳の「ゆらぎ世代」に在る僕の失敗・トラブル続き
     「一瞬の此の世」に「居れない」事を甘受し「後の永遠の命」を重視
     「無限の螺旋」の「次元上昇」で得る「純粋無垢」の為の処世術「イエス・キリストと繋がる真の強さ」
     「純潔主義」
     Eternal Life in Heaven
     Level Rise in Infinite Spiral
     Chastity, Pure Purity
     The true strength which connect with Jesus Christ


 (「My Testimony/僕の証<1-1/2>」からの続き)……

 今まで、僕は何回か人生の中でターニング・ポイントが在った。5~6歳の時にカトリックの幼稚園通園、8歳になる手前での受洗、18歳での高校中退、22歳で町工場の小さな鉄工所に見習い、(25歳の時に阪神淡路大震災、)27歳での新築マンション購入、33歳8ヶ月での大怪我、36~39歳での医療系専門学校への通学(その間、入学後の「3年半」後に臨地実習でのつまづきと再度の実習を含む)、41歳の時に実父の昇天(とその3ヶ月後の東日本大震災と福島原発“爆破”)、そして6年前の43歳にしてやっと初めて、長期休暇の中で「聖書通読」と「悔い改め」、「もしもノート」(遺言書の意味も含め、より広義な非常時に際して必要な自分の情報等)記述、災害時の為の備蓄等の防災対策を行った。「プレパレーション」(“Preparation”)の意味は心構え、覚悟、準備、用意、安息日の前の備えの日、教会でのミサの前の祈り等であるが、最も大事な意味は、後の天に於ける永遠の命を受ける為の備えである、此の世での死の前の「悔い改め」である。汚い心のままでは天で神様の傍に「居れない」ので、昇天するまでに「悔い改め」て心を清純にしておく準備が必要である。社会、世間、会社、学校、此の世に「居れない」としても、後に神様の傍に「居れる」事が出来れば良いのである。此の世での生命は「一時的」である。神様の傍に在る天での命は「永遠」である。何ぼ世渡り上手で、要領良く、体裁良く、偽善的に、自己実現し、地位や名誉、成功を手に入れ此の世の生を謳歌しても、快楽に浸っても、反省せず心からの「悔い改め」をしないで心が汚いままで死を迎えると、後の永遠の命は得られない。

 
 



 新約聖書・マタイの福音書4章17節
   この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」

 The New Testament・The Gospel of Matthew 4:17
   From that time, Jesus began to preach, and to say, “Repent! For the Kingdom of Heaven is at hand.”

 
 





 マタイの福音書6章1~8節
  人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。
   だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
  あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。
  あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
   また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
  あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
  また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。
  だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。

 The Gospel of Matthew 6:1~8
  “Be careful that you don’t do your charitable giving before men, to be seen by them, or else you have no reward from your Father who is in heaven.
   Therefore, when you do merciful deeds, don’t sound a trumpet before yourself, as the hypocrites do in the synagogues and in the streets, that they may get glory from men. Most certainly I tell you, they have received their reward.
  But when you do merciful deeds, don’t let your left hand know what your right hand does,
  so that your merciful deeds may be in secret, then your Father who sees in secret will reward you openly.
   “When you pray, you shall not be as the hypocrites, for they love to stand and pray in the synagogues and in the corners of the streets, that they may be seen by men. Most certainly, I tell you, they have received their reward.
  But you, when you pray, enter into your inner room, and having shut your door, pray to your Father who is in secret; and your Father who sees in secret will reward you openly.
  In praying, don’t use vain repetitions as the Gentiles do; for they think that they will be heard for their much speaking.
  Therefore don’t be like them, for your Father knows what things you need before you ask him.


 此の世で世間、周囲、人々からの褒め言葉、承認、表彰、名誉、地位を得て快適に「居れる」と、却って、後の天に於いて神様の傍に「居れる」事をはじめとした神様からの恵みを受ける事が出来ない。

 僕はそのターニング・ポイント毎に、捨て、集め、組み合わせ、整理し、データ・マイニングし、キュレーションしてアウフヘーベンし、次元が上昇しながら改革を行って来た。しかし、この度の事を含めて直近の6年間を見ても解る様に、また、再び元の木阿弥の如く、折角「悔い改め」をしたにも関わらず、心が悪化してしまった様に感じた。しかしこの事は、僕自身が人間としての「弱さ」故に起こる事であり、常に神様に祈り、聖書の御言葉を聴いて受け入れ、神様、イエス・キリストに繋がり、心の内に聖霊が宿って「居なければ」、その様に悪化、逆戻り、そして失敗の繰り返しをしてしまう事である様に思う。前述の様に、僕自身の「弱さ」を素直に認め、努力する事は勿論必要ではあるものの、自力で成し遂げる事、自己実現する事には限界が有る、自立する事は大事であるものの、やはり神様の力が常に必要である事、キリストに依存する事が大切である事を悟り、欠かさず救いを求め祈り、常にキリストに在り、神様に繋がる事で、「私が弱いときにこそ、私は強いからです」(コリント人への手紙 第二12章10節より)という様に成れる。聖霊が心に「居られる」事によって心に礎が築かれ、泰然自若、確乎不動の心となり、真の強さが得られ、心と精神は安定する。神様によって周囲・環境から煽られた心の波風が抑えられ、イエス様に繋がって安心感が得られ、心が安らぐ。

 僕自身を含めた人間の弱さや成長過程、悟りを得るまでの段階、自分探し、真の、元々の純粋な自分を探す旅を図と詩で表したものに、支那(中国)北宋時代の臨済宗・楊岐派の禅僧・廓庵作の「十牛図」が在る。次に掲げる。

 以下、ウィキペディア「十牛図」より 
 
 

 出典:ウィキペディア「十牛図」

 各図の解釈
  1.尋牛 - 仏性の象徴である牛を見つけようと発心したが、牛は見つからないという状況。人には仏性が本来備わっているが、人はそれを忘れ、分別の世界に陥って仏性から遠ざかる。
  2.見跡 - 経や教えによって仏性を求めようとするが、分別の世界からはまだ逃れられない。
  3.見牛 - 行においてその牛を身上に実地に見た境位。
  4.得牛 - 牛を捉まえたとしても、それを飼いならすのは難しく、時には姿をくらます。
  5.牧牛 - 本性を得たならばそこから真実の世界が広がるので、捉まえた牛を放さぬように押さえておくことが必要。慣れてくれば牛は素直に従うようにもなる。
  6.騎牛帰家 - 心の平安が得られれば、牛飼いと牛は一体となり、牛を御する必要もない。
  7.忘牛存人 - 家に戻ってくれば、牛を捉まえてきたことを忘れ、牛も忘れる。
  8.人牛倶忘 - 牛を捉まえようとした理由を忘れ、捉まえた牛を忘れ、捉まえたことも忘れる。忘れるということもなくなる世界。
  9.返本還源 - 何もない清浄無垢の世界からは、ありのままの世界が目に入る。
  10.入鄽垂手 - 悟りを開いたとしても、そこに止まっていては無益。再び世俗の世界に入り、人々に安らぎを与え、悟りへ導く必要がある。
 (ここまで、ウィキペディア「十牛図」より)

 この「十牛図」では、真の自己、生まれたての純粋無垢な自分自身を牛に例え、その牛(純粋な真の自己)を探し求める牧者である若者に例えられる自己。前記解釈の中の仏性は、クリスチャンとしての僕としては、原罪と共に人それぞれに此の世に生まれながらにして与えられている「良心」だけでは無く、神様の御心に適う様に生きたいという性質、イエス・キリストと共に歩みたいという性質、後の天で永遠に神様の傍に在りたいという性質に置き換えたい。






 出典:「pngtree」

 人は皆、赤ちゃんの時、幼児期の頃は、心は純粋で無垢である。しかし成長と共に、要領、建前、迎合、付和雷同、隷属、利権関係等といった処世術を身に付けてしまい、心が手垢で汚れて曇ってしまい、偽善的に渡世する事となっている。失敗やつまずき、非日常的な事故に遭う等のきっかけが無い限り、歯止め無く暴走し、本筋から逸脱し、向かうべき方向である神様が立てた計画である運命から逸れてしまい、人間自身の欲望のままに生きている。
 しかし成長と共に、人は次元が上昇する。幼児期や子供の頃は「0人称」であり、自分に主体性を持たず、両親や学校の先生の言う通りに、他人に素直に生きている。但し僕が世間一般を眺めてみると、空気の全体主義に迎合し、他人の顔色を判断基準に於いている多くの人達は、この「0人称」の粋を超えていない様に思える。それは、渡世術の為に建前として合わせているだけの者もいるであろう。
 「0人称」からレベルが上昇したのが、「1人称」である。主体性を持って、自分で捉え、自分で考え、自分で判断し、自分が行動する、精神的に「自立」した者の事を言う。「0人称」の様な、他者に精神面で「依存」するのでは無い。そして、「0人称」は「他者実現」であるが、「1人称」は「自己実現」である。他人の力に頼るのでは無く、自分が努力して、独力によって成し遂げるものである。
 「0人称」よりも成長してレベルの高い「1人称」。しかし、その「1人称」よりも更に、人として成長して次元が上昇した高いレベルが、精神科医である泉谷閑示氏の著作「『普通がいい』という病」(講談社出版)から借りた言葉として「超越的0人称」が存在する。この「超越的0人称」とは、自分を無くし、自分の欲望を無くし、自分の意志をも取り去ってしまい、天の神様に「全き依存」をする事である。そして、自分で「自己実現」するのでは無く、全能の神様によって成し遂げられる「神実現」が為される事である。「超越的0人称」は、神様への「全き依存」、神様の立てられた御計画である運命に従う事、神様から与えられた務め、宿命、使命を行う事である。「1人称」の時の、自分勝手な欲望・希望を基にした目標を自分勝手に立てたとしても、それが神様の立てられた御計画である運命・使命と正反対の方向であれば、「絶望」となるだけである。
 神様からの命令である「運命」に従うならば、此の世に「居れない」かもしれないが、後の天で神様の傍に「居れる」。自分の「欲望」のままに生きるならば、此の世で快楽に浸り「居れる」かもしれないが、後の天で神様の傍に「居れない」。此の世の生命は「一瞬」、後の天での命は「永遠」である。


 「十牛図」では、「本当の自分」を見失った「0人称」の若者が旅に出て、「本当の自分」を発見し、自分自身がその「本当の自分」と一体化して心が純化する「1人称」となる。そして、人里離れた山奥で仙人の様な隠遁生活(引きこもり)をし、世事、世俗から逃れて隠れ、自然に委ねて自然と一体化する。更に、「超越的0人称」となって、心が「空」、「無」となり、そして「あるがまま」の自然となる。そして第十図では、山奥から降りて来た半裸で腹の出た布袋さんの様な仙人、老人の方が、若者と出会い、その老人が若者に教え諭している様な姿が描かれている。泉谷氏によると、この布袋さんの様な老人の事を昔の若者、つまり第一図から描かれている若者だと考えても考えなくとも良いとし、同時に、この「十牛図」が「無限の螺旋」となっているという。要するに、結局、第十図の若者は第一図からの若者であり、第十図で布袋さんの様な老人が自分自身である若者に諭していると捉える事が出来る。つまずく等をして流されずに今一度立ち止まり、世間一般のレールから外れた時、「自分探し」を行ったりするが、その時に自分を見つめ直し、内省・内観し、黙想の中で自分の内側と対話し、「悔い改め」を始める。この様な事が、「十牛図」の第十図に示されているのではないだろうか。

 




出典(経由):2015年3月4日更新・NAVERまとめ「ジョーク?笑えない・・・NHK【おかあさんといっしょ】一緒ではない格差!」
(原典:2009年10月4日更新・最高峰への進学指導PrePass「アウフヘーベン」

 前述した様に、僕が折角「悔い改め」をしたにも関わらず元の木阿弥の如くに見えるのは、僕自身がその「無限の螺旋」の状態に在る事が言える様に思う。「0人称」から「1人称」、神様への依存である「超越的0人称」へと次元が上昇して終わるのでは無く、その「無限の螺旋」状態の中で人間の弱さ故の失敗、トラブル、つまずきの繰り返しを経ながら、更に「成熟」しながらアウフヘーベンしレベルを上げて行く。
 ところで、0~3歳期は「敏感期」であるらしい。この時期の育て方、教育方法や指導方法の内容によって、子供のその後の成長が大きく異なって来るという。自分自身を肯定できる「自尊心」を養う為に、この「敏感期」が重要であるという。その為の教育法として、「モンテッソーリ教育」というものが有り、神様から「恵み」として与えられているタラント、個性、特徴、特質、特性を活かす為に、その部分に特に注目し、力を入れて特化して繰り返させ、充実させようとするものである。また、それによって「集中力」を養う事にも繋がる。「無限の螺旋」の中で、再び幼児期の様な「純粋無垢」な心が復活する。
 キリスト者として、結婚するまでセックス(性交渉)をしない「純潔主義」である者が多いが、若い時、未婚時にそれを誓い守るだけでは無く、年を重ねた後に再び「第二の純潔(セカンダリー・バージニティ)」を宣言、或いは告白、カミングアウトするクリスチャン達がおられる。その事も、「無限のスパイラル」の中での再度の「純粋無垢」な心の復活と「敏感期」に入る事と同じであるのではないだろうか。
 「無限の螺旋」の中で、その都度、前向きになるばかりでは無く、流されずに立ち止まり、振り返り、自己の内側を見直す事によって、「悔い改め」をし、「純粋無垢」な心が出来る。しかし、決して理想郷ではない現実、世間、社会、此の世を渡って行く上では、過去の悔い改める前のレッテル、悪口、バッシング、いじめ、ハラスメント、騙し、詐欺、挑発、煽り(あおり)立て、煽て(おだて)、誘惑、唆し、妬み、やっかみ、邪魔、揚げ足取り、足の引っ張り等と、攻撃を受ける。そして、「純粋無垢」となった心は「敏感期」であり、とても傷付き易い。僕自身、長期休暇の中、隠遁生活を行っていた中で、「敏感期」に入っていたのではないだろうか。そして前述した様に、「強迫性神経症」や「HSP」の症状が出ていたのではないだろうか。
 その為、「無限の螺旋」の中で「成熟」しながら、処世術という「アダプター」を身に付ける必要が有る。しかしそれは、前述した様な心が曇って汚い状態での偽善的な渡世術では無く、神様への信仰と祈り、聖書の御言葉を受け入れる事により、「イエス・キリストと繋がった強さ」で心が覆われる事である。古代ユダヤの王ダビデが「私は、あなたに身を避けます」(詩篇16章1節より)、「主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら」(詩篇18章2節より)と創造主である唯一の神様に祈り続けた事は、正に、ダビデの「純粋無垢」な心を持ってした処世術、周囲のストーカー的な敵から心身を守る為の盾であり殻である「アダプター」そのものであった。


 
 



 旧約聖書・詩篇16章1~2節
  神よ。私をお守りください。
  私は、あなたに身を避けます。
  私は、主に申し上げました。
  「あなたこそ、私の主。
  私の幸いは、あなたのほかにはありません。」

 The Old Testament・The Book of Psalms 16:1~2
  Preserve me, God,
  for I take refuge in you.
  My soul, you have said to Yahweh,
  “You are my Lord.
  Apart from you I have no good thing.”

 
 



 詩篇18章2~3節
  主はわが巌、わがとりで、わが救い主、
  身を避けるわが岩、わが神。
  わが盾、わが救いの角、わがやぐら。
  ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、
  私は、敵から救われる。

The Book of Psalms 18:2~3
  Yahweh is my rock, my fortress, and my deliverer;
  my God, my rock, in whom I take refuge;
  my shield, and the horn of my salvation, my high tower.
  I call on Yahweh, who is worthy to be praised;
  and I am saved from my enemies.


 「0人称」は自分自身と神様を疑い他人を信じる「他信」であり、「他己実現」を行ってもらう無神論者。その上をいく「1人称」は、他人と神様を疑い自分を信じる「自信」であり、「自己実現」を行う無神論者。そしてより成長し成熟した「超越的0人称」は、それらや世間、社会、此の世を超えた、超自然的、全宇宙的、絶対者、創造主である唯一の神様に対する唯一の信仰を持ち、全き信頼感を神様に寄せる「神信」であり、「神実現」を祈り願う、イエス・キリストと繋がるキリスト者の事である。
 日本の「武士道」の「敢為堅忍」とセットとなった「勇」は「真の強さ」であり、「一瞬の感情」に任せた暴力は卑怯であり「真の弱さ」を示すものである。「真の強さ」とは、イエス・キリストと繋がる事で得られる心の安定、心の静寂、落ち着いた心、動揺の無い心の事である。

 
 



 ヤコブの手紙1章19~22節
   愛する兄弟たち。あなたがたはそのことを知っているのです。しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。
  人の怒りは、神の義を実現するものではありません。
  ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。
  また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。

 The Epistle of James 1:19~22
   So, then, my beloved brothers, let every man be swift to hear, slow to speak, and slow to anger;
  for the anger of man doesn’t produce the righteousness of God.
  Therefore, putting away all filthiness and overflowing of wickedness, receive with humility the implanted word, which is able to save your souls.
  But be doers of the word, and not only hearers, deluding your own selves.


 本ブログ過去の関連記事
  ・2019/01/31付:『My Testimony/僕の証<2-1/2>:僕の成熟過程「試練の時期」の「敏感期」と「アセンション」に伴う「強迫性神経症」と「HSP」、エビデンス無き精神科医療、予防医療で作られる「医原病」』
  ・2019/01/31付:『My Testimony/僕の証<2-2/2>:僕の成熟過程「試練の時期」の「敏感期」と「アセンション」に伴う「強迫性神経症」と「HSP」、世間の精神面での「空気感染」、「毒」でしかない薬とワクチン』
  ・本ブログ ブックマーク:「My Testimony & Witness/僕の証 2018」 ・・・本ページ右サイド

  ・2013/02/10付:「『生命倫理』について・・・(5)『運命』を素直に受け入れ、大きく委ねる」
  ・2013/04/13付:「俗事における『無用性』は一時的なもの・・・信仰によって生き、永遠を求める」
  ・2014/06/08付:「お金・事業より優る『思想』、それをも上回る独立した名も無き小さな一個人の勇ましく高尚な真面目なる『生涯』・・・『後世への最大遺物・デンマルク国の話』を読んで」
  ・2014/06/29付:「『「普通がいい」という病・「自分を取りもどす」10講』を読んで・・・絶対的基準・規範も持たずにお互いの顔色・反応を確かめて『普通』と認め合っているに過ぎない世間の人達」
  ・2015/11/22付:「医療従事者はヒマな者が多い・・・仕事を作る為のマッチポンプ式ビジネス『予防医療』による『医原病』」
  ・2016/04/10付:「独立自尊の精神で孤往独邁の覚悟・・・妥協せず精神面での勝利、『自分を取り戻す』」
  ・2017/05/05付:「『ひきこもり』は良い事である・・・精神的修練と自立、心の成熟、自己点検、内省、瞑想、普通であろうとする間違い、アイデンティティにこそ値打ち、自分と公義とのバランス、そして根本規範」
  ・2017/07/22付:「『陰徳』により人からの評価・承認を得られずとも後の永遠と創造主の守護を得る・・・過去を想起し、自分を知り、現在・未来と運命・役割を考える」
  ・2017/07/23付:「高校中退後の30年間、友達・つながりが全く無かったが、こうして今ちゃんと生きている・・・世間・マスコミの論拠崩壊、独立自尊の精神、マイペース、へそ曲がり、リラックス、そして行雲流水、成るように成る」
  ・2017/08/11付:「『カラスの恩返し?』、ペンギンの様に飛躍せず、天の孔雀ならぬ天の邪鬼な、酉年生まれの私・・・『けっして覗かないでください』と、大した才能も無く、日々物書き」
  ・2018/01/09付:「十日戎に見る日本人・・・地上での幸福のみを願う自分の欲望を神とした祈り、渇く水を追い求める人々、敬虔な信者は自分の事を願わず神に感謝し神を賛美、人それぞれのタラントに応じた務め」
  ・2018/03/19付:「僕の先月の追記:I am“out-low”, servant, and no ability神様の恵みで益とされるPeople are made as good by the grace of God」
  ・本ブログ・カテゴリー:「予防医療の危険性と生命倫理」 ・・・本ページ右サイド

 引用文献
  ・新改訳聖書(発行:日本聖書刊行会)
  ・新改訳新約聖書(1965年版)(発行:日本聖書刊行会)
  ・World English Bible(eBible.org)

  ・ウィキペディア:「証 (キリスト教)」

 参考文献
  ・「『普通がいい』という病 『自分を取りもどす』10講」(著者:泉谷閑示氏、出版社:講談社、出版日:2006/10/20)
  ・2018/11創刊号・DHCのクスリ:「女の一生に、漢方の力を」
  ・2018/11/04付・神戸新聞朝刊:「編集委員インタビュー 遊び反復 自己肯定感を育む 芦屋大付属幼稚園園長 安藝雅美さん(52)に聞く 『モンテッソーリ教育法』が目指すところは? 能力開花、心にゆとりも」
  ・ウィキペディア:「十牛図」
  ・ウィキペディア:「純潔運動」

 関連文献
  ・「『私』を生きるための言葉 日本語と個人主義」(著者:泉谷閑示氏、出版社:研究社、出版日:2009/3/25)




「『普通がいい』という病 『自分を取りもどす』10講」
「『普通がいい』という病
『自分を取りもどす』10講」
「『私』を生きるための言葉 日本語と個人主義」
「『私』を生きるための言葉 日本語と個人主義」


 関連動画↓ (画像のクリック、及び下の文章のクリックにて、当動画YouTubeサイトにリンク)

YouTube: 十牛図 Feel the Earth Rotate (宇宙のささやき)  →YouTube
 出典:2015/10/01公開・YouTube 「やつかひとし」チャンネル:「十牛図 Feel the Earth Rotate (宇宙のささやき)」

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My Testimony/僕の証<1-1/2>:しんどい49歳のゆらぎ世代に在る僕の失敗トラブル続き、一瞬の此の世に居れない事を甘受し後の永遠の命を重視/Eternal Life in Heaven

2019-01-31 08:56:12 | エッセイ・コラム
 ※ 本シリーズの記事は、昨年(2018年、平成30年)の内に投稿する予定であった為、本文中の「本年」とは2018年(平成30年)の事であり、訂正するには膨大な数に対応する為の手間と時間が必要となる為、敢えてそのままにしている事を御容赦願います。

 My Testimony & Witness
  僕の証<1>
    ~「しんどい」49歳の「ゆらぎ世代」に在る僕の失敗・トラブル続き
     「一瞬の此の世」に「居れない」事を甘受し「後の永遠の命」を重視
     「無限の螺旋」の「次元上昇」で得る「純粋無垢」の為の処世術「イエス・キリストと繋がる真の強さ」
     「純潔主義」
     Eternal Life in Heaven
     Level Rise in Infinite Spiral
     Chastity, Pure Purity
     The true strength which connect with Jesus Christ


 
 



 新約聖書・ヤコブの手紙1章2~4節
   私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。
  信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。
  その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。

 The New Testament・The Epistle of James 1:2~4
   Count it all joy, my brothers, when you fall into various temptations,
  knowing that the testing of your faith produces endurance.
  Let endurance have its perfect work, that you may be perfect and complete, lacking in nothing.


 先ず最初に、ここに書く冒頭の文章は、この記事と共にその後に続く一連の記事を書いた後に記載しているものである事を、予め断っておく。
 僕は、この記事、及びこの記事に続く此の度の「僕の証」シリーズ(1)~(8)の記事は、最初から「僕の証」をするつもりで書いたのでは無かった。僕の近況や、僕の最近の精神と心に於ける、変化や不安定さについて、先ず分析し、検証し、そして整理して纏める事によって、先に僕自身の足元、心を固めておこうと思った。
 もし「不安定」なままであれば、此の後に行っていく様々な事に於いて、「集中力」等の力を発揮する事は出来ず、結果には繋がらない。
 そしてその後に、今に至って明確化した僕の「目的」、つまり、「歴史修正」や、「マスコミ修正」、「世間の常識・空気・価値観の破壊」を目指す為に、書き物等を通して行うつもりであった。そして勿論、「神様の御計画」を常に意識し、従って行きたい。僕のその「目的」が、「神様の御計画」の内に在るのかどうかは正直解らないが、僕としては、信じたい。
 そして、この一連の記事を書いていく内に、僕は「自分の意志」では無く「偶然」に、「証」をしている事に気付いたのだった……。

 以下、ウィキペディア「証 (キリスト教)」より、

 「証(あかし、testimony、witness)。キリスト教では、神様から頂いた恵みを人に伝えることを『証(あかし)をする』と言う。似た表現に、『分かち合う』という言葉があるが、これは少人数で深く話し合うような場合に使われる。大勢の人の前で、発表する場合は『分かち合い』ではなく『証』または『立証』というのが一般的。救世軍では『証言』(読み方は『あかし』)と表記する。
 神の恵みに感謝することはもとより、神を誉め讃える点がポイントである。まれに牧師や司祭による説教と同じく、高度な神学理論を用いたものとなることもある。プロテスタントにおいてはしばしば礼拝の中で時間を割いて信徒による立証が行われるが、牧師による説教が聖書の解き明かしであるのに対し、立証は自らの体験に基づいて神の恵みを参列者と共有することであるという相違がある。また、キリストを信じるに至っていない人に対して証をすることも大切なことだと考えられており、福音伝道の主要な手段の一つでもある。
 さらには、生活の多様な場面において信仰に基づいた選択および行動をとることも証と呼ばれる。クリスチャンは天国に迎え入れられることよりはむしろ、イエスが説教を通じて伝えたことを地上においてどのように生かしていくかということに主な関心を抱く。いわば、クリスチャンの生涯とはそれ自体が証である。」

 (以上、ウィキペディア「証 (キリスト教)」より)

 以上ここまでが、後から追記したものである。

 僕は現在49歳。この49歳前後は「ゆらぎ世代」であるという。
 「ゆらぎ世代」を迎えるに当たり、女性の場合は閉経や女性ホルモンの低下等と更年期に入り、男性も同様に体調の変化や不調、未病等の不定愁訴を抱く様になる。僕自身にも、その事は当てはまる。
 人体の恒常性、体力を支える免疫系、神経系、ホルモン系、代謝酵素が減弱していき、筋肉量も減る事から基礎代謝量が落ちていく。しかしそれらだけでは無く、食べ物に含まれる農薬や化学合成添加物が代謝されず身体の内部に長年蓄積されて来た結果として、また歯科医院で詰めてもらい被せてもらった水銀と他の金属との合金であるアマルガムを使った銀の補修物の影響、病院で処方された薬や予防の為に打たれたワクチンの中に含まれているチメロサール(水銀)やアジュバント(避妊剤)をはじめとした様々な有害・毒性添加物質の残留・蓄積の影響、飲酒のアルコール、僕自身は今まで吸ったことが無いが(但し受動喫煙は有る)タバコの喫煙、支那(中国)に多く見られる光化学スモッグの原因となる有害物質の吸引、アスベスト(石綿)やグラスウールをはじめとした工場、建材、家屋に存在する有害物質等の影響が、自分自身に意識され始める頃となる。
 また、それら未病、不定愁訴の段階で癌をはじめとした病気になる種、可能性の有るもの、或いは病気を見つけて治療しようとしてする予防医療の一環として、先のワクチン接種の他、健康診断、職場検診、人間ドック、脳ドック、癌検診等が行われ、X線撮影(レントゲン)やCT撮影による放射線被爆、バリウムの悪影響等の為に、却ってそれらが原因となる「医原病」も発現する事となる。
 自分自身の心身の内面が原因となるだけではなく、外側から、周囲からの影響も存在する。会社での世代交代、リストラ、パワハラ、セクハラ、商売・ビジネス上のイザコザ、自宅の近所との揉め事、付き合い上のトラブル、両親の介護、家計の遣り繰り、また僕自身は独身なので関係無いが、子供の学校でのいじめ等のトラブルからの悩み、進学や就職、結婚、独立等と、何かとストレス、圧力が覆って来る。
 僕は、今まで会社、職場を転々として来た。此の間、アルバイトも含めて数えてみると、50以上を数えた。鉄工所のみに限っても、20以上を数える。江戸時代には「渡り職人」が多く存在し、道具箱を片手に仕事の有る所を転々として渡り歩いていた。また明治以前、山の民「サンカ」達は、戸籍も持たず山奥、山上に転々と住まいを変えた。更に、映画の寅さん(車寅次郎 )は、フーテンとして旅する等して常識外れ、型破りに生きた。
 僕はその様に転々とする中で、「行雲流水」(=「物事に執着せず、淡々として自然の成り行きに任せて行動することのたとえ」(goo辞書より))、成るように成るとの思いで今日まで来た。その事から、例えリストラされクビになろうとも、パワハラや嫌がらせ、いじめ、難癖を付けられようとも、無理に我慢をせず、さっさと別の所へ行った方が良いと考える事が出来る。確かに、ある程度の忍耐は必要である。しかし神様は試練を与えても耐えうるものを与えると同時に、逃げ道も用意して下さる。

 
 



 新約聖書・コリント人への手紙 第一10章13節
  あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。

 The First Epistle to the Corinthians 10:13
  No temptation has taken you except what is common to man. God is faithful, who will not allow you to be tempted above what you are able, but will with the temptation also make the way of escape, that you may be able to endure it.
 

 
 



 ヤコブの手紙1章12~16節
   試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。
  だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。
  人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。
  欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。
  愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。

 The Epistle of James 1:12~16
   Blessed is a person who endures temptation, for when he has been approved, he will receive the crown of life, which the Lord promised to those who love him.
  Let no man say when he is tempted, “I am tempted by God,” for God can’t be tempted by evil, and he himself tempts no one.
  But each one is tempted when he is drawn away by his own lust and enticed.
  Then the lust, when it has conceived, bears sin. The sin, when it is full grown, produces death.
  Don’t be deceived, my beloved brothers.


 忍耐・謙遜・信仰・感謝・慎重と共に、此の世の終末に当たり、Preparation、心構え、覚悟、後の世である天の御国に入る為の心の準備、備えである「悔い改め」が必要である。一つの会社や学校に長期間安定して「居れない」だの、近所とのトラブル等で同じ家に続けて「居れない」だの、世間・周囲からのバッシングによって街中に「居れない」だの、一時的であり高々精々100年有るか無いかの此の世の生よりも、「後の永遠の命」を重視するべきである。会社、学校、街中、世間、社会に「居れない」としても、「居場所」が無くとも、後の天の御国に永遠に居れたらよいのである。此の世の生命は「一瞬」である。 
 しかし此の世に生まれたからには、意味の有るものにしたい。創造主、神様の御心に適った生き方が真実である。それは決して、周囲の大多数の抱く欲望に適う事では無い。自分自身に試練をも含めた「神様からの恵み」が与えられ、タラント(才能)としての個性、それらを用い活かした生き方、使命、宿命、運命として、此の世に於ける僕自身の役割を想い懐き、それを実行していく。
 陽明学は、新約聖書と似ている。「知行合一」(=「知識と行為は一体であるということ。本当の知は実践を伴わなければならないということ。」(goo辞書より))を共に説いている。しかし、何も実行と言っても、外に出てパフォーマンスを行うが如く、演説したり講演、説教して回る事だけでは無い。現代にはSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が存在し、ブログ、フェイスブック、ツイッター、YouTube等の動画に投稿する事も実践である。また、研究、検証、勉強、キュレーション、データ・マイニングをする為の読書や検索、をする事も実践である。それらの実践は、大抵の場合は「引きこもり」が必要となるが、周囲のレジャーやショッピング、グルメ、博打に明け暮れている様な世間の大多数の人達からは誤解され易い。僕は、その様な世間の大多数こそ、意味の無い人生を送っている様に見える。最近は、SNSを駆使したライターや編集者等のフリーランスで活躍されている方々も多い。それらの方々はその事でマネーを稼ぎ飯を食えているが、僕がここで書いている事は一銭にも生っていない。そして、僕のそのお金に生らない事を、ただの趣味として誤解して捉えられる事が多い。
 ボランティアや親の介護、子育て、主婦の家事労働も、直接的に金銭には繋がってはいないが、立派な「仕事」である。それどころか、親の介護や主婦の家事労働は「義務」と「責任」が伴う。尤も、夫婦共働きの場合は夫婦で分担して家事を行う事は必要である。また、NPO法人は名目上は「Not-for-Profit Organization」(非営利団体)を宣伝として謳っている。それらの様に、何もお金に生るものだけが「仕事」では無い。
 人それぞれが個性としてのタラントを持ち、それに応じた使命、運命が在る。自然と運命に委ね、使命を行う事が、神様の御心に適う事となる。宿命は、神様の御計画である。全ては絶対者である神様によって決められる。障がい者の方々は、健常者と比べて出来ない事を持つ。その事も運命・使命である。悪口を言う口を持つ者は、正に口に「障“害”」を持ち口を慎み制御出来ない「発達障“害”者」である。
 寝たきりの方々には生産性が全く無いと思っている人達が多いかもしれない。しかし寝たきりの方々は、その立場、症状、そしてタラントを使命として活かして、看護や介護する人達の心の奥から優しさを引き出す事が出来、そして世界の平和と安寧を神様にお祈りする事も出来、その事は神様と国民との間での仲介を為される大祭司であり全神社の頂点に立つ天皇陛下が行っておられる事と同じ事であり、「尊いこと」、「尊敬されるべき事」である。
 












 新約聖書・マタイの福音書25章14~30節
   天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。
  彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。
  五タラント預かった者は、すぐに行って、それで商売をして、さらに五タラントもうけた。
  同様に、二タラント預かった者も、さらに二タラントもうけた。
  ところが、一タラント預かった者は、出て行くと、地を掘って、その主人の金を隠した。
  さて、よほどたってから、しもべたちの主人が帰って来て、彼らと清算をした。
  すると、五タラント預かった者が来て、もう五タラント差し出して言った。『ご主人さま。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。私はさらに五タラントもうけました。』
  その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
  二タラントの者も来て言った。『ご主人さま。私は二タラント預かりましたが、ご覧ください。さらに二タラントもうけました。』
  その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
  ところが、一タラント預かっていた者も来て、言った。『ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。
  私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきました。さあどうぞ、これがあなたの物です。』
  ところが、主人は彼に答えて言った。『悪いなまけ者のしもべだ。私が蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めることを知っていたというのか。
  だったら、おまえはその私の金を、銀行に預けておくべきだった。そうすれば私は帰って来たときに、利息がついて返してもらえたのだ。
  だから、そのタラントを彼から取り上げて、それを十タラント持っている者にやりなさい。』
  だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。
  役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。

   ※1タラント=6,000デナリ、1デナリ=当時の1日の労賃に相当、タラント…貨幣単位、才能

 The New Testament・Gospel of Matthew 25:14~30
   “For it is like a man, going into another country, who called his own servants, and entrusted his goods to them.
  To one he gave five talents, to another two, to another one; to each according to his own ability. Then he went on his journey.
  Immediately he who received the five talents went and traded with them, and made another five talents.
  In the same way, he also who got the two gained another two.
  But he who received the one talent went away and dug in the earth, and hid his lord’s money.
  “Now after a long time the lord of those servants came, and reconciled accounts with them.
  He who received the five talents came and brought another five talents, saying, ‘Lord, you delivered to me five talents. Behold, I have gained another five talents in addition to them.’
  “His lord said to him, ‘Well done, good and faithful servant. You have been faithful over a few things, I will set you over many things. Enter into the joy of your lord.’
  “He also who got the two talents came and said, ‘Lord, you delivered to me two talents. Behold, I have gained another two talents in addition to them.’
  “His lord said to him, ‘Well done, good and faithful servant. You have been faithful over a few things, I will set you over many things. Enter into the joy of your lord.’
  “He also who had received the one talent came and said, ‘Lord, I knew you that you are a hard man, reaping where you didn’t sow, and gathering where you didn’t scatter.
   I was afraid, and went away and hid your talent in the earth. Behold, you have what is yours.’
  “But his lord answered him, ‘You wicked and slothful servant. You knew that I reap where I didn’t sow, and gather where I didn’t scatter.
  You ought therefore to have deposited my money with the bankers, and at my coming I should have received back my own with interest.
  Take away therefore the talent from him, and give it to him who has the ten talents.
  For to everyone who has will be given, and he will have abundance, but from him who doesn’t have, even that which he has will be taken away.
  Throw out the unprofitable servant into the outer darkness, where there will be weeping and gnashing of teeth.’


 現在「ゆらぎ世代」真っ最中の僕。一昨年(2016年)末の12月(47歳時)に、3年間居た鉄工所を、人間関係のトラブルからクビに成り辞めた。其処に務めていた間は比較的安定し、収入だけでは無く、生活をパターン化する事が出来、職探しの為に時間を潰す必要も無く、プライベートにおいて行う事にも比較的、集中する事が出来ていたのではないかと思う。但し、その頃は未だ、ブログ、書き物等も、趣味、或いは趣味に少し毛が生えた程度でしかなく、その事が使命等とは考えて無かった。
 しかし、2016年11月にアメリカでトランプ氏が大統領に当選した事やその他諸々、一昨年末に3年間勤めて居た鉄工所を辞めた後は会社を転々、その過程に於ける周囲からのバッシング、自分を更に今一度見つめ直す等から、僕自身の内面が 「ゆらぎ」、昨年(48歳時)からは精神面や生き方により一層の「ゆらぎ」が生じた様に思える。
 僕は、昨年の3月末~5月中頃までのおおよそ2ヶ月間に空白期が在ったのであるが、その間、世界ではアメリカの偽旗・自作自演シリア侵略攻撃やアメリカと北朝鮮との一触即発の緊張等大きな出来事が起こり、それと並行する形で、僕自身は書き物に目覚めたというか、ブレークした様な感が在った。その間、僕は書き物や読書に集中した。
 その後、会社を転々とする中で周囲からのバッシングも重なり、「しんどい」と思え、11月頭~今年に入った5月末までの7ヶ月の間、思い切って休暇を採った。最近、学校でのいじめや会社でのパワハラ等のストレスから「しんどい」と訴える人達が多く、リタイアするどころか自殺してしまう者達が多い。僕はその間、周囲の寝静まった夜中に起きて、書き物に集中した。夜中は世間と反対の生活で、雑音も無く、周囲に影響を受ける事が無く、心穏やかにして集中出来た。集中には、煽り立てられて影響を受ける事無い、心の安定が必要である。煽り立て、挑発を受けようとも、泰然自若、確乎不動の心が築けていれば良いのであるが、完璧では無い僕は、所詮弱い。
 その「ひきこもり」の状態に於いて折角、心や考えが純粋に成っていたのが、世間の俗塵に影響されるや否や、丁度出だした頃から調子が狂っていた。それまでのパターンが崩れたという意味だけでは無く、身体の調子は兎も角、精神面、心が不安定となってしまった。そしてその後、自らのせいで招いた、或いは偶然に重なったトラブルや失敗が続く事となった。

 ざっと挙げると次の様なものである。
 5月には、近所とのトラブル、周囲の反応に対して過敏に反応した事、妹の引っ越し時のトラブル。
 6月には、派遣社員として入った大手菓子会社でのトラブル、再び近所とのトラブル、そして新たに鉄工所に入社。
 7月には、広島や岡山、愛媛をはじめとした西日本を中心とした大雨大水害で多くの方々が犠牲になられる中、その影響からかそれまで1Mbpsにも満たないスピード(概ね0.7Mbps程)ながら使えていた12Mbps契約ADSL回線のインターネットが大幅にダウンし、0.02Mbps程にまで落ち込むトラブルとなった。更に、会社でのトラブル、長期休暇の後で体力が落ちイマイチ調子が優れない状態で猛暑の中、独り大きめの品物(製缶物)を作り、それを最後に8月頭に退職した。
 8月頭に退職し、その後3週間程は、長期休暇の間にも遠ざかっていた事もあって、読書に集中する事にした。その間、書き物は行わなかった。一度にバランスを採って行うのは、僕にとってはなかなか難しい。僕は不器用であり、マイペースである。その読書は特に、長期休暇時に研究の為に購入しておいた、「ドイツ旧ナチスによるユダヤ人ホロコーストは全く無かった」という事の関連書物を中心にしてのものであった。「ドイツ旧ナチスによるユダヤ人ホロコーストは全く無かった」事は、「旧日本軍による南京大虐殺は全く無かった」と同じく知っていたが、更に奥深く検証し研究して知識を得たいとの思いからである。ドイツも日本も敗戦国であるが故に、嘘の歴史、「フェイク・ヒストリー」を押し付けられているのである。現在の国連安保理は先の世界大戦の戦勝国で固められたままであり、戦後体制は続いている。
 その間に父の墓へ「追懐」の為に行ったが、僕はクリスチャンなので、墓で線香を上げる事も無く、墓を拝む事もしない。そして勿論、戒名も必要無い。「千の風になって」と同様に、墓の中に故人は存在しない。

 次は、預言者モーセが創造主から授かった石板に書かれている、俗に言われるモーセの十戒である(①~⑩)。
 










 旧約聖書・出エジプト記20章1~17節
  それから神はこれらのことばを、ことごとく告げて仰せられた。
   「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。
  あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。・・・①
  あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。・・・②
  それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、
  わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。
  あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。・・・③
  安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。・・・④
  六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。
  しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。――あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。――
  それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。
  あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。・・・⑤
  殺してはならない。・・・⑥
  姦淫してはならない。・・・⑦
  盗んではならない。・・・⑧
  あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。・・・⑨
  あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」・・・⑩

 The Old Testament・The Book of Exodus 20:1~17
  God spoke all these words, saying,
   “I am Yahweh your God, who brought you out of the land of Egypt, out of the house of bondage.
  “You shall have no other gods before me. ・・・①
  “You shall not make for yourselves an idol, nor any image of anything that is in the heavens above, or that is in the earth beneath, or that is in the water under the earth: ・・・②
  you shall not bow yourself down to them, nor serve them, for I, Yahweh your God, am a jealous God, visiting the iniquity of the fathers on the children, on the third and on the fourth generation of those who hate me,
  and showing loving kindness to thousands of those who love me and keep my commandments.
  “You shall not misuse the name of Yahweh your God,for Yahweh will not hold him guiltless who misuses his name. ・・・③
  “Remember the Sabbath day, to keep it holy. ・・・④
  You shall labor six days, and do all your work,
  but the seventh day is a Sabbath to Yahweh your God. You shall not do any work in it, you, nor your son, nor your daughter, your male servant, nor your female servant, nor your livestock, nor your stranger who is within your gates;
  for in six days Yahweh made heaven and earth, the sea, and all that is in them, and rested the seventh day; therefore Yahweh blessed the Sabbath day, and made it holy.
  “Honor your father and your mother, that your days may be long in the land which Yahweh your God gives you. ・・・⑤
  “You shall not murder. ・・・⑥
  “You shall not commit adultery. ・・・⑦
  “You shall not steal. ・・・⑧
  “You shall not give false testimony against your neighbor. ・・・⑨
  “You shall not covet your neighbor’s house. You shall not covet your neighbor’s wife, nor his male servant, nor his female servant, nor his ox, nor his donkey, nor anything that is your neighbor’s.” ・・・⑩


 尚、その石板は、契約の箱と共に、なんと、日本に存在するとの事である。さて最近の僕のトラブル列挙に戻る。
 その墓への「追懐」後の帰宅時とその後、近所とのトラブルが有った。その事をきっかっけとしてか、翌日はまた、独り言を延々と続けてしまう「症状」が出た。長期休暇を採る事となる昨年11月頭にも母方の墓へ「追懐」しに行ったのであるが、同時に行われていたイベントでの出来事をきっかけとして、その「症状」が3日連続で出ていた。その結果、直後に「しんどい」と電話を入れて休み、そのまま長期休暇に繋がった。
 「症状」ではあるものの、唯の気狂いと成っている訳では無い。その証拠に、その休み始めた長期休暇の初日に、「Preparation」、後の天に昇る前に必要な心の準備、悔い改めを含む、僕が今後に於いて此の世で生きて行く上での心構え、覚悟を整理して簡潔にまとめて記したものを、書斎の机の前に貼っている。これを読むならば、気狂い等とは到底思えないはずである。
 僕が傍から一見すると恰も気狂いの様に見えているかもしれない独り言は、自分では論理的で、哲学的であると自負している。こうして書き物をしている最中も、その後に発信するにしても、その間は独り言である。「壁に耳有り、障子に目有り」、独り言が無駄にはならず、まるで宇宙人の様にしてテレパシーで伝わっている可能性も有る。この様な事を言うと、更に気狂いと誤解されるかもしれない。独り言は、心や頭の整理にも繋がる。また、お金を稼ぐ為の鉄工所の仕事で、図面を見て確認しながら行う事も出来る。しかし少なくとも、何時も、何処でも、天の神様は見て聴いて「居られる」。
 その症状、気狂いでは無いものの、以前から知っており、気付いており、当てはまると思っていたものであるが、偶に出る症状、軽い症状ではあるものの、僕は「強迫性障害」(強迫性神経症)や「HSP」(ハイリー・センシティブ・パーソン)に当てはまると思い、またこの度、その事を素直に自分の内で認めた。それは飽くまで自分で分析した結果であって、決して医者に診てもらった訳では無い。医者、特に精神科の医者は当てにならない。精神科は、レントゲン撮影での骨折の診断や、血管造影による動脈瘤診断の様な事も出来ず、鬱病をはじめ様々な精神疾患と診断する為の確かな根拠、定義は存在しない。鬱病の薬を処方された患者というレッテルを貼られた方々は、インフルエンザ治療薬を服用する事で飛び降り自殺している数多くの事例と同様に、薬で却って慢性化、及び悪化している。その様な対症療法は、逆効果である。「強迫性神経症」や「HSP」については、本ブログの本シリーズの別記事、2019年1月31日付、『My Testimony/僕の証<2-1/2>:僕の成熟過程「試練の時期」の「敏感期」と「アセンション」に伴う「強迫性神経症」と「HSP」、エビデンス無き精神科医療、予防医療で作られる「医原病」』と、『My Testimony/僕の証<2-2/2>:僕の成熟過程「試練の時期」の「敏感期」と「アセンション」に伴う「強迫性神経症」と「HSP」、世間の精神面での「空気感染」、「毒」でしかない薬とワクチン』に綴る。
 その症状を素直に認めたり、「自己実現」は出来ずに「神実現」でないと不可能である事を悟り、自分の能力は大したものでは無い事を悟った時、神様に在る(繋がる)事が出来、本当の強さを得る事が出来る。

 
 



 新約聖書・コリント人への手紙 第二12章9~10節
  しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
  ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

 The New Testament・The Second Epistle to the Corinthians 12:9~10
  He has said to me, “My grace is sufficient for you, for my power is made perfect in weakness.” Most gladly therefore I will rather glory in my weaknesses, that the power of Christ may rest on me.
  Therefore I take pleasure in weaknesses, in injuries, in necessities, in persecutions, and in distresses, for Christ’s sake. For when I am weak, then am I strong.


 8月末から再び動き出し、直ぐに新たな鉄工所に入った。しかし、初日の帰宅後に洗濯をしていたのであるが、突然、17年間使用の洗濯機が壊れてしまった。何回かに分けて洗濯した最後の分である。既に夜中、しかもその日は睡眠を取らずに急ぎの投稿をスピード0.02Mbpsのインターネット・ダウンの中で行った為に、「しんどい」。そして、洗濯機も急ぎで必要な為、真夜中にネット・ダウンの中でネット・ショッピングにて発注するのに時間がかかった。そうする内に翌日の朝、一昨日の夕方から続けて寝ずに起きていて「しんどい」。その朝、「しんどい」という理由で休んだ。そして、休んだ事で立ち止まって考え、自分に合わないと思い、その会社を辞める事にした。
 9月に入り、依頼されていた母の店の止水栓と湯沸かし器の水道の修理を行った。ホームセンターにて部品を買い、合計\1,300程で済み、安く上がった。
 ネット・ダウンから2ヶ月、依然回復しない為に、ADSLとNTT回線の解約とWi-Fiの新規契約を行った。自宅が一戸建てであり、光の工事費は高く、今までと変わらないか、或いは安くなるかとキャッシュバック等を含めた料金を比較し検討した結果、それを選ぶ事にした。しかし、自宅の周囲は家に囲まれて密集し、有線の光と異なってWi-Fiの電波は安定せず、また、よくよく考えてみると、無線の電磁波は身体に悪影響をもたらす。Wi-FiやBluetooth等のワイヤレスの電磁波は、医療で使われているX線やγ線等の放射線よりは周波数が低くエネルギー強度が低いものの、同様である。耳に当てて携帯電話を長時間使い続けたり目覚まし時計代わりに枕元に置き続ける事で、脳腫瘍等が出来る可能性が有る。妊婦のお腹の中の胎児や保育園の子供等にも、悪影響が有る。他にも、スマートフォンの画面やパソコンの液晶モニター、LEDランプ等から発せられる「ブルーライト」による、眼や精神への悪影響も有る。電磁波を浴びる事によっても、身体や精神面、心の不調、不定愁訴、「しんどい」に繋がっている可能性が有る。
 そして丁度、Wi-Fiの新規申込を行った日に台風が通過した影響で、玄関のインターフォンが故障した。ずっと成り続ける症状が出たがインターフォンの親機からである事や玄関の子機のボタンを押しても鳴らない事に気付かず、約2周間後、とりあえず応急的な処置をして直した。
 また丁度その同じ頃、僕のおじに当たる方が亡くなられた。
 Wi-Fiのターミナルが届き、これでやっとネットの調子が良くなると思いきや、今度はパソコンのタスクマネージャーでディスク100%を維持し重く動かない症状のトラブルが発生した。原因は8年半使用のパソコンに最初から内蔵してあったハードディスクにセクタ不良が多発していた事であったのであるが、新しいHDDに交換するまでに、段階を経て最終的にクリア・インストールまで行ったトラブル対策を実施した事で、非常に時間を費やしてしまう事となった。
 HDDを交換して漸く、と思ったのも束の間、今度はパソコンのディスプレイがチラツキ始め、その1週間後、映らなくなってしまった。PC本体とセットで購入し使い始めたそのモニターの故障原因は、液晶パネルのバックライトの寿命である。
 10月に入り、お金に余裕も無く、「飯の種」を探すべく、職業安定所を通して20年程前に2年間勤めていた鉄工所に入る事となった。以前、上司に相当し工場長で年配でベテランの職人(当時、僕は30歳前後で若かった)の言う事を聞かなかった事から、クビになった会社である。それと同じくして、今度はATM(現金自動預け払い機)で暗証番号を数回、間違えた事から、キャッシュカードの再発行を依頼する事となった。
 久しぶりの会社に入ったものの、会社のカレンダーをよく眼を凝らして見ると、僕が最も重視していた「土日休み」が隔週程しか無いのである。僕はこの度、「飯の種」を探すに当たり、求人情報で「土日休み」かどうかを第一に見ていた。そして、入って1周間程経った朝、求人情報では毎週週休二日と書いてある事と異なる事を理由に辞めるつもりで話した。その翌日、その事も影響してか、「売り言葉に買い言葉」、別の理由で辞める事にした。

 何故、僕が「土日休み」に拘るのか?。それは、こうした物書きや読書、研究、検証等と、出来る限りのバランスを取る為である。僕にとっては正直、今に至っては、僕を雇っていただいている方、使って頂いている方には申し訳ないが、鉄工所の仕事、製缶の仕事は「飯の種」、生計を立てる為の「手段」でしかなく、それが決して「目的」では無い。「手段」と「目的」とは異なる。僕には、物書きを「飯の種」に出来る程の才能は無い。しかし、お金に生らないからといってその事を止めていいとは思わず、行い続けるべきものであると思い、前述した様にお金に生る事だけを「仕事」と呼ぶのでも無い。昔は、否、つい最近、数年前までは、その様な「目的」も無かった事もあり、特に若い頃は夜の9時や10時までの残業や日曜日の休日出勤をよくしたものだった。またその頃は、偶の休み毎に趣味の魚釣りに行っていた程、今にして思えば「タフやったナァ」と自ら当時の自分について感心してしまう程である。因みに、今まで職場を転々として来ながらも、以前は新築マンションに住んでいた。税金や社会保険料も払って来ている。高校中退で学歴も無く、巷の公務員や大企業に勤めている者達と比較しても、町工場を転々として来た僕は、給料は安かった。残業や休日出勤で稼いでいた訳である。今は、飽くまでも「飯の種」。何が欲しいと言うような欲望も、殆ど無い。生計を維持する為と将来の為に少しづつ残していければ十分である。否、其処に奉仕(寄付)の分も付け加えておきたい。

 その会社を辞めた直後、お金に余裕が無く、或る派遣会社に当たってみた。僕自身、何ぼ「飯の種」として、「手段」としてしか考えていないけれども、探す上で自分に合うか否かの為のフィルターを持っている。「土日休み」もその内の一つである。職安の求人情報を見ても自分に合いそうな鉄工所が少ない為、「飯の種」、「手段」と割り切って、ある程度の許容範囲内であれば仕事の内容は何でも良いと、ネットから6件程の希望を未明に出してみた。同日午後、連絡が無い為に僕の方から電話を掛けた。その派遣会社を通す場合は履歴書は必要無く、僕が応募している件は誰でも出来る、素人が出来る、単純作業的なものであるのだが、僕の高齢を理由に撥ねるのならば解るが、駄目らしい。求人情報には即決と書いておきながら、書類選考等と矛盾した事を言い、派遣会社が勝手に独自に口頭の聞き取り等で一応書類は作成してはいるが、履歴書も無いのにどの様に選考するのか疑問に感じ、オペレーターに聴いてみた。そしてついでに、「あなた方は派遣社員の“ピンハネ”で食えているんでしょ?解っています?」と言っておいた。その後、連絡は全く無い。実際その昔、山口組とその関連会社が神戸の港湾労働者の派遣を行い、現在でも関係会社が引き続き行っている事と同様に、派遣会社にはヤクザ的な会社が多いと聞く。
 そして更に同日、昔勤めていた鉄工所で知り合いとなり、その後も趣味の海釣りの内の船釣りに誘い連れて行ってもらっていた鉄工界に於ける先輩から電話が有り、新しく立ち上げる鉄工所に誘われ、ほぼ僕の希望通りという事もあって、現在、その個人事業の工場に勤めている次第である。その後、今日までの約1ヶ月間、遅刻はしているものの、トラブルは起きていない。そして8月以降から現在まで、再び精神面と心の安定が復活して来た。

 さて、長期休暇の後、何故、精神面や心が不安定になってしまったのか?。確かにそれ以前、昨年から、その兆候は伺えていた。
 僕は49歳、一般的に言われている「ゆらぎ世代」真っ最中。僕の場合も、今まで事ある毎に、又、日々の暮らしの中で繰り返し行って来た内省、内観によって自分を知り、「目的」がはっきりとし、「手段」との区別が明瞭となり、今後の「Preparation」も明確となる中で、今現在は「変革期」である様に思う。例え保守的に漸進的に変革していくにしても、ある程度の動揺はその上で付きものであり、そういう意味で僕は現在揺らいでいる様に思う。
 しかし、そう簡単に揺らいでしまうのは、自分の心の中に礎、土台が出来ていなかったからではないのか?。クリスチャンと言いながらも、聖霊が心に存在していなかったからではないのか?。
 長期休暇に入る前、僕は周囲のバッシングや挑発、煽り立てを受けながら、聖書を依頼む様にして通読していた。その事で、必要で無い、意味の無い、低レベルな事に対する怒りを発する事を抑え、忍耐力を持つ事が出来ていた様に思う。それは恰も、プライバシーが侵害され、ストーカーされていた、古代ユダヤの王ダビデが、旧約聖書の詩篇の中に綴られている様に、常に主である神様にお祈りをしていた事から学ぶ事と同様である。旧日本軍が、支那(中国)の蒋介石軍から通州事件をはじめとした数多くの挑発を受けながらも忍耐を重ね、最終的に「止むに止まれぬ」気持ちとなった上で、堪忍袋の緒が切れて、自衛戦争の為に、現地の日本人を守る為に、南京に進出し、同時に南京の民間の支那人をも解放して救った事にも、見て学ぶ事が出来る。其処には、武士道の「義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義・克己」が見えるが、特に「勇」は「忍耐」、「敢為堅忍」とセットで捉えて考えなければ、「勇」だけでは却って卑怯、臆病となってしまう。怒りの感情を安易に力任せで、暴力に訴える事は、臆病、卑怯である。前述の自分の弱さを素直に認める事こそ、神様の力が覆い、真の強さに繋がっていく。
 しかし長期休暇の間、アメリカによるシリア征服失敗、アメリカによりエルサレムをイスラエルの首都として決定した事の失敗、イルミナティIOCによる平昌冬季オリンピックからのロシア排除、アメリカ・イギリス・フランスの三国連合による偽旗・自作自演の化学攻撃捏造後のシリア侵略攻撃、現イスラエル独立宣言に伴うパレスチナ人ナクバ(大災厄)70周年とアメリカの駐イスラエル大使館のエルサレムへの移転等と、大きな出来事が続いた事もあって、それら時事問題を追いかけるも、その急速で大量の流れから追っていくのも必死で、或いは追いつかず(僕のやり方、要領が悪いせいでもあるが)、その間はロクに読書も出来ず、結局はそれら多くの時事問題の情報に流されていたのではないかと思える。そして、それら多くの情報、出来事を処理出来ず、今後の予想される生活パターンの中での時間が無い中でそれをどう熟していけば良いのかといった焦燥感と不安感から、長期休暇の終盤は精神面に苛立ちが募ると共に、パニックに陥ったのかもしれない。またその長期休暇の間、書き物に集中するあまりに引きこもり、他の事に時間を割くのももったいなく感じ、それ故に外出する事が殆ど無く、運動する事も無かった。

 精神面と心が不安定な状態、神経症的、神経過敏な「症状」に陥ってしまった事についての対策、世間一般的な解決策として考えられるのは、先ず、海や山等の自然の中に身を置き自然に触れ合う事。波打ち際や森林浴ではマイナス・イオンやα波の効果でリラックス出来る。また、趣味に高じる事。僕自身、ここ3年半程行ってはいないが、魚釣りを趣味としている。かつて若い頃は、納期の無い(=納期までの日数が少ない)故の、また町工場、下請けとして薄利単価の品物の数を熟す為の、平日の残業や休日出勤の仕事の忙しさの中で、その趣味と自然に癒やされていた。また、そういう自然の中、特に澄んだ空気が在る中での深呼吸も良い。
 その他に、同じく僕が趣味としている読書、クラシックやイージー・リスニング、自然環境音楽を聴く事も、リラックス、精神の落ち着きをもたらす。また、映画やテレビ・ドラマを観て、小説、物語の空想の世界に浸る「現実逃避」をする事も効果があろう。同じくテレビのお笑い番組やバラエティ番組も同様であろう。笑いは、免疫力を向上させる。
 更に、僕自身もストレッチや水泳、ランニングを趣味としているが、運動は血行を促進し、ストレスを発散し、新陳代謝を促して、身体だけでは無く精神を蘇生させる。最近は、ストレッチに似たヨガが、世間の中ではブームである。また、同じく巷でブームとなっているのが、座禅である。座禅は心を「無」にしてリセット、初期化し、赤ちゃんや幼児期の頃の様な純粋な心の状態に戻す。パソコンもトラブルが起きた時、メモリやハードディスクを一旦初期化してクリアしリセットすると、調子が良くなる。僕自身も趣味として、「メディテーション」(“Meditation”)を行う。“Meditation”とは、黙想、熟考、熟慮、瞑想、内省、内観等の事である。更にそれは、「沈思黙考」、データ・マイニング、そして『神様への祈り』でもある。他にも、理解してもらえ、共感してもらえ、相互に信頼関係に在る、家族をはじめとした人達との交わりも、効果があろう。「飯の種」となる職場、或いは職に長期間安定して勤務する事によって、金銭・収入の安定だけでは無く精神の安定にも繋がろう。
 心技体のバランスが崩れる事も安定を損なう。教養、道徳を取り入れ、日々の生活に於ける家事等の一つひとつの「作務」を丁寧に行う修養や修行。食事に於いては無添加、無農薬の食材や納豆をはじめとした発酵食品、ハーブ等の香辛料を使って味覚、嗅覚からのリラックス。間違っても、薬を使ってはいけない。薬は毒であり、その多くが交感神経を優位にさせ、却って身体にストレスを与え、副作用を含めて逆効果、悪化、無効化(耐性化)、慢性化してしまう事となる。漢方薬は緩徐に効きマシであると言うが、薬には違いない。やはり、「自然療法」が良い。
 これらによって精神や心の安定、落ち着きを取り戻す事が出来る。しかし、その中で最も大事なのは、『神様への祈り』である。

 
 



 新約聖書・ヤコブの手紙1章5~8節
   あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。
  ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。
  そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。
  そういうのは、二心のある人で、その歩む道のすべてに安定を欠いた人です。

 The New Testament・The Epistle of James 1:5~8
   But if any of you lacks wisdom, let him ask of God, who gives to all liberally and without reproach, and it will be given to him.
  But let him ask in faith, without any doubting, for he who doubts is like a wave of the sea, driven by the wind and tossed.
  For that man shouldn’t think that he will receive anything from the Lord.
  He is a double-minded man, unstable in all his ways.

 今まで、僕は何回か人生の中でターニング・ポイントが在った。……(「My Testimony/僕の証<1-2/2>」へ続く)

 「 My Testimony/僕の証<1> 」<1/2> ~ <2/2> ↓
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